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カミングアウト

バスを降りてターミナル駅へ向かう。

すでに日が暮れあたりは暗くなり、街灯のわずかな橙色の光が円形に歩道を照らす。僕は無言ですたすたと加藤の斜め前を歩き、加藤も何も言わず黙って後ろをついてくる。


十メートルほど先にある歩行者用信号が青色に点滅した。

僕はぎりぎり間に合うと思って走り出す。

加藤も一秒ほど遅れて駆けだす。

歩道から白線に脚を踏み出したところで信号が赤に変わる。僕はそのまま突き進み、もうすこしで渡りきるところではっと後ろを振り返ると、加藤が間に合わず横断歩道の直前で立ち止まった。

僕は走るのをやめ、息を止めて向かいの歩道へ歩く。

車が一台加速して僕と加藤の間を通り過ぎる。


ブーン、ブオオオーーン


信号が赤く灯火している。信号横の高い支柱に付けられた街灯が弱い光を下ろし、加藤の立つ薄暗い歩道にぼんやり届く。

ほとんど真っ暗な交差点で、加藤の表情まで見えない。

僕ら以外人も車も通行する者はいない。


ジジジジ、ジジジジジ


地上から離れたところに高く設置された街灯に、無数の小さな虫が群がっていた。


加藤がこちらを見ている。僕は右手を掲げようとぶら下がった手をズボンにこすって、腰横まで上げたところで——


——信号が青に変わった。


加藤がこちらを見たままじっと立ち尽くしている。

視線はそこから逃れられず、僕は相手と向かいあう。

何もかもとまった世界でわずかな時間が延々と静かに続く。


加藤の片足が動き出し、白線の上へと一歩踏み出した。


中途半端に浮いた僕の右手がぶらんと力なく下り、いつから止めていたかわからない息を無意識に吸い込む。


目の前までやって来た。

僕は駅のほうを向く加藤の横顔とその先にある地面との存在しない境界線を見つめる。

振り返った加藤が笑って言う。


「行こう、寺木君」


微かな声で頷いた僕はその女性的な小さくもふっくらとした背中を追った。



普段人がいないとき止まっているエスカレーターへ近づくと、うーんと音を立てて動き出す。

地面と同じ高さにある一段目に片足をほとんど上げず乗り込んで、あとは機械の動力にまかせて石のように硬直しきった身体をなんとか踏ん張り立たせておく。

後ろを振り向かずエスカレーターの最上部をじっと凝視して、規則的に鳴り響く振動音が身体にピリピリとした緊張感を与える。


左に改札のある二階へ着き、僕と加藤は右側のガラス張りになった外が見えるスペースへ移動する。

僕は電車で、加藤は歩いて帰るからここでお別れになる。

二人の間に微妙な距離があり、くもった白いタイルが敷き詰められた床を見つめたまま動かない。

ガラスの壁越しにおぼろげに灯る工場の光が静かに僕らを見守るように届けられる。

心臓がばくっばくっとなって息を飲み込んで言葉を発する。


「今日はありがとう。楽しかったよ」

「うん……こちらこそありがとう、付き合ってくれて」


沈黙がつづく。

電車の到着を知らせる短調のメロディーが駅構内に鳴り響き、メロディーと噛み合わないちぐはぐな周期で僕の心臓はばくっばくっと鼓動する。

駅員のノイズに絡まった無機質なアナウンスが棘を持って空間を突き破り、僕の胸は切り裂けるほどの痛みが生じている。

喉の奥が真空のように空気を失い、乾いた気管から強烈な吐き気とともに重たい呼吸が口の外へ嘔吐きだされ、思わず口をおさえる。

加藤が心配した表情で僕を窺う。


「ごめん……」


僕は一言謝る。

加藤はその言葉がなにを示しているのかわからない顔で、まっすぐ僕を見つめる。


——言わなければいけない。


バットで殴られたような、そんな猛烈な痛みと激しい鼓動が僕の心臓を襲いつづける。

張り裂けそうな胸の感覚——


「実は、僕は………好きなのは……………男なんだ…………」


視界に映っていた加藤の足元が揺らぎ、全身が海におぼれて呼吸できなくなったように突然思考も感情もすべて止まる。

何も言わない加藤。

ほんとうに、頭の血が止まって息ができなくなる。


「……そう……なんだ…………やっぱり」


加藤が床を向いてほとんど聞こえない声を発する。

僕は喉に空気を詰まらせ顔を直視した。


「やっぱり……そうだったんだね。……ありがとう、言ってくれて」


笑った。


白くすきとおる美しい肌にまとわれた、底知れないやさしさの笑みを浮かべて加藤は笑った————


僕は唇を震わせ眼から零れそうになる雫を必死に我慢し、声にならない声で言おうとする。


「……ご、ごめ……ん。う、嘘ついてしまったん…………」


加藤は僕に身体を寄せ、瞼をわずかにほそめて顔を振る。


「ううん……。なんとなくわかってたんだ……。私のほうが寺木君に無理させてた」


加藤は僕の手を握り、寂しそうに、でも僕の眼をまっすぐ見て告げる。


「こうしても、ほんとになにも感じないんだもんね」


加藤はぎゅっと力を込めて、僕の手を両手で握りつづける。

瞼を閉じてもそんなつもりはなくても、どうしても勝手に僕の両眼から雫が溢れ出てきて、抑えることができなかった。


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