レストランで
格子状のガラス扉を開けるとコロンコロンと鈴が鳴り、落ち着いたジャズがかけられた店内には、その広い空間に四人用の席がたくさん用意されていた。
人が多いわけではないが昼時ということもあり何組かのお客さんたちが席に座って、食事している。お年を召した老夫婦や店内でも日よけ帽子を被ったままの眼鏡をかけた中年男性、色鮮やかな花びらのような服を着て上品に会話を——おそらく本人たちは意図せずとも結構な存在感を放ちながら——楽しむ数名の婦人たちなどさまざまにいた。
店員がでてくる気配がしなかったので、僕と加藤は空いている適当な席に座る。厨房と反対側の外がよく見える壁際のボックス席に腰掛けた。
すぐに女性の店員がおぼんに水を乗せてやってきた。にこやかに頭を傾げ、机に水を置く。まず加藤のほうにそして僕のほうに。
店の隅や入り口、窓際の床には花瓶に植えられた観葉植物が置かれ、それを見て加藤は言う。
「きれいよね」
「うん、そうだね」
本物かと思って一番近くのをじっと見ていたら、それは精巧に作られた人工製の置物だった。
机の端のメニューをとり、反対側の加藤にも見えるように横向きに置く。ひねるようにして加藤が身体を前に傾け、そのぶんだけ僕のほうへ近くなる。
相変わらず柑橘系のいい匂いがする。
ぺらぺらとページをめくり、かつ丼やカレーライス、スパゲッティ、うどん、そばなど美味しそうなメニューを眺める。
僕は優柔不断なところがあり、こういうときすぐに決められない。だから誰かと外食するときは焦ることがある。
今回は二人でじっとメニューとにらめっこしていたが、加藤もまだ迷っているようで僕は少し安心する。
……ただメニューを眺める無言の時間がつづく。
僕はカレーライスに決めた。
加藤はどうするのかなと思って、ちらりと視線を送る。
唇に指をあて、まだ迷っているふうな様子である。
焦らせないように、ゆっくり決めてくれていいんだよと伝わるように僕は言葉をかける。
「どれも美味しそうだね」
「うん、どれにするか迷っちゃうなあ。寺木君は決まった?」
「カレーにするよ」
「じゃあ私もカレーにしようかなあ」
「ゆっくりでいいよ」
「ありがとう」
加藤はもう一度メニューを一通り眺めて、結局僕と同じカレーを注文した。
カレーは美味しかった。
白く湯気を上げるつやのあるお米と深いコクを期待させるルーが惜しみなく盛られた大きめの皿に、野菜や肉がたっぷり浸かり、ぷうんと甘く食欲をそそる香りが漂う。
ごつごつとした大切りのジャガイモと柔らかく煮込まれた人参の入ったルーは、隠し味として入ったトマトの甘酸っぱいアクセントが甘いルーのコクと対比的に引き立つ。
家庭的だけどお店でしか食べられないような高級感のある美味しさだった。
僕はスプーンにたっぷりすくった一口ひと口を夢中に食べ、最後にコップの水を飲み干して天井を見ながらうぉぉと腹から息を出した。心に残る美味しさだった。
バスの中でたくさんお喋りを聞いてリラックスしたとはいえ、まだ僕の身体はぎこちなく緊張して加藤との会話も半分忘れてしまって、正直食事を楽しめるか不安だったが、このカレーの味だけは忘れられないだろうなと思った。
満足して目の前の加藤を見ると、まだ三分の一くらい皿に残ったカレーを食べていた。
今日一日上手くやっていけるか不安だったけど、食事でこんな満ち足りた気分になったことが嬉しかったし、何よりこの店に連れてきてくれた加藤に感謝の気持ちが込み上げてくる。
横に大きくつけられたガラス窓から意思もなく外の景色を少し眺めて、黙々と食べる加藤に視線を移して言う。
「すごい美味しかったよこのカレー。来てよかった」
スプーンから頬張る最中に言われた加藤は嬉しそうに眼を三日月みたいに笑わせ、口に手を当てて言った。
「うん美味しい!私もよかった」
服にカレーがつかないよう身体に押さえて、一口ひと口をしっかり噛み締めて味わう初めての彼女を眺める。
ベージュ色の壁とそこに掛けられた印象派の絵画、大きな植木鉢に植えられた薄緑の観葉植物に、大正ロマンを感じさせる年季の入った焦げ茶色の机。そしてそれらに囲まれて静かに食べる加藤の姿。
誰かと一緒にいるってこういうことなのかもしれない——
情熱的とは言えないこんなシーンが眼に焼きつき、胸のなかに点いたとろ火に優しく心があたたまるのを感じながら、僕は誰かと付き合うってどういうことなのかほんの少しだけわかった気がした。