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現(うつつ)

作者: 小鳥遊鳴海

男はビルの屋上に立っていた。


もうなにもかもどうでもいい。


男は疲れきっていたのだ。


単調な毎日の中で繰り返される上司からの叱責と過酷な労働。


家に帰れば自分をまるで汚物でも見るかのような視線を一瞥くれただけで無言で立ち去る妻。


酒でも飲んで気を晴らすこともこの時間からでは無理だろう。


帰宅して少しの仮眠でまた仕事に行かなくてはならない。


酒など飲んでいる時間はないのだ。


家に帰るも荒れたキッチンの中に自分の食べる物は用意されていない。


そりゃそうだ。


自嘲的に笑う。


妻とはもう既に紙きれだけの契約。


永遠の愛を誓ったあの日はなんだったのだろう。


もう、どうでもいい。


俺がいなくなったところでこの世の中は変わらない。


俺にはもう行き場がないのだ。


だけど行きたい場所はある。


だから


俺は今、ここに居る。


遺書なんていらないだろう。


本当は自分をここまで追い詰めた奴らに恨み言のひとつも言いたいところだが無駄な足掻きだ。


屋上の端に立ち下を見る。


けっこう、高いな。


「人がゴミのようだ」


いつか見たアニメのセリフなんかを吐いてまた自嘲する。


もう、覚悟は決まっている。


俺は足をそーっと伸ばし空中にその身を預けようとした時だった。


「なぁ、おっちゃん!ちょっと辞めてくれへんか?」


どこからか声が聞こえる。


周りを見回すも人の気配はない。


空耳か?


俺はもう一度同じ動作をしようとした時。


「あかん、あかんて!それやられたらむちゃ困んねん」


空耳ではないようだ。


でも、声の実態は掴めない。


どこから声をかけているんだ?


「まぁ、どこ見ても見えへんで!見えへんようにしとるさかい」


なんだ?意味がわからない。


幽霊?にしては変な関西弁といい怪しい感じはしない。


「しゃあないな、見えるようにしたるわ。レアもんやからありがたく思いや」


声の主が俺の目の前に現れた。


見た感じ、俺よりは若そうだが、スーツを着ているからサラリーマンぽいのだが。


あれ?


俺の前に居ると言うことは?


「うわー!なんなんだ?お前は?」


そう彼は宙に浮いているのだ。


しかし、俺の驚きも意に返さないように平然としている。


そして彼が放った言葉に更に驚かれる事になる。


「はじめまして、わたくし、こういう者でございます」


変な関西訛りの標準語で挨拶して出された名刺には死神と書かれていた。


死神?えっ?死神ってあの死神?


なんかのイタズラかと思ったが彼は確かに浮いている。


でも、死神ってこんなイメージだったか?


「びっくりした?びっくりしたやろー!死神さまを見れただけありがたく思わなアカンで、おっちゃん!」


俺はそういう彼に質問することにした。


「死神って言うがなんでそんな格好なんだ?死神っていえば普通は」


そこまで言うと彼は笑いながら言った。


「どす黒い怪しげな格好で大鎌でも持ってるってか?おっちゃんw」


俺は言いたいことを先に言われムッとしたがそんな俺を見て笑いながら彼は言う。


「死神ってのもな、おっちゃん!勤め人せなあかんねん。これは俺の戦闘服!これもノルマの為やしねー!普段は見せへん姿を見せてもうたわw」


正直、笑い事ではない。


それに彼の言ってる意味がわからない。


そんな俺に死神と名乗る男が言う。


「おっちゃんは俺の担当なんよ。俺はあんたの魂が必要な時に貰っていって納品せなあかんねん。だけどな、おっちゃんの依頼書まだ来てへんのよ。だから、今死なれるとむちゃ困んのよ」


続けて彼は言う。


「死神っていうのもキツい仕事でなぁ。ノルマはシビアやし、おっちゃんみたいに勝手な事されたら後々、納品せなあかんもんないからむちゃ上司に怒られるんよ」


依頼書?納品?サラリーマンか?死神も?


俺の心を見透かしたように彼は言う。


「そうそう、サラリーマンやねん。俺はこの仕事で飯食ってんのよ。もう、ほんま、おっちゃんみたいなんが最近むちゃくちゃおるから大変やねん」


俺みたいや人がいっぱい?


あぁ、人生に疲れて今の俺みたいに死ぬ人が多いんだな。


「そうそう!だからな!俺らそういうやつらも見張っといて納期まで生かしとかなあかんのよ、まじ大変やで」


なんか、俺の心の中、考えてること読めるみたいだが敢えて聞いてみる。


「止めたとして君はその人たちが抱える問題までは解決できないだろう?止めても同じ事の繰り返しではないのか?」


彼は笑いながら言う。


「いやいや、俺らもな、全部が全部止めれる訳やないんやわ。どうしてもあかん時もやっぱあるわ?でも、どうしてもあかん時は先に契約先に売り込んどくねん」


は?売り込む?さっぱり訳がわからない。


「先物取引って言うやん。先に企業に近々こんな魂が入荷されそうなんで入荷次第納品しますから契約しといてくださいって頭下げなあかん。頭下げんのはムカつくけど受注されました、ありませんでは下げる頭の角度が違うんよ」


「だから、俺らは止めれそうなやつもリサーチしといてやな、確実に止められる時はこうやって姿見せるんよ」


こいつ、さっきからなにを言ってるんだか?


俺はもう、人生に光すら見えなくなってもう死ぬ以外の選択肢はないのに。


「だーかーら、止めれる時だけって言っとるやろ?おっちゃんはまだ止めれるんよ。だから、こうして腹割って話しとるやないか」


俺はその物言いにすごく腹が立っていたがこうして止めに来たって事は。


「お、おっちゃん、そろそろ気づいたか?おっちゃんかが思ってるよりおっちゃんそんな悲惨やないで?あと少しだけ頑張ってみ?そしたらええ事あるはずや」


なにを根拠にそんな事を言うのか理解に苦しむがそこまで言うなら何かがあるのだろうか?


「とりあえず、おっちゃんの納品まであと20年くらいはなさげやしここは俺の顔免じて勘弁したってくれへんかなぁ?」


あと、20年?おいおい?この世界を後20年も過ごさなければいけないのか?


こっちが勘弁してほしい。


「まぁまぁ、今日のところはもう一旦帰って風呂入って寝たらええわ。そうやなあ?明日にはなんか変わるかもしれへんで?」


明日?明日何があると言うのだ?


しかし、この勢いでは彼は俺を止めることをやめなさそうだ。


俺自身も既に飛び降りる気持ちは薄れてしまっている。


俺は言う。


「明日だな?明日なにもなければ俺はまたここに来るぞ?その時は止めるなよ」


彼にそう言うと


「りょーかい、りょーかい、明日、おっちゃんがここに来ることはないさかい安心しとき、つか、帰ってくれる気になってこっちが安心やわ」


俺は明日何が起きるんだと思いながらビルの階段を降りる。


そして、家路へ。


家に帰ると明かりがついている。


変だな?もう真夜中だぞ?


こんな時間に妻が起きてるなんて事はないはずなのに?


鍵を空け家に入ると部屋の明かりがついたまま。


テーブルには飲みかけのビールとタバコの灰皿。


俺はタバコなんて吸わないし妻も吸わないのに?


変に思いながらも家の中の様子を伺っているとなにやら声がする?


いや、声じゃない?


これはいびき?


妻のいびきにしては変だぞ?


俺は恐る恐るいびきの聞こえる場所に向かった。


そこは妻の寝室。


そっと、扉を空け中を覗くと。


真っ裸で大いびきかいてる上司と同じく真っ裸で寝ている妻。


どうやら、この2人は出来ていて俺に深夜まで残業させてる間にこうして会い乳繰りあっていたのだろう。

今日はお盛んにやりすぎて俺の帰宅を待たずに眠ってしまったようだな。


俺は頭に血が湧きあがった。


こいつらはいつも俺を馬鹿にしながらこうやって楽しんでやがったんだ!


気づくと俺は寝室に置いてあったガラス性の灰皿を上司にそして妻の頭めがけて振り落とした。


何度も何度も。


妻の悲鳴が家中?いや、近所に聞こえ渡るくらい響いた。


しかし、俺はその妻の頭にも何度も灰皿を振り落とした。


静寂な時間。


俺の息づかいだけが響いている。


そのうち、どこの家が通報したのかパトカーのサイレンが鳴り響き家に警察官が入ってきた。


もちろん、俺は殺人の罪で現行犯逮捕された。


そして、少しの月日が流れ、裁判所の中央に立つ俺に裁判官が告げた。


「判決!被告人を殺人の罪で懲役20年に処す」


なるほどね、20年待つ意味がわかったよ。


あと、20年後は止めるなよ、死神。


end

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