〈第8話〉イルカ好きな先輩と大阪に行こう
フェリーの甲板の上で潮風を受けながら、清花がわあわあ何か言っている。
「やっぱりヨシムラ新喜劇ですよねえ!超楽しみ!」
僕は返事することもなく海に視線を移した。あと二時間もすればようやく大阪に到着するのだ。
旅には結局、熊谷、清花、ブロッコリー先輩、僕の四人とも参加することができた。
熊谷は親を説得するのに結構手こずったみたいだ。
それにしてもブロさんも来たのは正直意外だった。(最近、ロコリという呼び方は急速にすたれ、ブロさんが主流になりつつある)
しかもブロさんはかなり楽しそうだ。
年希をフェリーが出発するときも「と、途中でイルカが絶対見られる、は、はずだ」と興奮した様子で主張していた。
ヒマさえあれば、というか、だいたいヒマなんだろうけど、ブロさんは甲板から海をながめている。なんだか僕も気になって、ちらちら海を見てしまう。しかし、年希育ちならクジラも見たことあるに決まってるし、イルカが見られるのがそんなにうれしいのかな。
「イルカ、何匹ぐらいいました?」
甲板に設置されたベンチに座っているブロさんに近づき、僕は声をかけた。
「イ、イルカは匹じゃなくて、と、頭で数えるんだよ。ケンちゃん」
これまで長瀬くんと呼ばれていたのに、いきなり「ケンちゃん」なんて言い出すものだから、僕はとても面くらいながら、もう一度聞いた。
「いたんですか。イルカ」
「いたよ」
ブロさんが当たり前のように答えるものだから、僕はまたびっくりして、さらにもう一度聞いた。
「ええ?いたんですか。教えてくださいよ。おれも見たかったのに、いちおう」
僕の抗議にも動じる様子はない。
「別に僕も直接この目で見たわけじゃないけどね」
ブロさんは平気な顔で答えてくる。
「この時期の海流と水温、イルカの習性を考えれば、年希から大阪の航路上にいたのは間違いないからね。いたに決まっている」
「それじゃあ、分からないじゃないですか。本当にいたかどうかなんて」
「分かるよ。なんといっても僕は海洋学者を目指していた時期もあるぐらいだからね」
「今は目指してないんですね」
「今は医者を目指してるからね」
どうやら清花の言っていたことは本当だったらしい。清花は甲板の反対側から、なんとなくこちらの様子をうかがっているようだ。ところで今、ブロさん、まったくどもらずにしゃべってなかった?
「ケンちゃんは何を目指してるんだい」
ブロさんがいきなり大人になったときの夢なんて聞いてくるものだから、僕は「べ、別に」と答えるのがやっとだ。
イルカの話をしていたはずが、いつの間にか将来のことを話している。僕は思いきって、これまで疑問に思っていたことを聞くことにした。
「医者になりたいなら、ブロさん医学部行かなきゃいけないですよね。高校受験はどうするんですか。ていうか、中三の夏、大阪遊びに行ってて大丈夫なんですか。あと、なんで寸劇委員になったんですか」
ブロッコリー先輩は質問の意味を一つ一つよくかみしめているといったようにうなずき、それから少し困ったような顔をした。
「ええっと。ぼ、僕が寸劇委員長だとまずいかな」
「いや、全然まずくないですけど」
そこで会話は止まり、僕たちはしばらく海をながめるでもなく、空を見上げるでもなく、なんとなくベンチに座っていた。「ま、ま、まあ。ぼ、僕にもいろいろ、あ、あるんだよ。ケンちゃんともこうやって仲良く話せるようになってうれしいよ」と言うので、「僕も、そうです」と返事した。
おだやかな波間から、しぶきの音が聞こえる。
「あと一時間ほどで大阪港が見えて参ります。下船の準備をお願いします」
ぶっきらぼうなオッサンの声でアナウンスが流れると、熊谷が甲板に姿を見せた。
「ジブンら、もう荷物まとめなあかんで。もたもたしとったらヒンシュクやで」
熊谷がまるでシバオのようにがなり立てたとき、背中のほうから「ザバーン」という音が聞こえた。
振り返ると、二頭のイルカが代わる代わる、水柱を上げながらジャンプし始めたところだった。「ザバーン」という耳に心地よい音を繰り返し聞きながら、僕はブロ先輩に、
「いましたね、二匹!」
と叫んだ。
「いるに決まってるって言ったろう!二頭」
少しお腹の出た、この愛すべき先輩は、心底うれしいといった表情を浮かべ、「いるに決まってるんだよ」と繰り返した。