いい人01
他人から見れば、何なんだと笑われそうなことも、当人にとっては大真面目。進展しない恋でさえ、恋とも気づかない、いい人のお話です。
その日、いつもの通勤時間よりも遅く駅に行くと、信号の故障とかで電車が遅れていて、ホームに人があふれていた。やっと電車に乗ったら、何か大事そうに抱えている女性がいて、つり革にもつかまれず、あっちによろけ、こっちによろけている。周りに乗っている人からはあからさまに嫌な顔をされたり、「痛い」と声に出されて言われている。「すみません」を連呼して頭を下げているが、当然一向に改善されないまま、次の駅も次の駅も過ぎて行った。
-あーあ。まったく、俺って、無視できないんだよなー
心で、つぶやいて、
「どこまで行くんですか? 俺、降りる駅まで持っててあげますよ。」
そう言うと、彼女は、
「すみません。でも、申し訳ないから、何とか頑張ります。」
と、言って、恐縮している。
「でも、俺が持って、貴女はつり革につかまったほうが、周りの人に迷惑かけないと思うんだけど。」
彼女は、はっとして、周りをきょろきょろして、顔を赤くして、益々恐縮していたが、
「すみません。本当にすみません。じゃあ、お言葉に甘えて」
消え入りそうな小さな声で、そう言って、俺に荷物を預けてきた。簡単に持てると思っていたその荷物は結構な重さで、これは大変だったろうと彼女に同情した。
「3つ先の上本町駅でおります。貴方は、大丈夫ですか?」
「ええ、俺はその先の原町ですから、気にしないでください。」
本当は、上本町の一つ手前の牧田で降りるのだが、乗り掛かった舟だから仕方がない。うちの会社は、勤務体系が柔軟で、与えられた仕事を期日までに仕上げれば何時出勤しようがしまいが個人に任されている。だから、決まった出勤時間がないわけで、だからこそ声をかけたのだが、実際に降りる駅は、さすがに言えなかった。
上本町で一緒に降りて、荷物を渡すとすぐに電車に乗った。彼女は、何度も何度もお辞儀をして礼を言っていたが、これ以上のかかわりを持つ気がないので、黙って背中を向けたまま、ドアが閉まった。次の原町で降りて、すぐに上りの電車に乗りかえた。すると、上本町の駅から、彼女が乗ってきた。ドアの前に立っていたから、隠れることもできなかった。彼女は驚いた顔をしていたが、
「いい人なんですね。」
と、笑っている。そう、俺は、良い人なんだよ。昔っから。
「本当は、どこの駅だったんですか?」
「牧田。用事は済んだんだね。」
「はい。駅で渡してきました。私、出版社に勤務しているんですが、作家さんの担当から連絡があって、先生が使う資料を駅まで届けてくれないかって頼まれて持って来たんですけど、大切な借りものだから大事に持ってきてほしいと言付かって、リュックに入れるのもと、昔懐かしい風呂敷にしたんですけど、重くって、本当に助かりました。」
にこにこと、そんなにしゃべっちゃっても良いのかよと、こっちが心配するほど話してくれた。
「まあ、良かった。それじゃあ。」
「えっ、このままじゃ、申し訳ないから、何かお礼をさせてください。この電車でお会いしたのも、お礼をしろと神様が言っているんです。きっと。」
と、にっこり笑ってる。その屈託のない笑顔が可愛いなあと、思ってしまった。でも、おもいっきり首を振って
「いや、結構です。あまり、負担に思わないでください。」
そう言っていると、牧田駅に到着してドアが開き、あわてて下りてしまった。
昔、高校生の時、同級生の聡美が好きだった。入学以来3年間、ずっと聡美が好きだった。けど、告白できないままいた。親友の雅也だけは、俺が彼女を好きなことを知っていた。もうすぐ卒業と言う頃、
「いいか、10分後に体育館の横へ来いよ。」
「なんだよ、この時間差は?」
何か、ふざけたこと考えてんだろうと、面白がって、のこのこと体育館横に行ってみると、雅也が聡美から告白されていた。雅也は、
「自分には、別に好きな人がいる。」
と、冷たく断って、こちらを向くと「あと、頼む」と教室へ戻って行った。
「変なところ、見られちゃったね。恥ずかしい。これから、どうしよう。」
と、言って、しゃがみこんで泣いている。
「大丈夫だよ。あいつは、ばらすような奴じゃないから。」
「俺は、お前を尊敬するよ。お前は勇気を出してこくったけど、俺なんか、こくることもできていないんだから。」
じっと、聡美が泣き止むまでそばに居た。しばらくすると、
「いい人だね。村瀬は。」
「村瀬を好きになれば良かった。」
「そんな、スペアかよ!俺は。」
少し、おどけて言っていたが、実際は情けなかった。親友に彼女を譲られた格好になって、俺って、情けなさすぎ。そんなこと考えていたら、聡美が
「村瀬も勇気出してこくってみれば。うまくいくよ、きっと。」
罪のない顔をして、残酷なことを言っている。
「そうだな。そん時は、相談に乗ってくれよ。」
「うん。わかった。これからもよろしくね。」
こんな感じで、ずっと、聡美の失恋の傷を癒す「いい人」やって来た。その聡美も大学卒業して5年後に、ゴールイン。結婚式にも招待され、友人代表挨拶やりました(笑) その時のMCの紹介にも
「村瀬修二さんは、新婦の良き理解者。悩み事はすべて相談に乗ってくれました。今回、彼と結婚できたのも、村瀬さんのお陰です。本当にいい友人です。ありがとうございました。新婦からのメッセージです!」
だってさ。隣で雅也が笑いをこらえている。
「笑ってろ。」
まったく、自分にげんなりするよ。
それから、5年。ずっと「いい人」やってきた。誰にでも「いい人」やってきた。信号機のない横断歩道を渡れないで困っているおばあさんにも、ベビーカーをなかなか道路の段差を持ち上げられないでいる母親にも、はめを外して泥酔して帰れないでいる後輩の女の子にも、諸々、良い人やってきた。ついでに、その後輩の女の子には、恋バナの相談にも乗っている。
「このまま、いい人。いや、都合のいい人やっていくのかな。俺は。」
そんな時、
「いい人なんですね」
なんて、苦―いお茶を飲んでる気分にさせられて、そっけない態度になったんだ。どうせ、二度と会うことはないだろうと思っていたら、うちの会社で広報誌を作成することになって、頼んだ出版社の担当者の一人として彼女、今井佳子がやってきていた。
ある時、昼休みに煮詰まった仕事の気分転換にと、会社の屋上へ行ってみると、彼女がいて驚いた。俺は、広報部ではないから、彼女がうちの会社に来ていることを知らなかったけど、彼女は、ずいぶん前に気付いていたそうだ。
「あの時、私のこと迷惑そうにしていたから、声をかけずらかったんです。」
「あの時は、本当にありがとうございました。」
明るく言っている。やっぱり可愛い。どぎまぎして、ぎこちなく
「まあ、あまり俺の部署には直接関係がないけど、うちの広報誌、よろしくお願いしますね。」
それだけの会話をして、俺は屋上を退散してきた。
「いい人なんですね」なんて言われたときから、俺、今井に少し惚れてる。それが、よけいに今井との関係をぎこちなくさせていた。
広報誌の発行が本格的になると、広報誌の編集を手掛ける彼女は、足しげく会社に来ているようだった。エレベーターで鉢合わせたり、社員食堂で同じテーブルに座ったりと、自分が好む、好まざるとに関わらず、彼女と会ってしまう。困るなあ。そんな戸惑いが顔に出るらしかった。ある日、また屋上で今井と鉢合わせして、少し慌てていると、
「村瀬さん、私、何か機嫌を損ねるようなことしましたか?」
「いや、別に何もないよ」
「そう、ですか。顔を合わせるたびに、なんか、いやそうにしている感じがするんですよね。」
「いや、別に、なにも無いよ」
「それなら、いいんですけど。」
まいったな、心の中、見透かされてるようだよ。注意しなきゃ。
ん?雅也から、LINEで飲みの誘いが入った。
「アッ、ごめん。友達から連絡入ったから」
そそくさと屋上から下りてきてしまった。