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カイルと契約の魔法 作者:J
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3.上手な嘘つき

コンケーブを出発してから数日間、アレクと交代でシャーロットの手綱を引きながら山間や渓谷のほとりをぬうように続く長い街道をカイルたちはひたすら北へと進んでいた。もっとも、川の流れや山裾に沿って蛇行する道をくねくねと曲がりくねりながら歩いていたので、カイルには自分がどの方角に向かって進んでいるかなど皆目わからず、北に向かっていると知っていたのは単にアレクがそう教えてくれたからだった。
「方位磁石がなくても、大まかな方角であればある程度の大きさの切り株があれば推測することはできる。年輪の幅の狭い方が北だな。他にも枝ぶりや苔の生え方なんかも参考にはなるが、出来るならそんな方法に頼ることはしない方がいい。確実に方角を知るならやはり晴れを待つか、魔法で調べるべきだ」
街道沿いの空き地にはったテントの前で眼鏡を拭きながらアレクが話すのを、カイルは手に持った杖に魔力を集めながら真剣に聞いていた。
「そんな魔法もあるの?」
「簡単だ。見ていてごらん」
アレクはそう言ってカイルの手から杖を受け取ると、右手の手のひらの上に乗せたままカイルの目の前に持ち上げた。
「プンクトスソーレ」
アレクが唱えると、手のひらに乗っていた杖がまるで突然息を吹き込まれたかのようにひとりでに空中に飛び上がってくるくるとでたらめに回転し始めた。カイルが目を丸くして見ていると、やがて杖は黒い石をやや斜め下に向けて空中でぴたりと動きを止めた。
「杖が向いているのは太陽がある方向だ。私たちが進んでいた方向から見てちょうど左の方を向いているだろう。そこから、私たちが今北へ向かっていると分かるわけだ」
「わざわざそんなこと覚えなくってもいいぞ、カイル。迷った時はな、まず剣を地面に立てて、手をはなしたとき倒れた方向にまっすぐ進めばいいんだよ」
馬車の中からセインの声がした。アレクはフンっと鼻を鳴らすと、カイルに向かって内緒話をするように口元に手を添えた。
「なんとも勇ましい倅だよ。この旅の案内人がセインでないのは私たちにとって一番の幸運だったと言えよう」
仕草の割にまるで小さくなっていないアレクの声は、カイルだけでなくセインの耳にもしっかりと届いたようだった。その証拠に、「聞こえてんぞこのクソジジイ!」と、馬車の中からセインがすぐに言い返してきた。暗くなった街道に人気がないのをいいことに二人が罵り合いを続けている間、カイルはアレクから取り戻した杖に再び意識を集中し始めた。旅の間、時間を見つけてはコツコツと練習を続けた甲斐があって、カイルの杖は今やちょっとした松明くらいの強さの光を発するようになっていた。ふと思い立ったので、カイルはただ単純に杖に魔力を集めるだけでなく、まず先に体にいくらかの魔力を蓄えてから一気に杖に送ってみることにした。手から杖に流れ出ていた魔力をいったん体の中にとどめるように、カイルは目を閉じてできるだけ意識を集中させた。
「退屈を紛らわすためのちょっとしたジョークだよ。粋な計らいだろ?」
「なるほど、人の話を退屈呼ばわりとは、方角だけじゃなく、どうやらお前は粋という言葉の意味もこれっぽっちも知らんようだな」
二人の罵り合いが続いているのを頭の隅で聞いていたが、カイルはこの数日で二人が口喧嘩をしている時は参加しない方がいいことをすでにいやというほど学んでいた。魔力が体に満ちたのを感じて、カイルは一呼吸おいてからそれを一気に杖先にある黑い石の中に流し込んだ。とっさに顔を左手で覆ったが、閃光のような眩しい光にカイルは目が潰れたのではないかと思った。杖の先端は瞬間的にまばゆい光を発したかと思うと、あっという間もなくまた元の真っ黒な石に戻っていた。
「どうしたんだ!?」
焦ったような声とともにセインが荷台から飛び出してきた。もしくは、興奮したシャーロットが馬車を大きく揺らしていたので、ひょっとするとそのはずみで荷台から投げ出されてきたのかもしれない。アレクは暴れるシャーロットの首を撫でて「どー、どー」と声をかけながら目を丸くしてカイルの方を振り返った。
「驚いたな。閃光魔法なんていつの間に覚えていたんだ?」
カイルは杖を握ったままアレクを見て口を開いたが、閃光魔法がなんなのかさえ良くわからないカイルにはなんとも答えようがなかった。
「魔力をためてから、一気に杖に送ったらどうなるか試してみたんだ。それで・・・」
しかし、カイルがそれ以上言い訳を続ける時間はなかった。セインが剣を抜いて、木立の間を睨みながらカイルたちをかばうようにテントの張ってある空き地の前に出た。落ち着きを取り戻したシャーロットも、今度は長い耳をしきりに動かして不安げにあたりをきょろきょろと見回している。
「カイル、荷台に入ってろ」
前を向いたままセインがそう言ったのと、カイルが異変の原因に気づいたのはほとんど同時だった。ランタンの明かりの届かない暗闇の中に、金色のちいさな球が二つ、音もなく不気味に浮かんでていた。闇の中にらんらんと光るその球を見ていると、すぐ隣にももう一組、同じ光の球が現れた。気が付けばカイルたちのテントは何組もの光る球にぐるりと囲まれているようだった。
「イグニス」
アレクの声がしたかと思うと、ボッという軽い音とともにカイルたちの頭の上に大きな火の玉が現れて周囲の木々の間を照らし出した。それまで自分たちが潜んでいた暗闇が跡形もなく消し飛んだことなどまるで気にかけた様子もなく、十数頭もの狼がカイルたちのまわりを取り囲むようにじっとたたずんでいた。どれも置物のように身動きせずに、幾対ものらんらんと光る金色の目は前に出たセインをとらえていた。シャーロットはどうやら本当に臆病だったらしく、その光景を目にするやいなやカイルが思わず跳びあがるほどの大きないななきをあげて暴れ出した。
「ヒヒーン!」
けたたましいシャーロットの大声を合図に、狼はよく訓練された騎士団よろしく統率された動きで一斉に目の前にいるセインに襲い掛かった。後ろからとびかかった一匹を剣のつかで薙ぎ払いながら、正面から襲い掛かった一匹を鮮やかな体さばきで蹴飛ばすセインを呆気にとられて見ていると、カイルは隣にいたアレクに右腕を強く引っ張られた。年齢に不釣り合いなほどの強い力でカイルの右手から杖をもぎ取ると先端の黒い石を高々と掲げてアレクは叫んだ。
「インフェルノ!」
それまで空中で燃え盛り、あたりを照らしていた火の玉が四散してカイルたちを囲うように広がった。狼は炎に近づこうとはせず、一人前に出て戦っているセインに執拗に攻撃を続けていた。
「セイン!」
とっさにセインの方に走っていこうとしたカイルの腕をアレクが掴んだ。
「いかんカイル、ここにいなさい!」
同時に左右から襲い掛かってきた狼を人間では到底あり得ないほどの非常識な身軽さで見事に躱すと、まわりにいた狼数匹の上を飛び越えてセインは群れの後ろに音も無く着地した。少なく見積もっても大の男二人分くらいの高さはゆうに飛び越えていたようだったが、今のカイルにはそんなことを気にしている余裕はかけらも残っていなかった。目の前にいた群れの一匹に向かってセインが剣を振り上げた。
「殺しちゃダメだ、セイン!」
アレクに掴まれたままカイルは叫んだ。カイルの声が届いたのか、セインは剣を構えたまま一瞬だけ動きを止めた。セインの前にいた狼は後ろに飛んで距離を取ると、他の狼とともに再びカイルたちを取り囲んだままぴたりと置物のように動きを止めた。
「妙なこと言ってんじゃねえよ!このまま食われちまってもいいのか?」
セインが剣を構えたまま叫ぶのを聞いてカイルは戸惑った。
「狼は殺さない方がいいんだ!地を揺らすものの怒りをかうから・・・」
カイルはそう言いながら狼の群れを見回した。身じろぎもせずに暗がりの中にじっと佇んでいる狼は、揺らめく炎の明かりに照らされてまるで悪趣味な彫像が並んでいるように見えた。
「なに寝ぼけたこと言ってんだ。どこのどいつの怒りを買おうが、死んじまうよりゃはるかにマシだろうよ!」
セインはカイルの言うことなど全く意に介さない様子だった。アレクが眼鏡越しにカイルと狼を見比べて再び杖を振り上げた。
「目をつぶっていなさい」
言うが早いか、アレクの杖を持った腕が、まるで鞭でも振り回すようにしなやかに蛇行しながら空を切った。カイルが言葉の意味を理解して顔を両手で覆ったのと、アレクの魔法が効果を発揮したのはほとんど同じタイミングだった。カイルたちを守るように周りで燃え盛っていた炎が、今度は突然爆発でも起こしたかのように激しい破裂音とともに目も眩むほどの閃光に変わった。おそらく目をかばっていなかったのだろうセインの口汚い悪態と、狼の吠え声やシャーロットのいななきでこのあたり一帯の動物はもれなく目を覚ましたに違いないとカイルは思った。閃光が収まったのを確認してカイルがゆっくり目を開けると、狼のいなくなった空き地では片膝をついたセインが両目を腕で押さえたまま思いつく限りの文句を吐き出しつづけていた。

「目眩しをするんなら、事前に一言そう言っといてくんなけりゃ誤爆すんだろーが!」
狼を追い払ってから、セインが見張りをする中夜を明かしたカイルたちは相変わらず街道を進み続けていた。昨夜アレクが放った魔法は見事に狼達を追い払ったが、セインはどうやら自分も目眩しの被害を受けたのがよほど気にくわないようだった。困ったことに、アレクのとっさの目眩しがお気に召さなかったのは何もセインだけではなかった。
「ちゃんと警告しただろう。カイルはしっかり言うことを聞いて目を覆って備えていたぞ?」
そう言ってアレクはシャーロットの首を撫でようとしたが、シャーロットは馬車がひっくり返るんじゃないかというほど大げさに体をひねってアレクの伸ばした手を断固として避けようとした。アレクは慌てて出した手を引っ込めた。シャーロットの不機嫌は相当なもので、夕べの騒動の後からは世話をするのも手綱を引くのもアレクには一切許さなかった。おかげでカイルは今朝からほとんどの仕事を自分一人ですることになり、まだ昼前だと言うのにすでにへとへとにくたびれていた。極めつけに、へそを曲げたシャーロットはいつにも増して扱いづらく、蹄鉄の掃除中少し手元が狂っただけでカイルは尻を思いっきり蹄鉄で蹴りあげられた。未だにズキズキする左の尻を揉みながらカイルはふてくされた。
「でも狼は追っ払えたし、誰も怪我しなかったんだから良かったじゃないか」
「お前が変な茶々入れさえしなけりゃ、ついでに狼の肉も手に入ってたんだけどな」
セインが荷台の中から反論した。カイルがそれに答えるよりも早くアレクが思い出したように口を挟んだ。
「そういえば、カイルはあの時狼は殺しちゃいけないと言っていたね。ドワーフの国にはそんな風習があるのかい?」
アレクが好奇心いっぱいの目でカイルを見た。
「風習っていうか、言い伝えにあるんだよ。昔、地を揺らすものって呼ばれて崇められていた大きな灰色の狼がいたんだ。狼には友達が二人いて、ドワーフと人間なんだけど、まあ結局最後は友達だった人間に騙されて封印されちゃうんだ。その地を揺らすものの子供達が今の狼だから、殺すと地を揺らすものの怒りに触れるんだって」
カイルの話を興味深そうに聞いていたアレクが驚いたような顔をして指をパチンと鳴らした。
「その話は人の間でも伝わっているよ。しかし内容はだいぶ異なるようだ。私の知っている話では、狼は邪悪な・・・」
「そんな昔話を信じてあんなこと言ったのか?カイル、生きていたかったらもうちょっと利口にならなきゃダメだぞ」
アレクの話は、馬車の中から聞こえてきたセインの呆れたような声に遮ぎられてしまい、狼がどう邪悪なのかカイルは聞くことができなかった。
「・・・まあ、どちらにしろあの数の狼とまともにやりあったらただでは済まなかったんだ。追い払えるならそれに越したことはないさ。それにあながちカイルの話も一理あるかもしれないよ」
気が立っているシャーロットに近づきすぎないよう注意して一歩先を歩きながらアレクが言うとセインが大げさに笑い飛ばした。
「そうだな。次に狼に囲まれた時は、みんなでおとなしく腹の中に収まることにしようか。狼のバケモンが出てくる前にこの世とおさらば出来るぜ」
アレクはセインの言葉などまるで聞こえなかったかのようにふるまいながら話を続けた。
「あの狼の群れはどうも様子がおかしかった。普通、狼はあんなふうにじっとしていたりはしないものだ。ひょっとするとここらの狼は他とは違うのかもしれん。言い伝えというのは、必ず何かしらの形で先人の教訓を含んでいるものなんだ。軽々しく受けとるべきではないと思うよ」
アレクはカイルの方へ向き直り唐突に話題を変えた。
「ところで、カイルの魔法はかなり筋がいい。ただ魔力を込めただけであそこまで光を出したんだ。そろそろ別の練習も始めよう」
カイルはアレクの言葉にかなりの期待をよせたが、休憩の間にアレクが始めた新たな魔法のレッスンはカイルが想像したものとは全くかけ離れた内容だった。
「・・・そして、これらが組み合わさって言葉を形成する。言葉は全てこの文字の並べ替えで作られていて、言葉を並べたものが文になる。私たちのこの会話も、全てこれらの記号で表すことができるんだよ」
アレクが地面に書いた文字との格闘は、カイルが思い浮かべていた魔法の練習とは似ても似つかない、まるでカイルの魔法に対する意欲が試されるような内容だった。うんうん唸りながら頭を悩ますカイルのことをセインはことさら面白そうにからかった。いつか魔法が上達したら心いくまでセインに目くらましの魔法をかけてやろうとカイルは密かに心に誓った。


「ようやく着いたな。あれがマーシュバイだ」
見渡す限り一面に広がる畑の先に見えてきた、そびえ立つ高い城壁に囲まれた街を指してアレクがうれしそうな声を上げた。手綱を握るカイルが立ち止まったので、カイルの後ろでシャーロットと馬車も大きく揺らぎながら歩みを止めた。
「大きい街だね。この街にはよっていくの?」
コンケーブをでてからここまで、カイルたちは人の多い所をできるだけ避けてとおっていた。アレクは特に理由を言わなかったが、セインの危機感の無さが主な理由だと何も言われなくてもカイルにはよく分かっていた。セインがデイビッドとかいう小男の前で当たり前のように大声を出してから、アレクはわざと人里から離れたところで野宿をするようになったし、水や食料を買いに行くときもカイルとセインの隠れる馬車は街の近くで待っていて、アレクがシャーロットと一緒に戻ってきたらそのまま街を迂回して旅を続けていた。カイルの質問に、アレクは眼鏡の奥の目を不安げに馬車の方へ向けながら答えた。
「ここは通り抜けるより他はない。迂回しようにも、ほかに道がないからね」
アレクの言うとおり、遠くに見える街は険しい山と山の間を埋め尽くすように広がっていて、回り込むとしたらカイルたちは馬車を背負って山越えするしかなさそうだった。うっそうと木々の生い茂る山々は、そうでなくとも気軽にピクニックに行けるような場所には見えなかった。
「それにここは事実上、フィルデトリアとの国境だ。下手にこそこそと出入りして、ドワーフ兵に見つかりでもしたらシャレにならん」
そう言いうとアレクは、シャツの裾でふいていた大きな眼鏡をかけ直して、まだ遠くに見える街に向かって再び長い街道を進み始めた。両手斧を持ったいかついドワーフ兵にしつこく追い掛け回されるところを想像しながら、カイルもアレクの後についてのろのろとでこぼこの道を歩き始めた。

マーシュバイは外から見るよりもずっと大きな街だということに、商店街の人ごみの中をしばらく歩いてからカイルはようやく気が付いた。カイルたちが歩いてきた街道はどうやら山間の高台の上にあったようで、そこから緩やかな勾配の坂を下り、麓から広がる平原の手前まで山肌に沿って延々と街の家々が続いていた。街の中で下り坂のてっぺんに差し掛かった時に、なだらかに下へ向かって続いている残りの街並みが目に飛び込んできてカイルは思わず足を止めた。コルク色の石でできた大小さまざまな形の建物が雑多に並ぶマーシュバイは、網の目のように複雑に交差する道や階段と、その上を行きかう多くの人々でカイルがこれまで見たこともないほどのすごいにぎわいを見せていた。街の一番下には同じコルク色をした大きな砦が立っていて、その両脇から左右にのびる高い壁の少し手前で街並みはぷっつりと途絶えていた。壁の向こう側にはだだっ広い平原が広がっていて、そちら側には犬小屋一つたっていないのがカイルにはなんだかおかしく思えた。
「あの向こうがフィルデトリアなの?」
水溜りのたくさんある広大な平原の方を指さしてカイルはアレクにたずねた。
「フィルデトリアはもう少し先だ。あのクアグマイア湿原をこえて、さらにヴァン川を渡らねばたどり着かない。だが、ここまで来ればもうひと踏ん張りだよ」
アレクは嬉しそうにそう答えると、カイルたちを引き連れて石畳の坂道を砦の方へ向かって下って行った。
「では、湿原や川の近くでは水分を多く得ることができるが、霧を作りだしたいのなら一番効率的な魔法は何かな?」
手を後ろに組んでゆっくりと歩きながら、いつもよりも余計に堅苦しい話し方でアレクが問題を出した。カイルは少し考えてから答えた。
「エヴァポレート。カレファクトでもやれないことはないけど、やり方が遠回りであんまり利口じゃない。水に直接働きかけた方が少ない魔力でできると思う」
カイルの答えをアレクは満足そうにうなずきながら聞いていたので、少なくとも全くの見当違いというわけではなさそうだった。魔法や魔道具にかけるアレクの情熱は衰え知らずで、フィリップ・ローランダースが発見した「火の魔法を使わずに紙に火をつける幾通りもの方法」について教えてくれた時などうっかり明け方近くまで話し込んでしまい、ふらふらになりながら旅を続けた翌日のことなどカイルの記憶にはほとんど残っていなかった。
「そろそろ教科書の一つでも欲しいところだな。基礎を学ぶならボルボドスの「魔道入門書」か、ハイカロスの「魔法大百科事典」あたりがうってつけなんだが、あいにく旅に出るときに全て置いてきてしまっているんだ。こんなことならセインの訓練用の籠手やら木刀やらじゃなく本棚でも積んでくるべきだったな」
大真面目な顔のアレクの言葉が荷台に隠れているセインにも届いたのか、荷台の中から何かが倒れるような大きな物音が聞こえてきた。しかし話に夢中なアレクは気にも留めずに歩き続けた。街の大通りは多くの人で混雑していて、道の両側に軒を連ねるたくさんの建物はそのほとんどが何かしらの店であるようだった。パン屋や肉屋、パブや宿屋など一目でなんの店かわかるものもあれば、中身がまるで検討もつかないツボやボトルを売っている店や、そもそも店かどうかも疑わしい、入り口に大きな金槌の立て掛けてある怪しげな雰囲気の建物など、はじめて訪れたカイルにとってはどれも新鮮で興味を惹かれるものばかりだった。カイルがせわしなくあたりを見回しながらついて行くとアレクが不意にある店の前で立ち止まった。その店の入口の戸は開けっ放しになっていて、入ってすぐ脇のところにあるカウンターには、カイルが今まで見た中で最も胡散臭い格好をした老人が一人人目を避けるようにたたずんでいた。灰色のフードを目深にかぶっているせいで男か女かも分からない老人は、ボサボサの白髪と折れ曲がった鼻の先以外は体の全てがすりきれたローブの中に隠れていた。店の外には看板がかけてあった。

サマンサの古書店

文字の下に開いた本の絵が彫ってある厚手の木の看板は、長いこと手入れをしていないのか汚れや蜘蛛の巣がほぼ全面にはびこっていた。
「カイル、少し馬車を見ていてくれ」
アレクはそう言うと、カイルが返事をする間も無く薄暗い店の中に入っていってしまった。
「いらっしゃい。何かお探しかね?」
どうやら女だったらしい、しわがれた声の老人がアレクに話しかけるのをカイルは店の前で聞いていた。
「こんにちは。魔法関連の指南書はありますか?」
礼儀正しくアレクが老人にたずね返した。アレクはカイルとセイン以外の誰かに話しかける時はいつも丁寧過ぎるほど丁寧な口調だった。
「魔法の本はまとめて奥の棚に置いてあるよ。あんた、その年で魔法を覚えようってのかい?」
フードに隠れた顔をアレクの方に向けて老婆は訝しげな声を出した。おそらくサマンサだと思われるその老婆の態度にカイルは少し腹が立った。アレクは確かに若くないが、老婆がそれを言うのは誰がどう見てもおかしな話だ。彼女と比べれば、アレクは息子といっても差し支えないほどの年なのだから。
「いや、あの子の勉強用なんですよ。私は元々カデナントの魔術学院で教師をしていたんですが、今は旅先で、手持ちの本はどれも学習向けでは無いものばかりで」
アレクは入り口にいるカイルの方を手で示しながら特に気を悪くした風もなく老婆の質問に答えた。老婆はカイルの方など見向きもせずにアレクに質問を続けた。
「ダマスキノス魔術学院かい?わたしもカデナントの出身なんだ。サマンサっていや、結講名の通った占い師だったんだけどね。聞いたことあるだろう?」
「あー、あの・・・あれですね・・・?」
歯切れ悪くそう答えるアレクは明らかに老婆の名前に聞き覚えがないようだったが、老婆はそんなことには頓着せずにどんどん自分勝手に話を進めた。
「懐かしいねぇ。あんた、名前はなんていうんだい?」
「アレクです。それで魔法指南書なんですが・・・」
「まあ待ちなさい。同郷のよしみだ。もう引退した身だが、特別に占ってあげよう。ファミリーネームはあるのかい?」
アレクの儚い抵抗も虚しく、会話の主導権はもはや完全に老婆に握られているようだった。うろたえた様子のアレクを見ながらカイルはなんとか喉元で笑いを噛み殺した。おそらく馬車の中ではセインも同じように声を出さずに笑っているであろうことがカイルには容易に想像できた。
「ルクシードです。アレク・ルクシードといいます。しかし私はあいにくと占いに興味は・・・」
「占いを馬鹿にするもんじゃないよ!わたしの占いは百発百中なんだから。アレク・ルクシードだね?どっかで聞いた名だね・・・」
老婆はそう言いながら、カウンターの下からぶるぶると震える危なっかしい手つきで大きな水晶玉を取り出した。
「それじゃあ、いってみようかね」
いかにも楽しそうにそう言うと、老婆はたくしあげたローブの裾から皺だらけの手を突き出して水晶玉の上にかざした。カイルはわくわくしながら占いの様子を見ていたが、暗めの藍色をした水晶玉はカウンターの上でぴくりともせずに鎮座していて、老婆の方も両手が小刻みに震えている以外は特に何の変化もないようだった。アレクが困り果てた顔をして口を開いた時、老婆が突然大きな声を出した。
「なんと!あんた、濃い死相が出てるよ!これだけはっきりと出てるようじゃ、もう長くはないだろうね。ひょっとすると、次の種まきの季節までもたないかも分からないよ・・・」
通りを行き交う人がちらほらと振り向くほどの大きな声で老婆が告げるのをアレクはあっけにとられて聞いていた。
「原因は・・・呪術か何かみたいだね。あんた、何か人に呪われるような心当たりはないかい?」
フードに隠された顔をアレクの方に向けて老婆はきつく問いただした。
「えー・・・」
「おまちっ!こいつはなんだい?」
どうやらアレクの答えなどまるで聞くつもりもないらしい老婆は、興奮しきった様子でさらに水晶玉にフードに覆われた顔を近づけた。老婆の曲がった鼻の先はほとんど水晶玉にくっついていた。
「あんた、魔力を吸い取られてるよ!あんたから常に魔力を奪ってる奴がどこかすぐ近くにいる!そいつがあんたに呪いをかけた犯人さね!」
老婆は突然片手を伸ばしてアレクの胸ぐらを鷲掴みにした。あまりに唐突な出来事にアレクもカイルも面食らって動けないでいると、老婆がアレクのシャツの上から内側にある何かを掴んで引っ張った。
「こいつだ!こいつがあんたの呪いの正体だよ!これを何処で手に入れたんだい?これは呪いのペンダントだよ!」
うっかりするとアレクをそのまま絞め殺してしまいそうなほどの老婆の鬼気迫る勢いにカイルは慌てて店の中に飛び込んだ。
「なんだい坊主!さてはお前がそのペンダントを使って呪いをかけたんだね!?」
カイルが老婆の魔の手からアレクを力ずくで解放するとカウンターの向こうから老婆がそうがなり立てた。アレクは眼鏡を片方の耳にぶら下げながら首をさすって激しく咳き込んでいた。
「違うよ!ペンダントはアレクが自分で作った物だ。呪いなんかかかってるわけないよ!」
「そんな話に騙されると思うのかい?いい年した男が、自分で作ったペンダントなんぞぶら下げてるわきゃないだろう!」
まるで話を聞こうとしない老婆にカイルがなんと説明したらいいか分からないでいると、ようやく呼吸が落ち着いたらしいアレクが姿勢をただしながら老婆にはっきりと反論した。
「この子の話は本当です。これはわたしが自ら作ったもので、断じて呪われたペンダントなどではありません」
老婆はなおも疑いのまなざしを二人に向けていたが、突然何かを思い出したように水晶玉のおいてあるテーブルをバンッとたたいた。いささか勢いが強すぎたのか、テーブルの上で水晶玉が危なっかしげにぐらぐらと揺れた。
「アレク・ルクシード!思い出した!あんた魔物と話ができるとかいう頭のいかれた学者だろう?」
アレクは通行人から注がれる好奇の視線を気にした様子で声を落として老婆に答えた。
「魔物によっては心を通わすことが出来る可能性はある、というのがわたしの持論です。この世界に共存する生き物の一種なのですから、共生する道が皆無という方が自然界の摂理に反しています。まして、魔物には通常の獣よりも高い知能を有する種も多い。互いに害がないことさえ認識しあえれば、我々と肩を並べて生きていくことも不可能ではないはずです」
アレクの話し方には淀みがなく、言っている事もそれなりに説得力があるようにカイルには思えたが、話の内容に関わらず老婆はこの意見には断固反対のようだった。
「そんな訳のわからんことを言ってるから死相がでるんだよ。悪いことは言わないから、もうカデナントに戻っておとなしくしときな」
老婆がそう言うのを適当な返事とともに聞き流して、アレクは店の奥にある本棚から旧い装丁の本を数冊カウンターに持ってきた。
「ああ、魔法に関する本が欲しいんだったね・・・」
やっと本業を思い出したらしい老婆に手早く支払いを済ませると、アレクとカイルは不自然でない程度にできるだけ急いで店を出ようとした。
「私の占いは当たるんだよ。とにかくそのペンダントは捨てちまいな!」
カイルが店の外に出たところで、ちょうど戸口に立っていたアレクを呼び止めるように老婆が最後にもう一度声を上げた。そそくさと逃げるように店を後にしたアレクについて、カイルは馬車を引きながら再び人ごみに紛れて街の通りを歩きだした。
「なんだったんだろう、さっきの?」
サマンサの古書店から十分に離れたことを確認してからカイルは顔をしかめて言った。
「さてね・・・世の中にはいろいろな人がいるものだ。ほらカイル、今日からはこの本も勉強しよう」
老婆から離れられて心底安心した様子のアレクが、気を取り直したようにたった今買ったばかりの三冊の本をカイルに手渡して言った。かわりにシャーロットの手綱をアレクに渡すと、カイルは早速受け取った本の表紙を確認した。

魔法の実用性と日常生活におけるあり方についての考察 トミー・カイヌライネン著
それぞれの属性の特徴と属性間の相性 イリア・キャンプス著
魔道書の紐解き方 ノエル・バランド著

本はどれも使い古された跡があったが、装丁も紙もしっかりとしたつくりの物のようだった。魔道書の紐解き方のページをぺらぺらとめくりながらカイルは気になったことを聞いてみた。
「アレク、サマンサって人と前にも会ったことがあるの?」
老婆が最後に言っていたことを思い出しながらカイルはアレクの方を見た。アレクは少し眉間にしわを寄せながら答えた。
「いや、会ったことはない。実はフィルデトリアを旅している間、いく先々である学説を広めようとしていてね。おそらく彼女はどこかでその噂を耳にしたんだろう」
「学説?」
「まあ、簡単に言えば、有害でない魔物に対しての意識の改革だな。肉食の魔物は危険なことに変わりないが、温厚な魔物や草食である為に人に危害を加える心配のない魔物まですべて危険視する必要はないだろうと教えてまわっているんだよ」
カイルにはアレクの話はいまひとつ理解できなかった。アレクが言ったことは普通に考えてみれば当たり前のことで、馬や犬と同じように、魔物の中にも人に害のない種類がいても何ら不思議はないように思えた。なぜそれをわざわざ人に言って聞かせる必要があるのかがカイルには分らなかった。
「まあ、そういわれてみればそうなんじゃない?」
カイルが思ったとおりのことを口にするとアレクは苦笑しながら話をつづけた。
「それが、フィルデトリアの人にとってはそうはいかないんだよ。前にも話した聖教会の教えのせいで、魔物はひとくくりに世の中にとっての悪だという認識が一般に根強く浸透しているんだ。なんとかその意識を覆したいんだが、今のところまるで光明が見えないね。恋は盲目というが、信仰というのも案外似たようなものらしい・・・」

くねくねといくつもの角を曲がりながら、カイルはアレクについて迷路のようなコルク色の街並みを人混みを掻き分けながら通り抜けていった。山の麓にたどりつく少し手前で、それまでぎっしりと詰め込まれたように並んでいた街の建物が突然途切れて、カイルたちは壁の前一面に広がる何もないがらんとした空間に出た。広々とした空き地の向かい側にそびえる、巨大な砦の真下にある門を目指してアレクはだだっぴろい広場のような場所へと急な坂を下っていった。まるで巨人が出入りするために作られたかのような大きな門は二重になっていて、手前の扉は大きく開け放たれていたものの、奥側の扉は固く閉ざされていて、カイルの胴回りほどもあろうかという太い閂が二本かけられていた。扉の隅にはごくごく一般的な大きさの小さな扉が別に取り付けてあって、その両脇に戦斧を背負ったドワーフの兵士が二人、カイルたちを睨み付けるように眉根を寄せて立ちはだかっていた。アレクはその兵士のうちの一人に近づいて朗らかに話しかけた。
「お世話様です。私は研究の為に各地を回っているカデナントの学者でございます。フィルデトリアへ移動したいので、通行の許可をいただけますか?」
ドワーフ兵はアレクやカイル、カイルの後ろの馬車をじろりと見ると不愛想に答えた。
「名前は?」
「アレク・ルクシードと申します」
「研究の内容は?」
「主に各地の魔物の生態調査です。同じ種類の魔物において、生息域が変わることでどこまでその生態に変化が現れるものなのか記録することを目的としていまして、例えばゴブリン種に多く見られる特徴として・・・」
「いい、いい!そんな細かいことは聞いていない」
兵士は大げさに片手を振りながら、辟易したようにアレクの話を途中で遮った。とても生き生きと話し出すアレクを見て、カイルはこの話がどこまで作り話なのだろうかと訝しんだ。饒舌に自分の研究内容を語って聞かせるアレクの様子は、それが単なる嘘ではなく、半分くらいはアレクが旅の間に本当に趣味で研究している内容なのではないかとカイルに思わせた。アレクの話を煩わしそうに聞き流して、ドワーフ兵はもう一人の門番に目で合図した。頷いた門番は扉の横にある台の上で紙に何かを殴り書きしながら視線を落したままアレクに質問しつづけた。
「馬車の中を見せてもらうぞ」
「どうぞどうぞ」
カイルは門番の言葉に緊張したが、アレクはさも楽しそうに自ら率先して馬車の荷台を覆っている布をめくりあげると、近づいてきたドワーフ兵に荷台の荷物について嬉々として説明し始めた。
「今回の一番の収穫は何といってもこのソアーアイベックスのツノですね。ご存知のようにソアーアイベックスは非常に用心深く、人が立ち入ることのできない断崖からめったに出てくることはありません。ツノは粉末にすることで、どんな封印や呪いもたちどころに解呪するイングリディオの粉という魔法薬になるので、その有用性からフィルデトリアでも重宝され・・・」
「いいから、いいから!そっちの箱には何が入っているんだ?」
うんざりしたようにそう言うドワーフの言葉を聞いてカイルは心臓がひっくり返るかと思った。ドワーフが指さしているのは間違いなくセインが隠れているはずの木箱だった。
「よくぞ聞いていただけました!ガイコツ兵というめったにお目にかかれない魔物の死骸を拾いましてね!これは研究に大いに役立つこと間違いなしですよ!ちょっと待っていてください」
そういってアレクが箱を開けようとするのをドワーフ兵が手を振ってとめた。
「もういい、分かった。行っていいぞ。早く通ってくれ!」
扉をあけてドワーフ兵がアレクに言うと、アレクは箱の蓋にかけていた手をとめ、眼鏡の奥の目に少し残念そうな色をうかべるとそのままシャーロットの手綱を引いてドワーフ兵の横を通過した。丁寧に礼を述べるアレクの方を、検問の間終始うんざりした表情を浮かべていたドワーフ兵はもはや見向きもしなかった。


「増水したヴァン川が起こす氾濫でここら一帯の土地は雨季には必ず水浸しになるんだ。水量が多い時期にはマーシュバイの壁の半分は水に浸かるというのだから、自然の力というのは本当に凄まじいものだよ」
ぬかるんで歩きづらい街道をゆっくりと進みながらアレクがそう話すのを、カイルは額に浮いた汗を手の甲で拭いながら聞いていた。じっとりとまとわりつくような空気と温度のせいで一歩進むごとに体中に不快感が湧きあがってくるクアグマイアは、カイルが今まで訪れた中で一番嫌いな場所と言えそうだった。アレクは地面を注意深く観察して街道から外れていないことを確認しながら歩いていたので、その足取りはよちよち歩きの幼子と似たり寄ったりの速さだった。濃い霧に覆われたクアグマイアは真昼だというのにどこか薄暗く、白い靄の中から不意に流木や水たまりが飛び出してくるので歩きにくいことこの上なかった。一刻も早くこの場所から抜け出したいカイルは川の流れる音がしないかと数歩毎に期待を込めて耳を澄ませたが、あいかわらず聞こえてくるのは自分たちがぬかるみを蹴散らす耳障りの悪いびちゃびちゃという足音だけだった。
「距離的にはもういつついてもおかしくないはずだ。ヴァン川さえ渡ってしまえば、クアグマイアを抜けるまでもうそんなにかからないよ」
まるでカイルの心の声が聞こえているかのようにアレクがそう請け合った。地面を見ているアレクの頭越しに、霧の向こうにぼんやりと何かの影が映ったのをカイルの目が捉えたのはそんな会話をもう何回か繰り返していた時だった。
「ついたんじゃねえか?ありゃいかだのマストだろ」
幌の隙間から外を見ていたらしいセインの声にアレクが眼鏡をかけ直して上を見上げた。霧の向こうに見え隠れする影は背の低い木のようにも思えたが、葉や枝がないかわりに天辺近くに太い棒が一本横向きにくっついていて、まるで腕の長い、不恰好で大きなカカシみたいだとカイルは思った。
「やっと着いたか。霧のせいで行きよりもだいぶ時間がかかったな」
心底安堵したようにそう言うと、アレクはその影めがけて心なしか早まった足取りとともにぬかるんだ道を進んでいった。
うっすらと濁った、底の見えない膨大な量の水が流れるヴァン川の岸辺はなだらかな坂になっていて、対岸側が霧に包まれて真っ白になっている河原の景色は、昼日中にもかかわらずどんよりと垂れ込んだ濃霧のせいで全体的に薄暗くどこか薄気味悪い雰囲気が漂っていた。川岸には作りかけの橋のようなものがぽつんとあって、いかだはその先に寄り添うように、橋の両側に並んだ杭の内の一本にロープで縛りつけられて濁った水の上にぷかぷかと浮かんでいた。カイルにとってはそもそもこれほど大量の水を見るのが生まれて初めての事だったし、見るからに重そうな、太い木の棒を組合わせてできているいかだがその水にぷかぷかと浮いていられるのもどうにも不思議でならなかった。セインがマストと呼んでいた長い木の棒はいかだの真ん中に突きささっていて、横向きに括り付けられた棒から垂らした大きな布が風を受けることでいかだは水の上を前へと進むらしかった。橋の前には男が3人立っていた。
「フィルデトリアに渡るなら一人1アージェント、馬なら2アージェント、その大きさの馬車も載せるなら5アージェントだ」
カイルたちが近づくと一番大柄な男がぶっきらぼうに言った。アレクはよろしくお願いします、と言って大きな銀貨を何枚か男に支払った。
「桟橋で待っててくれ」
男はアレクにそう言うと他の男達と一緒にいかだに乗り込んでいった。カイルがアレクと一緒に作りかけの橋の上で待っている間、男達はいかだの上でロープを解いたり縛り直したりとあわただしげに動き回っていた。いくらもしないうちにマストに括り付けられていた布が広げられて、準備を終えたらしい男達の助けを借りながらカイルたちはそろっていかだに乗り込んだ。いかだの上はグラグラしていて立っているのが難しく、カイルとアレクはマストの近くに腰を下ろしてそのへんのロープに捕まっていることにした。シャーロットと馬車はそれぞれ乗る位置が決まっているらしく、男の一人が足元のおぼつかないカイルから手綱を受け取ると、いかだの揺れをものともせずに手慣れた様子でシャーロットを定位置へと引っぱっていった。馬車とシャーロットがそれぞれの場所につながれるといかだはようやく岸を離れてゆっくりと川の中央へと流れ出ていった。
「カデナントってどんなところなの?」
すぐ目の前でオールを漕いでいる男の動きを見るともなしに眺めながら、手持ち無沙汰になったカイルは隣に腰かけたアレックに尋ねた。むき出しの肩にびっしりと墨を彫っている褐色の男はカイルに背を向けていたが、カイルは何と無く男が二人の会話を聞いているような気がした。
「そうだな・・・カデナントはとても豊かな国だよ」
眼鏡の奥の目を懐かしむように細めながらアレクは穏やかな声で故郷の話を語ってくれた。
「実り豊かなサザンフィールドや様々な魚のとれるアームスヴァルトニル湖の恩恵に預かる緑あふれた美しい国だ。今頃はちょうど、ラクエンドリの花が見頃を迎えている時期だろうな」
カイルはラクエンドリがどんな色の花なのか全く知らなかったが、アレクの口ぶりからきっと綺麗な花なんだろうと思った。
「あんた、カデナント公国から遥々来たのか?そりゃあずいぶんな長旅だな」
それまで黙っていかだを漕いでいた褐色の男が振り返ってアレクに話しかけてきた。口を開くまでわからなかったが、見た目よりもだいぶ若い男なのだとカイルは男の話し方で気がついた。
「この川も水源はアームスヴァルトニル湖なんだぜ。いかだじゃ無理だけど、でかい船なら海風がふく時期には川を遡ってイナンデートまで行ったりもするんだ」
絶え間なくオールを動かしながら男が陽気に言った。
「イナンデートって?」
カイルはその名前に聞き覚えがあるような気がしたが、どこで聞いたのかはっきりとは思い出せなかった。
「アームスヴァルトニル湖のほとりにある大きな街さ。イブシミっていう、レイクサーペントの燻製が有名なんだが、これがまた酒にあうんだよ」
男はそう言いながら片手で酒を煽るような仕草をした。イナンデートについてのこの新しい情報に対してカイルはさして強い関心は持てなかったが、アレクはそんなカイルとは対照的に男の話に大いに興味を惹かれたようだった。
「そうまで言われると、私も是非一度試してみたいものですな。そのイブシミというのは、どの時期でも手に入るものなのですか?」
「なんだ、カデナントの出身ならフィルデトリアに入るのにイナンデートを通って来たんじゃないのか?陸路でも必ず通るはずだろ?」
アレクが聞くと、褐色の男は少し驚いたように質問を返した。アレクは少し苦笑いを浮かべた。
「少し慌ただしい滞在だったもので、ゆっくり街を見る暇がなかったんですよ」
一瞬だけ馬車の方に目を向けて、残念そうにそう答えるアレクの様子を見て、おそらくイナンデートでの滞在が慌ただしかったのはセインが原因なのだろうとカイルは推測した。
「そりゃあ残念だったな。まあ、イブシミは市場に行きゃ年中売ってるから、次行った時の楽しみにすりゃいいさ」
アレクと褐色の男はそれから対岸に着くまでずっと飽きることなく話を続けていた。カイルは二人の会話を隣で黙って聞いていたが、二人の話題は常にマーシュバイの銘酒だとか、ペダントの名物酒場だとかでカイルにとってはちっとも面白くない内容ばかりだった。
対岸の川岸はマーシュバイ側と比べてかなり高さのある崖になっていて、船着場から岸壁を伝うように作られた傾斜のきつい足場を登ってカイルたちはようやくフィルデトリアに到着した。ヴァン川を渡った先にも湿原は変わらず続いていて、ぬかるみを歩くのにすでに飽き飽きしていたカイルは一目見ただけでうんざりさせられた。何かの遺跡なのだろうか、街道の周囲には廃墟のような建築物がちらほらと建っていたが、ぬかるむ道をシャーロットを引いてひたすら進むカイルにはそれらが何なのか聞く気すら湧いてこなかった。翌日の昼になるとようやく景色から池がなくなり、街道の周りが再び木々に囲まれだした頃になってやっとマーシュバイを出て以来初めての街が行く手の先に見えてきた。まるで街そのものが一つの城であるかのようなつくりのその街は、幅の広い堀と高い外壁にぐるりと周りを囲まれていて、外壁に取り付けられた門から続く跳ね橋だけが中と外を行き来する唯一の出入り手段であるようだった。街の手前には分かれ道があり、十字に交差した道の真ん中にはそれぞれの方向を指す古い木の看板がたてられていた。

左    ペダント
真ん中    ムルス
右    ラクス渓谷
後ろ    クアグマイア湿原

アレクが迷わず正面に見える街へと続く真ん中の道を選んで歩き出したのでカイルは心からほっとした。セインには悪いと思ったが、長い間ぬかるんだ道を歩き続けてくたくたのカイルはせめて今日くらいは宿屋のベッドでゆっくりと横になって眠りたかった。蒸しかえるような空気の中でぬかるんだ道をひたすら歩くクアグマイア湿原の旅は、高地の暮らしになれたカイルをくたびれさせるのにどうやらこの上なく効果があるようだった。


翌朝、早くに目が覚めたカイルは一足先に身支度をして、アレクがまだ宿の朝食を食べているうちに馬屋に行ってシャーロットのグルーミングをすませておいた。飼い葉をたくさん食べて機嫌のいいシャーロットを馬車の止めてある宿の裏手へ連れてきたところでカイルは異変に気がついた。荷台の幌にかけてある布がめくれていて、セインが入っているはずの箱の中がもぬけのからになっていた。荷台には何かの紙切れにセインの字で走り書きが残してあった。

朝までには戻る

カイルは紙をひっくり返してよく見てみたが、短いメッセージの他には裏にも表にも何も書かれていなかった。支度を終えたらしいアレクが眼鏡を拭きながら宿から出てきた。
「どうしたんだ、カイル?」
カイルの顔を見るなりそう言うと、アレクは布がめくれあがったままの荷台から、カイルが手に持っている紙切れへとすばやく視線をはしらせた。カイルから無言でセインの置手紙を受け取ると、眉間に深い皺を刻んだままアレクは長々とため息をついた。服の上からペンダントに手を当てると、目を閉じたままアレクは独り言のように呟いた。
「東南だな。しかたがない、すぐに迎えに行こう。大方、夜中にふらふら探検でもしていてうっかり朝までに戻るのを忘れたんだろう・・・」
二人は大急ぎでシャーロットと馬車の支度を終えると、込み合いだした朝の街中を猛スピードで駆けぬけて昨日とおった南門の跳ね橋へと戻っていった。街の警備兵が槍をもって両側に立っている南の城門をくぐりぬけるとき、昨日街に入ったときには気づかなかった注意書きに偶然カイルの目が留まった。門の内側の壁にかかった木の板に掘ってある注意書きは、警備兵の真上にある大きなたいまつの腕木にひっかけてあった。

夜間閉門のため通行不可

セインがどうやって夜の間に街から出ることができたのかカイルは不思議に思った。北と南にあるそれぞれの城門をとおる以外、堀と壁に囲まれたムルスからは空でも飛ばなければ出入りできないはずだった。アレクも不思議に思ったのか、足早に跳ね橋を渡りながら抜け道を探すかのように城門の周りを見回して首をひねっていた。ところどころにツタの絡まった城壁はどこも寸分の隙間もなく石のブロックが組まれていて、人間どころかネズミ一匹通り抜ける穴もなさそうだった。
ムルスの手前にある分かれ道まで戻ると、アレクはクアグマイアへの道ではなく、左に向かってのびる道を選んで歩きだした。カイルが道に立ててある看板を確認すると、アレクが進んでいる方向を指す矢印の先にはラクス渓谷と書かれていた。
「なんでセインは、勝手に街から抜け出したりしたんだろう?」
アレクがあれだけ人目につかないよう注意していたのに、まるで気にも留めていないかのようなセインの行動を思い返して顔をしかめながらカイルは言った。
「コンケーブでも人前でわざと大きな声で話してたし、セインて時々考えなしだよね」
カイルはアレクの気持ちを代弁したつもりでそう言ったのだが、アレクからは珍しくセインに対してのいつものような小言が出てこなかった。
「・・・セインは、怒っているんだ」
出会った日の夜に見たような、どんよりと暗い目をしたアレクは速度を緩めずに歩きながら悲しげに言った。カイルはここ数日の出来事をよく思い返してみたが、セインがアレクに対して怒るような理由は何も考えつかなかった。むしろその逆ならいくつか思い当たったが、アレクはすることも言うこともいつも的確で道徳的なことばかりだったし、セインに限らず誰かの怒りをかうようなことをするとはカイルにはとても思えなかった。
「セインが、アレクに怒ってるの?」
訳が分からないカイルがおうむ返しにたずねると、アレクは前を向いたままためらいがちに話し出した。
「・・・子供に健やかに生きていてほしいというのは、親としては当然の願いだ。しかしね、魔物などに身を落とし、人から隠れてこそこそと生きねばならないくらいなら、いっそのこと戦場で名誉の死を遂げさせてほしかった、とセインに怒鳴られてから、私は正直わからなくなってしまったんだ。ひょっとすると、私のしていることはただのわがままで、私のエゴをセインに押し付けているだけなんじゃないかと思う時があるんだよ・・・」
アレクは前を向いたまま歩き続けていたので、後ろをついて行っているカイルにはアレクの表情は見えなかった。そんな事ない、と伝えたくて口を開いたが、どう言えばいいのかわからなくてカイルはそのまま口を閉じた。
「サザンフィールドの防衛戦の後、友人の家で目覚めたときセインはひどくショックを受けていた。今ならまだ間に合うから、粉々に吹き飛ばして戦死したことにしてくれと何度も頼まれたが、私にはとてもできなかった。だから私は・・・」
アレクの声は次第に呟きのようになっていき、最後は尻すぼみに黙り込んでしまった。カイルはセインがそんなふうに考えていたなんて思ってもみなかった。いつも明るく冗談を言っていたし、カイルをからかって遊んでいたのに・・・調子外れの歌なんかうたって、あんなに楽しそうに・・・どこまでも前向きなセインしか、カイルには思い出せなかった。
「でも、人間に戻る方法さえ見つかれば全部元どおりになるよ!そのためにアレクも旅を続けてるんだし、それまでほんの少しの間の辛抱でしょ?今は早くセインを見つけよう。ほっといたら今度は何するかわかったもんじゃないよ」
カイルはつとめて明るい声を出して、まるで今聞いた話など全く気にしていないかのように振る舞ったが、どうしてそうしたのかは自分でもよくわからなかった。ただなんとなく、そうした方がアレクの気持ちが楽になるような気がした。

ラクス渓谷に向かう街道の途中にある林の中でセインはあっさりと見つかった。カイルたちが近づくと、セインはいつものようにまるで悪びれる様子もなくからからと笑いながら隠れていた木の陰から出てきた。
「わるいわるい。いやー、合流できてよかったぜ。うっかりちょっとした手違いで街の中に戻れなくなって困ってたんだよ」
相変わらず、反省のはの字も感じられないセインの言い訳を聞き流して、アレクもまたいつものように深いため息をついた。
「まあ、そんなことじゃないかとは思ったが。あまり心配させないでくれ」
そういうアレクの声は、聞き慣れた疲れをにじませた、普段通りの心配性の父親の声に戻っていた。さっきまでの、まるで何か大きな罪にさいなまれてるようなアレクの姿はそこにはみじんも残っていなくてカイルは心から安堵した。
「だいたい、どうやって街の外に出たんだ?ムルスは古典的な城郭都市で、跳ね橋があがっている夜の間は住民であってもおいそれと出入りはできないはずだろう」
アレクの疑問はカイルも気になっていたことだった。セインはひらひらと手を振りながらなんでもない事のようにのたまった。
「薬屋の庭に生えてる木から壁の上に飛び移ったんだ。普通の人間じゃできないだろうが、何せ身軽な俺様だからよ。大したもんだろ?」
大げさな身振りを交えながらさも楽しそうに話をするセインを見ていると、なんだかワクワクする、昔話に出てくる大冒険の物語を聞いているような気分になるのはとても不思議な現象だった。
「ただ、誤算があってな。出るときには木を登れたんだが、よく考えたら戻る方法は無かったのよ。いや、まいったぜほんと」
からからと笑うセインを見て、アレクは呆れたような、半ば感心したような目を眼鏡の奥にのぞかせていた。カイルはというと、街に戻る方法よりももっと気になることがあった。
「でも、壁の上までは木を登っていけたとして、どうやって街の外側に降りたの?」
「そりゃおまえ、飛び降りたに決まってんだろ」
カイルには返す言葉が見つからなかった。セインの体は、今まで自分が想像していたよりもずっと摩訶不思議な構造をしているらしいとカイルはこの時それまでの自分の考えを改めたのだった。

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