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カイルと契約の魔法 作者:J
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1. 出会い

父と母、姉、妹、二人の弟、甥に姪、それに数少ない大切な友人たち。僕を支えてくれる、全ての人々に伝えきれない感謝を込めて。
 森の中では草や木の根が思ってもみないところで足をとるので、ただでさえ走ることが得意ではないカイルはすぐに息が苦しくなった。どんどん痛くなっていく脇腹を押さえて、倒れた木の幹をいきおいよく飛び越えたところでちらりと肩越しに後ろを振り返ると、醜悪な顔をしたゴブリンが二匹、カイルのすぐ後ろをギャアギャアとわめき声をあげながら追いかけてきていた。
 だめだ、もう追いつかれる!
 とがった黄色い歯が並ぶ口と、ぎょろぎょろと血走った大きな目を見てカイルがそう思ったとき急に視界がひっくり返って、気が付くとカイルは森のこずえを見上げながら地面にあおむけに寝転がっていた。前を見ていなかったせいで何かに躓いて転んだらしい。頭のすぐ上からゴブリンの金切り声が聞こえてきて、何も考えられなくなったカイルは大声で叫びながら両腕で顔を覆った。
 ドッ!
 ドワーフが大槌を振り下ろしたような重たい音がして、あたりが急に静かになったのをカイルは叫びながら感じていた。
「おい、坊主」
 やけにかすれた変声期のような声に話しかけられて、カイルは叫ぶのをやめてそうっと腕の隙間から上を覗き見た。
「大丈夫か?」
 大丈夫かどうかは、正直に言ってとても微妙なところだとカイルは思った。カイルが見上げた先にいたのは、カイルの背丈ほどもありそうな大剣を軽々と片手で担ぎ上げ、くたびれた外套を羽織った背の高いガイコツだった。
「ほら、たてるか?」
 ガイコツはカイルが何か言う間もなく、カイルの左腕を乱暴に掴むと力ずくでその場に立ち上がらせた。ガイコツの顔は薄汚れた服と比べると極端に白く、本来目があるはずの場所は何もない真っ暗な空洞になっていた。吸い込まれそうなその二つの穴を見てカイルは小さく身震いした。
「街がどっちにあるかは分かるな?またゴブリンに追いかけ回されたくなけりゃ、すぐに家に帰んな」
 ガイコツはそう言うと、剣を持っていないほうの手でカイルの髪を乱暴にかき混ぜた。返事ができないカイルに特に気を悪くした様子もなく、ガイコツは近くに落ちていた麻袋を拾い上げるとさっさと森の奥へ向かって歩きだした。ガイコツはその大柄な見た目に似合わずとても軽いようで、大股で森の中を歩いていてもほとんど足音が聞こえなかった。
「ま、まって!」
 やっと戻ってきたカイルの声はどうやらガイコツには届かなかったらしく、どんどん進んでいくガイコツの大きな背中は木々に阻まれてすでに半分以上見えなくなっていた。
「ねえ、まってよ!」
 カイルはガイコツの後を追って駆けだした。ガイコツはどうやら、街とは反対の方向へ進んでいるようだった。すぐ後ろまで追いつくと、ガイコツは振り返らずに前を向いたままカイルの呼びかけに応えた。
「どうした?街はこっちじゃねぇぞ」
「あの、助けてくれてありがとう」
 ガイコツがどうやって喋ったり、カイルの声を聞いたりできるのかぼんやりと不思議に思いながらカイルは礼を言った。
「どうってことねぇよ。それより、せっかく助かったんだ、早えとこ家へ帰ったほうがいいぞ」
「ガイコツさんはどこへ行くの?」
「ガイコツじゃねえ。俺にはセイン・ルクシードっていう立派な名前があんだよ」
 ガイコツはそう言いながら、白い骨の手でうっとうしそうに低く垂れていた木の枝をはらった。なんでくっついているのかもよく分からない、肉も皮膚も全くない骨だけで出来た白い手だった。カイルは話題を変えることにした。
「僕もついて行っていい?」
 ガイコツが急に立ち止まったので、後ろを歩いていたカイルはガイコツの背中にまともにぶつかってしたたかに尻餅をついた。ガイコツがびくともしなかったので、ぶつかってひっくり返ったカイルの頭はまるで石壁に頭突きしたかのようにズキズキと痛んだ。赤くなった額を右手で押さえながらカイルは失敗したと思った。本当はこんなにすぐ聞くつもりじゃなかったのに、焦って何か話そうとしたせいで言葉が口をついて出てきてしまった。
「ついて行く?」
 ガイコツは、まるで言葉の意味がわからないかのように繰り返した。
「あー・・・ダメかな?」
「ダメってお前・・・」
 ガイコツは振り返ってカイルを見た。
「僕、行くところがないんだ」
 ガイコツの顔には表情がないので、何を考えているのかカイルには全く伝わってこなかった。怒っているようにも思えるし、単に呆れているようにも感じられた。
「連れて行ってくれたら、何でも言うこと聞くし役に立つよ。料理も洗濯も掃除もするし、力仕事だって文句言わない」
 立ち上がりながら、カイルは自分が他になんの役に立つか考えた。しかし、ガイコツの役に立ちそうなものはこれといって何も思い浮かばなかった。
「僕は強くないけど・・・」ガイコツの剣をちらりと見ながらカイルは続けた。「教えてくれたら剣だって覚える。お願いします!」
 カイルは出来るだけ丁寧にそう言ってガイコツの返事を待った。
「・・・ここにいるってことはお前、ドワーフの国に住んでるんだろ?」
 ガイコツに聞かれてカイルは頷いた。
「森の向こうの城塞都市だよ」
「親はどうした?」
「僕が小さいころに死んじゃった。叔母さんが育ててくれてたんだけど、僕のこと好きじゃないんだ。奴隷商に売られるっていうから逃げてきた。もう帰れないよ」
 最後の部分を特に強調してカイルは言いつのった。
「・・・坊主」
「カイルだよ」
「カイル、お前、俺がなんだかわかってないのか?」
 正直に言うと、カイルには目の前にいるのが一体なんなのか全くわからなかった。どこからどう見てもガイコツだったが、さっき自分で違うと言っていたので多分そう言われるのは好きじゃないのだろうとカイルは考えた。
「セインでしょ?」
 少し迷ったが、カイルは無難にそう答えた。
「そりゃそうだがな。お前、俺の見た目についてなんとも思わねぇのか?」
 表情がないっていうのは話しづらいな、とカイルは思った。セインがどういうつもりでこの質問をしているのか声音だけではカイルには判断できなかった。
「えーと、個性的だと思うよ」
 なんと言って返せばいいかわからずにカイルは歯切れ悪くそう答えた。
「俺が怖くねえのか?」
「怖くない」
「俺がひどいやつだったらどうする?もしかしたら、お前を食っちまうかも知んねーぞ?」
 ついさっきカイルをゴブリンから助けてくれたセインがそう言ってカイルをじっと見つめた。セインなりの冗談のつもりなのかもしれないが、いまいち確信が持てなかったのでカイルはひとまず笑わないでおくことにした。
「セインって食べたり飲んだりできるの?」
 外套の襟から覗いている、骨だけの喉をちらちらと見ながらカイルは話をそらした。
「できるに決まってんだろ。何言ってんだお前」
 セインは当然のようにそう答えたが、カイルにはちょっとどうなるのか想像がつかなかった。飲み食いしているところを見てみたい気持ちもあったが、今はその時じゃないとカイルは自分に言い聞かせた。
「セインは悪い人には見えないよ」
 カイルはまっすぐセインの目を、もしくは、普通なら目のあるべきところを見て言った。眼球のないセインはどこを見ているのか判然としないので、カイルには自分とセインの目がちゃんと合っているのかどうかさえはっきりとはわからなかったが。
「・・・まあ、どっちにしろそーいうのを決めんのは俺じゃねえよ」
 少ししてからまた前を向いて歩き出したセインがなげやりに言った。
「じゃあ誰に聞けばいいの?」
「俺は親父にくっついて回ってるんでな。親父がいいって言わなきゃ何ともならねえ」
「お父さん?」
 セインを一回り大きくしたような、ガイコツの親玉が脳裏に浮かぶのをカイルは止められなかった。
「ああ。日が暮れるまでには戻ってくるだろうから、ついて来てえんならそれまで待って親父に聞いてみろよ」
「わかった」
 カイルはうなずくと、それ以上無駄口をたたかずにずんずんと森の中を進んでいくセインを追って、けものみちすら見当たらない薄暗い森の中を半ば小走りのようにかけていった。セインについてしばらく森のなかを歩いていくと、ゴツゴツとした岩がむき出しになっている高い崖が延々と続いている少し開けた場所に行き当たった。空き地の中を崖に沿ってさらに少し進んだ先に暗い穴がぽっかりと開いただけの小さな洞窟の入り口があって、セインは腰をかがめてその中にするりと入っていった。
「元は何かの魔物の巣だったんだろうけどな。今は何にもいねえから、ありがたく使わしてもらってんだ」
 カイルが続いて中に入ると、セインはそう言って洞窟の床に置いてあったランタンに明かりを灯した。洞窟の中は思ったよりも広くて、まっすぐ立ち上がった背の高いセインが手を伸ばしてようやく天井に届くくらいの高さがあったが、おそらくセインのものだろう、大きめの背負いカバンと水の入った皮袋が置いてある以外には何もないがらんとした空間だった。
「そのランタン、魔道具なの?」
 セインが手に持った、変わった形のランタンに興味を惹かれてカイルは思わずそうたずねた。燭台に乗ったガラスの箱が光っていて、その周りを鉄の枠が囲んでいるそのへんてこな道具は見たところ火も使わずに洞窟を照らしているようだった。
「ああ、便利なもんだろ?親父の数少ない成功作の一つだ」
「これ、セインのお父さんが作ったの?」
 近くでよく見ると、ガラスの箱の中には細い線が縦に一本通してあって、その線の真ん中あたりが淡く光っているようだった。見た目はろうそくの火よりも力強いのに、ガラス板をさわってみても全く熱を感じないとても不可思議な道具だった。
「親父は魔導士でな。魔道具は親父の趣味なんだよ」
「じゃあ、セインも魔法が使えるの?」
「いーや、俺はからっきし。理論だ、解釈だってのが面倒でならなえ。俺はこいつのが性に合ってるな」
 セインは腰に下げた剣の鞘をぽんぽんと叩きながら言った。
「まあ適当に座って待ってろよ。まだ親父が戻ってくまではだいぶ時間があるからよ」
 そう言ってカイルの肩を叩くと、セインはランタンを押し付けるようにカイルに渡して洞窟の入り口の方へ歩いていった。
「どこに行くの?」
「訓練」
 それだけ言うと、セインはカイルをその場に残してさっさと洞窟を出ていってしまった。することのないカイルは、洞窟の床に腰を下ろすと手元のランタンをしげしげと眺めた。ろうそくを乗せているわけではないので、燭台と呼んでいいのかわからない光る箱を乗せたその台の部分からはトゲのような短い鉄の棒が飛び出していた。触ってみると、カチッという小さな音を立てて明かりが消え、元の薄暗い洞窟が戻ってきた。カイルが明かりをつけたり消したりしていると、洞窟の外から剣を振るブンっという軽快な音が聞こえてきた。ランタンを床に置いて、カイルは洞窟の入り口までいって外を覗いてみた。
 剣の訓練をはじめて見たカイルにはセインの腕がどれ程のものなのかはわからなかったが、綺麗な弧を描きながら空を切るセインの剣はなかなか見応えがあった。カイルは洞窟の入り口に腰を下ろして、セインの剣の訓練をそのまましばらく眺めていた。


「じゃあ、両親のことはほとんど覚えてねえわけだ」
 ランタンの明かりに照らされた洞窟の床に腰をおろして、丁寧に剣の手入れをしながらセインが何気ない調子で聞き返した。洞窟の中はセインが手入れに使っている油の匂いでいっぱいになっていたが、木の実から取れるこの油の匂いは爽やかでカイルは好きだった。
「うん。ほんの小さい時だったから。人間だけがかかる流行り病だったから、ドワーフの国じゃ大した治療は出来なかったんだって」
「それからずっと叔母さんとこか?」
「そう」
 カイルは今まで、誰かとこんな風に話したことはほとんどなかった。楽しい思い出話ではないけれど、それでも誰かにこうして聞いてもらえるのはなんとなくいい気持ちがした。そして、カイルの勘違いでなければセインも同じように会話を楽しんでいるようだった。
「どんな人なんだ?その叔母さんは」
「うーんと・・・」
 カイルは答えに詰まった。セインに恩知らずと思われたくないのでありのままを伝えるわけにはいかなかったが、かといって良い人だとは口がさけても言いたくなかった。
「かなり好き嫌いのはっきりした人かな」
 迷ったあげく、カイルはそう答えた。ありがたい事に、セインは「へー」と言っただけで、それ以上叔母さんについては深く追求しなかった。外はもう夕闇が近づいていて、月明かりの届かない森の中は暗闇に飲まれる寸前だった。
「セインのお父さんはどんな人なの?」
「親父?親父はいたって普通だよ。特になんにも変わったところはねえな」
 ガイコツの父親が普通はどういったものなのかカイルは知る由もなかったが、いくら聞いてみいてもセインは「すぐ会えんだから」としか言わないので、カイルはセインから聞き出すのはあきらめて本人が帰るのを大人しく待つことにした。
 夜の帳がおりてくる洞窟の外を眺めていると、不意にどこか遠くのほうから馬の蹄の音が聞こえてきた。車輪が回る音もかすかに聞こえるので、どうやら荷台を引いているらしいその蹄の音は、崖に沿って洞窟に近づいてきているのか、カタカタと積み荷が揺れる音とともにだんだんと大きくなっていった。どうやら音に気付いたらしいセインも顔を上げた。
「やっとお帰りか」
 そう呟いて立ち上がると、「ちょっと待ってな」とだけ言い残してセインは大股でカイルの前を通り過ぎ、そのまま狭い洞窟の入り口をとおって外に出ていった。カイルは落ち着かない気持ちで洞窟の床に座ったままセインが出ていった洞窟の入り口を見つめた。虫の鳴く音くらいしかしない風のない静かな夜だったので、否が応にも外の二人の会話が洞窟の中まで聞こえてきた。
「よう、遅かったじゃねえか」
「静かにしろ、馬鹿もんが。誰かに聞かれたらどうするんだ」
 セインの父親の声はせわしない、気難しいドワーフの鍛冶屋のオヤジをカイルに強く連想させた。
「何も変わりなかったか?」
 なぜだかどことなく不機嫌な様子のその声がたずねた。
「いや、実はすぐそこでゴブリンに襲われてる人間のガキを助けてよ」
「姿を見られたのか!?」
 一瞬前まではただただ不機嫌そうだったその声は、セインの報告を受けて怒りとも焦りともとれる響きも混ざり始めた。カイルはどちらかといえばあまり進んでこの声の持ち主に話しかけたいとは思えなかった。
「そりゃもうバッチリと」
 対するセインの声はこれ以上なく落ち着いていて、緊迫した様子のもう一方の声と会話をしているとなんだかひどくちぐはぐに感じられた。
「なんせ、ついてきちまったからな」
「何?」
 少し間の抜けたようなその声の響きから、セインの言葉の意味を飲み込むのに苦労している話し相手の様子がカイルにはまるで目に見えるようだった。少しの間、不機嫌な声もセインの声も聞こえない静かな夜が続いていた。
「・・・ついてきた?」
 居心地の悪い数拍の後、ようやく復活した声からはさっきまでの不機嫌さも怒りも消えていたが、かわりにひどくショックを受けたようなかすれた響きのその声は相変わらずカイルが話しかけたい類のものではなかった。
「身寄りがないらしくてよ、俺らについてきたいんだと。話だけでも聞いてやってくれよ」
 セインの頼みに答えるかわりに洞窟のすぐ外から誰かの歩く足音がして、会話の相手が狭い入り口から首を突っ込んで明かりの中に顔を見せた。
「初めまして、カイルっていいます」
 挨拶をしながらカイルはとても驚いていた。セインの見た目から、てっきり父親も同じように言葉をはなすガイコツなのだろうと決めつけていたが、洞窟の入り口に現れたのはいたって普通の初老の人間の男だった。少し灰色がかった髪はぼさぼさとあちこちがはねていて、痩せこけた顔に大きな眼鏡をかけたその男は、口を開けたままほうけた様子でカイルの顔を眺めていた。その表情からカイルはなんとなく、男がカイルを見る直前までセインの話を冗談だと捉えていたんじゃないかと思った。入り口から動かない男の脇を通ってセインが洞窟の中に戻ってきた。
「親父、さっき話した人間のガキのカイルだ。カイル、これが俺の親父のアレク・ルクシードだ」
 カイルのすぐ隣に立つとセインがお互いを紹介した。セインの父親はセインとカイルを交互に見ていたが、ややあってから声を取り戻したらしく一つ小さな咳払いをした。
「あー・・・ついてきたい?私と、セインにか?」
「はい」カイルは答えてから、まだちゃんと自分で頼んでいないことに気がついて「お願いします」とできる限りの誠意を込めて付け足した。ようやく動き出したセインの父親は洞窟の入り口からゆっくりと中に入ってきた。
「お前、こいつが怖くないのか?」
 すでに元いたところに座りなおして、出しっぱなしだった剣の手入れ用の布と油をしまっているセインの隣に腰を下ろしながら父親はカイルに向かって不思議そうにたずねた。
「怖くないよ」
 カイルは心から答えた。少し話しただけでも、セインが見た目と違って優しさもユーモアもある普通の人である事は十分にわかった。
「そうか、君はドワーフの国の出身だろう?」
 カイルの答えを聞いて納得したようにそう言う父親をセインが隣で訝しそうに見ていた。
「うん」
 カイルは頷いた。
「という事は、聖教会の教えも知らんだろう?」
 カイルにはこの質問の意味はさっぱりわからなかったが、セインには何か思い当たることがあったらしく、自分の骨の膝を叩いて「そうか!」と勝手に納得していた。
「ちょっとしか。聖教会って、人間の国の宗教でしょ?」
「正確には、ここから北に広がる湿原の向こうのフィルデトリア王国と、その属国のカデナント公国で広く普及している人間至上主義の宗教だな」
 話しながらセインの父親は旅用の厚手の外套を脱いで手に持っていた麻袋と一緒に横に置いた。手入れの終わった剣を鞘に戻したセインが立ち上がって、「馬外してくるわ」と言って洞窟の外に出て行った。
「アレクさんたちはそっちのほうの出身なの?」
「そうだ。だからセインも私も、小さい頃から聖教会の教えの中で育っている。魔族のでてくるおとぎ話も、寝物語によく聞かされたものだ。カイル君は、魔族というものがなんだか知っているかね?」
 カイルは首を横に振った。
「魔族って、悪いことする子供をさらっていっちゃうっていう?」
 魔道具のランタンの明かりに下から照らされたアレクの顔は、何処となくおどろおどろしい不気味な感じがしてカイルは少しだけ身震いした。
「ドワーフの国ではそんなふうに伝わっているのか。聖教会の教義の中では、魔族にはもう少し具体的な定義があるんだ」
 アレクは話しながら、置いてあった水袋をとって中身を口に流し込んだ。
「いるかね?」
 アレクが渡してくれた水袋をカイルは礼を言って受け取った。カイルが水を飲むのを待って、アレクは話を続けた。
「『人の言葉を理解し、操ることのできる魔物を魔族という。魔族はこの世の穢れにして禍であり、人の世に破滅をもたらす禁忌の存在である』、というのが、教典の冒頭に含まれる聖教会の教えだ」
 カイルはセインのいる洞窟の外に顔を向けた。
「言葉を話す魔物・・・」
 ガイコツの見た目で、人間の言葉をはなすセインのことを考えながらカイルが小さく呟いたのを聞いてアレクは深いため息をついた。
「困ったことに、多くの人が信じる事柄というのは良くも悪くも常識と判断されるんだ。そして、人は幼い頃から培ってきたその常識を土台として自らの価値観を定めるんだよ。聖教会の教えは、我々の意識の深いところに魔族というものに対する強い嫌悪感を植え付けた」
 アレクの声はとてもくたびれていて、その雰囲気や話し方が見た目よりも随分と年老いた印象をカイルにあたえていた。話をする間、じっと明かりを見つめているアレクの目は暗く淀んでいて、アレクが何を思っているのかカイルには想像することもできなかった。
「あれは性根のまっすぐな男だが・・・」洞窟の入り口の方に視線を移してアレクは続けた。「そういったこととは関係なく、心が拒絶してしまうんだ。生理的と言ってもいいほどに、受け入れ難くなるんだな。信仰とは、恐ろしいものだよ」
 アレクは眼鏡を外して麻袋から取り出した箱にしまい、水で湿らせた布で顔をぬぐった。
「どれ、夕飯にするか。今日はもう遅いから、飯を食べたらここで一緒に寝ていきなさい。カイル君が私達についてくるかどうかは、明日また話すことにしよう」
 そう言ってアレクは、大きな白い馬を連れて戻ってきたセインと入れ替わるようにして洞窟から出ていった。セインは馬を洞窟の奥に寝かせると、抱えて来た鍋と箱のような形の何かの魔道具をランタンの隣に並べ始めた。料理の準備をしているらしいセインを黙って見つめていると、カイルの視線に気づいたのかセインが少しの間だけ手を止めて顔をあげた。
「どうした?」
 一瞬言おうかどうか迷ったが、カイルは思い切って口を開いた。
「セイン、聞いてもいいかな?」
「まあ、そんなふうに見られてちゃ気が散ってしょうがないしな。何が聞きてえんだ?」
 話半分に答えながらセインは持ってきた片手鍋に水袋からたっぷりと水を注いだ。
「セインは、どうしてそんな見た目なの?」
 水の入った鍋を箱型の魔道具の上に乗せて、側面を何度かカチカチといじってからセインは顔を上げてカイルを見た。少なくとも、カイルはセインが自分を見ているように感じた。
「俺と親父は、ここから北西の、湖を超えた先にあるカデナント公国の出身でな。俺は騎士だったんだ。ほら、ここに公爵家の紋章が入ってるだろ?」
 荷物の脇に置いてあった大剣をつかみ上げて、柄がよく見えるようにカイルの目の前に持ち上げながらセインが言った。盾の真ん中で剣が交差している見事な紋章が大ぶりの剣の柄の一番上に刻まれていた。
「カデナントは戦の絶えない国でな。ヴォドルっていう国となげえ事どんぱちやってたんだが、ある日、ヴォドルの軍隊がカデナントの南の砦まで攻めてきた事があったんだ」
「ヴォドル帝国?」
「ああ。聞いた事あんだろ?屈強な軍事大国でな。フィルデトリアに攻め入る足がかりに、カデナントがどうしても欲しいんだよ」
 話しながらセインは、鍋と一緒に持ってきたブラシで洞窟の床に寝そべった馬の毛を丁寧になではじめた。カイルは黙って話の続きを待った。
「俺はそんとき前線にいてな。カデナントは、フィルデトリアの援軍もあってなんとかヴォドルの猛攻をしのぎ切ったんだが、俺は戦の中で死にかけちまった。で、次に気が付いたらこんな有様だったのよ」
 セインはわざとらしく両手を上げて、首を横に振りながらおどけたようにそう締めくくった。話の終わりが唐突すぎてカイルは大きく首をかしげた。
「じゃあ、ヴォドルのせいでそうなちゃったって事?」
 カイルは何とか話を整理しようと頭を働かせた。セインが馬のブラッシングを続けながら答えようとすると、野菜の入った箱をもって洞窟の中に戻ってきたアレクが口をはさんだ。
「お前の話は筋道が全くとおっていない。聞いていてわかりにくいぞ」
「ドラマチックといって欲しいね。俺は聞き手が感情移入しやすいように、場面を盛り上げて話してんだよ」
 アレクに非難されてセインはすぐさま反論した。
「お前、いつから吟遊詩人になったんだ?」
 片眉をくいっとつり上げてアレクが言うと、セインはからからと声を上げておかしそうに笑った。
「まあ、ヴォドルのせいってのは否定しねえが、俺がこうなったのは主にそこの老いぼれがリザレクションを暴発させたせいだ」
 野菜の箱を脇に置いて、カイルの隣に腰を下ろしたアレクを馬のブラシで指しながらセインは言った。
「生き残っただけでも幸運だと思え」
 ふんっという鼻音とともにそう言い返して、アレクはカイルの方へ向き直った。
「サザンフィールドの砦の防衛戦には、私も参戦していたんだよ」
「アレクさんも騎士団にいたの?」
 カイルは少し驚いてアレクを見た。眼鏡をかけた、白髪交じりの痩せこけたアレクは、どう贔屓目に見ても剣を振り回すだけの体力がありそうには思えなかった。
「いや、私は魔術学院で教鞭をとっていた。今でも席は残っているだろうが・・・。サザンフィールド砦はカデナントの防衛の要所でね。私らも臨時で魔導士団に組み込まれて戦線へ送られていたんだよ」
 話しながらアレクは、持ってきたイモの土を布でぬぐって落とし始めた。カイルもアレクから布を借りて、遅めの夕飯の支度を手伝いながらアレクの話の続きを聞いた。
「ヴォドルが引き上げていった後、戦場になっていた城壁前の草地に倒れているセインを見た時は生きた心地がしなかった。出血がひどく、意識もなくてね。私は癒しの魔法は専門外なんだが、そんな事を言っている場合じゃなかった。反魂の術といってね。リザレクションというのは回復魔法の系統の中でも、通常の活性化術式とは質の異なる、世の理に触れる召喚魔法に分類される最上級術式なんだ」
 カイルの顔を見て、アレクは「つまり、とっても難しいんだよ」と付け加えた。
「術の反動で私も意識を失って、気がついた時にはセインとともに友人の家に匿われていた。どうやら不安定な術の効果のせいで、セインは意識をつなぎとめはしたものの、体はアンデット化してしまったらしい。私たちは、セインが人間に戻る方法を探して旅をしているんだよ」
 馬のブラッシングをしながら、セインが突然「命あっての物種さー」と、ひどく調子外れのかすれ声で口ずさんだ。アレクが笑うので、カイルもつられて笑ってしまった。セインの歌は音程もテンポもめちゃくちゃなひどいものだった。

 野菜と干し肉を切り終わった頃、魔道具の上に置かれていた片手鍋の中の水がうっすらと湯気を上げ始めた。鍋底にたまった気泡を見て驚いたカイルにアレクが自慢気に教えてくれた。
「これは焔石という、雄のサラマンダーの喉仏から取れる貴重な石を使った私の発明品でね。火を使わずに上に乗せたものを温める事ができる魔道具なんだよ。温度の調節もできて、料理をするのに非常に役に立つ」
「石が中に入ってるの?」
 カイルは、アレクが鍋に野菜を入れるのを見ながら興味津々で質問した。
「いや、石は砕いて上部の板を作る合成素材にしてあるんだよ。熱を出すには魔力を板に伝える必要があるんだが、その回路と伝導率に秘密があってね・・・」
 魔道具について、アレクは聞けば何でも答えてくれた。セインは魔道具にさして興味がないようだったが、カイルは今までこんなに不思議で面白いものを見た事がなかった。
「こっちのランタンも、アレクさんが作ったんでしょ?」カイルは洞窟を照らしている魔道具を指差してたずねた。
「ああ、これはね、カデナントの東の大森林にある、星の洞窟と呼ばれる洞窟固有の虫の糸が光っているんだ」
「虫の糸?」カイルはもう一度ランタンを顔に近づけてみた。さっき見た時に線だと思っていたものは、言われてみれば綺麗な糸のようにも見えた。
「糸を吐くのは幼虫でね。暗い洞窟で粘着質な糸を光らせて、獲物が絡まったところを捕食するんだ。これが成虫になると、モリガラシと呼ばれる魔物になるんだよ。強烈な麻痺毒のある鱗粉をあやつる、たちの悪い巨大な蛾の魔物だ」
「へー・・・」
 カイルは柔らかい光を放つランタンを少し自分から遠ざけて床に置いた。

 野菜のスープとパンを3人で食べて、フカフカとした毛皮にくるまって横になった頃にはカイルはすっかりくたびれていて、やってきた睡魔に身を任せてすぐに意識を手放した。普段、日が落ちてからこんなに起きていることのないカイルはその夜夢も見ずにぐっすりと眠った。

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