覚醒その①
生ぬるい風を全身に浴び、幸助は今のこの状況が夢ではないと痛感した。同時に目の前に立ちはだかる『獣』の姿をもう一度眺めてみた。赤黒い捻じれた角、黒い剛毛に包まれた体、あと、凶悪な爪。
「冗談きついぜ・・・」
深いため息をつく。この獣、どこかで見たことがあると思ったら、そうだ、魔物図鑑(定価640円)に載っていたベヒーモスという旧約聖書に登場する架空の生物ではないか。性格は確か温厚と書いていたはずなのだが、何故か今幸助に対して『憎しみ』にも近い感情をむき出しにしている。
それと対面する佐々木幸助は現在、高校二年生である。スポーツ推薦を狙えるほどの身体能力も、誰もがうらやむ文才も、警部から一目置かれるほどの推理力も無い、ただの学生だ。彼の持つ能力と言えば、学生手帳をカラオケ店員に見せれば少し割引してもらえることくらいである。しかしそんな彼が何故今、ベヒーモスと対面中なのかというと――――その話は少し前に遡る。
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やりたいことが見つからない。学生ながらにして幸助はそんな悩みを抱えていた。が、頭を抱えるくらいの悩みではなく、まあ、いずれ見つかるだろうと高を括って日々過ごしている。定期的に流行るゲームブームに乗っては飽き、乗っては飽きを繰り返すだけの、簡単な過ごし方をしていた。今も、友人と携帯ゲームの話にいそしんでいる最中である。
「バハムートの攻略? いいか、あいつは基本的に能力を下げ続けて戦うのと同時にこっちの能力を高めて戦えば余裕だから」
目線を合わせず、スマホの液晶画面を見ながら矢吹 真は言う。
「それが出来れば苦労しないって・・・つか、神話の生物の能力下げるとか何なの? 俺ならバハムート見ただけでデバフ掛かるわ」
「いやこれゲームだから。お前何でもかんでも現実世界に投影する癖やめろよな。一々萎えるから」
幸助の方の液晶画面に簡易的な爆発シーンが流れ、ゲームオーバーの文字が浮かび上がる。かれこれ三日以上はこの敵の攻略に費やしているのだが、一向に光は見えてこないのだ。
「駄目だ…やっぱ俺こういうゲーム向いてないわ」
スマホの画面を閉じ、そう零す幸助に誠はあきれ顔を見せる。
「出た。幸助の諦め癖」
「容量良い奴にはわかんねーよ。俺の気持ちなんてさ。結局、何をやろうにも最後までやりきれんのは何かを持つ奴だけなんだよ」
「何かってなんだよ」
「さあ? 才能とか、運とかじゃねーの?」
不貞腐れてそう吐き捨てる幸助に、誠は苦笑いを見せる事しか出来なかった。
時間は過ぎ、夕方。幸助の家は学校から電車の乗り継ぎ2本の所にあり、その帰路にはいろんな誘惑がある。今日は駅から少し離れた古本屋に寄り道したくなった。この古本屋、古臭い店構えとは裏腹に、懐かしの本やら最新まで幅広くそろっているので幸助のお気に入りの場所である。
「今の俺の生きる意味は最新の本を待つ事だけか・・・切ないなぁ」
思っても無い事を呟いてみると、本当にそんな気がしてきて少しナイーブな気持ちになる。幸助はこの少し冷めた感じが、少し好きなのだ。甘いものを食べていると塩気のある物が欲しくなる。それと同じように、平和になれた人間は『平和ではないもの』が欲しくなる。今の幸助はまさにその渦中にあり、無意識的に。それを望んでいた。
だから、そこに付け入られたのかもしれない。
『願うなら、叶えてやるよ』
突如背後からした声に、反射的に振り返る。そこにいたのは幸助と同じ背丈の黒髪の男子生徒だった。しかも、幸助の通う学校の制服を着ている。けれど
「誰だよ・・・お前」
高校生活を2年続けて来て、おおよそ学年の顔は知っているつもりだったが、この男の顔は見た事がないのだ。だからこそ、不信感は膨れていく。
「俺が誰かなんて後でいくらでも話してやるよ。俺が先に質問する。ちゃんと答えろよ。佐々木幸助、お前はこのウンザリするくらいつまらない世界の裏側を知りたいと思わないか?」
突拍子の無い質問だった。
「は・・・てか、俺の名前知ってんの・・・か? 裏側? って、なんの」
疑問、不信感、恐怖。幸助は色んな感情をこの一瞬の内で抱き、明らかに困惑する。その姿に苛立ちの表情を向ける男子生徒が退路を断つように彼の胸ぐらを掴みあげる。
「理解力が無いのは構わねぇが、さっさと答えてくれねぇかな? 簡単な事だろ? イエスか、ノーかで良いんだ、考える必要はねえ、直感で答えろ」
「い、イエスだ! イエス! 答えたから離せよ!」