3輪
葉月先輩から合唱同好会の存在を教えられた。
去年、私たちが作ろうとして叶わなかったもの。
それが今、手の届くところにある。
ふと、隣に視線を移すと、すみれは興奮を抑えきれない表情をしていた。
多分、合唱をやりたいという気持ちが残っているのだろう。
私は...どうしたいのだろうか...。
葉月先輩と別れた後、校内を歩いていた私とすみれは、先ほどまでの話の人物に遭遇した。
合唱同好会の一年生二人だ。
「部長さん、お疲れさまぁ♡」
すみれが小さい方の一年生に抱きついた。
「いきなり何するですか!離れるです!」
抱きつかれた一年生は必死に抵抗しているが、振りほどくことはできそうにない。
すみれを止めなければ。
「すみれ!後輩には迷惑をかけないで」
思ったよりも大きな声を出してしまったが、効果はあったようで、すみれを引き剥がすことは難しくなかった。
唖然としている一年生を尻目に、私たちはその場を去った。
翌日から、すみれの様子が変わっていった。
明らかに口数が減り、授業中でさえぼんやりすることが増え、先生やクラスメイトに声をかけられることが多々あった。
それ程までに合唱同好会のことで悩んでいるのだろう。
自分の気持ちすらはっきりしない今の私には、ただ見守ることしかできない...。
モヤモヤとした何かに囚われたまま、葉月先輩と話をした日から一週間が経過した。
すみれの様子は相変わらずで、依然として悩んでいるようだ。
すみれがおとなしいと、こちらまで調子が狂う。それに、あんなに苦しんでいるすみれの姿を、私はこれ以上見たくない。
すみれに限らず、誰しも悩みを自分だけで解決することは難しい。
だったら、私が背中を押してみようか...。
そう思い、その日の放課後、私はすみれを呼び出した。
「すみれ......どうするつもり?」
前置きはせず、いきなり話を切り出した。
「どう って...何が...?」
すみれは平静を装い、心当たりがないフリをした。
「......合唱同好会。悩んでることくらい、見てればわかるわよ」
「やっぱり...。
合唱はやりたい。だけど、葉月先輩にはお世話になったから、恩返しがしたい。
それに、ここまで続けた吹奏楽をやめるのも...。
さや姉...私、どうすればいいのかわからない...」
"さや姉"...。その呼び方は、すみれが切羽詰まっている証拠だ。
こんな私に助けを求めてくれている。
私は、すみれの力になりたい。
「......すみれが一番やりたいことは何?吹奏楽をすること?恩返しをすること?
それに......それだけの想いがあるなら、きっとわかってくれるわ」
私はそう言い、息を小さく吐いた。
自分のやりたいことはわかっていないくせに、他人に対してそんな言葉をすらすらと言える。
そんな自分に対してのため息だ。
「私が一番やりたいこと...」
復唱するようにすみれは呟いた。
そして、下を向いていた顔を上げた。
その目には、光が、力が宿っていた。
「さや姉!私の気持ち、あの子たちに伝えに行くから力を貸して。
もしダメだったら、この長い髪切るから...約束」
私は頷き、自分の髪を結んでいるリボンを外し、すみれに手渡した。
すみれはリボンを受け取ると、勢いよく走り出した。
一度はすみれを見送ったものの、すみれが気持ちをちゃんと伝えられるのかが心配になり、遅れて後を追いかけた。
第二音楽室。目的地であるその教室には、合唱同好会のメンバーとみられる一年生二人と、私より先に到着したすみれが居た。
「わ、私......うたっ...歌いたい…だから...みんなの輪の中に...入れてくださぁい......!!」
すみれは不器用に、けれど真っ直ぐに、自分の想いを打ち明けた。
すると、小さい方の子が大きく頷き、口を開いた。
「悪い人ではなさそうですね...。
好きな合唱曲はなんですか?」
「今から歌うから、聴いてて!!」
すみれはそう言った後、振り返り、私を見た。
私がすみれに笑いかけると、すみれは小さく頷いて前を向き、大きく深呼吸をして、歌いだした。
すみれが少し歌ったところで、知っている曲なのか、一年生が目を輝かせて一緒に歌い始めた。
その純粋な歌声は、今の私には辛いだけだった。
私はこの場所には居られない。
そう思い、そっと第二音楽室を抜け出した。
翌日の朝、いつも通りに登校の準備をしていると、スマートフォンがすみれからのメッセージの受信を告げた。
『今日は同好会の勧誘の準備があるから先に行くね』という内容だった。
同好会に入って間も無いにも関わらず、やるべきことを見つけ、行動に移している。そんな幼馴染を誇らしく思いつつも、心からはそう思えず、もどかしさを感じた。
教室に着いてしばらくすると、すみれが入って来た。
「......すみれ、おはよう。勧誘の成果はどう?」
「う〜ん...チラシを受け取ってくれる人は何人か居たけど、入りたい って人は居ないわねぇ...」
苦労しているようだが、夢に向かって努力する姿は、私にはとても眩しく見えた。
「......そう、大変ね...」
「うん...。そういうこともあってさ、さやかが入ってくれたら嬉しいんだけど...どうかな?」
「私は...」
「合唱への興味は無くなっちゃった?」
「そういう訳じゃないけど...」
「そっか...。入りたくなったら言ってね、みんな歓迎してくれると思うから」
「わかった...」
確かに、私が入れば同好会の結成は前進するだろう。しかし、こんな中途半端な気持ちでは、かえって迷惑になるだけだ。
そして昼休みになり、いつも通りにすみれに声をかけた。
「......すみれ、お弁当食べましょ」
「さやか、ごめんね。今日は同好会の子と勧誘の作戦会議するんだ。また今度ね」
「......そう、勧誘頑張ってね」
すみれは、慌ただしくも充実した日々を送っているようで、私はまたしても、もどかしさを感じてしまった。
放課後、部活に行こうと思い、すみれに声をかけた。
「......すみれ、部活一緒に...って、すみれは合唱だったわね...」
「そうね...。さやか、部活頑張ってね」
「......うん。すみれもね」
「ありがとう。それじゃあ、また」
すみれの姿が見えなくなってから、私は音楽室に向かった。
「おっす、さやか。
あれ...すみれは今日も休み?」
音楽室に入ると、同じパートの子が話しかけてきた。
「実は...」
すみれが合唱同好会に入ったことを伝えると、
「そっかあ...。すみれ、前から 合唱やりたい って言ってたもんねー。
やりたいことができて良かったね」
驚きながらも嬉しそうな反応を示した。
「さやかは合唱やらないの?去年、すみれと一緒に勧誘してたのに」
昨年の私たちを知っている彼女が、当然の疑問をぶつけてきた。
「ええ......」
気持ちが固まっていない私は、返答することができなかった。
「迷ってるの?まあ、じっくり考えてみればいいと思うよ」
考えたところで結論を出せるのだろうか...。
そんな疑問を抱えつつも、考えることでしか解決できないだろうと思っている。
部活が終わり、すみれの様子を見に行こうかと思ったが、邪魔になるのではないかと思い、一人で帰ることにした。
翌日からも、すみれは朝早くに登校して勧誘をし、昼休みは作戦会議などで、教室に居ないことが多くなった。
放課後も、それぞれの部活の終了時間が合わず、私は一人で帰るようになった。
それが数日間続き、私の身の回りにも変化が現れた。
いつも一緒にお昼ご飯を食べていたクラスメイトとは話が弾まず、今まで普通に話していた吹奏楽部のメンバーとの間にも、距離を感じるようになってしまった。
同好会に入ってから、すみれは以前にも増してイキイキしていた。
恐らく、同好会に入ったことで胸のつかえが取れたのだろう。
すみれは自分のやりたい事を見つけ、迷いながらも決断し、自分から輪の中に入っていった。
それにひきかえ私は______
「さやか、次の授業 移動でしょ?一緒に行きましょ」
「......そうね。すぐに準備するわ」
すみれに話しかけられ、思考は中断された。
その後も、授業中であろうと考えを巡らせたが、気持ちの整理はつかないまま放課後になった。
そして、その気持ちを引きずったまま部活の時間になった。
いつもの部室、いつもの楽器、ただ一つ違うのは、すみれが居ない ただそれだけ。
それなのに、いつもの演奏をすることができなかった。
休憩に入ると、葉月先輩に声をかけられた。
「紗耶香さん、体調でも悪いのかしら?
今日はなんだか演奏がいまひとつに感じられたのだけど...」
「......すみません。体調は悪くないのですが、原因がわからなくて...」
葉月先輩に見透かされているようで、思わず目を伏せた。
「体調の問題じゃないなら...何か悩みでも?」
「......っ!」
心が乱れれば演奏も乱れる。それは当然なのだが、葉月先輩がその思考に至った理由はそれだけではない、そんな気がした。
「今日は体調不良ってことにして早退するといいわ。
どのみち、このままだと練習にならないでしょう?」
「......それはそうですが...」
「もし悩みがあるなら、誰かに話してみるといいわ。一人で解決できないことも、誰かに話すと案外簡単に解決するものよ。
でも、その誰かはきっと、私じゃない別の誰か。心当たりがあるんじゃないかしら?」
心当たり...。そう言われて私が思い浮かべたのは、ただ一人だけだった。
「......お先に失礼します...」
部室を出た私は、重い足取りで第二音楽室へと向かった。
相談なんて誰にもするつもりはなかった。なのに、今はすみれと話すために歩いている。何が私を動かしたのだろうか...。
ふと、先ほどの会話を思い出してみた。
葉月先輩は、一人では解決できなくても誰かに話せば解決するかもしれない と言った。
その時、何か引っかかるものを感じ、すぐにその正体に気付いた。
"誰しも悩みを自分だけで解決することは難しい"
すみれの背中を押す時に、自分が考えたことだ。同じようなことを葉月先輩に指摘されたことに気付き、自分を嘲笑した。
更に、自分ではない誰かに話すといい と言ったのは、私がすみれのことで悩んでいると見抜いたからだろう。
無意識のうちに、すみれと話すことを望んでいたのかもしれない。
第二音楽室に近づくと共に、胸の中でモヤモヤとした何かが膨らみ、呼吸が圧迫されるような気がした。
第二音楽室に着き、深呼吸をして扉を開いた。室内には一年生が二人、そして、すみれがいた。
入部希望者かと思ったのか、一年生は目を輝かせたが、すみれの不安げな表情を見ると、その輝きは消えていった。
「さやか...どうしたの?」
「......私、自分のことがわからないの。
あれ程楽しいと思っていた吹奏楽に身が入らなくなって...だけど、吹奏楽以上に合唱がやりたい訳でもなくて...。
......うまく言えないけど、胸がモヤモヤして、でもその理由もわからなくて...。
すみれ...。私、どうしたらいいのかしら...」
話を聞き終えたすみれは、優しい表情で私をまっすぐ見つめた。
「そうね...。どうしたらいいか、それを決めるのはさやか自身だと思うわ。
私にできるのはその手伝いだけ。
私たちの歌、聴いてくれるかしら?」
そう言うと、一年生と何かを話し、歌う姿勢をとった。
そして、合図を出して歌い出した。
すみれたちの真っ直ぐな歌声は、私の心に深く突き刺さり、私が抱えていた暗い気持ちを打ち砕くようだった。
曲が終わると、胸のモヤモヤが消えていることに気付いた。
それが 合唱 というものが持つ力なのか、すみれたちが持つ力なのかはわからない。
けれど、その純粋で飾らない想いは、私の心を強く震わせた。
歌がこんなにも心を震わせるとは、今まで思いもしなかった。
合唱ならば、自分の想いをまっすぐに伝えられるだろうか...。
「......私、合唱がやりたい...。
私もその輪の中に入れてもらえるかしら?」
私がそう言うと、三人は顔を見合わせ、大きく頷いた。
そして、会長と見られる、背の低い一年生が一歩前進し、口を開いた。
「合唱同好会へようこそです!」