16輪
園内さんが飛び出していった日の翌日。
「園内さん来ないね……」
「ああ……」
練習を始める時間になっても、園内さんは第二音楽室に姿を見せません。
今までこんなことなかったから、どうすれば良いのか分かりません。
「……とりあえず、練習を始めるべきじゃないかしら。もしかしたら、何か用事があるのかもしれないし」
そう言った一ノ瀬先輩の表情は硬く、やっぱり園内さんのことを気にしているようです。
「さやかの言う通りね。さあ、始めるわよ!」
明るく振る舞う宝条先輩のおかげで、少しだけ重たい空気が晴れた気がしました。
そうして練習を始めたものの……。
「和音、柔軟はもう終わったから、次は筋トレだぞ」
「あっ、ごめん……考え事してて……」
園内さんのことも大事だけれど、今は練習に集中しなくてはいけません。ちゃんと切り替えなきゃ。
練習は進み、パートごとの音取りになりました。
「……中篠さん、今のところ、さっきもずれてたわよ。よく確認して」
ピリピリとした様子の一ノ瀬先輩の声が聞こえ、思わず振り向きました。
「はい、すみません」
若菜ちゃんも、いつもより集中できていないようです。それに、一ノ瀬先輩がなんだか怖いです。
「さやか、少し休憩にしない? みんな、一旦落ち着きましょ」
宝条先輩はそう言いながら椅子を引いて座ろうとしましたが、腰を下ろしたところに椅子はなく、しりもちをついてしまいました。
「宝条先輩、大丈夫ですか?!」
「えへへ、大丈夫、大丈夫。私も落ち着いてなかったわね」
「……全員こんな様子なら、今日はもう練習しても仕方ないかもしれないわね」
一ノ瀬先輩は首を軽く振り、ため息をつきました。
「そうね。じゃあ、みんなで話し合いましょ。多分、考えていることはみんな同じでしょう?」
宝条先輩は手を重ね、優しく言いました。
「それで、こはるちゃんが出て行っちゃったことについてだけど……」
宝条先輩はそこで言葉を切り、一人ひとりに視線を送りました。
「私は、戻って来て欲しいです。園内さん自身について、まだ分からないことも多いですけど、合唱の知識も経験も豊富で頼もしいですし、園内さんがいなかったら、そもそも同好会を結成できなかったかもしれないので……」
拙い言葉ですが、どうにか自分の思いを伝えられました。
「私もそうですね。るいに伴奏を頼んだ時みたいに突っ走っちゃうこともありますけど、園内さんには個人的に恩を感じていますし、一緒に歌いたいので」
若菜ちゃんは静かに、けれど力強く言いました。
「そうね、私もこはるちゃんに戻って来て欲しいわ。かずねちゃんが言うように頼もしくて、羨ましいくらいの行動力を持っていて、何より、とっても可愛い後輩だもの」
笑みを湛えて宝条先輩が言うと、それに続く様に一ノ瀬先輩が口を開きました。
「……私だって、園内さんが嫌いな訳じゃないのよ。うまくやっていきたいとは思ってるし、菫がいつも迷惑かけてて申し訳ないとも思ってる」
「やっぱり、戻って来て欲しいのはみんな一緒ね。でも、その為には、選曲の問題を解決しなくちゃね」
宝条先輩の言葉に、少しの間沈黙が続きました。
「そういえば、園内さん、『私が編曲した』って言ってましたけど、あの曲は園内さんが作ったってことですか?」
沈黙を破ったのは若菜ちゃんでした。
「そうね、元々ある曲をこはるちゃんがアレンジしたってことね。好きな曲を合唱するために自分で編曲するなんて、やっぱりすごい行動力ね」
「凄い……!」
私たちの言葉に、一ノ瀬先輩が唸るような声をあげました。
「……それを頭ごなしに否定されたら、いい気はしないわよね……」
「さやか……」
「それなら、みんなでもう一回話し合いませんか? 園内さんも一緒に」
園内さんに来てもらえる自信はないけれど、私たちだけで話していても何も解決しないから……。
「そうだな。私もそれがいいと思う」
「そうしましょ」
「……そうね」
その後、私たちは園内さんを探しましたが、既に帰ってしまったようで、話をするどころか、会うこともできませんでした。
翌日。私と若菜ちゃんは帰りのホームルームが終わると、すぐに教室を出て隣の教室へ向かいました。
教室から出てくる人の中に園内さんの姿はなく、少し不安になりながら教室を覗くと、まさに今立ち上がろうとしている園内さんを見つけました。
「園内さんっ!」
慌てて声をかけると少し驚いた表情をしましたが、すぐにそれは険しくなりました。
「何の用ですか」
短く言い放った園内さんに圧倒されながら、言葉を絞り出します。
「同好会に戻って来てもらえないかな……?」
「歌いたい曲も歌えないところにいて、何の意味があるですか」
「それは……」
その冷たい言葉に心まで冷え込んでしまいそうになった時、若菜ちゃんが一歩前に出ました。
「園内さん、昨日はごめん。まだ賛成って訳ではないけど、歌いたい曲を歌えるように、もう一度話し合おうよ」
「私もごめんなさい。昨日は突然のことで何も言えなかったけど、園内さんが自分で編曲したのは凄いと思うし、先輩たちもそう言ってたよ」
「そうですか。それはどうもありがとうございます」
まだ私たちの気持ちは届いていないみたいです。もっと真っ直ぐに伝えなきゃ……。
「園内さん、みんな園内さんと話したいと思ってるの。だからお願い……」
「仮にそれが本当でも、私は別に話したいと思わないので結構です」
「そんな……」
「同好会の会長として、メンバーと話し合う責任があると思うけど、そんな無責任な人だったんだな」
「若菜ちゃん?」
「っ、何も知らないくせに……!」
「そうだよ。だって、園内さんは何も話してくれないじゃないか」
「話したくないことをわざわざ他人に話すバカがどこにいるですか」
「もうやめて!!」
「和音……」
「それでは、私は帰るです」
このままじゃ……どうにかしなきゃ……。
「待って!」
私は咄嗟に園内さんの腕を掴み、そう叫んでいました。
「離すです」
「嫌だよ……。だって、ここで離したらもう園内さんと仲直りできなくなっちゃいそうだもん……」
私がそう言うと、園内さんの隣に来て、反対側の腕を掴んだ若菜ちゃん。
「園内さん、ごめん。強引だけど、このまま第二音楽室まで連れて行くよ」
「なっ……」
園内さんと一緒に私も驚いて若菜ちゃんを見ると、若菜ちゃんは無言で頷き、歩き始めました。
園内さんはじたばたと動いて抵抗しましたが、三メートル程歩いた頃にはすっかりおとなしくなり、
「もうわかったから離すです。第二音楽室までちゃんとついて行くですよ」
と、ため息交じりに訴えました。
「和音、どうする?」
「私は園内さんを信じるよ」
私たちが園内さんを信じない限り、きっと園内さんも私たちを信じてくれないと思う。
「わかった」
腕を離すと園内さんは私たちから少し距離を取りましたが、どこかへ行く素振りは見られません。
「じゃあ行こうか」
こうして、私たちは再び第二音楽室を目指して歩き出しました。
「こはるちゃん! 戻って来てくれたのね!」
第二音楽室に入ると、宝条先輩がすぐに嬉しそうな声をあげました。
「この二人がどうしても引き下がらないので、話をしに来ただけです」
「……それで充分よ、ありがとう。それと、昨日は悪いことをしたわね、ごめんなさい」
「別にいいですよ。あの曲を歌わせてもらえるのなら、ですが」
少し棘のある言葉に、胸がチクチクとします。
「……それを決めるためにも、話を聞かせて欲しい」
「私も園内さんの話が聞きたいな。どうしてそこまであの曲にこだわるの?」
「私は元から反対してないけど、こはるちゃんのことが知りたいわ」
「さっきも少し言ったけど、私たち園内さんのこと全然わかってなかった。だから、もっとお互いに知るべきじゃないかな」
思い思いの言葉を口にして、園内さんの返事を待ちます。
「……不本意ですが、話すですよ」
そして、深呼吸をして、もう一度話し始めました。