14輪
今日はイベント前日。たった今、最後の合わせが終わりました。
真剣な表情でみんなの前に立った園内さんが口を開きます。
「悪くないですね。皆さん、着実に仕上がっているです。槇岡さん、伴奏の方からは何かあるですか?」
「いえ、特には。素人の感想ですが、皆さんとても素敵な歌声だと思います」
「るい、ありがとう」
「るいちゃんのピアノもとっても素敵よ!」
「あ、ありがとうございます」
槇岡さんは少し照れているみたいで、耳がほんのりと赤くなっています。
槇岡さんと合わせ始めてからまだ数日しか経っていないのに、二曲ともしっかり合わせられています。こんな凄い人が伴奏をしてくれるなんて、未だに信じられないです。
「それにしても、譜めくりが音楽未経験者だなんて……」
槇岡さんがそう呟くと、外城さんが槇岡さんと肩を組むように腕をまわしました。
「なんだよるいー。私じゃ不満だって言うの?」
「当たり前じゃない。譜めくりって簡単そうに見えるけど、案外大事な役割なのよ。私は暗譜してるから一応問題ないけど、楽譜が読めて、タイミングよく楽譜をめくれる人がやることであって、ド素人がやることじゃないのよ。それでも居ないよりはマシだけども」
「譜めくりって大変なんだ……」
私は思った通りに呟きました。
「じゃあ、その大変なことをやってる私って、凄いんじゃない?」
「そうじゃないだろ」
「あれ?」
「全く……」
「仕方ないわね」
呆れながら笑う若菜ちゃんと、諦めたようにため息をつく槇岡さんは、なんだか楽しそうに見えます。
「……仲良いわね」
「私とさやかも負けてないわよ?」
「……そういうのはいいから」
そう言った一ノ瀬先輩の頬は、少し緩んでいました。
「それでは、特に意見がないようなので、反省会は終わりにするです。本番、頑張るですよ」
帰り道、まだこんなに明るい……もう六月になるんだもんね。明日はいよいよ本番……。
「…………」
「…………」
「…………」
ふと隣を見ると、若菜ちゃんは難しい顔で何かを考えているみたいで、園内さんはいつもと変わらず落ち着いています。
「二人とも、もう駅に着くですよ」
「もうそんなに……」
「そ、それじゃあ、また明日」
「うん、頑張ろうね」
「当然です」
少しぎこちなく手を振って、二人と別れました。
あんなに練習したんだから、きっと大丈夫……。
その日の夜。お風呂から上がって部屋に戻ると、Kreisにメッセージが届きました。
『みんな、明日はついに本番よ! みんな一生懸命練習したんだから、きっと大丈夫よ。失敗しないことよりも、楽しむことが大事よ。あとは、私たちの演奏を聴いてくれる人にどれだけ楽しんでもらえるか、もね。私たちならきっと大丈夫、精一杯やりましょう!』
宝条先輩らしい明るくて前向きなメッセージで、少し心があたたかくなりました。
『……すみれ、いつもより文量が多いし、大丈夫、って二回も使ってる。緊張してるのね』
『当たり前のことなんですけど、宝条先輩でも緊張するんですね。ちょっと意外です』
若菜ちゃんのメッセージに頷きながら、私もメッセージを送ります。
『私もそう思いました。それと、メッセージだけで緊張してるのがわかる一ノ瀬先輩も凄いです……!』
『……それはどうでもいいわよ。そんなことより、明日に備えて早く寝なさい』
『一ノ瀬先輩の言う通りです』
一ノ瀬先輩と園内さんに言われてしまったため、それ以降はメッセージのやり取りはありませんでした。
布団に入って明日のことを考えてみると、不安より楽しみなことの方が多くなっていることに気がつきました。
翌朝。イベント会場に全員が集まりました。イベントはバラ園のオープニングセレモニーですが、会場はバラ園の向かい側ということに少し驚きました。
「おはようございます。受付開始まで少し時間があるですし、ステージの下見をしておくです」
園内さんに促され、私たちはステージを見に行くことにしました。
「私たち、ここで歌うんだね……」
ステージは体育館の壇上くらいの大きさで、思っていた程大きくはなく少し安心しましたが、イベントに参加するという実感が湧き上がり、安心してできた心の隙間に緊張が入り込んできました。
「橋留さん、しっかりするですよ」
「う、うん。大丈夫……」
自分に言い聞かせるように返事をすると、若菜ちゃんに肩を軽く叩かれました。
「一緒に頑張ろうな、和音」
「うん!」
若菜ちゃんはいつも励ましてくれる……。
「そろそろ受付始まるんじゃないかしら?」
宝条先輩がそう言うと、
「……そうね。行きましょう」
一ノ瀬先輩が一度スマホを見てから返事をしました。
受付を済ませると、団体ごとにリハーサルの時間が割り当てられているため、それまで待機することになりました。
「リハーサルと言っても、あまり長くはできないんですね」
「そうなの?」
槇岡さんの言葉に反応した外城さんでしたが、その槇岡さんに深いため息をつかれてしまいました。
「弥生、話聞いてなかったの? 一団体約五分って言われたでしょう?」
「そっかあ」
「立ち位置や音響の確認もしたいですし、歌うことに関しては諦めた方が良いかと」
なんとなく短いなとは思いましたが、そこまでなんですね……。
その後、声出しや気になるところの確認をしているうちに、リハーサルの時間になりました。
客席に向かって右からソプラノ、メゾソプラノ、アルトの順番で、槇岡さんたちはアルトの左後ろです。ステージの広さの関係で、いつもよりみんなの距離が離れていることに少し戸惑ってしまいました。そして、スタンドマイクがパート毎に一本あるとはいえ、それなりに大きな声を出さないと聞こえない恐れがある、という説明が園内さんからありました。
いつもお腹から声を出して歌っているから大丈夫だよね……?
それらの確認が終わった頃にリハーサルの時間も終わり、私たちはステージを後にしました。
お昼の休憩が終わり客席に移動すると、バラ園の代表の方の挨拶によってイベントが始まりました。
まずは、吹奏楽の演奏のようです。小学生の団体が先生らしき人に連れられてステージに登場して、可愛らしく一礼しました。演奏が始まると、少しおぼつかないところはあるものの、しっかりと一つの曲になっていました。
私たちの演奏はどんな風に聞こえるんだろう……。
その後、小学生の団体がもう一つ、中学生の団体三つが演奏して一度休憩になりました。
「どの団体も堂々としてた……」
「私たちもあんな風に演奏できるのかな……」
若菜ちゃんが弱気になるなんて珍しい、と思いましたが、一番音楽の経験が浅くて、園内さんみたいに自信がある訳ではないのだから、当然と言えるのかもしれません。
先輩方や槇岡さんもステージでの演奏は慣れていないのか、緊張している様に見えます。
すると、そんな私たちを見た園内さんがため息をつきました。そして、いいですか皆さん、と口火を切りました。
「そんなに心配しても今更やれることなんてないのだから諦めるです。私たちは今日まで全力でやってきたです。あとは、顔を上げて歌うだけです」
「園内さん……」
みんなが園内さんの言葉に聞き入って静かになると、園内さんの耳が少し赤くなったように見えました。
「ありがとう、こはるちゃん! お礼にぎゅーってするわね!」
「しなくていいです!」
こうしていつも通りの雰囲気になり、みんなの表情が柔らかくなりました。
休憩が終わり、合唱の演奏が始まりました。私たちの出番は四団体の内の最後なので、今はまだ舞台袖で待機です。
さっきまでは他の団体の演奏を聴いていると気圧されてしまいましたが、今も緊張はするものの、私も早く演奏したい、という気持ちが湧いてきます。それはみんなも同じみたいで、表情からは不安が見受けられません。
私たちの一つ前の団体の演奏が終わると、自然と全員が顔を見合わせました。
「それでは、行くですよ」
園内さんの声に頷き、ステージに向かって歩き出します。お客さんの数に足がすくみそうになりましたが、若菜ちゃんが背中を押してくれたおかげで、立ち直ることができました。
一列に並び、礼をして位置につきます。
リハーサルの通り、槇岡さんの準備ができたことを園内さんが確認したようで、園内さんが前を向くとピアノが奏でられました。
息を吸って、お腹から声を出すことをいつもより意識して、歌い出します。
歌い始めるとさっきまでの緊張が薄れていって、みんなと声を合わせている一体感や、その楽しさがこみ上げてきました。
一曲目が終わり、深呼吸をしながら槇岡さんのピアノに耳を傾けます。
そして、もう一度大きく息を吸い、歌い出します。
歌い終えると、大きな拍手が耳に届きました。息を切らしながら礼をして、舞台袖にはけたその時、客席の方から「良かったよー」という声が聞こえました。若菜ちゃんと顔を見合わせて聞き間違いじゃないことを確認すると、次第に胸の奥が熱くなり、喜びがこみ上げてきました。
そういえば、中学の校内コンクールで最優秀賞を取った時もこんな感じだったっけ……。でも、あの時よりもずっと嬉しい……!
その後、二つのバンドの演奏があり、残りの三つの吹奏楽の団体の演奏で演目が終了しました。外城会長たちの演奏はやっぱり素敵で、うっとりしてしまいました。
イベントの終わりの挨拶がされ、私たちは帰り仕度をしながら集まりました。
「皆さんお疲れ様です。今日の演奏についてですが、橋留さんはもう少し落ち着くです。中篠さんはもう少し安定感が欲しいです。先輩方も完璧とは言い難いです」
今日こそは園内さんから褒められると思ったのですが、まだまだみたいです……。
園内さんは一度言葉を切り、少し間を空けてもう一度話し始めました。
「ですが、今までで一番良かったです。全員の音が、心が揃っていたです」
「こはるちゃん……! ぎゅー!」
宝条先輩は喜びを抑えきれない様子で園内さんに抱きつきました。
「うわっ、離れるです!」
以前は止めに入った一ノ瀬先輩も、今は微笑みながら二人を見ています。
若菜ちゃんたちも嬉しそうに笑っています。
不安や緊張が楽しさに変わるなんて、今まで思いもしなかった……。こうやって合唱の楽しさを味わうことができて、今日は本当に良い日だったな……。
これからもみんなでやっていきたいな……。