予想外の出来事
魔王城の中をヴァンパイア――ロアが長い廊下を歩いていた。
目的の場所は彼が召喚した異界の人間の部屋。
「さて、ミーアは絞め殺したりしてなければいいのですが」
苦笑いを浮かべ、万が一の可能性を呟く。
心根は優しい少女ではあるのだが、感情の起伏が激しいタイプである。あの人間がむやみに彼女の逆鱗を踏み抜けば、流石のロアもどうするかは読めない。
が、先日の様子を見るにまず大丈夫だろうと判断もしている。
威嚇せずあれだけ怯える相手だ、寧ろ恐怖にとらわれミーアと会話出来ない方が心配なくらいだ。
「まっ、それも大丈夫でしょう」
咄嗟に助けを求めるという事は、どうせ上半身だけで判断したという事。
上半身だけ見れば美少女に見えるミーア相手ならば、話くらいは出来るだろうというのがロアの判断だった。
それはこの世界の人間でもありがちの判断であり、下半身の美しさがそのまま美醜の評価に繋がるラミアに取ってどうでもいい部分への評価でしかない。
同族に散々下半身の事を罵られ、その点では卑屈になっているミーアが篭絡される心配はする必要はないだろう。
いや、なんだかんだとても仲間思いの子だ。杞憂だったなとロアは苦笑いを浮かべる。
「なんにしろ、私とも話せる状態だといいのですけどね」
唯一の懸念を呟く。
ミーアとの会話は出来ているかもしれない。その可能性は十分にあると踏んではいる。
が、あれだけ怯えられた身からすると、ミーアを間に挟んですら会話可能か半々。
いや、会話が成り立たない可能性の方が高いと思っている。
会話が出来るかの焦点は、ミーアにかかっているだろう。
ミーアが多少なり彼と話せるようになっていれば万々歳、でなければまた別の相手を順に試していくしかないかとロアは判断を下した。
「入りますよ」
四回ノックをし、中に確認を取る。
「あ、ロア! はーい。入っていいよー」
中からミーアの滅多に聞かないほどの上機嫌の返事が返ってくる。
と、その上機嫌さからおやっとロアは思った。
なかなかどうして、その可能性は低いだろうと予想していたミーアと異界の人間がある程度仲良くなるという結果になっていたらしかった。
これは嬉しい誤算だ。
ロアは異界の人間と会話出来る可能性が跳ね上がったのを感じ取り、ほっとしながら扉を開いた。
は?
目の前の光景にロアは固まってしまう。
「よーへー。ロアは良い奴だから心配するな」
「あ、えっと。うん、ありがとう」
満面の笑みを浮かべるミーア。
これはよい。うん、百歩譲ってこれは譲歩しよう。
そしてミーアと腕を組んでどこか恥ずかしそうにしている異界の人間。
なんだこれは?
ミーアがここまで誰かにべったりした事はあっただろうか? いや、一度すら見た事がない。
絶対にないであろう可能性の一つが目の前に広がり、ロアは咄嗟に動けないでいた。
それどころか、状況を判断するのに頭をフル回転させるのが精いっぱい。言葉すら紡げずにいる。
「その。ミーアが一緒にいてくれるから心強いよ」
「よーへー! 任せて」
「うわぁっ」
本当に何がどうなっている?
はにかむように言った異界の人間に対し、ミーアが頬すりしながら話す?
え、いや。流石の私もちょっと訳が分からないのだが。
内心でそう二人に文句を言い放つ。
が、それを口にしても仕方がないと判断を下した。
それよりも、どうしてこうなっているのか詳しく話を聞くのが優先だろう。
「すみません。ちょっと状況が読めないので説明をお願いしてもよろしいでしょうか?」
何とか平静を装いながら言ったつもりだが、果たしてどれだけ成功した事やら。
動揺しているのを実感しているロアは、それが上手くいったとはとても思えなかった。
「えへへ、あのね。私とよーへーは真名を交わしたの」
驚きのあまりロアは目を見開き口も開いてしまった。
「ま、真名を交わす!? 何がどうしてそんな事態になるのですか! 魔王様にすら貴方はお伝えしていないでしょう!」
「あら。じゃあ瞳術すら用いた相手から素直に私の尾を称賛してもらって。その上使用した事を咎めないって誰が出来るの?」
絶句。
まさかミーアがそんな真似に出るとはと、ロアは自分の判断の甘さを悔やんだ。
しかも様子を見るに、瞳術を素直に受け入れたらしい。
ありえない。
そんな真似をすれば自分の知られたくない事も容易にしられ、下手すると廃人にさせられてしまうかもしれないのだ。
全てを預けられる相手でもない限り全力で抵抗して当然の邪法であり、いくら温厚な魔王様とて耳に入ればミーアを罰するだろう。
そのリスクすら背負ってミーアは行い、異界の人間は受け入れた。
なんて事だ、これは完全に予想外すぎる。
ロアは戦慄した。
下半身の醜さから嫌われ、強い種族であるラミアの中ですら浮くほどの力を持つミーアが異界の人間についたと言う事だ。
異界の人間がそれをどれほど知るかは分からないが、想定外の最悪の結果を突き付けられてしまった。
同じ幹部の一体だからこそ自分が遅れを取る事はないだろうし、ほかの幹部と掛かればミーアを無力化する事は可能だろう。
魔王様の手を煩わせるまでもない。
が、それは被害を度外視した話だ。
ミーアが全力で抗うのは想像に安く、この頑丈な魔王城とてあっという間に壊滅するのが目に浮かぶ。
それでも、野放しになどどうしてできようか。
しまった、異界の者だからとありえないほど油断をしてしまった。
ロアは自分自身を呪う。
「あー、真名を交わすのってそんなに大事なのか。それじゃあミーア以外には伝えられないなぁ。僕は陽平と申します。宜しくお願いします」
必死に頭を回転させていたロアより、リラックスした様子の異界の人間に――よーへーがそんな言葉を吐く。
と、その言葉のお陰である可能性に気が付いた。
いや、やっぱりどうしても自分達の常識で考えてしまっているのだろう。
どんな生き物だろうと真名は特別だ。
それを知られれば簡単に呪われたりも出来てしまう。
と言うのにも関わらずその重要性を知らぬような発言。
ブラフ(嘘)か?
その可能性も十分考えられる。
ミーアを篭絡する腕前は、敵ながらあっぱれとしか言いようがない。
心の底からあの尾の事を褒めるなど、どうして出来ようか。
抑えているのにも関わらず、あまりにも力が大きすぎてもはや禍々しくどうしても感じてしまう。
なのに、瞳術すら用いられ褒めるだなんてきっと魔王様を除いて誰も居なかったはずだった。
そして、魔王様ならそれが可能だからと悠長に構えていたのだが失敗した。
いや、今は長々と考えている場合ではない。
返事を先延ばしにして考えてしまったせいで、へらへらと笑っている異界の人間は兎も角ミーアが不機嫌さを隠していなかった。
「うむ、こちらこそよろしく。私はヴァンパイアのロアと申す」
「おお、やっぱりヴァンパイアなんだ。って事はミーアはやっぱりラミア? だからそんな見事な尾っぽを持っていたのかー」
「ふぇ。そ、そんな急に見事とかあうぅ」
帰っていいだろうか?
挨拶を交わすついでに乳繰り合い始めた異界の人間とミーアを前にし、気が気ではなかったロアは咄嗟にそんな事を思ってしまう。
いや、待て。どんなに気の抜ける空気を作ろうと今のこいつらは危険人物だぞ。
ロアは改めて気を引き締めた。
「まあまあ、愛を深め合うのは良いとして」
「ああああああああああ、愛? そ、そんな。まだ出会ったばかりだし。そう、順序! ロア! 順序が大事なの!」
「あー。えっと。話した通り僕はミーアの事が知りたいし、ミーアも僕の事が知りたいって思ってくれるなら先ずはそこからだよね。うん、だからその、ロアさんと話しても大丈夫?」
暴走するミーアをたしなめたのは異界の人間だった。
その余裕を見るに、何か裏がある気がしてならない。
くそ、昨日の怯えた姿や気を失うところまで演技か?
そんな厄介な奴だという可能性を何故私は失念していた。
魔王様に危険が及ぶかもしれない、今しばらくは様子見せねばなるまいな。
内心でそんな判断を下しつつ、ロアは今度こそきっちりと表情を取り繕う。
人間相手の化かし合いなら慣れている、むしろ切り替えができたというものだった。
「ともかく、君は異界からこちらに召喚されたのだ。どれほどの力があろうと帰れると思うな。まあ私の力に抵抗できずに召喚されたのだ、魔王様にすら出来ぬ事を君が行えるとも思えないがね」
淡々とした感情の読み取れない口調で話す。
すると、あからさまに異界の人間表情がこわばった。
「え、よーへー帰っちゃうの!?」
と、誰よりも早くミーアが食いつく。
今しがた魔王様にすら無理だと言ったのに、この子はどれほど異界の人間に陶酔しているのだろう。
もうこいつは信用出来ない。
ロアはばっさりとそんな判断をミーアに下す。
「大丈夫ですよ。帰りたくても帰れないのですから」
だから、簡潔にそれだけ伝える。
本意が伝わったのかどうなのか、ミーアは何かを感じ取ったように口をつぐみロアを睨む。
ピリッとした空気へと変貌し、ここはいったん撤退するべきだとロアは判断した。
予想外の事が多すぎて、自分の考えを整理したいのも大きい。
が、野放しにはできない。
幹部クラスを誰か監視につける必要はあるなと、ロアは頭の中で選別し始める。
と、浮かない様子でよーへーが話し出した。
「そうですか、帰れないんですか。あああ、親父もお袋も、だちだって心配させるだろうな? え、俺行方不明扱い? せめて連絡だけでも方法を探さねーと」
「よーへー」
どう見ても落ち込んで見える。
とても演技に見えない。
だからこそ、ロアはよりよーへーに対する警戒度を上げた。
「ふむ、ちょっと落ち着く時間が必要でしょうね。また来ます」
「あ、気を遣わせてしまってすみません」
こちらを気遣うような表情と声色。
それでも、今のロアには届かなかった。
早急に行動しなければ。
ロアは足早に遠ざかっていくのだった。
「よーへー、帰りたい?」
まるで捨てられた子猫のようだ。
陽平は今のミーアの姿にそんな事を思う。
「そりゃ帰れるならミーアと帰りたい。けどあっちじゃ大騒ぎか。まっ帰れないんだから仕方ないよ。ってか普通怒ったりしたんだろうけどなぁ」
言いながら、不安そうなミーアの頭を優しく撫でる。
そんな陽平の手を払う事無くミーアはされるがままになっていた。
「ごめんなさい。ロアが言う通りこの城の全員の力でも足りないの。呼ぶのは簡単だけど返すのは難易度が段違いだから」
しょんぼりとした声色。
まぁしゃーない。
陽平はそう結論を下す。
いや、ミーアのお陰で下す事が出来た。
この全力で好意を表してくれている少女がいなければ、きっとロアを恨んだ事だろう。
だが、この子と引き合わせてくれたって思えば。いや、思ってしまっている陽平はロアを純粋に憎むなんて真似が出来ないでいる。
「まっ、ミーアと出会う為には仕方なかったのかな。出来ない事を嘆いても仕方ないし。とりあえず俺はっと、僕は」
「俺でいいよ。少なくとも私の前では」
陽平の言葉は、途中でミーアに遮られた。
ミーアのセリフに陽平は微笑む。
「ありがとう、ミーア。まっミーアと出会えたんだから俺は大丈夫だ。出来れば無事だって連絡だけはせめて入れたいけどね」
「……それなら出来るかも」
予想外のミーアの言葉に、陽平は眉を上げた。
が、浮かない表情なのが解せない。
その陽平の疑問は、続くミーアの言葉で解消された。
「でも、それが出来るのはここでは魔王様くらいだと思う」