改めて自己紹介
陽平は自分の置かれている状態が本当に現実か自信がなかった。
それも無理からぬ事かもしれない。
目が覚めたら洞窟にいてミノタウロスとヴァンパイアに囲まれて目覚める。
散々脅され気を失ったら、今度は可愛らしいラミアの少女と仲良くなった。
で、現在進行形でその可愛らしいラミアから介抱されていると。
「はい、あーん」
「あ、あーん」
満面の笑みでフォークらしきもので食べ物を口に運ばれ、陽平はされるがまま口を開いた。
口に含み咀嚼。実に美味しい。
色こそ緑色ではあったがリンゴの様なそれは、味は梨に近いように感じられる。
陽平の知る梨以上にみずみずしくて濃厚な甘みを感じられるのだが、高級品など食べられる身分になかった陽平は、お高い梨ならこんな味なのかな? なんて漠然と思う。
「美味しい?」
「うん、とっても美味しいよ」
少女に聞かれ、陽平は素直に返した。
やはりこうしていてなお現実味がない。
そもそもあまりに態度が変わりすぎだ。
ほんの先ほどまで友好的ではなかったはずなので、変わりようについていけていないのも大きい。
それに押され一度は拒否したあーんも、少女に押されるがままこうして甘受している。
この状況は凄くおいしいと思う反面、明らかにおかしいと理性が警告を鳴らす。
洞窟で捕らわれた時はともかく、あまりに都合が良すぎるだろう。
というか、美少女に綺麗だねって言われ慣れているだろう言葉を言ったら好かれるだなんて、作り物の世界以外聞いた事すらない。
いや、陽平がイケメンならばともかく、今までこんな事態になった事が一度もなかった時点で信じられる訳がなかった。
「えへへ、元気になってきたね。良かったぁ」
だが、目の前の少女は本当に嬉しそうにそんな言葉を陽平に掛けてくれる。
これこそドッキリではないのか? なんて考えても、やっぱり陽平にこんな大掛かりなドッキリをする理由が何もない。
と、相手の名前を呼ぼうとして名前すら聞いていなかった事に陽平は気が付いた。
いくら浮ついていたとしても、これは大失敗だと陽平は冷や汗をかく。
大事に至らなくて本当によかった。
「自己紹介がまだだったね。僕は田中陽平って言うんだ。宜しく」
相手に名を聞く前にまずは自分から名乗る。
そう思って陽平は笑顔で少女に伝えた。
すると、予想だにしない反応が返ってくる。
「えっと、たなかよーへー? えっと、え、まさか真名? うそ。え?」
なんだか凄く慌てているのだが、どうしよう。
陽平は少女の様子に思い悩む。
まな? 意味が分からない。
そもそも名前を名乗っただけなのに、これほど困惑されるとは思っていなかったのだ。
「その、何か悪かったかな?」
怒りの感情は見えないが、これだけ狼狽えてしまわれれば聞かずにはいられなかった。
陽平は緊張しながら少女の言葉を待ち、少女は喋り出す前にじっと陽平の瞳を見つめた。
おかしい。
陽平は自分の意識が徐々にぼんやりしているのを自覚する。
が、おかしいと感じていた意識すらぼんやりとしてしまう。
何も考えられない。
ふわふわする。
「こんな事をしてごめんなさい。でも。ううん。お願い。その名は真名なの?」
切実な様子で問いかける少女。陽平はぼうっとしたまま口を開く。
いな、陽平は自分が喋っている事もよく分かっていなかった。
ただ、少女の魔力にとらわれ、本音を嘘偽りなく吐き出す。
「まなが分からない。俺の名前は名前だ。偽名でもないし、これが本名。何か悪い事をした? ごめん。分からない。分からない」
陽平の言葉に、少女は傷付いた表情を浮かべる。
そして、すぐに陽平への魔力の干渉を止めた。
すぅっと陽平に感覚が戻ってくるが、ぼうっとしていた時自分が何をしていたのか思い出せない。
少女が何かしたのだろうが、それ以上に気付いたら泣きそうになっている少女の姿に胸が痛んだ。
「ごめん、俺――僕は何かしたかな?」
「謝らないで!」
少女の叫び。
陽平は驚いて口を噤んだ。
「お願い、謝らないで。ごめんなさい。私は貴方を疑ってしまったの。許せる事じゃないのは分かってる。だから、お願い償わさせて」
涙目でうったえてくる少女に陽平は見惚れた。
いや、そんな場合ではない。
はっと気を取り戻した陽平は首を左右に数回ふり、理性を呼び起こす。
危うく感情のまま抱きしめる所だったと冷や汗をかきながら、訳が分からない現状を打破するために口を開いた。
「その、初対面の人間をそうそう信用できないって。うん、だってほら、僕はお互いの事をよく知らないだろ? だから、そうだな。お互いの事をよく知っていきたいな。それと、別に怒っていないからそんなに仰々しくしないでくれよ」
心の奥底で惜しい事をしたかなと思うものの、普通じゃない様子の少女に漬け込む真似が出来なくてそう伝えた。
が、少女の方が納得しない様子で言葉を返してくる。
「そんな。だってあんな真似したんだよ? 拷問にかけるような真似なのに、なんで怒らないの? 無理矢理本音を聞き出したんだよ? 嫌じゃないの?」
「んー。そりゃ嫌だよ。そんな事されて少なくとも僕だって嫌だ。だけどさ、そんな泣きそうな表情で謝られたら許さざるをえないって。ってか、必要だからやったんでしょ? それで少しでも僕の事を信用してくれるならそれでいいかなって。まぁ、君が可愛いからもあるけどさ」
なんか俺ナンパしているみたいだなぁ。
言いながら陽平はぼんやりと思う。
実際これだけ可愛い子に甲斐甲斐しくお世話をしてもらえば、情が湧くというものだ。
それに、元々女性相手に軽口を言って誤魔化すタイプでもあったし、すんなり口に出てしまったのだ。
これはもう仕方ないよなと陽平は開き直る。
と、少女が涙目で益々近寄ってくる。
近い、可愛い。良い匂いがする。じゃないだろう俺。
陽平が再び見惚れた自分を叱咤した所で、少女が口を開いた。
「それじゃ私が納得出来ないよ。何かないの?」
懇願されるような一言。
これなら本当に何でも言う事を聞いてくれそうだなと陽平は感じる。
事実そうである可能性が非常に高く、邪な感情が湧き上がってきた。
が、その感情に身を任せてしまうのを理性が全力でブレーキを掛けてくる。
待てよ陽平、ここで少女といたすより大事な事があるだろうと。
ミノタウロスとヴァンパイアの事を忘れたのか? 彼女だって彼らの仲間じゃないのかと忘れていた記憶を呼び覚ましてくる。
否、考えないようにしていただけで、実際は忘れられずにいたのだ。
聞こえは悪いが、そんな信用出来ない連中の本陣で下手な真似は出来ない。
そう判断し、本能を全力で抑え込む。
代わりに、このくらいなら良いだろうと本来聞こうとしていた事を口にした。
「じゃぁ、君の名前を聞いていいかい?」
笑顔で言った陽平に、何故か少女はぱぁっと表情を明るくする。
その変化を見て、名前は凄く重要な意味合いがあるのだろうなと陽平は頭の隅で思った。
「私の名前はミーア。そして、真名はミリシアルフィーエ。たなかよーへー。普段はなんと読んだらいいの?」
ミーアと名乗る少女。陽平は真名の方も忘れないようにしっかりと記憶する。
「普通に陽平でいいよ。宜しくなミーア」
「うん。宜しくねよーへー!」
とりあえず何とかなったかなと笑顔を浮かべる陽平に、ミーアは満面の笑みを浮かべて答えるのだった。