裏野ハイツと時間の渦【201号】
よろしくお願いします。
「万理ちゃん、今日も美人さんねえ」
そう言ってくれるのは、木造の裏野ハイツの201号室に住むおばあさん、遠野マキエさんである。。
「どうかしら、私の家でお茶でも飲んでいかない?お婆ちゃんのお話に付き合ってくれると嬉しいわ」
「いつもすみません、あ、そういえば私この間買ったケーキがありました。一緒に食べましょう」
私は二年前に裏野ハイツの近所に引っ越してきた。
方向音痴な私が慣れない道を歩いていると、一人のお婆さんが通りかかった。
このお婆さんがマキエさんだった訳である。
「お嬢さんはどこに住んでるのかしら?あら、私の家の隣じゃない」
三十直前の私は、お嬢さんなんて言葉を久々に聞いた。少しむず痒い気がしたが、悪い気はしなかった。
マキエさんはその後、近所を色々と案内してくれた面倒見のいいおばあさんだ。
年金生活の一人暮らしで、家族は居ないらしい。
「マキエさんのお孫さんの方が美人じゃないですか」
マキエさんは孫だという女性の写真をいつも大事に持っている。
マキエさんが若いころはこんな感じだったのかな、と。
どこかマキエさんの面影がある可愛らしい少女だった。
孫の事を褒めると、マキエさんは照れたような仕草をして、夕ご飯時に作りすぎたから、と一品持ってきてくれる。
年金生活のおばあさんから受け取るだけの関係というのも良くないので、たまに小洒落た洋菓子や珍しい食材を渡してあげる。
「万理ちゃんは優しいわねえ……」
お婆ちゃん子だった私は、マキエさんを本当のお婆ちゃんのように感じていた。
「そういえば、隣の202号室ですけど、誰か住んでるんですか?」
ある日、私は気になっていた事を聞いてみた。
「……どうしたの?202号室が何かあったのかしら?」
少し怯えたような顔をするマキエさん。
「あ、いえ。何かあったという訳じゃないんですけど……」
202号室は近所にある私の家から見える位置にあった。
いつもカーテンが閉められており、最初は誰も住んでないのか、と思った。
昨日……何気なく見てみると、洗濯物が干されていたのだ。
『ああ、誰か住んでるんだ?』
干された洗濯物をジロジロ見るのはいい趣味とは言えないが、私が見た所ピンクや淡い色の感じから女性だろうな、とは想像がついたが。
それだけでは、そこまで不思議には思わなかった。
私が不思議に思ったのは……201号室のマキエさんである。
『101号室の方からお菓子を頂いたの』
『102号室の人は嫌な感じなのよねえ』
色々とハイツの住人の事を口にするのだが、一番親交がありそうな隣人。隣の部屋の202号室の住人の事が一切出てこないのだ。
好きか嫌いかは別として、人の事を話題にするマキエさんにしては珍しかった。
「どんな人が住んでるんですか?」
口を濁すマキエさんの様子に私は興味を持ってしまった。
「誰にも、絶対に誰にも言わない?」
そう言って、マキエさんは私に押入れの方へと呼び寄せる。
なんで押入れ?そう思って近づくと、押入れの奥は、隣の部屋と繋がっていた。・
えっ、いったい何が……。
押入れの向こうには、マキエさんが大事に持っている孫娘。十代半ばの可愛らしい少女が、すやすやと眠っていた。
「これは……?お孫さんと住んでいたんですね?」
尋ねると、マキエさんは、違うわ、と否定し首を横に振った。
「実は、この娘は孫じゃないの……」
「孫じゃ、ない?」
全く関係が無い少女の写真を持っているの……?え、どういう事?
私が疑問の表情を浮かべていると、マキエさんは笑った。
「えっと、孫よりももっと近い存在なの」
近い存在?まさか子供?実はエルフとのハーフで、年を取らない娘とか?なんてファンタジーな。
「この娘は私なの……」
マキエさんはそう言った。私は話の内容が理解できなかった。
「そうよね、いきなりこんなとんでもない話、信じられないわよね。万理ちゃん、聞いて貰えるかしら?」
そう言って、マキエさんは語りはじめた。
「私は2000年生まれなの」
「えっ?」
70代であるマキエさんの顔をもう一度見る。16歳……?
合法ロリババア、という言葉があるが、マキエさんは逆。ババアロリという謎生物なのか。
そんな失礼な事を考えている私に、マキエさんは補足する。
「私は、2016年の夏、60年前に移動してしまったの……」
当時、16歳だった少女は、気が付けば60年前に移動していた、という。
安っぽいファンタジーのような設定に、私は茫然としてしまう。
「それでね、当時何も知らない少女だった私は、戻る方法を探しながら生きてきたの。結果は……私を見れば解るわよね?」
戻れなかったのだろう。70代女性になっているマキエさんを見れば想像は難くない。
「16歳までスマホを片手にテレビ見て遊んでる世界だったのが、急にスマホどころかテレビもあまり普及していない時代でしょう?」
苦労したんだろう。
「株や為替、競馬などのギャンブルも、ああそういえばこんな名前の馬が活躍したわね、こんな会社があったわねって。色々なチャンスがあったのに、
当時の私はそれらのチャンスを生かす事が全くできなかったの」
マキエさんの話が本当なら、同情してしまう。
「マキエさんの言う事が本当だとして。この娘はマキエさんでしょう?この娘はどうしてマキエさんの隣に住んでいるの?」
「私が時間移動をした時にね、結局戻れなかったけど色々調べたのよ。時間の渦、私はそう呼んでいるんだけど……」
マキエさんの言葉によれば、時間移動は人を一人移動させるのにも大量のエネルギーが必要らしい。
なので時間の渦が発生した時に、エネルギーを消してしまえばこの娘。マキエさんの昔……ややこしいな。いまのこの子は助かるらしい。
この子は自分自身だが、接点がないため浚ってきたらしい。この子……自分を救えれば、私は自首をする。そうマキエさんは言った。
「どうやって消すんですか?」
「それは、これよ。この石を投げいれるの」
マキエさんは小さな小石を私に渡して来た。
「その石は現在の時間を記録してあるのよ。これを時間の渦に向けてぶつければ消滅するわ……お願い。力を貸してちょうだい」
マキエさんの真剣な言葉に、私は頷いた。
そして、数日後、時間軸の渦はやってきた。
「マキエさん、本当だったんですね。私が石を投げいれます、貸してください」
「ええ、ごめんね万理ちゃん。こんな事に巻き込んでしまって……」
そういうマキエさんに微笑みかけ、私は石を時間軸の渦へと投げ入れる。
渦は消え……なかった。私の片手を飲み込み、吸い込んでいく。
「マキエさん、石が効果無かったです。もっと、もっと時間を記録した石を……」
そう言ってマキエさんの方を振り向くと、マキエさんはにやにやと笑っていた。
いつもの上品そうなお婆さんの顔を崩して、ただ楽しそうに笑っていた。
「ぶぁぁぁぁーか!そんな小さい小石をなげて渦が消える訳がないわあああ!」
豹変したマキエさんに、私は尋ね返す。
「この渦は止められないって事ですか?」
「渦は止まるさ、お前さんを飲み込んでね。人一人を移動させるのにも大量のエネルギーが必要なんだ。お前を移動させたら消えるってわけよおおお」
そして私は渦にのみ込まれた。
飲み込まれる直前、私のマキエって名前は『撒き餌』から取ってんだよ!時間の渦に食わせる物を集められるようにってね、いいセンスだろう?
そういうマキエさんの言葉を聞きながら、気を失った。
次に私が目を覚ました時、今は見ない活気づいた商店街。ノイズ混じりのラジオが街中に流れているのを聞き……私は悲鳴を上げた。
ありがとうございました。