第77話 ノン・フィニート
にわかには信じられなくて、アダムは頭の中で必死に別の結論を探っていた。
そんなことあるはずがない。だってシャルルはエリオとカヴィロの大切な同士なのだから。
身動きが取れないまま、目はヴルーベリのひたすらに動く口元に向いている。ずっと何かを喋っている。ちらちらと注がれる視線の先にシャルルがいるのはただの偶然で、誰も知らないはずの絵画がこうして会場に運び込まれたのもきっと泥棒のせいで、そいつらはたまたま窓から中を覗いたかなにかで、匿われようとしているらしい絵画を見つけたのだろう。きっとそうだ。全ては偶然なのだ、そうに決まっている……。
言い聞かせるように展開する思考とは裏腹に、アダムの頭の中を様々な映像が流れてゆく。
初夏の青空の下。まだ青いままのひまわりの花畑のふもとで、偶然すれ違った懐かしい顔ぶれ。夜の街角。笑顔で酌み交わした酒の味。それよりもずっと昔、色褪せた路地裏。汚れたつま先から顔を上げると、その先には三つの大きな背中があった。時に議論し、時に笑い、そんな肩を並べて楽しそうに語りあう大人たちの姿が。
いつから。
いつから彼は――。
苦いものが喉の奥で滲んだ。
分かっている。
裏切ったのは、彼だ。
「どうしてだよ……」
喉から絞り出したようなアダムの声は、ほとんどがヴルーベリの声に掻き消されてしまっただろう。しかし、受け取るべき男はしっかりとその声を聞き取って、アダムへとつま先を向けた。
「絵画の不法所持は一年以上の有期懲役又は一〇〇万ユーロ以下の罰金」
突然何を言い出すのかと、アダムは相手の顔をじっと睨んだ。
「世界法律に新しく組み込まれた項目だ。ちょうどエネルギー価格が高騰したのと同じ一ヶ月ほど前のことだったと思うが。ニュースで何度も取り上げられていただろう。知らないとは言わせないぞ」
と、シャルルは畳み掛ける。
「なんだって、シャルル君」
ぴたりと喋るのをやめ、ヴルーベリは臨戦態勢にはいった大蛇のように首を長くすると、アダムをいやらしく睨めつけた。
「誰がなにをしたって? こいつらが、この絵を、匿おうと?」
「違いますよ」
笑いながら、意外にもシャルルはぴしゃりと反論した。
「昔アトリエとして使っていた家でたまたま見つけたんです。さすがに驚きましたよ。エリオがこんな絵を描いてるなんて、誰にも知らされていなかったんですから。第一匿う理由なんてないでしょう。こんな、法律を犯してまで――そうだろう、アダム?」
問いかけと共に向けられた視線の真意がアダムには分からない。たまたま見つけただなんて白々しい嘘を放つなんて。と考えて、アダムはハッとする。
――脅しているのだろうか?
嘘を強要されているのだと思うと、また胸が熱を孕む。
「……だけど、エリオの意思は」
「意思?」
「とぼけんな。エリオはあの絵をエネルギーに換えるつもりなんてなかった。シャルルだって見ただろ!」
「本人から直接聞いたわけじゃない。それに、失踪しているんじゃ確かめようもないだろう」
アダムは絶句した。思わず飛び出そうとした体を、警備の男が力を込めて抑えてくる。するとヴルーベリはひどく驚いた様子で「失踪?」と訊き返した。
「エリオ・グランヴィルは失踪しているのか?」
「ええ、実はそうらしいです。我々も数日前に知ったのですが」
淡々と説明するシャルルの背中をベルは力の限り睨みつけた。誰が裏切ったのかを明白に理解したからだろう。
ヴルーベリは初めて耳にしたと言わんばかりに大袈裟に声を荒げている。なんて白々しいのだろう。アダムは憤怒しかけたが、ふと眉をひそめた。なんだか様子がおかしい。伺っていると、どうやら彼は本気で驚いているようだった。
『模倣犯の可能性もある』
シャルルの言葉がふいに蘇る。
まさか。だがもしかすると、本当にルーヴルの仕業ではないのかもしれない。
だったらエリオはどこに行ったのだろう。
ひまわり畑にいたシルクハットの男は誰だ?
「アダム、カヴィロ」
考えを巡らせていたら、ふいに名を呼ばれた。アダムは顔を上げる。シャルルがじっとこちらを見ていた。
「果たしてこの絵画をエネルギーに換えないことが、エリオの望むことだろうか」
「あ……」
たりまえだろ、と言いかけてアダムは口を噤んだ。カヴィロの、何かに耐えているような横顔を見てしまったから。その瞳の深く深いところに、濁った絵の具のような、様々な葛藤を垣間見てしまったからだ。
「自分の愛する娘と親しい女性が罪を被って、苦労する人生を歩むことを望むとでも?」
鋭い視線を受けて、アダムの中の全てが霧消した。頭の中で考えていたことも、口の中の言葉も。
間違っていたのはどちらだったのか。
そんなの、考えるまでもない。
アダムは静かに顔を伏せた。
*
ついに会場を追い出されてしまったアダムたちは、ヴィヴァリオの石畳をうつろうつろ歩いていた。
「やっぱり信用するんじゃなかったわ」
赤く腫らした目を擦りながら、ベルは苦々しげに呟く。今更憎まれ口を叩いたところで絵が返ってくるわけでもないけれど、そうでもしないと彼女は正気を保っていられないのだろう。
「だが、シャルルはお前たちを守ったんだ」
「そんな訳ないでしょう」
カヴィロの言葉をベルははね飛ばす。
「あの人があの絵を持ち出していなければ、エリオの絵が一枚残っているなんて、きっとばれなかったもの」
「あら、そうかしらね」
会話に割り込むようにして異論を唱えたニコラスを、ベルは訝しげに見つめる。
ひゅ、と風が吹いて、吊るされた糸から外れた小さなフラッグが空に舞った。
「新しく法律が制定されたでしょう。そうなると家の中を捜索して絵画を押収することが『公的』に可能になる。今一番エネルギー還元率の高い絵を描く画家は誰?」
「……エリオよ」
「そう。私たち、あんまり危惧していなかったけれど、そうなると真っ先に調べられるのは還元率の高い画家の家だと思わない?」
ベルが何か口にする前に「そこに絵があるかないかは関係なくね」と口早に付け加える。
「きっと親しくしていたアンタの家にも手が入る。額縁なんかに絵を入れて飾ってようものなら、それこそ言い訳なんて利かないでしょうね」
ベルはひどく傷ついたという顔をした。咄嗟に顔を背け「でも」と口ごもる。
「だったらそう言ってくれれば良かったじゃないの。そうしたら私だって飾ったりしなかったわよ。どうしてあんな強引に……せっかくエリオが描いてくれた絵なのに」
ベルの目にはまた涙が溜まっていた。コニファーは心配そうに彼女を見上げると、スカートの裾にぎゅっとしがみついた。ベルは涙を拭った。そして、大丈夫よ、ごめんねと何度も呟きながら少女を抱きすくめた。
「さっきは助けたって言ったが、実は嘘だ。結局のところあいつの真意は誰にも分からない」
ややあってそう呟くと、カヴィロは空を仰いだ。
「ただ信じたかっただけだ。ずっと一緒にいた、家族みたいなもんだからな」
見つめる先を追って、アダムも空を見上げた。
雲一つない透き通った青空を、左右に裂くように一羽の王族鷲が飛んでいる。そこへ横からもう一羽、鷲が飛んできた。縦と横。ちょうどクロスした瞬間にぶつかりそうだった。あ、と思っていると、二羽はぶつかることなく下と右、バラバラの方向に飛び去っていった。
おそらく飛空の高さが違ったのだろう。
「嘘かもしれないものを自分の気持ちひとつで信じることは、逃げてるってことなのかな」
ニノンも同じように空を見上げていた。それは聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だった。アダムは少しだけ横目で少女の顔を伺い、またすぐに上を向いた。
人の目は、空の厚さまで把握することはできない。根を張った草のように、同じ場所から見上げてるばかりでは平面しか見えなくて、だけど脳はそれが正しい姿だと認識する。
「信じたいものを信じきる勇気があれば、人はもっと強くなれるのに」
それきりニノンは黙ってしまった。まるで自分に言い聞かせるような言い方だった。
時には人の心も目のように単純であればいいのに、とアダムは思う。
「……カヴィロは良かったのか?」
思いきって、アダムは気になっていたことを口にした。
「今回の展覧会。ほら、その、全てを手放すみたいな感じになっちまってさ」
あんな騒動を起こしたのだ。きっともうアトリエは続けられないだろう。
ああ、とカヴィロは見上げていた顔をこちらに向けた。
「いいんだよ。どのみち続けてなかった。続けていたとしても、ずっと悩みながら生きてただろうな」
今はずいぶん気分がいいと、カヴィロは笑った。
「お前は大丈夫なのか、アダム」
「俺?」
一瞬考える素振りを見せ――だがすぐに、
「くそくらえだぜ」
太陽の日差しも霞むくらい力いっぱい笑ってみせた。
どこからともなく平手が飛んできて、アダムの後頭部をパシッと掠める。振り向けばニコラスが盛大にため息をついていた。「まったく、心配させるんじゃないよ」と、呆れたように言う彼の表情は安堵に満ち溢れている。
「お前はもうちょっと賢く生きろよ」
「カヴィロには言われたかねーよ!」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくる大きな手を振り払い、アダムは首を捻って後ろを振り返った。大通りの続く先に、視界の横幅いっぱいに広がるロマネスク様式の建物が見える。引き返せば辿り着ける距離なのに、どうしてか蜃気楼のように霞んで遠い。
冷めた熱気をはらんだ風が町を抜ける。いつの間にか蝉の声も、もうずいぶんと落ち着いてしまっていた。
きっと夏も終わりに近い。
たったひとつの選択で、人生を棒に振ったのかもしれない。あっという間に終わってしまった最初で最後のサロンを思って、アダムの足取りは自然と止まった。
だけど、成功と正しいは違う。
正解と幸福もきっと違う。
他人が他人の選んだ道の先にある幸せを推し量ることなんてできないのだから。
アダムは肩掛け鞄から紙袋をひとつ取り出して、コニファーの前にしゃがみ込んだ。そして、その紙袋を何も言わずに差し出した。そっと紙袋を受け取ると、コニファーはこてりと首を傾げた。
「これなぁに?」
「開けてみな」
促されるままに袋を開く。中から出てきたのは――
「本?」
「絵本って言うんだ」
えほん、と繰り返して、コニファーはパラパラとページをめくった。
小さな女の子がひまわり畑に立っていた。手を振って、目の前の男の人に別れを告げている。字はひとつも見当たらない。ただ淡くて優しげな絵が広がるばかりだ。
次のページをめくれば女の子は一人になっていた。次も、その次も、めくってもずっと女の子は一人でひまわり畑に立っている。だけどその傍らにはキツネがいたり、とんぼがいたり、飛んできた落ち葉がいたりした。うららかな春の陽射しの中も、雪のしんしんと降る冬の日も、女の子は独りではなかった。
やがて一人の女性が女の子の肩を抱いた。
そうして最後のページの端っこには、ブルーのギンガムチェックの裾と手が覗いていた。余白の向こう側を満面の笑みで見つめる女の子。
「パパが帰ってきた!」
ぱっと顔を上げたコニファーは、絵本の女の子に負けないくらいの笑顔だった。
「アダムちゃん、ずっとこの為の絵を描いてたんだね」
「モデルにしたいって、あの展覧会に出した絵のことだけじゃなかったのね」
ニコラスとベルは並び立って、何度もページをめくるコニファーを見つめた。
「本当に描きたかったのはこっちだよ。絵画じゃないから奪われることもねぇし。な、コニファー。お前は俺の一番はじめのお客さんだぞ」
「ありがとう、アダムお兄ちゃん!」
喜ぶコニファーを絵本ごと抱え上げて、アダムは柔らかい頬に顔をこすりつけた。
仲睦まじい彼らを微笑ましく見守っていたニノンは、ふとサロンの会場になっていた建物に目をやり、それからそわそわと身じろぎをしだした。
「どうしたの?」
様子に気付いたベルがニノンに問う。
「うん……あの、ルカがなかなか出てこないなって。あの騒動の時からか分からないけど、いつの間にか居なくなってたの。どこにいっちゃったんだろう」
言いながら、ニノンはきょろきょろと辺りを見渡した。
ほとんどがサロンに参加しているせいか、町の大通りは閑散としている。時折町の住民が通り過ぎる程度で、ルカの姿は見当たらない。
「私、ちょっと探してこようかな」
と、ニノンが引き返そうと踵を返した時だった。
「コニー、ルカお兄ちゃん見たよ」
「え――本当?」
ニノンは側に駆け寄ると、コニファーの瞳を覗き込んだ。
「会場で見たの?」
少女は首を横に振る。
「あっちに歩いていったの」と、コニファーは人差し指を展覧会場から町の出口に向かってすっと動かした。「黒いふくの、おぼうしかぶった人といっしょに」
「黒い服……帽子……」
ぼそりと呟いたニノンの言葉にアダムもはっとする。
「それって――」
振り返ると、ニコラスも同じように顔を固まらせていた。
ひまわり畑にエリオを迎えに来た男。あれは確か黒いスーツの、帽子を被った男ではなかったか。
「ねぇコニファー。私をそこに連れて行ってくれない?」
ニノンの顔は引きつっていた。
漂う不穏な空気を感じ取ったのか、コニファーはしばし彼女の顔を見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「まかせて。コニーがあんないしてあげる!」
コニファーは身軽にアダムの腕から抜け出すと、ジャンプして地面に着地した。「あ!」と小さく声をあげている間に、二人はもう走りだしていた。
*
建ち並ぶアパルトマンを通り過ぎ、町中を抜ける。ミュラシオルへと続くいくつかの門のうちのひとつを、ルカは見知らぬ男と共に出て行ったのだとコニファーは言う。
途中で息の切れたコニファーをアダムに預け、ニノンは駆けた。いつしか石畳の道は終わり、足元では土埃が舞っていた。
鼓動よりも速く脚が動かないことを煩わしく思いながら、ニノンは懸命に腕を振る。やがて町の外れの草原に出た。
杞憂であってほしい――だが、その目は生い茂る草の向こうに、広がる景色とはおおよそ不釣り合いな物体を捉えた。
「なに、あれ……」
金属質の黒いボディ。ヘリコプターほどの大きさで、回転翼こそないが、おそらく空を飛ぶ為の機械なのだろう。翼を広げ大空を旋回する鳥の姿によく似ている。
と、その時、機体に向かって歩いている人影が見えた。黒いスーツに黒いハットを身につけた男――が、脇に抱えているのは、だらりと腕の垂れた少年の体。
「ルカ!」
叫び声に、男は首だけを捻ってこちらを見た。その顔を見た途端、ニノンは驚きに足がすくんでしまった。
「あ……あなたは……」
薄く笑ったその顔が、見知った顔によく似ていたのだ。ニコラス・ダリの顔に。
髪型こそ違えど瓜二つのこの男こそ、ニノンが探していた『ダニエラ』に違いない。
そうしている間にも、ダニエラはルカを抱えたまま扉を開けて待っている機体に乗り込もうとしていた。
「ルカをどうする気なの!」
「大丈夫。あの方がお話したいだけだから」
「あの方……?」
問いかけに答えることはなく、ダニエラは人形を扱うようにルカを後部座席に放り投げた。それから素早く自身も機体に乗り込む。同時にドアが音を立てて閉まった。
「ま、待って!」
ニノンは駆け出そうとした。
だが、誰かに腕を掴まれ、後ろに思いきり引っ張られた。
「ル――」
次の瞬間、前方から凄まじい熱風が吹き荒んだ。咄嗟に庇おうと顔を覆った両手ごと引き寄せられ、抱きしめられる。熱さを感じたのは一瞬で、それは誰かが庇ってくれているからだった。
ガバッと顔を上げれば、金髪の少年の怒ったような顔が飛び込んできた。
「バカ! なにやってる、危ないだろ!」
「ジャック! 離して、ルカが」
「もう遅い!」
「でも――!」
ジャックの腕の中でがむしゃらにもがき、ニノンはそれでも必死に叫び続けた。
舞い上がる草の遥か向こう、もう空のずいぶん先の方に、黒い点になりゆく物が見えた。それはどんどん遠ざかり、やがて見えなくなった。雲ひとつない青空を汚すものはなにもない。
ひどく酸素が薄い。ニノンは掠れゆく視界の片隅で、必死に青空に手を伸ばした。「――い、――……ノン!」ジャックがなにか叫んでいるが、その言葉すらよく聞き取れない。
まどろみの中で、ふと懐かしい声がした。
――また会えるんだから、さよならじゃないだろ。
あれはいつのことだっただろう。
ずっと昔のことのようにも、ほんの数日前のことのようにも思える。
そうしてニノンは夢を見た。
真っ暗闇の中、逃げるようにして走っている夢だ。
振り返れば高い丘の上で、ごうごうと真っ赤な炎が燃えている。暗闇の中で炎は、世界中の光をぎゅっと集めたみたいに力強く光っていた。こんなにも離れた場所にいるのに、燃え盛る炎の熱を受けて頬はほんのりとあたたかい。
ぼうっとしているとすぐさま誰かに手を引かれ、その場を後にする。
気がつけばそこは薄暗い森の中だった。
手を引く誰かが前を行く。
草むらに潜む虫の鳴き声、時折聞こえるギャアギャアといった鳥類の叫び声以外だと、二人分の足音しか聞こえない。それもめちゃくちゃに乱れた足音しか。
ニノンは自身の心が恐怖でいっぱいだったことを思い出した。どうしてなのかまでは思い出せないが――
ふと足が止まる。ニノンは手を引いてくれた人の――少年の促されるままに、その先へ連れられた。辺りはすべて真っ暗闇で、力いっぱい目を見開いてみても、光の欠片すら見つけられない。
『ねぇ、どこ、どこにいるの』
伸ばした手を、少年はすぐに握ってくれた。
『大丈夫。俺はここにいるよ』
それだけで心に小さな火が灯るようだった。
彼の声を聞くだけで、ニノンは安心することができた。
目がだんだんと暗闇に慣れてくる。目の前の少年の輪郭がぼんやりと見えた。そこで感じた違和感。
『どうしたの……?』
なにが、とは少年は問い返さなかった。
どうしてそんな、さよならをする時のように、悲しい顔をしているのだろう。
少年は小さくため息をついたようだった。
『疲れただろ。少し眠ろう。見張っておいてあげるから』
『……いなくなったりしない?』
『ニノンを置いて逃げるわけないだろ』
『それは、信じていいの?』
『今まで俺が嘘をついたことがあった?』
ニノンは小さく首をふった。
それに満足したのか、少年は少しだけ笑顔を浮かべた。
ひんやりとした台の上に横になり、ちらっと少年を見上げた。暗がりの中でも分かる、深くえぐられた傷を隠しているような、そんな不器用な表情をしている。
『もう誰かとさよならするのはいや……』
『また会えるんだから、さよならじゃないだろ』
おやすみ。そう言って頭を撫でる少年の言葉を、信じようと思った。そうしなければもう、すがるものが何もなかったから。
だからニノンは静かに目を閉じた。
『おやすみ――ルカ』
〈第八章 孤独に咲くひまわり・完〉
 




