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コルシカの修復家  作者: さかな
8章 孤独に咲くひまわり
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第63話 ベルナールの騎士団

 照り返す日差しを避けるために、四人は家の中に移動した。

 ニノンがジャックの為に用意してやったのは、肘掛付きで革張りの、この部屋ではいちばん立派な椅子だ。一応客人だからと気を回してのことだった。しかし当の本人は当たり前のように椅子に腰掛けると豪快に足を組み、眉を吊り上げ、挙げ句の果てに「埃っぽい椅子だな」などと文句を吐いた。彼の後ろ手に召使のように佇んでいたロロが眉尻を下げながら視線だけでこちらに謝罪をする。

 吐き出しかけた小言を一思いに呑み込んで、ニノンはふんぞり返る小さな王様を精いっぱい睨みつけた。


「そんなに睨むな、寵愛姫(ファボリータ)。俺はお前の騎士(カヴァリエーレ)だぞ」

「なにそれ、意味わかんない」


 口先を尖らせてみても、ジャックはにやにやとするばかりだ。痺れを切らしたニノンは優雅に腰掛ける男に詰め寄った。

「それより詳しく教えてほしいの。私のこと――ベルナール家のこと、知ってるんでしょう?」

 その途端、ソーダ色の瞳がにっと三日月の形に細められた。

「ならば訂正しようじゃないか。正しくは『騎士(カヴァリエーレ)』ではなく『騎士団ガルディア』だと」

「ガル……?」


 耳慣れない言葉にニノンはぎゅっと目を顔の中央に寄せる。ジャックは両手を組んでその上に顎をのせると、そんなルカとニノンの顔を交互に眺めた。


「アンデルセン、ゾラ、ボルゲーゼ、フェルメール、オーズ、ダリ、道野……他にもたくさんの同志がいる。俺たちの使命はベルナール家の末裔を護ることであり、またベルナール家の意志を継ぐことで――」

 と、そこまで言ってジャックはひどく驚いた顔をした。

「お前、本当に何も知らないんだな」


「え?」と呟いたニノンの小さな疑問は、しかしすぐに静寂の中に溶けていった。試すような視線を向けられたのが、ニノンではなくルカだったからだ。


「知ってることもある」

 珍しく、拗ねるような口ぶりでルカは言った。

 ベルナールの末裔を護ること、コルシカ島に隠された絵画を探し出し守ること。光太郎にそう告げられた時、ルカはいつも以上に真剣な眼差しで父親の言葉に頷いていた。きっと、常に笑いながら話をする父親が、その時だけは違う顔をしていたからなのだろう。


「俺も父さんからベルナールの末裔の子を護るように言われてる」

 言いながら、ルカは傷だらけの指輪を親指の腹で撫でた。

「それだけじゃない。この島に眠っている『破られてバラバラになった絵画』を探す役目も譲り受けたんだ」

「絵画?」

 ジャックは不機嫌そうに首をひねる。そうしてしばらく唸っていたのだが、結局よく分からなかったのか「心当たりはないな」と興味なさげに呟いた。

 それを聞いて今度はルカが眉をひそめた。


「父さんから預かった絵画の在り処を記した手紙に、所持者の名前が書いてあったんだ」

 頭の中で光太郎の手元にあった手紙の文面を思い出してみる。くたびれた便箋。几帳面さの伺える綺麗な文字。羅列された文章の中に並ぶ、聞いたことのある名前――


「『ゾラ』、『フェルメール』、『ボルゲーゼ』。あんたが今さっき口にした名前だよ」


 レヴィに眠る一枚目の絵画を奪われた翌日。仮面の男に刺された腹を包帯でぐるぐる巻きにした光太郎が、ベッドの上で広げてみせた一枚の地図。島の四箇所に記された●は絵画が眠る町々を表しているという。そして、手紙の中には確かに町の名前と共に所有者の名が書き留められていた。

 どこか遠いところを見つめたまま、ルカはうわ言のように綴られた文章を口にした。


 ”道野がレヴィにて、ゾラがフィリドーザにて、フェルメールがコルテにて、ボルゲーゼがカルヴィにて。

 最後の楽園を示した絵画を、善意なきものの手に渡してはいけない。

 それは主の愛する最たるもの。

 それは主の捨てられぬ夢の跡。”


 後ろの方で、うろたえた拍子にロロが床に転がるブリキのバケツを蹴飛ばした。慌ててバケツを抑え込んだので、カラカランと少しだけ響いて音はすぐに止んだ。

 静寂。微動だにしない二人の視線のせめぎ合いは、少しでも擦れば発火しそうなほどの緊張感に包まれている。ややあって張り詰めた空気の隙間を縫うように、ジャックはため息にも似た笑いを漏らした。


「専門外だな」

「え?」

 ぴく、とルカの片眉が動く。

「絵画はお前たちの分野だと言ったんだ」


 やれやれと大げさに肩をすくめたかと思うと「いいか」とジャックは人差し指でこちらを指した。


「俺たちは『かの家の末裔を護る』という具体的な目的を共有しながらも、各々が得意とする分野で――アルチザンとしてベルナール家の意志を継いでいくことを目指してるんだよ」


 少年の右手薬指に鈍く光る何かがあった。はっきり見なくても分かる。あれは〈ベルナールの指輪〉だ。それは忠誠の印だと、いつかの車の中でニコラスが言っていた。ダリの姓を持つ者と、道野の姓を持つ者が所持するくすんだ鈍色の指輪だ。

 隣でルカが驚いたように息を詰めているのが分かった。


「お前に絵画探しの命が下ったのは、お前が絵画修復家というアルチザンだからだ。おそらくな」

「じゃあ、アンタは、ジャックは一体――」

 その問いかけを遮るように、ジャックは音をたてて椅子から立ち上がった。

「言っただろう、俺は科学者だと。俺のアプローチは芸術じゃないんだよ。そんな曖昧なものよりも分かりやすい、もっと形のはっきりしたものさ。もっとも、今の世に溢れる絵画だの美術品だのがはたして『芸術』と呼べるのかは(はなは)だ疑問だがな」


 ジャックは喉の奥でくっくっと笑いを漏らした。いやらしい笑みを顔にへばりつけたまま、少年は演技めいた足取りでゆっくりとこちらに近づいてくる。


「ねぇ、どうしてみんな、ベルナール家の末裔を護ろうとするの?」


 ニノンは声が震えないように注意を払いながら、慎重に尋ねた。尋ねてから、少しだけ後悔した。ベルナール家は世界を牛耳っている王というわけではない。『末裔』というからにはむしろその逆で、存亡の危機に瀕してさえいるのだ。そんな一族を、彼らが執拗に護衛すると主張する理由がわからない。

 だからこそ、その先の答えを知るのが恐かった。

 蒸されて淡く光る空気の向こうに心配そうなロロの顔が見える。ニノンは彼から目を逸らすように俯いた。


「それは、ひとえに我らがベルナール家の恩恵を受けていたからだ」

「恩恵?」


 ニノンは顔をあげた。窓から差し込む光が眩しい。反射的に手で光を遮ると、鼻で笑う男の声が聞こえた。

「そう伝え聞いている。ベルナール家の偉大なる恩義の元、生きてきたのだ、俺たちは」

 ジャックはニノンの前を横切り、ルカの前で立ち止まると、身構えるルカの右手をすくい上げた。


「そう――お前もだよ、道野ルカ」


 目線の高さまで掲げあげられた指先に、鈍色の輪がにぶく光る。何十年と刻を渡り、今なお在るべき者たちの手の中で輝く忠誠の証を主張するように。


「知らないと言うのなら、知るべきだ。だがそれは俺の役目じゃあない。お前の父親の役目だ」


 ジャックの指がルカの薬指にはまる指輪を撫でる。その手を振り払って、ルカは右手を自身の左手で隠すように握りしめた。ジャックの笑い声が室内に響く。

 その途端、目頭の辺りがカッと熱くなったのをニノンは感じた。あっと思った時にはもう声を張り上げていた。


「そんなの、知らないんだもん。仕方ないよ。笑わないでよ」


 声は思った以上に室内に響いた。ジャックはぴたりと笑うのをやめて、目線だけをじろりとこちらに向けた。

 だめ。だめだよ。頭の隅で鳴っている警告音は、しかしなんのブレーキにもならない。顔のすぐ裏側で熱がむくむく膨らんで、抑えきれないそれらは言葉となり、次々と口から溢れ出てくる。


「当たり前のことのように言われたって、私たち分かんないよ。知らないものは知らないんだもん。古い約束が重荷なら、私のこと護ってくれなくたっていい。そんな責任押しつけたくない」

「に、ニノンさん、落ち着いて……」

「落ち着いてるってば!」


 余裕のない声でそう叫んでから、ニノンははっと我に返った。宥めようとしてくれていたロロは肩をすぼめて小さくなっている。彼は何も悪くないのに。「ごめんなさい」と小さく謝れば、ロロは目尻を垂らして「いいんです」と笑った。


 分かっている。これはただの八つ当たりだ。

 一番何も知らないのは自分だと、ニノンは思う。彼がついぞ挙げた、忠誠を誓ったであろう人物の名前に聞き知ったものはそう多くはない。事の中心にいるはずなのに、なにも覚えていないのだ。

 なのに忠誠を誓うだとか、恩義があるだとか、周りには身に覚えのない敬仰が渦巻いている。知りたいのに知ることができない。どこかに忘れてきてしまった記憶を取り戻したいと思えば思うほど、焦燥感に視界が曇る。

 目に見えない重圧に、知らぬ間に心をぎゅっと掴まれていたのだろうか。だからこんなにも息苦しいのだろうか。


「重荷だなんて誰も言ってないじゃないか」

 そう、誰も言っていない。ただ自分が思っていただけ。何も言い返せないまま、ニノンは下唇を強く噛んだ。辺りをうろうろしていたジャックは、今度はニノンの前で足を止めた。そうしてこちらの顔を覗き込むように身を屈めると、聞いたことのないような優しい声で囁いた。


「お前、記憶を失くしているんだろう」

「……え?」

 どうしてそれを、と問うより先に「ロロから聞いたぞ」とジャックは言った。

「もしも俺の研究に協力してくれるなら、お前の記憶も蘇らせることができるかもしれない。過去が霞んだままの人生なんてもう飽き飽きだろう?」

「そ、それは、そう……だけど」


 口ごもっている間に、ジャックは流れるような手つきでニノンの左手を取った。そのまま恭しく屈み込み――


「俺たちの思いは義務じゃない。好意と思えばいい。さぁお手を、我らのファボリータ」


 ジャックはニノンの手の甲に口付けした。

 ぎょっとして二人を見つめるルカとロロ。顔を真っ赤にしたまま口をぱくぱくさせるニノン。触れられている手のひらが燃えるように熱い。熱が顔じゅうに伝染して内側から燃えているようだ。嫌なのに、泳ぐ視線を美しい水色の瞳から逸らすことができない。

 この人、手に、手にキスを――


「一体どちら様だ!」


 いきなり、張り詰めた沈黙ごと蹴破らんばかりの勢いでドアが叩き開けられた。一同は一斉に扉の方を向いた。いからせた肩。オレンジ色の派手な髪。

「アダム!」

 男は勢い任せに部屋に踏み入るなり、少女に迫っているように見える少年に「おい!」と叫んだ。


「なにやってんだてめぇ。ニノンから手ェ離せ」

「なんだよ、うるさい奴だな。お前コイツの何なんだ?」

「なんでもいいだろが。とにかく離れろっつの、怪しい野郎め」


 鼻から長いため息を吐いた後、ジャックはぱっと両手を挙げて降参のポーズをとった。解放されたニノンの頬は未だに熟したスモモのように赤い。しかしすぐに我に返ったのか、慌ててルカの背中に隠れ込んだ。


「ちょっとアダムちゃん、ドアが壊れでもしたらどうすんだい」

 呆れた声がドアの外からして、すぐにニコラスが後を追って姿を現した。

「いんだよ、そんなもんは。どうせもう誰も住んでねェ家なんだから――あ?」

 ぐるりと辺りを()めつけていたアダムだったが、ふとある一点を見つめ間の抜けた声を上げた。どうやら見知った顔を見つけたらしい。


「メガネじゃねぇか」

「メガネじゃなくてロロですよ!」

 機敏に突っ込みながらもロロは双方にお久しぶりですと頭を下げた。どうも、とニコラスが会釈を返す。


「お前こんなところでなにしてんだ?」

 アダムは興味なさげにぼりぼりと頭を掻いている。

「なにって、研究ですよ、研究。僕らはあなたたちを探してたんです」

「あ? なんで?」

「だから、それを今からお話ししようと――いたっ!」


 気がつけば前へと出張っていたロロの癖っ毛を、ジャックが後ろから思いきり鷲掴んでいた。ジャックはそのままロロの体を傍へと押しやった。押される間際にちらりと彼の様子を伺い見たロロはぎょっとした。またもや不機嫌な顔をしている。


「ち、ちょっと、駄目ですよ、ジャック」

「ええい、うるさい」


 顔を青くさせながら必死に纏わりつくロロの体を、ジャックは邪魔くさそうに引っぺがしていく。


「回りくどく頼むのは性に合わないんだ。おいお前、もう一度言うぞ。さっさと俺の実験体になれ!」

「な……っ」


 びしっと眼前に突き立てられた人差し指に、ニノンの頬がひくりと引き攣った。少年のすぐ側で頭を抱えるロロの姿が視界に映る。

 先ほどまでの紳士的な振る舞いとは全く違う。あんなに恩義だの忠誠だのとのたまっていた男が、なんて傲慢で身勝手な態度をとるのだろう。こちらが本性なのだろうか。だとすればこれほど腹立たしいこともない。


「聞こえなかったか? 俺の――」

「い、や」

 一文字一文字に最大の嫌悪感を込めて、ニノンは言いきった。途端にジャックの眉間にしわがいくつも寄る。

「……なんだと?」

「絶対、いや!」

 と、繰り返してやった。

 今度はジャックの頬がひくひくと引き攣る。

「お前、記憶を取り戻したくないのか?」

 なおもそんなことを言ってくる男を一瞥して、ニノンはルカの手を引っ張りながらアダムとニコラスのもとへ駆け寄った。


「この人たちと探すからいいんだもん。君の手は借りないし、実験にも参加しない」

 三人の影から顔だけを突き出し、ニノンはべっと舌を出した。


「この女……!」

 途端にジャックが何事かを喚き始めた。すぐさまロロが彼を羽交い締めにし、そのままずるずると玄関口の方に引きずっていく。

「おい凡骨、手を離せ!」

「あーもう、アンタはどうしてそうカッとなっちゃうんですか。とにかく今日は駄目です、撤収しますよ。また後日来ましょう」

「交渉が決裂するだろうが、邪魔するな!」

「誰のせいですか!」


 ジャックは最後まで騒いでいたが、要求は果たされることなく二人の姿は坂道の向こうに消えていった。道の先にはヴィヴァリオがあるが、今から宿でも取りにいく気だろうか。ロロはまた後日と言っていたが、正直もう来なくてもいいとニノンは思った。


「あの子ら一体なんだったんだい」


 二人の消えた先をぼうっと眺めながらニコラスがぽつりと呟いた。ニノンは「知らない」の一点張りで、難しい顔をしながら濃い青色の空を意味もなく睨みつけている。


「アガルタの一員だって言ってた」

 代わりにルカが答える。

「アガルタって。そりゃ地下に眠る王国があるって都市伝説の〈都市〉の名前だろ。はぐらかされたんじゃねーの」


 笑いを含みながらそう言ってのけた後、はっと息を飲み、アダムは思い出したように口を引き結んだ。しまったとでも言いたげな表情をしている。ルカは少しだけ目を見開いてアダムの様子を伺っていた。それを視界で捉えながらも、アダムは不自然に視線を逸らしたままだ。ニコラスとニノンはじっと二人を見守った。


 じとりとした室内に少し強めの風が吹き込んだ。なんとも言えない気まずさを窓の外に向けていたのだろうが、観念したのかアダムはちらりと視線を隣の少年に向けた。ん、と応えるようにルカは首を傾げる。


「……今夜、時間空けろよ」

 アダムは口早にそれだけを言い残し、返事も待たずにすたすたと家を出て行ってしまった。それはひどくぶっきらぼうな物言いだったが、彼なりの精一杯の言葉だったのだろう。

 呆然と去りゆく背中を見送っていたルカは、随分してから「ああ、うん」とだけ呟いた。

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