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コルシカの修復家  作者: さかな
8章 孤独に咲くひまわり

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第61話 ジャック・アンデルセン

「だいたいエネルギー価格が高騰しているタイミングでヘリを飛ばさなくたっていいじゃない」


 地上に降りてみれば、彼らの口論はまだ続いていた。

 側に立っていたロロと黒人の男が視線だけをこちらに寄越し、やれやれといった風に肩をすくめる。


「いいか、ウィン・ウェイクフィールド。考えてもみろ。優先されるべきははたして経費を抑えることか?」

「大事なことよ」

「『大事なことよ』」

 ジャックは撫でるような裏声を出した。真似事のつもりなのだろう。すかさずウィンが睨みつける。

「確かにそうだな。が、しかし、それは最優先事項ではない。周知の通りだが、俺たちが目指すのは――」

「あのねぇ、うちに無限の資金があると勘違いしてるようだから言いますけれど、そんなことありませんからね。いくらルートが確保されてるからって資源は有限! 計画的に各分野で分け合って使わなきゃダメなの。分かるでしょう?」

 彼の顔の前にびしっとウィンの人差し指が突き立てられる。

「それを踏まえてのヘリだ」

 向けられた指をやんわりと押し退けながら、ジャックはにやりと口元を歪めてみせた。

「いいえ、違うわ。あなたはただ乗りたかっただけよ。その無駄に騒がしい音を立てる()()にね」

「このレトロ感、かっこいいだろ?」

「はぁ、呆れた。どの口がそんなこと」

「あの――」

「何!」


 ルカが口を挟んだ途端、二人の顔がバネのように勢いよくこちらを向いた。え、と口を開いたまま一歩後ずさるルカ。その肩越しにひょこりと顔を覗かせて、ニノンは威嚇する猫よろしく毛を逆立てた。


「降りてこいって君が言ったんでしょ」

「『君』じゃなくて『ジャック』だ。やっと降りてきたか、脱色症の女」

「『脱色症の女』じゃなくて『ニノン』」


 バチバチと火花が散りそうな程の視線に挟まれて、居心地が悪かったのだろう。さっとルカが身を引いた。二人を隔てるものは何もない。互いの視線は一層激しく、静かにぶつかりあう。


 もう一言何か投げつけてやろうとニノンが拳に力を込めた時。

「お前たち、もう帰っていいぞ」

 と、ジャックは右手をひらりと掲げて背に立つ仲間に声を掛けた。

「あとは俺がこの女と話をつける」


「え……は?」

 ニノンは思わず素っ頓狂な声をあげた。

「なんの話? 私は話すことなんて――」

 何ひとつない。そう言いかけたのだが、ものすごく申し訳なさそうな顔をしたウィンの手が肩にそっと置かれたので、ニノンは仕方なく言葉を呑み込んだ。


「ニノンちゃん、だっけ。ごめんね、あの人本当に態度が悪くって。後で私からもしっかり説教しておくから」

「あの、私、でも」

 彼と話すことなど本当に何もないというのに。謝られても困るのだ。口の中でもごもご言っているうちにウィンはもう一度だけ謝って、さっさとヘリの方へ戻っていってしまった。なんだかうまい具合にタイミングを逸らされてしまった気がする。


 バタンとドアの閉まる音を遠くで聞きながら、ニノンは不敵に笑う男を前にぐっと身構えた。ジャックは相変わらず高圧的な笑みを浮かべていたが、しばらくして「さて」と前置いた。


「お前にはひとつ、被験者として実験に参加してもらうぞ」

「ひけん……?」


 聞いたことのない言葉だった。だが、自分にとって良い話でないことは雰囲気でなんとなく分かる。良い話ならこんなに身構えた交渉など必要ないからだ。


「そうだ、脱色症に関する実験のな。周知の通りだが、脱色症について世間での症例は数えるほどしかない。症状の全容はおろか、原因・致死率・治療法、全てにおいて未だに解明されていないのが現状だ。それがあらぬ噂や迷信を引き起こす。――お前にも身に覚えがあるだろう」


 ジャックが試すような視線を寄越す。まるで鋭利な刃物で心をえぐられているような心地がして、気分が悪くなる。ニノンは逃げるように目線を下に逸らした。

 覚えている記憶の中にも、覚えていない記憶の中にも、もやもやとした感情がへばりついているのがはっきりと感じられる。アジャクシオの大通り、すれ違った子どもたちの無邪気な言葉。大人たちの物言わぬ視線。目が覚めてからはじめて『色ナシ』だと言われたのはその時だ。しかしニノンは既にその言葉の意味を知っていた。例え子どもたちがそういった意味で使っていなかったとしても、過去の記憶から呼び起こされた忌まわしい意味を思い出して、人知れず傷ついた。

 だからきっと、遠い昔、自分に向けられていた意識の中に悪意に満ちたものがあったはずなのだ。


 色ナシ。陽の光を浴びて脱色し、やがて死に至る病。


 胃からせり上がる気持ち悪さを必死に抑え込んで、まぶたを閉じ、ニノンは必死に深呼吸を繰り返した。

 頭の奥の方で古びたフィルムのような、ぼやけた映像がまばらに映る。

 そうだ。あれは確か、まだ自分が幼かった頃の記憶だ。口に手を充て、遠くからひそひそと噂話をする女性たち。気味が悪いと離れていく町の子どもたち。そしていつの日か通りすがる老婆に言われたのだ。人離れした髪の色は凶渦の予兆だと――。


「ちょっと待った。話が全然見えないんだけど」


 すぐ近くで声がして、ハッと顔を上げた。目の前には、ニノンを庇うように立ちはだかる背中があった。


「あんたたち、一体何者なんだ」


 ルカの問いを掻き消すように、ヘリコプターのプロペラがバラバラと回転し始めた。びゅっと強い風が吹く。千切れた草の欠片が空へ踊り、頬に垂れた髪の毛が舞い上がる。


「自己紹介がまだだったな。お前たちにはじきに協力してもらうのだ。隠す必要もあるまい」

「隠すって……知られるとまずい素性なのか」

 疑いを隠さないルカの眼を見て、ジャックは鼻で笑った。

「そう思うなら思ってくれて大いに結構」

「まぁ、考え方なんて人の自由だからな」

 今までのんびりと生あくびを噛み殺していた黒人の男が、やにわに相槌を打った。


「さて、質問に答えてやろう。我々は〈大科学国家・アガルタ〉の一員だ」


 風にはためく黒のベストを手で引き締め直し、ジャックは胸を張って言った。


 アガルタ?

 ルカは、そんな言葉は聞いたことがないという風に首をかしげた。国家というからには国なのだろうが、アガルタなど聞いたこともない。時間の合間を縫って様々なことを三人から教えてもらっていたニノンは、ヨーロッパの地図を頭に思い浮かべてみたが、近隣諸国にそのような名前の国は見当たらなかった。


「そんなに悩むなよ、少年少女。なにしろアガルタっつーのは、世界地図に載っちゃいないんだからな。知らなくて当然」

 黒人の男が大口をあけて笑った。

「それは、どういう意味――」


 ルカの言葉を遮るようにヘリのドアが勢いよく開いた。同時に早く乗れと催促するウィンの叫び声が聞こえる。

「エド、ロロも、帰るの、帰らないの、どっちなの!」

「おー帰る帰る、今から乗るよ」


 エドと呼ばれた大男は顎をあげて適当に返事をした。それからジャックに向き直り、

「てことで、俺は帰るわ」

 と軽く手を挙げた。


「――向こうに戻ったらあいつに伝えておいてくれ」


 両手をポケットに突っ込み、ぶらぶらとした足取りでヘリに向かっていたエドに、ジャックは思い出したように声を掛けた。エドは「ん」と首だけをまわして振り返る。


「『俺が帰るまで、代役を務めるように』」

 物凄く悪い顔をしながら、ジャックはヘリの方を顎でしゃくった。

「未処理の書類がおおよそ一週間分、ってとこか?」

「さぁな。見れば分かる」

「悪い顔だなオイ」

 エドは引き笑いを漏らす。そのまま「あーあ」とか「知らねぇぞ」などと呟きながら、何事かを叫んでいるウィンの元へ引き返していった。


「お前も早く戻れ」

 エドの背中を見送りながら、ジャックが足元にうずくまる男にぴしゃりと言った。押し寄せる波のような風が、波紋を描いて吹き続ける。ロロは答えず、顔を伏せたままじっとしているように見える。ニノンは、けたたましいヘリの音の中で耳をそば立てることに集中した。


「――いやです」


 それは、小さいけれど地を這うような声だった。ぴくりとジャックの片眉が吊りあがる。

 ロロはゆらりと立ち上がり、強い眼差しでもってこちらを見据えた。


「僕も関係ありますから。僕が、そして僕の師匠が追い求めた偉大なる発明の鍵を……この人たちは、握っているんですよ」


 偉大なる発明の鍵?

 彼は一体なんのことを言っているのだろう。ニノンは思ったが、頭に浮かんだ疑問が口をついて出ることはなかった。彼の瞳の中に、雲間に差す一筋の光を見たからだ。


「ここに留まる許可をください」

 ロロは自身の上司である少年に向き直り、懇願した。

 ジャックはしばらく考えるようにロロをじいっと見つめていたが、やがてニヤリと口元を歪めた。

「生意気になったな、ロロ。いいだろう。許可してやる。存分に調査し、成果に繋げるよう」

「あ……ありがとうございます!」


 九〇度になるまで体を折り曲げて、ロロは何度も礼を述べた。

 ヘリコプターは待ちきれずついに離陸し、けたたましい音を立てながら飛び立った。

 嵐のような人たちだった。この地に留まった嵐の目に一抹の不安を覚える暇もないくらい、頭の中はたくさんの疑問で溢れかえっていた。それに対する答えなど何ひとつ持ち合わせていない。竜巻のような強い風が吹き荒れる中、ニノンとルカは訳も分からぬまま手で顔を覆ってそれに耐えるしかなかった。

 そうしてしばらくした頃、ジャックがおもむろに一歩踏み出し、口を開いた。


「さて、話を聞いてもらおうか。ニノン・ベルナール・ド・ボニファシオ」


――彼は何と?

――今、私の名前を?


 その時、全ての風が凪いだ。

 見開いた紫色の瞳で、目の前の少年を凝視する。


「俺はベルナール家に仕えていたアンデルセン家の末裔――そして、アガルタの最高指導者、〈ジャック・アンデルセン〉だ」


 一際大きな風が吹いた。遥か高い空をゆく鷲が、声高く鳴く。止まっていた世界の景色がものすごい勢いで視界に戻ってくる。時が動く。どくどくと、心臓が血潮を身体中に巡らせる。


 その時ようやくニノンは気がついた。

 何かが――世界の裏側で、何かが動き始めているのだと。

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