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コルシカの修復家  作者: さかな
8章 孤独に咲くひまわり

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第50話 小さな訪問者

挿絵(By みてみん)


『mon amour……je t'aime……!』


 うだるような暑さをかき乱すように、車内のスピーカーから暑苦しい男の歌声が流れてくる。しかも男が謳うのは、情熱のこもった力強い愛だ。


「せめて涼しげな女の声にしてくれ」


 アダムは苛立ちまぎれに舌打ちすると、ラジオのチューナーを乱暴に回した。男の熱い想いが頂点に達する前に、ブチッと音を立てて音楽が遮断される。次に流れてきたのは落ち着いた女の声だった。スピーカーの向こう側で、機械のように黙々とニュースを読み上げている。


「アダムちゃん、女の声だけど」

「…………やっぱ暑ィわ」


 首筋を流れる汗を拭いながら、アダムは口をへの字に曲げた。


「そりゃあね。夏だもの」


 そう呟くニコラスもやはり汗だくで、アダムと同じく気温の高さに参っているようだった。


 季節は夏。車窓を流れる景色はすっかり緑の色を濃くした栗の木林だ。

 根元に広がる草むらに紛れて咲き乱れるヒナゲシの緋色(ひいろ)、矢車草の藍色(あいいろ)、マーガレットの純白。八月に差し掛かかり、強い日差しを受けて視界に映る色の種類はますます増える。それらはまるでチューブから捻り出した絵の具のように鮮やかでみずみずしい。

 コルシカ島の夏は、点描画家のパレットと同じくらい美しかった。


「こんなクッソ暑い中、よく眠れるよな」


 石ころを踏んだのか、ガタンと車体が揺れる。反動で左肩に寄りかかったニノンを、ルカはちらりと覗き見た。蒸し暑さと格闘しているらしく、彼女の眉間にはぎゅっとしわが寄っている。それでも必死に睡眠にしがみついているようで、起きる気配はない。

 暑さに耐え切れずワイシャツのボタンを外し始めたアダムが、ルームミラー越しにちらっとこちらに視線を寄越す。しばらく目を覚ましそうにない少女の代わりに、ルカは「熟、睡、中」と口をパクパクしてやった。


 きっと、失くした記憶のページでも拾い集めているのだろう――ルカの視線は窓の向こうに移った。眩しいほどに鮮やかな青空には、洗濯したてのシャツのような真っ白な入道雲が積立っている。


――ジジジジジジ。


 忙しなく鳴き続けるせみ(シガール)の声がうるさいと、嫌がる人は大半だ。しかしルカはその単調な大合唱が嫌いではない。むしろ、季節の移ろいを感じられて好ましいとさえ思うくらいだった。

 命短しと鳴く声は、真夏の景色によく似合う。


『……臨時ニュースをお知らせ致します。……法の改正が可決……ジジ、今後……不正な事業、ジジ、絵画……』


 抑揚のない女の声が、またしてもブチッと音を立てて遮断された。


「電波が悪ィな」


 アダムは今にも取れそうなチューナーを左右にぐりぐりと弄り回している。


「さっきから何してんだい」


 呆れたような視線を向けながら、ニコラスが尋ねる。「ああ」とか「いやぁ」などと唸りながら、アダムは尚も右手でチューナーを、左手でハンドルを器用に操作している。


「そろそろコイツのエネルギーが底を尽きそうでさ」


 スピーカーからは砂嵐の音がザァザァと流れるばかりで、中々次のチャンネルが捉まらない。


「コイツって、この車?」


 ニノンを起こさないように、ルカは首だけを伸ばして運転席を覗き込んだ。ハンドルの向こう、古びたデザインのタコメーターの左隣で、エンプティーを示す『E』のマークが赤く点滅している。


「そうそう。今日のエネルギー価格がどれくらいか知りてェんだけど――くっそ、なかなかチャンネルが繋がんねェな」


 エネルギー価格は日々変動する。経済状況であったり、エネルギー使用量のバランスであったり、国同士の事情であったり、変動要因は様々だろう。

 それらに関する詳しい仕組みを世間の人間はほとんど知らない。四人も同じだ。だが多くの人間は、こうしてルーブル発電所から毎日発表される価格を参考に、エネルギー消費を抑えて倹約に励んだりしているのである。


「コイツさあ、相当古い型式だからワイヤレス充電じゃねェんだよな。いちいちコードぶっ挿さなきゃなんねーの。ほんっと手のかかるヤツだよ」

「それは面倒だね。この辺にエネルギーステーションなんてあったかしら」


 ニコラスはフロントガラス越しに広がる景色を覗き込んだ。舗装されたコルシカ街道は蛇のように曲がりくねっていて、道の先は生い茂る木々の葉によってすぐに覆い隠される。


「それが、あるんだよなあ」


 アダムはにやりと笑った。

 有線式で給電ができる施設は国内を眺めても決して多くはない。無線送電が当たり前の現代においては需要が少ないので当然だ。

 だが、このおんぼろビートルでコルシカ島を行き来する以上、エネルギーステーションは必要不可欠な存在になる。


「たしか、もう少し行った先にあるはずだぜ」


 ステーションなんて大層な名前が付いているが、実際はちんけなプレハブ小屋であることが多い。

 アダムの言った通り、しばらく道なりに進んだところにそれはあった。腐りかけのベニヤ板を繋ぎ合わせた小ぢんまりした小屋で、雨風に晒されて色あせた看板には、霞んではいるが「イナズマのマーク」が描かれている。



 アダムが車を出ていった後、ニコラスはヘッドシート越しに優しげな視線を向けた。


「ほんと、よく眠るわね」


 ルカの左肩に頭を預けたまま、ニノンは決して快適とは言えない睡眠を貪り続けている。


「長旅だもの。疲れるわよね」

「徐々に記憶を取り戻してはいるみたいだけど、まだ何も分からずじまいだし。そのへんの疲れはあるかもしれない」


 普段から笑顔を絶やさない少女だ。弱音を吐くことなど滅多にない。でもそれは彼女なりの気遣いで、もしかしたら心の中は不安でいっぱいなのかもしれない。


「ダニエラさんの居場所だって見つけられてないんだ」


 ダニエラ――その名を聞いて、ニコラスの瞳が一瞬寂しそうに移ろった。ニノンと同じく記憶を失った男、ニコラスの、双子の弟の名だ。


「ニコラスの記憶はすべて戻ったの?」


 何気なくルカが問う。少しだけ間が空いて、ニコラスは控えめにかぶりを振った。


「全部じゃないわ。虫食いの葉っぱみたいにね、やっぱり所々記憶が戻ってこない部分もある。幼い頃の記憶は鮮明に思い出せるのに」

 そこまで言って、ニコラスは口を噤んだ。

「大人になってからのことはあんまり?」

「そうね……特に記憶を失くす直前のことなんて、なにも」


 そっか、とひとり頷いて、ルカは木陰の向こうの青空を見つめた。共通して二人が思い出せない空白の期間。そこで何かが起きたのはほぼ間違いないと、確信めいた思いが胸をよぎる。


「ニノンはダニエラさんを探してる」


 手慰みに薬指の指輪を撫でると、汗によって指輪がくるりと回った。


「ダニエラさんとニコラスは双子だよね。だからニコラス、もしかしてニノンに会ったことがあるんじゃないかと思って」


 その時の記憶をどちらかが取り戻せたなら、ダニエラを探す大きなヒントになるのではないか。


「実は私もね、そう思う時があるんだよ。記憶も確証もないけれど」

「……会ったことがあるかもしれないって?」


 半信半疑の表情のままニコラスは頷いてみせた。ぬるい風が窓から吹き込んで、しな垂れた黄緑色の前髪を揺らす。


「ニノンを見てるとなぜか、すごく懐かしい気持ちになる時があるのさ」

「懐かしい気持ち……」


 ふいに、マキの森で少女と出会った頃の記憶が蘇る。コルシカ島の朝焼けを思わせる髪の毛。うずくまる少女を目にした時、胸に広がった感情。

 ニコラスの言う気持ちには覚えがあった。

 ルカだって感じたのだ。得体の知れない懐かしさを。少女を目にした瞬間に。


「俺も――」


 同じなんだ、と口に出しかけた時だった。


「ふざッけんな、クソオヤジ!」


 二人は一斉に声のした方へ振り向いた。小屋の辺りから、なんとも汚らしい罵声が聞こえてくる。どうやらアダムが誰かと――おそらくステーションの職員と――言い合っているようだ。

 その後もぎゃんぎゃんと罵り合いが続き、おしまいに「ボッタクリも大概にしろ!」と捨て台詞らしきものが聞こえた。

 それからほどなくして、アダムが肩をいからせながら戻ってきた。


「こんなとこでエネルギー買うのはヤメだ!」


 バタンとけたたましい音を立ててドアが閉まる。車体が揺れてようやく目を覚ましたニノンは、寝ぼけ眼で辺りを見回している。


「アダムちゃん、一体どうしたんだい?」

「ヴェネチアを出るときより一〇倍以上の価格を要求されたんだよ」

「一〇倍!?」


 アダムはひどく憤慨した様子で、ポケットから取り出したキーを乱暴に鍵穴に突き刺した。ニコラスは慌ててシートベルトを締める。


「足元見やがって、あの野郎」


 ブゥンとエンジンをふかしてビートルは急発進する。ボロボロのベニヤ小屋が見る間に遠のいてゆく。


「給電はどうするんだよ、アダム」

「ねぇ、どうしてそんなに怒ってるの?」


 後部座席から口々に飛び出す質問を鬱陶しそうに振り払って、アダムはアクセルペダルをぐんと踏み込んだ。


「この先にある町でエネルギー価格を調べる。んで、あのオヤジにぼったくった証拠を突きつけるのさ。半値でエネルギーを給電させてやる」


 そう言って、アダムは片側の口角をにやりと持ち上げた。


――なんて悪い顔だ。


 ルームミラーに映る少年の顔は、まるで勝利を確信した瞬間のイカサマ師、もしくは映画に出てくる悪役そのものだった。

 失礼なことを考えつつも、ルカは敢えて閉口することにした。彼に丸投げしてエネルギーが手に入るなら、何も口出しすることはない。どうぞ頑張っていただこう。

 車内に飛び込んでくる風に黒髪を煽られながら、ルカは深々と背もたれに身を沈み込ませた。



 *



「は? 嘘ですよね?」

「嘘でこんなに盛り上がりゃしないわよ。今日は朝からその話題で持ちきりなんだから」


 路上に面したカフェテラスで、ふくよかなマダムたちは顔を見合わせながらぺちゃくちゃとお喋りに(いとま)がない。

 山中にしては比較的栄えた町〈ヴィヴァリオ〉。四人がこの町に立ち寄った時には既に、街角のそこかしこで井戸端会議が行われていた。どうも、マダムたちが暇を持て余しているというだけではなさそうだ。

 尋ねてみると案の定、彼女たちは同じ話題で盛り上がっていた。


「エネルギー価格の高騰、本当の話だったのね」

「マジかよ……」


 がっくりと肩を落とすアダムの様子を、ルカは横目で伺った。口から漏れるため息には、電力確保の心配よりも狙った獲物を逃した悔しさが滲み出ているように見える。三流悪役の情けない末路――などと、頭の中でまた失礼なことを考える。


「昔にも何度かあったわよ。今回もどうせ突発でしょ」

 マダムのひとりがゆったりと笑った。手に持つグラスの中で、レモンスカッシュが小さな泡をぷつぷつと立たせている。

「慌てちゃダメよ坊や。こんなもの、寝て待てばいいのよォ」


 柔らかな頬肉が持ち上がるのを眺めながら、アダムは「はぁ」と中途半端な相槌をうった。



 たかが数人のちっぽけな頭を突き合わせたところで現状が変わるはずもない。

 結局四人はマダムの助言通り、しばらくこの町に滞在することにした。

 エネルギー価格の高騰がすぐに収まるなら、わざわざ高い値段で給電する必要もない。先日のおばけホテルの騒動のこともあって、ゆっくりとベッドで眠りたいというのも理由のひとつだった。


「おっかいっもの、おっかいっものー」

「おーい、走んなよ」


 アダムの言葉などどこ吹く風と、真っ赤なフードを目深に被り、ニノンはスキップ混じりに大通りを駆け回った。


「ルカ、あんたも一緒に見ておいでよ」


 ニコラスの唐突な提案に、ルカはひどくびっくりした顔で彼を見つめ返した。


「え、俺?」

「そう。俺」


 夏服を買うんだと、ニノンがはしゃいでいたことをルカは知っていた。普段絵画の修復ばかりしているくせに、ファッションとなると点で駄目な少年だ。肌を隠せるならなんでも良いとさえ思っている。


「俺、そういうの分かんないから。安いのでいいや」


 軒先に置かれたマネキンを見上げたり、棚に置かれたアクセサリーを眺めたりして、ニノンは終始瞳を輝かせている。


「そういうことを言ってんじゃ――いや、そうだね。そういう男だったね、アンタは」


 ニコラスの眉毛が、曲げるのを失敗した針金みたいな形になっている。ルカが疑問符を浮かべていると、アダムが肩をぶつけるようにして身を寄せてきた。


「じゃあ俺があいつの服を選んでやるか」

「いい、いい。アンタのチョイスには不安が残る」

「なんだよ不安って。言っとくけどなァ、俺のセンスはなかなかだぞ」

「あー……はいはい」

「おい、その一ミリも信じてないような目をヤメロ!」


 ヴィヴァリオのメインストリート。

 幅広の石畳みにずらりと並ぶ店はどこもたくさんの人で賑わっていた。街道沿いに位置するこの町は、島を行き来する人々の恰好の休憩地点なのだろう。


 一行も例にならって旅支度を整えることにした。

 ちょっとした洋服屋、スーパーマーケット、美術用品店。思い思いにショッピングを楽しめば、一時間も経たないうちに手元は買い込んだ品物で溢れかえった。

 両手いっぱいに抱えた紙袋は、刺すような日差しを凌ぐのに丁度良い。ルカは暑さに萎びた頭を紙袋に押しつけた。そうして大通りをぶらぶらと歩いていると、やけに二、三階のアパートメントの窓やら道端やらではためくフラッグが目についた。

 ペイルグリーンとグレーの、小さなフラッグだ。


「今日の宿はどうしよう?」

「この荷物を車に積み込んだら、探しにいこうかしらね。安い宿があるといいけど」

「タダでも変なホテルはやめようぜ」


 談笑に混じりながら、ルカはふとアパートメントを見上げた。対面する建物の、窓と窓の間に張られた洗濯糸。小さな二等辺三角形がTシャツみたいにたくさんぶら下がっている。

 よくよく見てみると、フラッグには何やら文字が描かれているようだった。


「じゃあさ、夜はあそこの角のバルにしようぜ。こんな暑い日はマロンビールが飲みたくなるよな」

「ああ、いいね。そうしよう」


 ルカは目を細めて揺れる旗をじぃっと見つめた。何かのタイトルだろうか――


「サロン――ド、コルシカ……」


「うェっ!?」


 小さく呟いたルカの言葉は、背後からあがったアダムの間抜けな叫び声によってかき消された。彼の抱えていた紙袋からバラバラと絵の具のチューブが地面にこぼれ落ちる。


「ど、どうしたの――」


 思わず振り返った瞬間、ニノンが口にした言葉は途中で声をなくした。視線が彼の足元に集中する。

 ウェーブがかった長い髪の毛。新芽色のワンピース。アダムの左足にしがみつく、『小さな女の子』。

 三人が、そしてアダムがぎょっとした顔で幼い少女を見つめていると、少女は突然埋めていた顔をバッとあげた。


「パパ、おかえり!」


「――は?」

「ぱ、パパ!?」


 たっぷりと輝きを纏ったまん丸の瞳は、その視線を一心にオレンジ髪の少年へと注いでいた。

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