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コルシカの修復家  作者: さかな
7章 マーカブラホテルへようこそ

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第47話 死の画廊

「は?」


 間の抜けた声がニコラスの口から零れた。

 アダムは脇目も振らずに暗闇に続く廊下を進む。


「アダムちゃん、出るったって外は嵐だよ。確かにさっきの話を聞いた後で泊まるのも気が引けるけど」


 ルカは客室扉がずらりと並んだ壁の反対側に目を向けた。規則正しく並ぶ小さな窓ガラスを、雨水が滝のように滴り落ちている。どうあがいても、今ホテルから出るのは危険に感じるが――。


「運転は俺がなんとかするって」

「なんとかったって……」


 ニコラスが呆れ口調で呟いたとき、


「なかったんだよ」


 会話を遮るようにアダムが呟く。

 その声色にはたしかに恐怖が滲んでいた。ルカがそっとアダムの横顔に視線をやると、彼はぐっと口を引き結び、強張った表情を浮かべていた。


「雷が落ちた時に気づいたよ。あのじじい、影がなかった(・・・・・・)


 一同は息を潜めた。静寂な暗闇に、忙しく駆ける足音だけが響き渡る。

 何を言いだすかと思えば“影がない”なんて。それじゃあまるでジーノが生きてないかのようだ。返答に迷っていると、ニノンが引きつった笑顔を浮かべながらぎこちなく口を開いた。


「あはは、アダムってばなに言って――」

「あり得ないってか? 見間違いかもな。俺だってそう願いたいね。でもよ、やっぱこのホテルおかしいぜ。なんだよあのクソまずい料理。それにさっきの話もさ」

「画家が殺されたって話かい」

「ふつう客にそんな話するかよ? 明らかにおかしいだろ。狂ってやがる」


 ニノンは押し黙った。

 おそらく誰もが、このホテルに足を踏み入れた時からどことなくおかしな雰囲気を感じていたのだ。


「なにかが起こる前にここを出た方がいいと思うぜ。適当なところまで走って、あとは車ん中で一晩明かせばいいだけの話だろ」

「たしかに、アダムの言うとおりだ」


 ルカは彼の意見に賛同した。得体の知れない不気味さに囚われたまま一夜を過ごすくらいなら、多少せまくても四人で肩を寄せあって眠る方がよっぽどマシだ。

 それにしても、とルカは眉を潜めて通り過ぎる廊下を眺める。

 部屋から出たときに通った廊下は、こんなに長かっただろうか?


「ねぇ、アダムちゃん」

「あ?」

「行きに通った廊下ってここだったかしら」


 どうやらニコラスも同じことを考えていたらしい。廊下の壁に等間隔に吊るされたエネルギーランプがその横顔を照らしている。彼は冷や汗をかいていた。


「おい、冗談やめろよ。同じに決まってるだろ。来た廊下を引き返してるだけなんだからよ……」


 苛立ちまぎれにアダムが答える。それはニコラスにというよりも、自分に言い聞かせているような言い方だった。


 これだけ歩けばそろそろ上の階に続く階段が見えてきてもおかしくない。

 なのに、目を凝らしても廊下はずっと一本道のまま暗闇の中へ延びているだけだった。まるで闇に擬態した悪魔が、迷い込んだ人間たちを地獄へ誘うために、息を潜めて渦巻いているかのようだ。

 闇の中心に目をやっていると、く、と小さな力に裾を引かれた。

 ルカは歩を止めずにすぐ後ろを振り向いた。不安の色を滲ませたニノンの瞳は、暗闇に向けられている。


「その先の廊下、行きたくない」

「え? 行きたくない?」

「だからあ、ニノン、そういう冗談はまた今度にしろって――」


 ぐるんと勢いよくアダムが振り返った瞬間、メリメリッと空の割けるような音が頭上で聞こえた。次いで、ドォーンと雷が地面目掛けてぶつかる音が聞こえ、視界が暗転した。


「停電!?」

 右肩に縋りつく重みを感じたと同時に、ニコラスの叫び声がした。

「まさかだろ? 雷で停電なんて聞いたことねえよ」

 すかさず左肩にも縋りつかれる。

「計画停電はもう少し先のはずだけどな……」

「じゃあどうしてランプが一斉に消えるのよ」

「俺だって知りてえよ!」


 暗闇の中、左右からニコラスとアダムの狼狽える声が飛び交う。

 窓を叩きつける雨音はいっそう激しさを増している。「こりゃマジでやばいぞ」とぶつぶつ呟くアダムの声を尻目に、ルカはポケットに忍ばせていた充電式のペンライトを取り出した。そのままカチリとスイッチを入れ、ライトを点灯させる。

 細すぎる光の筋が、頼りなく暗闇に揺らめいた。


「ルカ~! お前やっぱ頼りになるぜ!」


 わらにも縋る勢いで、アダムはルカに抱き着いてきた。


「修復作業用の道具だけど、使えるからいつもポケットに入れてるんだ」


 歯がいじめにされてよろめきながら、ルカは手の中で細長いライトを転がした。

 ワイヤレスで電力が供給される現代においてはほとんど充電式のライトは活躍しない。物を大切に扱う道野家の工房には、そういった年代物の道具がごろごろ転がっている。


「これで取りあえず部屋には戻れるわね」

「さっさと荷物まとめて出ていこうぜ」


 年長二人におぶさられながら、ルカは頼りない足取りで廊下を進む。


「ねぇ、アダムがさっき言ってた“計画停電”ってなに?」


 僅かでも光が戻ったことに安堵したのか、ニノンの口からいつものように質問が溢れた。

 アダムは光の筋を目で追いながら「ああ」と顎を引く。


「AEP装置のメンテナンスが入ったり、かなりの量のエネルギーを使う予定が入ったりするとさ、区画ごとに決められたタイミングで電気の供給をストップさせるんだよ。それが計画停電。ふだんは前もって停電計画の発表があるはずなんだけどな」


 そうじゃないとすれば、発電機の突発的な故障か、あるいは突如として大量のエネルギーが必要な事案が発生したかが原因だろう。どちらにせよ、平時であれば起こり得ない事態だ。


「もしくは画家の亡霊の仕業とか」

「おーい、やめてくれよルカ。お前までそんな冗談ぬかしはじめたら秩序が乱れるだろが」


 なんの秩序だ。と、ルカが心の中で突っ込みをいれたとき、前方から呻き声のような音が聞こえた。

 一同はぎょっとして立ち止まり、毛糸のような頼りない光が漂う暗闇を凝視した。


「ア、アダムちゃん……またいたずらしてるんじゃないでしょうね」

「いやいやいや、俺じゃないって。わかったぞ、ニノンお前か?」

「私そんなアダムみたいなことしないよ!?」

「じゃあルカか!?」

「なわけないだろ。だって今、明らかに前から……」

「あー言うな、言うな!」


 そのとき、背後でTシャツの裾を強く握られた。


「……ニノン?」


「そ、そこに……なにか……」


 ニノンは震える声で右側の壁を指さしている。

 ルカはライトの照射を広角に切り替え、彼女の指先が示す場所へとライトを這わせた。


「ぎゃ!」

「ぎゃああ!」

「えええ!」


 アダムとニコラスは飛び上がり、そのままルカにしがみついた。その声に驚いたニノンが遅れてルカの腰あたりに抱き着いてくる。


「な、な、なんだよこの不気味な絵!」


 アダムが叫ぶ。ぼんやりと光に照らされて、一枚の絵画が眼前に浮かび上がった。

 そこには、大鎌を手に迫りくる骸骨や、恐怖に顔を引きつらせ逃げ惑う人々が描かれていた。空はちょうど糸杉の森に入る直前に見たようなドブ色で、雲が禍々しく渦を巻いている。


「〈死の舞踏〉、じゃないかな」


 ルカは自分で呟いてひどく驚いた。

 そうだ、これは確かに〈死の舞踏〉の連作の一枚だ。


「それってあのじじいが言ってた? いやまさか」

「そうだよ……これ、モーリス・カーロさんが描いた絵だ」


 ニノンが確信したように言ったのは、彼女がこの絵画からなにか(・・・)を感じ取ったからなのかもしれない。

 アダムもニコラスも、言葉を失くして呆然と絵画を見つめた。

 ルカも同じように絵画を見上げる。ふんわりと漂っていた奇妙な既視感が、次第に輪郭をはっきりさせてゆく。もう勘違いなんて言葉では払拭できない。

 この絵画を確かに見たことがある。それももっと近くで、何枚も――。


 そう、何枚もあった。〈死の舞踏〉は連作なのだ。

 ルカはライトをゆっくりと隣の壁へ動かした。薄ぼんやりと照らしだされる壁に、くすんだ黄金の額縁がずらりと並んでいた。飾られているのはどれも闇に溶けてしまいそうな暗い色の絵画だ。死の圧倒的存在を表現した連作、〈死の舞踏〉。


「こ、これって……本当に、モーリス・カーロさんの……」


 上擦るニコラスの声に、ルカが頷き返そうとしたときだった。

 突如、背後の廊下から、扉を打ち破るようなけたたましい音がした。


「なんだ!?」


 アダムが叫んだと同時に四人はバッと背後を振り返る。

 吸い込まれそうな暗闇の中から、なにかが空を切る音が聞こえてくる。それは小さな足音と共にこちらに近付いてきているようだった。


『困ります』


 ふいに、壊れたラジオのような女の声があたりに響いた。一同はぎょっとした。それが、聞き覚えのある声だったからだ。


「……ヴァネッサさん?」


 ニノンが恐る恐るその名を口にする。


「勝手にお帰りになられては困ります」


 今度は彼女と分かる声ではっきりと発せられた。

 それと同時に、頼りないライトが前方に光るものを捉えた。一瞬その何かがキラッと光り、物凄いスピードで空を掻っ切る。


「マジかよ……」


 鎌だ。死神がその手に携えているような、三日月型の大きな鎌だ。ヴァネッサは恐ろしいほど無表情のまま、スカートの裾を翻し、大鎌をブンと振りながら確実にこちらへ迫ってくる。


「――逃げるぞ!」


 アダムの叫び声を合図に、四人は脱兎のごとく駆けだした。

 両脇にずらりと並ぶ絵画に目もくれず、暗闇の中をがむしゃらに、持てる限りの力を使って走った。そのうち、激しい嵐の音に混じって、そこかしこから亡霊の囁き声が聞こえてきた。燻る煙のような、ひどく恨めしげな声が、いくつも、いくつも。


――怖い。暗い。寒い。

――痛い、痛い。

――助けて。


 実体のないそれらは冷たい風のごとく、首筋を撫でては消えていく。


「助けてほしいのは俺らだっつの!」

「アダムちゃん、挑発しないで!」


 と、乱雑にブレるライトが前方に迫る壁を捉える。


「……っ、行き止まりだ……」

「なに? 階段はどこいった!?」


 アダムは壁にドンッと手をついて苛立ちを露わにする。

 背後にはヴァネッサの気配。逃げ道がない――そう悟った瞬間、全身からサァッと血の気が引いた。


「ねぇ、音が聞こえる!」

「ああ?」

「さっき聞いた、呻き声みたいな音」


 ニノンが何かに気付いたらしい。行き止まりの壁にそっと耳を寄せてみると、確かに歪な音が聞こえてくる。ルカは音のする辺りをライトで照らしだした。


「部屋がある」


 壁だと思っていた場所には、ガムテープがベタベタと貼りつけられた、気味の悪い扉があった。


「入るぞ!」


 アダムは迷わすドアノブを回し、四人は開いた扉の向こうへとなだれ込んだ。そのまま勢いよく扉を閉め、ニコラスとアダムは背ばいになってドアを封じる。薄暗い部屋には巨大なベッドと巨大なクローゼットがある。奥の壁際には高級そうなビロードのソファと、重厚なコーヒーテーブルが置かれ、そのテーブルの上には見慣れた荷物がまとまっていた。


「ここ……私たちが泊まっていた部屋じゃないか!」


 ニコラスが叫ぶ。まさしく、ここは四人が寝泊まりするはずだった部屋だ。階段も上っていないのに、いつの間に戻ってきたのか。それよりも、なぜ扉にガムテープが貼りつけられていたのか。


「んなことどうだっていい! おい、窓から逃げるぞ!」


 肩で息をしながら、アダムは部屋の奥の壁にある窓を顎でしゃくった。叩きつける雨粒の向こうで、時折り稲妻がピカッと光っている。


「そうだったね。ルカ、ニノン、シーツを割いてロープを作りな。この扉は私たちがなんとか防ぐから」

「うん、わかった」


 ルカは頷くが、ニノンの返事がない。

 不安になって隣を見やると、ニノンは床にうずくまっていた。


「ニノン? 大丈夫か!?」


 ルカはしゃがみ込み、少女の震える肩に手を添えた。

 覗き込んだ顔は青白く、苦しげに眉が歪んでいる。


「ア、頭が、痛い……っ!」


 ワアアン、アアア。


 不気味な呻き声がまたしても響き渡る。

 ルカはハッと顔を上げた。ライトを前方に向ける。ぼんやりとした光の輪の中に何かが見えた。

 壁にいくつもの染みができていた。壁だけじゃない、ライトを足元に向ければ、絨毯にも赤黒い染みがそこらじゅうにできていた。まるで、悪夢の中で訪れた部屋のようだった。

 ルカは再び薄汚れた壁にライトを向け、ぎくりとした。もっとも染みの数が多い部分に、いくつか穴が空いていた。たとえばそう、ちょうど弾丸くらいの大きさの――。


「お待ちしておりましたよ」


 突然発せられた声に、一同は肩をびくりと揺らした。


「ジーノ、さん」


 待ち伏せでもしていたのか。このホテルの支配人は、闇から生まれ出たようにぬるりと部屋の中央に姿を現した。

 ルカはニノンを守るようにぎゅっと肩を引き寄せる。腕の中から息苦しそうな呼吸音が聞こえてくる。


「さぁミチノ様、血塗られた絵画を修復してくださいませ!」


 ジーノが高らかに言い放った瞬間。激しい雷鳴とともに、パッと室内に明かりが戻った。


「ここは……」


 ルカたちは驚愕し、目を見張った。

 先ほどまで四人が泊まっていた部屋だったが、どこか様子が違う。

 壁一面に染みついた黒いシミ。部屋じゅうに漂う錆びた鉄のような臭い、それから油絵特有のテレピン油のにおい。窓際には先ほどまではなかったイーゼルが置かれ、その上には汚れた布がかかっている。


 疑念が確信に変わった瞬間、ルカの肌はゾッと粟立った。


「そう。モーリス・カーロ――彼が殺された部屋ですよ」

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うおお!狂気が充満している!逃げられる気がしない!しかし、絵画を修復すれば何かが変わるのでしょうか……?
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