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コルシカの修復家  作者: さかな
7章 マーカブラホテルへようこそ

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第45話 呪われた絵画(2)

 背後を振り返ると、そこには後ろ手を組んだジーノ・トワイニングがにたにたと不敵な笑みを浮かべて立っていた。


「ジーノさん、いつからここに……?」

呪いの絵画(・・・・・)を見つけましたか」


 ジーノは手に提げていたエネルギーランプを点ける。ぼうっと広がったオレンジ色の明かりが、男の顔にくっきりとした陰影をつくる。


「呪いの絵画?」

「そうですとも。このホテルに取り残されている血塗られた哀れな絵画――ほら、聞こえてくるではありませんか。この絵画を描いた画家の、怨みのこもった魂の叫び声が」


 ジーノはイーゼルの元まで歩いていくと、頼りない明かりを掲げ、不気味なキャンバスを照らし出した。なにか絵が描かれていたようだが、いまや黒いペンキのような汚れによって画面のほとんどを覆われてしまっている。キャンバスの右下に、かろうじて書きなぐられた筆記体が確認できるくらいだ。

 そこには、赤い絵の具で《モーリス・カーロ》と綴られていた。


「血塗られた……? じゃあ、この黒い汚れは」


 ある結論に思い至った瞬間、ルカの全身からサッと血の気が引いた。

 文字どおり、絵画を汚しているのが()だとしたら。部屋のカーペットに付着している赤黒い染みも、おそらく血液なのだろう。先ほど部屋に滞在していたときには汚れなどなにもなかったはずなのに、いつの間に浮き出てきたのだろう。

 それよりも、とルカは顔を青くする。


――この血は誰のものだ?


 ルカは地を蹴り、急いで出口へ駆け戻った。今しがた目にしたことを三人に伝えなければならないと、頭が警鐘を鳴らしている。このホテルはどこかおかしい。だが、何度かドアノブを回したところでルカは思わず声を上げた。


「あっ……開かない……!」


 いくらドアノブを回しても、扉はびくともしなかった。必死でドアノブをガチャガチャやっていると、ジーノはまたしても「おやおや」と不思議そうに首をかしげながら近付いてきた。


「あなた様は絵画修復家なのでしょう? 困りますよ。一度受けられた依頼を放棄するなんて」

「なに……?」


 ルカは振り返り、迫り来る男に怪訝な表情を向けた。


「どういうことですか。どうして俺が修復家だって知ってるんですか」

「ひと目見ればわかりますよ。だからこそあなた方はここに招かれたのですから」


 男がなにを言っているのか、本気でわからなかった。不気味な空気が背筋を撫でる。ルカの背中を冷や汗が伝う。


「……それに、あなたから依頼を受けた覚えはありません」


 目元の落ちくぼんだ男は、不気味な微笑を浮かべたまま、突如としてルカの手首を掴んだ。そのままルカは、ずるずるとキャンバスのもとへ引きずられていく。


「やめてくださいっ、ジーノさん……いったいなにを……くっ、はなせ……!」


 逃げ出そうともがいてみても、掴まれた腕を振りほどくことはできない。彼の非力な容姿からは想像もつかないほどの力強さだ。

 やがてルカは後頭部の髪を荒々しく掴まれ、キャンバスの前へと顔を突き出された。

 鉄くさいにおいがぷんと鼻をつく。


「あなた様はただ、修復してくださればいいのです」


 ひやりとした不気味な吐息が耳元を掠めた。

 掴まれた後頭部が、手首がズキズキと痛む。だがそれ以上に、頭が割れそうなほど痛かった。

 気がつけば、キャンバスにべったりと付着していた赤黒い汚れは、悪魔のようなおぞましい顔に変化していた。

 キイィ、ギヒヒィ――。

 キャンバスの上で踊り狂う悪魔の口から、嘆きとも怨みとも取れる恐ろしい音色がひっきりなしに発せられている。


「いったい……なんなんですか、この絵画は……っ」


 悪魔は嘆き、かと思えば狂ったように笑い、ときに怨みのこもった末恐ろしい重低音を生み出し、うねり、燻った。さながら死のダンス(・・・・・)を踊っているかのように。


「いいですか。あなた様は今から、この絵を修復するのですよ」


 再び、耳元で囁かれる。

 途端に頭の中に薄く(もや)がかかり、疑念や恐怖がふわりと霧散してゆく。ルカはまぶたを半分伏せ、操り人形のようにふらふらと金庫へ向かう。

 そうだ、修復しなければ、とルカは思った。あの哀れな絵画を元の姿に戻してやらなければ、と。

 リュックから取り出した修復道具を床に並べ、ルカはひとり静かに修復作業をはじめた。


「ふふ……よろしくお願いいたしますよ、ミチノ様……」


 霧がかった意識の向こう側で、ジーノは不気味な笑みを浮かべていた。



「……カ、ルカ」


 体を揺すられる感覚に、ルカはぱちりと目をあけた。

 ぼんやりと霞む視界をゆらゆらと見渡す。薄暗いランプの明かりがぽつぽつと壁に灯っている。寝ぼけ眼でしばらくぼんやりしていたら、こちらを覗き込んでいた少女の顔がゆるんだ。


「大丈夫? 気づいたら寝てるんだもん、びっくりしちゃった」


 ずいぶん疲れてたんだね、と言われたが、気怠さはむしろ眠る前より増している気がする。


「なにか、夢を見てたような気がする」


 頭の中にかかった霧の向こうに、いやな感じ(・・・・・)が残像として残っていた。悪夢でも見ていたのかもしれない。ニノンが眉根を寄せて「ちょっとうなされてたよ」と教えてくれた。


「あ、そうだ。夕ご飯の準備できたみたいだよ。ヴァネッサさんに場所教えてもらったから、行こっか」

「うん」


 ベッドの上では、ニコラスとアダムが地図を広げてなにやら相談をしていた。今後の旅路の構想でも立てているのだろうか。


「おー、起きたか。メシ行こうぜ」


 二人の話も一区切りついたようで、アダムは黒ぶちの眼鏡を外してベッドから降りた。ちらりと見えたメモ用紙には《コルテ→かなりうまいラザニア》ぐらいしか文字が書かれておらず、文字以上にへんてこな落書きがたくさん描かれていた。

 もしかして、自分が起きるまで起こさずに待っていてくれたのだろうか、とルカは思った。



 夕食会場であるメインダイニングルームは、階段を二階ぶん下り、薄暗く長い廊下をずっと進んだ先にあった。

 四人という少ない宿泊客をもてなすにはいささか広すぎる部屋だ。かつては結婚式の披露宴なんかも取り行われていたのかもしれない。たくさん並んだラウンドテーブルがいっとう物寂しさを助長している。本来なら豪華なはずのシャンデリアもやはり照度が低く、どこかうすぼんやりとしていた。


「嵐、明日には過ぎ去ってるといいなぁ」


 壁にくり抜かれた小窓の外に目をやりながら、ニノンは出された栗のパンを口に放りこむ。


「……!?」


 が、咀嚼するのを忘れてニノンは目を丸くし、何度も手元のパンを覗きこんだ。


「山の嵐はもって一日だろ。寝てれば明日には――ウッ」


 今度はアダムが、スープをすすった途端にうめき声をあげた。


「ちょっとあんたら、なんだい変な顔して。ふざけてないでちゃんと食べなさ――ン!?」


 料理を口にしたニコラスも、やはり同様に声を詰まらせた。

 各々が似たような反応を示すさまは、まるでドミノ倒しのようだ。不可解に思いながらルカもスープを口に運び――思わず眉をひそめた。

 不味まずいなんてレベルじゃない。

 恐ろしく味が薄いのだ。むしろ、無味むみといってもいい。

 なにより、氷でも浮かんでいるのかと疑うほどに冷たかった。


 はっと顔をあげると、アダムのなにか言いたげな視線とぶつかった。ルカは静かに頷いた。すべての料理が死んだように冷たく、まずい。みな一様に微妙な反応を示すわけだ。


「お口に合いますでしょうか?」


 暗がりから音もなく現れたジーノが、そんなことを問うてきた。


「あー、えーっと、なんだかちょっとはへへふ」

「う、うまいっすよ。味つけなんてもう最高!」


 ニノンの口を手で封じながら、アダムは胡散臭い笑顔で言い放つ。ジーノの背後には、その背に隠れるようにしてヴァネッサが立っていた。彼女は表情の見えないガラス玉のような瞳を、ぎょろりとこちら側に向けている。


「それはそれは、光栄でございます」


 ジーノは満足げに微笑んで、四人の座るラウンドテーブルにしずしずと近付いた。


――呪いの絵画を見つけましたか。


 彼の顔を目にした途端、ルカの脳裏に先ほどの悪夢がくっきりと蘇った。夢の中で自分は、彼に襲われていた。だが、ただの夢だとルカは内心で首を振る。骸骨を思わせる初老の男が夢に出てきたというだけで、現実ではない。ただ疲れていたから夢見が悪かったのだ。彼が悪いわけではない。

 ルカはばつが悪くなり、初老の支配人から目を背けた。


 だが、ルカの心中など察するはずもなく、ジーノはおかまいなしにぐいぐいと近くまでやってきて、無理やり視界に割りこんできた。


「な、なんですか?」


 ルカはびっくりして、思わず上半身を後ろに反らして距離をとった。

 なにが楽しいのか、落ち窪んだ目はニヤリと三日月の形に歪む。


「歴史あるホテルの閉幕にあなた方がいらしたのも、なにかのご縁でございましょう」

「はぁ」


 ジーノは傾げていた首をすっ込めて、後ろに数歩後ずさった。


「せっかくなので、このホテルにまつわるお話をひとつ、お聞かせしましょう」

「このホテルにまつわる……?」

「ええ。最後の晩餐(・・・・・)の酒のさかなにでもと思いまして」

「最後の晩餐って、あはは」


 縁起でもねえ、とアダムは苦笑いをこぼした。

 そんなつもりなど毛頭ないのだろうが、ルカも時おりこの支配人の言葉選びに引っ掛かりを覚えることがあった。不気味な空気をわざと含ませているような。それがあの悪夢の後となればなおさらだ。

 ねぶるような視線を四人に向けたあと、ジーノは楽しそうに両手の指先をこすり合わせた。


「それではお話いたしましょうか。このホテルが廃業になった、本当の理由を――」


 ザンザンと雨粒が矢のようにガラス窓を襲う。

 ジーノの目が、不気味に細められた。


「このホテルに住まわっていたとある画家の、悲劇のお話を」

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