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コルシカの修復家  作者: さかな
6章 マスカレード・カーニバル
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第40話 マスカレード・カーニバル(2)

「……何やってるの?」


 遠慮がちな声がして、ルカははっと顔をあげる。ドアを開けたまま動きを止めたロクスが、部屋の入り口に立っていた。


 クロードが部屋を去ったあと、ルカは無理に眠ろうとしたのだが、うまく眠れなかった。だから仕方なくベッドに腰掛けて、なにをするでもなくぼんやりと窓から射す光の帯を眺めていた。

 気がつけば先ほどクロードに投げられた言葉のことばかり考えてしまう。ロクスが部屋に戻ってきたのは、らしくないなぁと頭を一振りしたタイミングだった。一人で頭を振っている姿は、きっと不気味に映ったことだろう。


「今起きて、それで、目を覚まそうと思って。ロクスは今からカーニバルに?」


 なるべく平然とした顔で答えて、ついでに質問で返す。

 ロクスはゆるくかぶりを振った。


「僕は祭りは……。でも、最後の舞踏会だけは、出ようかなって思ってる、けど、でも……」

「それならよかった」


 え? と、ロクスは目を瞬かせる。なにがよかった(・・・・)のか、検討がつかない様子だ。

 ルカは構わずベッドを離れ、作業机に置いてあった仮面を手に取った。そして、少年へと向き直り、その仮面を静かに差し出した。


「修復したんだ。ニコラスに頼まれて」

「えっ、あ、これ――」


 ロクスは震える手で仮面を受け取った。


「君のおじいちゃんが描いた、仮面」

「うん」


 祖父である光助がこの町に立ち寄ったこと、そこで一枚の仮面に彩色を施したこと、その仮面をロクスが大切にしていたこと。すべて、修復作業を頼まれた際に、ニコラスから聞いた話だ。

 ルカの祖父は放浪癖があり、家を何年も空けるなんてざらだった。本人曰く、島の各地を訪れて、出張修復家をやっているのだという。

 そんな祖父は、七年前にレヴィ村を出ていって以来、一度も家に帰っていない。


 ニコラスから聞いたところによると、この仮面は一度水路に落ちているらしい。厳密に言えば、仮面を付けたまま、ロクスが水路に転落したのだ。

 水没してふやけ、歪んでしまった仮面は、今やぴしりと元の姿を取り戻している。

 頬や目元に咲き乱れる小花の滲みも、すべて修復済みだ。


「この仮面の小花に使われてる染料、ミモザなんだ」


 ロクスははっと息をのみ、顔を上げた。


「ロクスは、そのことを知ってたんじゃないか?」

「あ……」


 その目には、はっきりと肯定の色が浮かんでいる。

 やっぱり、とルカは思った。やはり、この町の外で見かけたヴェネチアンマスクを被った少年は〈ベニスの仮面〉ではなく、ロクスだったのだ。


「一週間前、町の外の森で仮面を被ってふらふらしてたのは、ミモザを採ろうとして?」

「え、あ、も、もしかして、あの時追いかけてきた……?」

「実は探してる人と勘違いしたんだ。驚かせてごめん」


 ロクスはぶんぶんと音がなるほど激しく首を振る。そして、今一度仮面を見つめた後、おずおずと自身の顔にあてがった。


「僕、外に出るときはこの仮面がないとダメで。だから舞踏会も、ぐしゃぐしゃの仮面じゃ門前払いかもって……もしかしたら参加できないんじゃないかって、思ってて……あの、ありがとう。本当に、感謝してる」

「似合ってるよ」


 あてがっていた仮面を顔から引き剥がしたロクスは、まだ口の中でなにかもごもごと言っている。

 最初に仮面姿のロクスを目にしたときは、遠くてはっきりしなかった。けれど今は素直に言える。シンプルで飾り気のない仮面には、たしかに祖父が好みそうな素朴さがあり、ロクスにとてもよく合っていた。

 祖父の辿った足跡に触れて、ルカの顔が思わずほころぶ。すると、ロクスは目を瞬かせてじっとルカの顔を見つめてきた。


「……どうかした?」

「君は、おじいちゃんによく似てるね」

「え?」

「いや、えっと、笑ったときの雰囲気が……」


 そうなのか、とルカは意外に思った。道野修復工房にいたときの祖父は、笑うことなどほとんどなかった。村の外で笑顔を見せていたことは驚きだが、それ以上に他人の口から祖父の話が出てくるのはなんだか新鮮だった。


「心を込めて作ったものには想いが宿る。そういうものを、芸術・・と呼ぶんだって」

「それって……」

「君のおじいちゃんが昔、言ってた言葉」


 伝えておいた方がいい気がして、とロクスは視線を逸らしながら言った。


「そのとき僕は、芸術って言葉の意味が、よくわからなかった。訊いてみたけど、『いつかわかる』って言われただけで……。君には、わかる?」


 ルカは逡巡した後、小さくかぶりを振った。


「まだ、よく――わからない」


 それが今のルカの本心だった。


「でもいつか見つけたいって思ってる。俺にとっての絵画の意味、芸術はなにかってこと」


 言葉にしてみてはじめて、体に空いた穴に気持ちがすとんと音を立ててはまり込んだのがわかった。

 油絵を修復する際、ルカはいつだってその絵具層の厚さに驚かされた。

 一度は完成した絵画を、別の角度から見てみたり、違う気持ちで眺めてみたりして、画家は何度も何度もキャンバスの上に色を重ねていく。納得がいくまで彼らの手が止まることはない。

 それと同じだと、ルカは思った。

 わからないのなら、答えが出るまで考えるしかないのだ。


「見つかるよ、きっと。だって君、しっかりしてるから」

「ありがとう。ロクスもだよ」

「え、僕?」

「自分のやりたいこと、きっとできる」

「そ、そんな自信満々に……」

「勘だ」

「え、え、か、勘?」

「ニノンの受け売りなんだ。でも、けっこう当たる」


 二人は顔を見合わせ、ふっと笑いあった。

 タイミングを見計らったように、一階から二人を呼ぶ少女の声がした。

 ルカは返事も返さずにベッドにごろりと横になる。


「あの、呼んでるけど……」

「もうひと眠りする」


 最終日に約束もあるし、とルカは笑った。

 ロクスも睡眠不足を自覚したのか、ルカの隣にぼすっと飛び込んだ。


 最終日――ワズワース家の敷地内にある広大なダンスホールで開かれる仮面舞踏会。

 誰よりも祭りの夜を楽しみにしている、太陽のような女の子。

 宛名のない手紙を寄越した、この町のどこかにいる名前も知らない女の子。

 濃霧の中で怪奇なダンスを踊る、不思議な仮面の少年。

 街中で偶然出会った仮面売りの女性。

 フリージアの香りのハンドクリームをくれた男性。


 今日はマスカレード・カーニバル初日。

 それぞれが、思い思いの最終日を巡らせる。


 トントンと階段を上ってくる音を聞きながら、二人は緩やかな眠りの波に身を埋めたのだった。

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