かつて存在した村の話⑤罪に罰
〈前回のあらすじ〉
屠殺の授業でうまく実践ができずにいるオフェリアを庇ったニコラス。そのことについて母親から説教を受けていたとき、ダリ家の老婆が殺害されたとの知らせが入る。
東に住まうダリの老婆が殺された。
約一年ぶりに行われたヴェンデッタだった。
その日、グロ家が集う西側の集落は、夜通し妙な興奮と熱気に包まれた。
一方、ダリの一族は明かりを絶やして静かな夜を過ごした。そうして翌朝、遺体となって還ってきた老婆の葬儀をしめやかに執り行った。
『引き金を引いたのはまたしても双子らしい』
埋葬準備のために村人たちが集ったころには、すでにそんな噂が広がっていた。
キイィ、キイィ——。
彼方の山にいる鳥の鳴き声がはっきり聞こえるほど、この場所は静かだ。村の大人たちがヒソヒソと噂する声も、おのずと本人たちの耳に届く。
数日前に、双子が同学年のグロといざこざを起こしただろう。
実際、グロ家の方でもそのような話になっているらしい。
曰く、集落の貴重な収入源であるコルシカナイフの製造を担う加工場、その次期責任者の婿の利き腕を負傷させた事実は、重大な問題と受け止められるべしとか——云々。
耳障りなささやきからニコラスが顔を背けると、その先には大柄な少年の姿があった。彼は背中を丸め、地面に置かれた棺へとすがりついている。
「ばあちゃん……ばあちゃん……!」
双子に対していつも威圧的な態度を取ってくる、中等部の生徒だった。つい先日もニコラスの胸倉を掴み、言いがかりをつけてきたばかりだ。大きな背中を見つめながら、ニコラスは数日前に彼らと交わした言葉を思い出していた。
『舐められてあいつらに殺す隙を与えでもしたら、許さないからな』
『次がお前んとこのばあちゃんじゃなくて、あいつらだったらよかったのにな』
ヴェンデッタの標的はランダムではない。
村長、加工場および採掘場の責任者を除き、基本的には年功序列。最初からそう決まっているのだ。
今回殺害された老婆は、ダリ家の最年長だった。
足腰を悪くしてからは畑仕事もままならず、日がな庭先で椅子に腰掛け、昼寝をしていることが多かった。家の側を通るときに目が合うと、双子に対しても穏やかな笑みを向けてくれたものだ。
老婆の顔には今、白い布が被せられている。
亡骸のかたわらで、ただただ幼い孫の顔をして泣きじゃくる中等部の少年。たまらずに声を詰まらせる母親。震える肩を抱き寄せるその夫。
村の男たちは一瞬だけ同情するように肩を落としたが、少年の背中を数度叩き、やがて数人がかりで棺を運び出した。
しばらくして力なく立ち上がった少年は、振り返りざま、怨念のこもった眼差しをニコラスに向けた。ひらいた瞳孔の奥で、今にも喉を掻き切りたくてたまらないというような激しい感情が煮えたぎっていた。
いつもであれば、睨み返していただろう。
けれどそのときのニコラスは、ただ足元に視線を逸らすことしかできなかった。
逸らした先の、履き潰してボロボロになった片割れの靴。その下に広がる湿った黒い地面を見つめながら、微笑む老婆の目尻に刻まれた深いシワを思い出していた。
*
遺体は採掘場の北部に運ばれる。ふだん禁足地となっているこの場所は、背の高いイトスギが群生していて、日中でもジメジメと薄暗い。
この森に足を踏み入れるのは、決まって誰かが亡くなったときだけだ。
だからここは、村人の間では“死の森”と呼ばれている。
イトスギの合間を縫うように、葬列は死の森をゆっくりと進む。
ゆるやかな勾配の続く山中を十分ほど歩き続けると、切り立った露頭——地層壁が現れる。ほぼ垂直の壁は、何重にもかさなる波模様を描きながら、端から端まで続いている。
むき出しの地層壁には、年季の入った木製扉が隣り合うようにふたつ並んでいた。片方の入り口はダリ家の、もう片方はグロ家の墓地の入り口だ。ニコラス自身は入ったことはないが、中には地下空洞が広がっているらしい。
棺を入口の前に下ろすと、村の男たちは速やかに後退した。彼らと入れ替わるように、葬列を先導していた一人の男がしずしずと歩み出る。
重たいローブをひるがえし、老年の男が振り返った。厳格な眼差しが、村人一人ひとりをゆっくりと見渡していく。
年の割に上背があり、堂々としたたたずまいは見る者に威圧感を与えるほど。彼こそはニコラスたちが大叔父と呼ぶ人物。現ダリ一族の長、そして採掘場の責任者を兼任する男——ラモン・ダリである。
長は仰々しく右手を掲げた。
「天に召されし我らが家族、アメリー・ダリに祈りを」
村人は一斉に頭を垂れ、沈黙の中で祈りを捧げた。
隣に立つ母に倣い、ニコラスも胸の前で十字を切る。側にいたクラスメイトが、一瞬こちらを見て難しい顔をした。ニコラスは素知らぬ顔でまぶたを閉じる。
ややあって、長い黙とうが終わる。
ダリ長の威厳に満ちた眼差しが、再び村人たちをぐるりと見渡した。
「我々には仇に報いる義務がある。一族の、魂を救済する使命がある」
重々しい口ぶりで告げられるたび、村人たちの瞳はぎらぎらと輝きを増した。嗚咽やさざめく泣き声に混じって、そこかしこから「オオ」「オオ……!」とうなり声がもれはじめる。
「仇に報いを。さすれば、彼女の魂はやがて天国の門へと至るだろう」
「仇に報いを!」
「仇に報いを!!」
地鳴りのような喚声があがり、こずえにとまっていた鳥が一斉に飛び立った。
長は大股で墓地の入り口へと近付き、古びた鍵でかたく閉ざされた錠を開ける。中は薄暗く、石造りの階段は地下へと長く続いていた。棺を担いだ村の男たちは、勇んで開け放たれた扉の奥へと進んでいく。
その場にいる誰しもが興奮に包まれ、報復の炎をその目に宿していた。双子とその母親以外は。
いつの間にか、双子の前には長が立ち阻んでいた。
「お待ちください!」
双子の母親、イサベルが双方の間に割って入り、両手をめいっぱい広げる。
「まだ何も言っておらぬ」
「この子たちが争いの火種を生んだなど、ただの噂にすぎません!」
灰褐色の目が母親を超えて、背後に隠された双子をじろりと射抜いた。恐ろしく冷たい目だった。その目はすぐに母親へと戻される。だから何だ、と視線で促しているようだった。
「も、もし仮に相手がそう証言したとして、きっと何か理由があるはず。それでも罰をというのであれば、どうか私に……! この子たちの親は私です!」
「ならぬ」
冷たく一蹴され、母親は頬を張られたような顔をした。長の目は、双子の弟に向けられている。
「ダニエラよ。グロ家の人間を故意に負傷させたのは本当か?」
「本当です」
「ほう、なぜ?」
「目障りだったので」
「違う、ダニエラは僕を守ろうとして! 先に手を出したのはあっちなんだ、大叔父様!」
ニコラスは先ほど母がしたのと同じように両手を広げ、ダニエラを背に隠した。双子を見下げる長の口から、重たいため息がもれる。
「反省がなっておらん。呆れて言葉もないわ」
そう呟いて片手を掲げ、手近な村人を呼び寄せる。母親は顔を引き攣らせ、長の浅黒い腕にすがりついた。
「お、お待ちください! もう少し話を聞く必要が——」
「くどい!」
短く叫び、長は力任せに腕を振り払った。母親の体が地面に投げ出される。「母さん!」双子が叫んで駆け寄る。親子の姿を一瞥した長は、わずらわしげに息を吐いた。
「こやつらの身ぐるみを剥ぎ、豚小屋の前に紐で繋いでおけ。三日三晩、食事を与えるな」
*Ophélie
カーテンを閉め切った薄暗い部屋で、オフェリアはベッドに突っ伏していた。
昨晩は一族集まっての晩餐だった。ハーブ漬けにしたイノシシのソテーや、村の外でしか手に入らない魚介の干物を使ったブイヤベース、栗のプディング、熟成させたとっておきのチーズにワイン。
テーブルには贅を尽くした料理が並んだ。オフェリアを含め、村の女たちが協力して用意したものだった。だがオフェリアは、そのほとんどに口をつけなかった。正確には、つけられなかった。
血の色のワインを飲み、笑顔で語らいあう村人たち。くちゃくちゃと肉を咀嚼する口元。どこか興奮したような、生ぬるい熱気。
(気持ち悪い……)
昨晩の光景を思い出し、オフェリアはうずくまりながら胃をおさえた。
これまでヴェンデッタは何度も行われている。その度にごちそうは振る舞われたが、こんなにも食欲がわかないのは初めてだった。
ダリ家の人間は、もはや人間ではない。
家畜のように処理される存在。
否、忌むべき仇だから、その首を討ちとることは祝うに値するのだと。
そう、誰もが信じて疑わない。
自分も昨年まではあちら側だったのだと自覚した瞬間、オフェリアは胃液が喉元までせり上がってくるのを感じた。
「……うっ」
突然、コンコンと扉をノックする音がした。返事を待たずに扉が開き、オフェリアはぎくりとして身を起こす。部屋に入ってきたのは、心配げな顔つきをした父親だった。
「お、お父様」
「体調はどうだ?」
尋ねながら、父親は遠慮なくベッド際までやってくる。屈強な体を屈めて娘の顔を覗き込むと、悲痛なほどに眉尻を下げた。
「かわいそうに、顔色がひどく悪いな」
「だ、大丈夫です。昨晩よりはずいぶん、よくなりましたから」
「やはり、ダリの双子か」
え、とオフェリアは思わず聞き返した。
「ラエルトから聞いたよ。お前があの双子に言い寄られていたと。ラエルトはお前を護ろうとして、奴らにやられたそうだな」
父親がベッドに片膝をつく。ギシ、と木枠の軋む音がして、オフェリアはびくりと身を震わせた。
「言い寄られたなんて、そんな」
「何かされたのか、あの双子に。親にも言えないようなことを?」
「いいえ、いいえっ……!」
オフェリアはなるべく体を縮こまらせ、ずりずりとベッドの上で後ずさる。父親も同じだけにじり寄る。
「怖かっただろう。かわいそうに、私のオフェリア」
「ひ……」
黒い毛の生えた男の太い指が、栗色の長い髪の毛をひとすくいする。そのまま口元にあて、すうーっと肺いっぱいににおいを嗅いだ。途端に、オフェリアの体中をぞわぞわと悪寒が這いまわる。引き攣った声がもれないように、歯を食いしばるのに必死だった。
硬直して動けない体を、父親は慈しむように抱きしめ、何度も何度も頭を撫でた。
「安心しなさい。あの双子には相応の罰が与えられているよ」
「ば、罰?」
耳元にかかる生ぬるい空気に身の毛がよだつ。それでもオフェリアは、聞き捨てならない言葉を耳にした気がして、必死に声を絞り出した。
「家畜のように屋外につながれているそうだ。身の程をわきまえるにはちょうどいい。食事も与えられていないというから、このまま野垂れ死ぬかもしれないな。ダリの連中もそれを望んてるのかもしれんがね、ウハハ!」
階下から母の呼ぶ声がして、父親は興ざめとでもいうように肩をすくめた。「今行くよ」と大きな声で返事をしながらベッドを降りていく。が、最後にもう一度だけぐっと引き寄せられ、全身をねっとりと包むように抱きしめられた。
父親は名残惜しげに部屋を出ていく。階段の軋む音が遠のく。完全に音が消えるまで、オフェリアは緊張して身動きひとつ取れなかった。
「っふ、ふーっ……フー……」
オフェリアはしきりに浅い呼吸を繰り返す。
力ある者を前にすると、このようにいつも体が委縮した。喉が引き攣り、うまく喋れなくなった。
逆らっても逃れられないことを、経験より知っていたからだ。
オフェリアは歯をカチカチ鳴らしながら、すがるようにして机に備え付けられている一番下の引き出しを開けた。二重底を外して、敷き詰められた小袋の中からひとつを掴み出すと、その中身を机にすべて出した。
ころころと青い石が数粒、転がり出る。
オフェリアはカーテンを少し開け、淡く差した光に青い石をざしてみた。
双子が初めて見つけてきた石だ。
いびつで、ゴツゴツしていて、けれどどの石よりもいっとう深い青い色。
採掘場から逃げ帰るとき、いつもひとりで見上げていた、夜明け前のネイビーブルーに染まる空の色。
今よりもっとずっと幼いころ、父親に手を引かれ、オフェリアは初めて加工場に足を踏み入れた。
小さなるつぼに黒い石を詰める者、それを高温で熱する者、鈍色の塊を削って形をととのえる者、研磨する者。彼らに指示を出す父親。そう大きくない平屋の建物の中で、多くの村人たちが汗水を垂らして働いていた。
カゴに山と積まれた黒い塊の中に、ヤマブドウのような青いものが見えた。そっと山を崩して手に取ってみる。黒とは明らかに違う、深い青色をした石だった。
オフェリアはその石をこっそりポケットに忍ばせ、自分の部屋へと持ち帰った。
最初はひと粒を眺めているだけで十分だった。
そのうちもっと欲しくなった。
やがて自分が加工場を継いだら、青い石の加工品を取り扱いたいという夢もできた。
(そんなもの、望まなければよかった)
オフェリアは初めて純粋な罪の意識を抱いた。
一族からやっかまれているダリの双子のことは以前から知っていた。それだけでなく、力がなく弱い自分とどこか似ている存在だと、オフェリアは勝手に親近感を抱いていた。
偶然にも彼らと関わる機会が巡ってきた。
その繋がりを失くしたくないばかりに嫌な態度を何度もとった。
それでも双子は付き合ってくれた。
その優しさに甘えすぎた。
自分の欲望が、双子を巻き込んだのだ。
青い石をぎゅっと握り込む。ゴツゴツした部分が手のひらに食い込む。ズキリとした痛みが、オフェリアの頬を打った。
くよくよしていても仕方がない。罪に報いるためには、本気で双子をこの村から逃がしてやらなければ、と思った。
こんな腐った村にいては、双子はヴェンデッタを待たずして殺されてしまうだろう。
オフェリアは握っていた手をひらき、再び青い石をつまんで光にかざしてみた。
(私にはこの宝物がある)
(だから、大丈夫)
薄暗い部屋に差し込む光の帯。
その中に浮かぶ夜空の青が、滲んでぼやける。
なんて美しくて、幻想的なのだろう。
けれど神様。
もしも、叶うなら。
「私も……いっしょに…………ッ」
咄嗟に口元を手でおさえ、溢れかけた望みを嗚咽とともに閉じ込めた。望んではいけない。一瞬でも思い浮かべてしまったら、未練が残ってしまうから。
そのとき、再び階段の軋む音がした。オフェリアは急いで青い石を小袋にしまうと、二重底の下に隠して引き出しを閉めた。カーテンも閉め直し、涙で濡れた頬をごしごしとこする。
やがて頼りないノック音がした。
オフェリアは安堵の息をもらす。父親ではない。
「はあい?」
いつもどおりに返事をすれば、扉を開けておずおずと入ってくる小さな影が三つ。まだ幼い妹と弟たちだ。
「お姉ちゃん、おなかすいてない?」
「これあげる」
オフェリアは膝をついてしゃがみ込み、差し出されたものを受け取った。くしゃくしゃの紙に包まれた、干しイチジク入りの栗粉クッキーだった。昨晩の晩餐で出たものをこっそり持ってきてくれたらしい。幼子たちの思いやりに、オフェリアの顔が思わずほころぶ。
「ありがとう。一枚だけもらうね。お姉ちゃん、お腹いっぱいなの。みんなで分けて食べな」
この村では菓子類は贅沢品だ。なるべくなら妹や弟たちに食べさせてやりたいとオフェリアは思った。
しかし、幼子たちは懸命に首を振って包み紙を押し付けてくる。
「ぼくたちは食べたからいいの!」
「これはお姉ちゃんのぶん!」
「……じゃあ、もらっちゃうね」
ありがとう、と言いながら、オフェリアは三人の頭を順に撫でた。くすぐったそうに笑いながら、妹たちはこそこそと部屋を出ていく。ひょこひょこ動く小さな背中を見送りながら、オフェリアは先ほどの自分の涙を恥じた。幼い妹弟を置いて、どうして自分だけこの村から逃げられようか、と。
『あの双子には相応の罰が与えられているよ』
『家畜のように屋外につながれているそうだ』
ふと、父親が愉快そうに語った言葉を思い出す。
オフェリアは手のひらに乗った山盛りのクッキーには手を付けず、紙で包み直すと、割れないようにそっとポケットにしまいこんだ。
〈次回予告〉
罰を受ける双子のもとに差し伸べられるのは、救いの手か、それとも……。