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コルシカの修復家  作者: さかな
12章 世界の終わりと夜の虹

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第144話 誰がこいびと殺したの?(1)

〈前回のあらすじ〉

修復失敗したかもしれない、と吐露したルカ。いったい何が起きたのか? 四人は作業部屋へと赴く。

 翌日、ルカは三人を連れて作業場として使っている教室にやってきた。

 物置棚に下半分が隠れた窓。そこから差し込む淡い光。底冷えする空気も、部屋じゅうに満ちているテレピン油のにおいも、昨日となんら変わらない。教室のほとんどを占領する長方形の机には、修復に使う道具がすでにきちんと整列した状態で並んでいる。


――施錠できる教室だから、道具類は置いておいたらいいよ。


 そう提案してくれたのはミーシャだった。修復作業を間近で見たいと瞳を輝かせていた彼女は、教室を飛び出して以来、ルカの前に姿を現していない。


「おー。こりゃ確かに剥がれてるな」


 イーゼルに被せられていた布を取り払い、アダムはその上に鎮座しているキャンバスをしげしげと眺める。


「どこだい、アダムちゃん?」

「ほら、ここだよ。この金箔んとこ」


 アダムの指先が、抱き合う恋人たちの右側を覆う金箔の一部をぐるりと丸で囲んだ。輝く表面のところどころが、斑点のように白くなっている。金箔を貼りつけた絵具層がごっそり剥がれ落ち、下地の色が見えてしまっているのだ。

 ニコラスとニノンは顔を寄せ合い、指さされた箇所を食い入るように見つめては「ほんとだ」「もともとこうだったわけじゃないのかい?」と口々に呟いた。少し距離をおいてその様子を眺めていたルカは、どうにも居た堪れなくなり、彼らの背中から静かに視線を逸らす。


「もともとじゃないよ。それは俺がやったんだ」


 呟いた声は、想像以上に場をしんとさせた。

 音もなく振り返った三人の顔には、本人以上に衝撃と動揺の色が浮かんでいる。昨夜は失敗したかもしれないと伝えたきりだったので、冗談だと思われていたのだろうか。同情に等しい彼らの眼差しは、ルカをより惨めにさせた。


「辛気臭え顔すんなよ。わざとじゃねえんだからさ!」

「ぃっ……」


 ばしん、とアダムに遠慮ない力で背中を叩かれ、ルカはキャンバスに近づく形で数歩よろめいた。故意ではなくてもミスはミスだ。そう心中で呟いて、余計にどんよりとした気持ちになる。ふと顔をあげると、抱擁する恋人たちの姿が目に入った。

 二人の愛が永遠であることを(うた)うように、彼らを取り囲む黄金は輝きを取り戻している。だからこそ余計に、男性の左肩近くにできたまだら模様(・・・・・)が目立って仕方なかった。


「それにしても、あんたがミスなんて珍しいねぇ、ルカ。一度ガツンと休んだらどうだい?」

「疲れてたわけじゃ……」

「考え事でもしてたんだろー?」


 アダムが興味なさげに語尾を伸ばす。視線は相変わらずキャンバスに注がれている。まるで犯人の尻尾を捕まえようと目を光らせる探偵のようだ。


「……昨日の午後はずっと、残りの洗浄作業を進めてたんだ。普段どおりに綿棒を使って、洗浄液で汚れを擦り落として。それで、剥離が起きた」


 ちょうど日が暮れた頃だった。

 綿棒の先が鮮やかな顔料で(・・・・・・・)染まっている(・・・・・・)のを認めた瞬間、ルカは全身から血の気が抜けていくのを感じた。取り返しのつかないことをしてしまった、という動揺と同時に、なぜ、といった疑念が湧く。


「固着力が弱くなっている絵画層の場所はチェック済みだったし、洗浄剤の濃度も細かく調整したつもりだったんだけど」

「心当たりはないの?」

 尋ねるニノンの眉尻は分かりやすいほど下がっている。

「うん……いや、気になることはひとつあって」


 えっ、と期待の眼差しが飛んできたとき、アダムが「なぁ」とルカを呼んだ。


「昨日、原因はあらかた探ったって言ってたけどよ」

「うん」

「洗浄液の濃度はチェックしたのか?」


 机の上にある透明のガラス瓶が、窓から漏れたわずかな光を受けて輝いた。キャンバスから視線を外し、アダムがこちらを向く。示し合わせたように、二人は視線を通わせた。


「ちょうど今、試そうと思ってたところだ」


 



「本当は昨日検査したかったんだけど、先約がいたから諦めたんだ」


 検査室に場所を移したルカは、装置のカラムに洗浄液を注ぎ入れながら、昨日職員室に鍵を借りに行ったことを三人に話した。部屋はすでに誰かが使っていたため、その日は別の観点から要因を探ることにしたのだ。

 検査室は修復作業をしていた教室よりも倍ほど広く、よく似た見た目の白っぽい装置がずらりと机の上に並んでいる。


「アダムはどうして洗浄液が怪しいって思ったの?」


 しばらく作業を眺めていたニノンは、理解することを諦めてふっと顔を上げた。


「ああ、絵具層の剥がれ方だよ」

 アダムは机にもたせかけていた身体を起こす。

「綿棒で強く擦りすぎたっつっても、慎重なこいつだったらせいぜい金箔が剥がれる程度で済む」


 こいつ――と言いながら、アダムはルカの頭を小突いた。頭が傾いだままの体勢で、ルカは検査結果の紙が出てくる排出口をじっと見つめている。


「けど、あの絵は絵具層までごっそり剥がれてただろ。明らかに摩擦だけが原因じゃねえよ。それ以外って考えたら、薬剤の過剰反応が妥当だなって思ってさ」


 それは的を射た指摘だった。しかも、たった数分の目視で現状を把握したのだ。彼の観察眼の鋭さが窺える。


「へぇ。アダムちゃん、すごいじゃない。まるで探偵みたいだね」

「え? そ、そうか? ま、俺ってば天才だからな〜」


 予期せぬ称賛に柄にもなくアダムが照れていると、検査機から「ピピー」と小さな電子音が響いた。ややあって、装置の排出口からゆっくりとレシートのような紙が出てきた。


「それが結果かい?」

「うん」


 紙の動きがぴたりと止まったところで、ルカはそれを手でちぎり取った。


「えーっと、どんな結果が出たらダメなんだっけ?」

「想定より濃い数値が出たらアウトだ」


 ポケットから萎れた紙切れを取り出して、今しがた手に入れた真新しい紙と見比べる。数日前に洗浄液を精製した際に検査した濃度と、今回の結果には差があるのか。ルカの目が、簡素な数字の羅列を追う――。


「で、どうなんだよ、ルカ?」


 各々から期待と不安の入り混じる視線が注がれる。手元の検査結果を確認したルカは、迷った末に顔を上げた。


「精製したときより、若干濃度が濃くなってる(・・・・・・)

「……って、ことは……」


 ひと呼吸置いてから、ニノンとニコラスが揃って肩を弾ませた。


「原因がわかったんだ!」

「だけど誤差の範囲だ」

「え? 誤差?」


 ルカはかぶりを振り、ざわつく一同を鎮める。


「この濃さじゃ剥離はしない」

「なああ……そっか……」


 がくりと項垂れたニノンも、その隣で肩をすくめたニコラスも、一様に鵞鳥ゲーム(すごろく)で駒が振り出しに戻ったときのような顔になっている。


「っつか、精製したときより濃くなってるってどういう状況だ? 揮発(きはつ)するほど蓋開けっぱなしにしてたのか?」


 机の上に置いてあった洗浄液入りのガラス瓶を手に取ったアダムは、それを顔のあたりまで持ち上げて軽く揺すった。ガラス瓶の中で、透明の液体がたぷんと揺れる。


「蓋を閉め忘れた覚えはないけど、まぁ、その程度の誤差だよ」

「うーん……?」


 アダムは首を捻ったが、すぐさま「わっかんねえな」と匙を投げた。

 ミーシャと二人で手分けしたおかげで、進捗具合も洗浄液の消費スピードも普段以上に早かった。昨日の時点で、洗浄液はガラス瓶の半分以下(・・・・)まで減っていた。つまり、そこまで使っても剥離被害が広範囲に及んでいないということは、やはり原因は別にあるのだ。

 たとえば、事前調査の結果を見誤っていたとか。固着力が弱まっている部分を知らぬ間に強く擦りすぎたのかもしれない。視界の先で、ニノンとニコラスが何事かを話している。もしそうなら、これ以上被害を出さないためにも、事前調査を最初からやり直す必要がある。フェルメールに連絡して、納品の期日を延ばしてもらったほうがいいだろう。アダムが再度洗浄液を揺する。ガラス瓶の三分の二(・・・・)あたりの位置で、水面がたぷたぷと揺れている――。


 その違和感を認めた瞬間、ルカの背中をそわそわしたものが這い上がってきた。


「どうした? って――」


 首を傾げるアダムの手首を掴み、その左手ごとガラス瓶を手元に引き寄せた。


「おい、なんだよ!?」


 痛えだろ! と喚くアダムを他所に、ルカは透明の液体を注視する。「え、なになに?」と怪訝な顔をしながら、ニノンとニコラスもガラス瓶を覗き込む。


「増えてる」

「あ?」

「液量が、昨日よりも増えてる(・・・・・・・・・)

「増える? んなわけねえだろ。揮発したら量は減るはず……」


 そこまで言って、アダムがハッと息を呑んだのが分かった。

 この世界に魔法でも存在しない限り、液量が自然に増えることなどあり得ない。

 神妙な雰囲気に気圧されたニノンが「あ」と何かに気付いたように口をあけた。そして、周囲の様子を目で伺いながら、言いにくそうにこう続けた。


「誰かが中身を……入れ替えた、ってこと?」


 その場にいた者の視線が一気にガラス瓶に吸い寄せられる。

 そうとしか考えられなかった。しかも、その誰か(・・)はおそらく、この部屋で修復作業が行われていることを知っている人物だ。


 暗雲が垂れ込め始めた矢先。前方で、ガチャリとドアの開く音がした。


「あれ? どうしたんですか、みなさんお揃いで」


 ひょこりと検査室に入ってきたのは、白衣を身に纏ったテオだった。両手には試料やファイルをたくさん抱えている。


「なんだか表情が暗くないです? ああ、もしかして――」


 どさりと腕の中の荷物を机に降ろすと、テオは悪戯しがいのあるおもちゃを見つけたような表情を浮かべた。


「作業、失敗でもしちゃったんですかぁ?」


 だが、目をかっ開いたまま微動だにしない一同を前に、テオはすぐにニヤニヤ笑いを引っ込めた。


「え……なんです?」


 いやな予感がしたのだろう。一歩後ずさったが、遅かった。


「確保だ!!」

 すかさずアダムが人差し指を突きつける。

「なんなんですか一体ー!?」


 かかれー、と号令が響き、ルカ以外の三人が特攻をかけた。テオは無意味に裸体を隠す乙女のポーズをとったが、防御力などゼロに等しい。もみくちゃにされながら、あえなく拘束されたのだった。


次回「誰がこいびと殺したの?(2)」は明日か明後日に更新予定です。

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― 新着の感想 ―
[一言] うーん。怪しいけど、テオじゃないような気がするなぁ……気がするだけだけど。 とはいえ、みんなは頼もしいね。 一人じゃないって心強い。
[良い点] なんっつー怪しいタイミングで入ってくるんだ、この男は!! けど、テオくんがそこまでする……いや、まあ怪しいんですけど! あと割と悪意もあるって知ってるんですけど!わざと色々したりできる子っ…
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