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コルシカの修復家  作者: さかな
12章 世界の終わりと夜の虹

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第127話 木枯らしの前触れ

 長方形にテラコッタ瓦の三角屋根といった、昔ながらの一軒家。

 ブナやハンノキ、マツ、イチイの木。くすんだ秋色の木々に囲まれたその家は、誤って迷い込まなければ辿り着けないような森の奥地にぽつんと佇んでいる。


 蔦の這う外壁に、一本の長い梯子(はしご)が掛かっている。先端が屋根に届くほどの長さだ。小高い丘に立つニキの家から、町の下流に広がる森の僻地まで、大の大人が二人掛かりでえっちらおっちら運んできた代物である。


 ニコラスは水で練ったセメントがたっぷり入ったバケツを提げ、片手で器用に梯子を登っていく。


「先生、こんな感じでどうだい?」


 登りきると、ニコラスは重たいバケツをどすんと屋根瓦のうえに下ろした。屋根から顔を覗かせていたニキは、バケツの中身を見もせずに「いいね!」と親指を突き立てる。


「さすがサーカス団の元団長、見惚れるくらい素晴らしい身のこなし。ブラーヴォ!」

「そっちじゃなくて、セメントの柔らかさを見てほしいんだよ」

「テナガザルもびっくりするな」


 別にテナガザルに脱帽されてもニコラスは嬉しくもなんともない。

 当の本人はといえば、白眼視されていることにも気がつかず、しまいには無垢な瞳で「ニッキー、やっぱり本格的にぼくの相棒にならない?」などとのたまってくる。

 ニコラスはもう何度目かになる誘いをしらけ顔で振りきって、一人でさっさと壊れた屋根瓦のほうに向かった。


「置いてかないでよ〜」

 と、慌ただしい足音が後ろからついてくる。



 本来であれば、ニコラスはほかの三人とともに今頃町の頂上へ登り、噂の壁画を眺めているはずだった。


 ニキ邸に一本の電話が入ったのは朝支度をしている最中のことだ。


 相手はアンリ・フェルメール。

 なんでも屋根瓦が数枚落ちてきたそうで、雨漏りする前に修理してほしいとのことだった。たまたま授業が入っていなかったニキは、その依頼を二つ返事で了承した。

 そこまではいい。

 問題は、「さぁ行こう!」と当たり前のように腕を掴まれ、何故かニコラスまで修理に付き合わされる羽目になっていることである。


「修繕業まで請け負ってるなんて、そりゃあ猫の手も借りたいはずだよ」

「いやいや、普段はこんなことやってないからね? ぼくだって教師業で手一杯なんだから。フェルメールさんは昔からの付き合いだし、今までずっとそうしてきたってだけで」


 ニキは瓦が歯抜けになった箇所へ練ったばかりのセメントを流し込み、(こて)で平らに(なら)していく。 手際の良さはさすが職人だ。


「それに、じいさん一人で屋根に上らせるわけにもいかないじゃない」

「落っこちたら骨折どころじゃ済まないからね」

「そうそう……って縁起でもない」


 一面に敷き詰められたテラコッタ瓦は、オレンジが強かったり茶色に寄っていたりと、モザイク画のように一つ一つの色合いが微妙に異なる。その土地の粘土の質によって焼き上がりの色に差が出るからだ。


「でも先生がフェルメールさんとそんなに親しかったなんて、知らなかったよ」

「いわゆる手紙で繋がった身内みたいなもんだよ」


 ニキは視線を手元に落としたままニコラスの手から瓦を受け取り、それをセメントの上にぴたりと重ねていく。そうしてうまい具合に角度を調整してから、ぱっと顔を上げた。


「ニッキーも読んだろ? ベルナール家からの手紙」

「ああ――ルカが持っていたやつをね」


 四つに裁断した絵画の在り処と、その所持者を記した手紙。

 本文にはあわせて七つの家名が綴られている。

 アンデルセン、ゾラ、ミチノ、フェルメール、ボルゲーゼ、オーズ、そしてダリ。皆、ベルナール家に忠誠を誓う者たちの名である。


「昔、親父(おやじ)が教えてくれたよ。あの手紙に書かれている家の者たちは、食客(・・)みたいなもんなんだって」

「食客ねぇ……」


 それぞれの強みを活かして、主君に恩返しをする。彼らは――自分も含め――まさしく食客と言っていいのだろう。けれど、当の主にはたしてそのような思いがあったのかどうか、ニコラスは未だ懐疑的だ。


 つまるところ、傾倒しているのだ。


 自身を助けてくれたベルナールの当主が、相応の利益のためではなく、善意から(・・・・)手を差し伸べる人物なのだと信じている。信じているし、ニコラスのなかでは揺るぎない事実でもあるのだ。でなければ、なんの取り柄もなかった小汚い双子の子どもを、自らの屋敷に招き入れるはずがない。

 変わることのない感情を、ニコラスは今もずっと大事に抱いている。


「ぼくらボルゲーゼ家は絵画の一部を隠しながら建築に関する仕事も担ってきたから、少なからずほかの家とも交流があってさ。絵を隠すための地下室を施工したり、ついでに家を建てたりしてたんだけど」

「以前もそう言ってたね。ルカの家の地下室を造ったって」

「そうそう」


 ニキは頷きがてら、「で、ちょっと気になってたんだけどさ……」ともぞもぞ呟いた。


「ダリ家は何を受け持ってるの? あるんでしょ、なにか役割が」


 関心の色を強めた目がこちらを窺ってくる。

 ニコラスは手元のバケツを意味もなくくゆらせ、それから乾いた森の葉に視線を移した。


「お父様はなにか仰ってなかったの?」

「ぜーんぜん、なんにも。おやじも知らないんじゃない? 知ってるのは交流のある家の事情くらいだからな」


 先代、あるいは先先代より伝わる約束事、担うべき使命は、次の世代へと繋がっているようではあった。

 逆に言えば、今の七族はインプットした命令を延々と繰り返すロボットだ。充てがわれた役目は全うするが、その根幹にどのような出来事があったのかまでは知らない。

 知られぬまま時代は移ろってゆくのだ。それもまた、主が望んだことだ。


 忘れ去られた記憶を未だ所持しているのは、代替わり(・・・・)をしていない男だけだろう。


「ねぇねぇ、教えてよ。気になるじゃんか。絵画を所持してたわけじゃないでしょ。寝床は移動式のサーカス団だし」

「……私は、今も昔もあの子の護衛だよ」

「あの子って? ニノンちゃん?」

「そう――ちょっと先生、それ汚いんじゃないの?」


 汚れた鏝先を差し向けてくるので、ニコラスは眉間にしわを寄せて手でしっしっとやった。

 ニキはへらへら笑い、差し向けていた鏝を今度は盾に見立てて、顔の前で掲げてみせる。


「護衛って、なんかかっこいい響きだな。いわゆる"ボディーガード"でしょ?」

「そんな大層なもんじゃない。ただ側に居てやってほしいって頼まれてるだけだよ。まぁ、それももうじき(しま)いだけどね」

「ふーん……えなんで?」


 ニキは間の抜けた声で尋ねる。


「私が隣にいなくても、もうあの子は一人じゃないからね」

「それって――え? つまり……」


 探偵の真似事のように片眉をくねらせていたニキは、突如開眼して身を躍らせた。

 

「なにそれ! 詳しく聞かせてよ!」

「ち、違う。そうじゃなくて」

「へえ、うっふふ」


 ニコラスは頭を抱えて後悔した。たとえ身内だ云々と言われ気が緩んだとしても、軽率なことを口にするものではない。


「ふっふっふ……で、どっち?」


 ニコラスは一瞬、年甲斐もなくそわそわしている目の前の男を屋根から投げ飛ばしそうになった。

 なんとか思いとどまり、軽く咳払いをして話題を変える。


「私がサーカス出身だとかっていう話も、違うからね。サーカス団を立ち上げたのはゾラさん。私は彼に拾われただけだよ」

「そうなんだ、へえ〜…………うえっ」


 ニキはぎょっとした顔でこちらを二度見した。


「そうなの?」

「言ってなかった?」

「聞いてないよ!? っていうかゾラ家がサーカスを経営してることも初耳だし――ぎゃ!」


 驚いた弾みで鏝の上のセメントがぼとっと垂れ落ちた。ニキは「ああ〜」と情けない声を出しながら、慌ててそれらを搔き集める。

 手紙の情報が古いままなのは、これまでの旅の中で幾度となく痛感してきたことだ。今更驚きやしないが、一周回って、それが絵画を隠すのに一役買っているのかもしれないとも思えてくる。


「でも誰かと交流があって少し安心したかな」


 セメントを掬い上げながら、ニキはぽつりと呟く。


「安心されるようなタマじゃないんだけどね」


 軽く笑い飛ばそうとして、ニコラスはそのままぴたりと動きを止めた。目をやった先の男が、案外本気で安堵していたからだった。


「ほかの家は何処にいて何をしてるのか、だいたいは知ってるんだ。でも、ダリ家に関しては何もわからなかったから。だから安心した――って言うのも今さらなんだけどさ」


 ニコラスは思わず目を瞬いた。ひと月ほど共にいるが、そんな話を聞いたのは初めてだったので、少し意外だった。


「血は繋がってないし親戚でもないけどね、でもやっぱり身内なんだよ、ぼくらにとっては」


 大真面目に語る言葉の端々からは、押し付けがましくない真心が確かに伝わってくる。ニコラスはそれを懐かしく思いながら口元を緩めた。


「先生はやっぱりボルゲーゼの人間だね」

「それどういう意味?」


 嫌味を言われたと思ったのか、ニキは眉を潜めて突っぱねる。


「優しいねって言ったんだ。昔っから(・・・・)ね」

「見くびられちゃ困るな。ぼくが優しい人間なのは当たり前でしょうが。慈愛の化身ですよ慈愛の」


 偉そうに鼻息をふかした男は、すっくと立ちあがって残りの穴ぼこに移動してしまう。


「当たり前じゃないけどねぇ……」


 優しい人間というのは、他人に居場所を与えることのできる者だ。あなたはここにいてもいいと、相手に最も自然な形で伝えられる者。ニコラスはそんな風に解釈している。

 それができるのは当たり前ではない。

 無条件に愛を与えられてきた者か、あるいは与えられずに後悔したことのある者だ。


「先生の家はご兄弟がいらっしゃるんだったね」

「なに、どうしたのいきなり?」

「いや賑やかそうだな、と思って」


 訝しんだのもつかの間、ニキはバケツから搔き集めたセメントを、土台のむき出しになった屋根にぼとりと落とした。


「カルヴィにいるお袋とおやじの近所に兄貴夫婦が住んでるよ。甥っ子は六歳と四歳なんだ」

「やっぱり賑やかだね」

「賑やかというか煩いというか……」


 一日中追いかけ回されて体力が持たないだの、誕生日に渡したおもちゃをものの数分で壊されただの、ぶつくさ文句を言う割に、最後は叔父の顔になって「まぁ可愛いからいいけど」と吐露した。その態度がもう照れ顔にしか見えなくて、ニコラスは吹き出しそうになる。


「たまには帰ってやりなよ。どうせろくに顔も出してないんだろ」

「故郷は帰るもんじゃなくて置いてくるもんなの」

「なにワケわかんないこと言ってんのさ」


 きりっとした顔で豪語する男をばっさりと切り捨てる。偉人の言葉でも引用したような口ぶりだが、完全に本人の適当語録である。


「忙しいんだよおー先生はぁー」

「土産のひとつでも提げていけば喜ばれるよ、甥っ子たちに」

「なんなの、ニッキーはぼくのお袋なの?」

「尻たたく役くらい、いくらでも買って出てやるよ」


 男は途端に苦いものを口にしたような顔をした。「どうせなら助手のほうが……」などと零す声はもちろん無視。

 その後も他愛のない話で盛り上がったり下がったりしつつ、二人は最後の瓦の修繕に取り掛かった。


「やっぱ手が四本に増えると作業が捗るな。手軽に声掛けられる奴がほしいなぁ、近所に」


 フェルメール邸にやってきた頃には森の茂みに隠れていた太陽も、今やすっかり頭上に顔を出している。降り注ぐ日差しは、肌寒いほどだった空気を陽気なものに変えてくれていた。


「助手が欲しいんなら光太郎さんに掛け合ってみたらどうだい? 仲良いんでしょ、あんたら。息子に修復業の看板手渡したんだから、今は手すきだろうし――」

「ダメダメ!」


 なんとなく提案してみたら、失礼なほど大きな声で批判が返ってきた。


「コータローは運動神経がまるでダメなんだよ! 屋根に辿り着く前に落っこちるのなんて目に見えてる。ついでに高いところもダメだから、あの人」


 そこまでダメを連呼されると、どれほどお粗末な神経なのか逆に確かめたくなってくる。


「お二方、聞こえてますよー」


 と、遠い声が建物の下から聞こえてきた。

 ニキは悪びれる様子もなく肩をすくめてみせる。現在もフェルメール邸に滞在している光太郎が梯子(はしご)を支える役に徹しているのは、つまりそういうことらしい。


「それにコータローはやることがあるから忙しいんだ」

「いや、私にもやることくらいあるんですけどね」


 冷ややかに反論してみたが、聞こえなかったのかさらりと無視される。


「なんか、小さな美術館を作りたいんだってさ」

「小さな――なんだって?」


 この世において場違いな単語を耳にした気がして、ニコラスは思わず間の抜けた声を出した。

 空になったバケツを提げ、ニキは立ち上がる。


「美術館、ってコータローは言ってたけど。カフェぐらいのスペースに絵画を展示するんだって」


 聞き間違いではなかったらしい。

 美術館――それは五〇年前に姿を消した文化施設の名だ。


「いや……展示ったって、どうやって絵を所有するのさ」


 ただでさえ不法所持が罰される時分において、少々無謀すぎやしないだろうか。

 心配するニコラスとは裏腹に、ニキは歩きながら「さぁね」と冷めた反応を示す。


「だからフェルメールさんのところで寝泊まりしてるんじゃない?」


 歩く度に足元で瓦が動き、カンカラと音が鳴る。

 その口振りからして、彼もフェルメールがルーヴル美術館の館長を務めていた過去を知る一人なのだろう。


「色々教わってるみたいだよ。詳しいことは聞いてないけど、傍から見てるけど忙しそうだね。っつって、いまは梯子持たせちゃってるんだけどさ――おお?」


 突如、ニキはその場に屈み込んだ。


「今度はなんだい?」

「足跡がついてる」

「は?」


 ニキは地面を這うアリの列を観察する子どものように、しげしげと足元の瓦を覗き込む。かと思えば、そのままの態勢であちこち動き回っては「あれ、ここにも」「これもだ」とブツブツ呟いている。


「足跡ったって……」


 数日前に降った雨で、日中陽の差さない森の地面はじっとりと湿ったままだ。今まさに自分たちが踏みしめている瓦だって靴底に付着した泥で汚れているだろう。

 物が溢れそうになっていた家の主が、そのような些細な泥汚れを気にするのか?――と、ニコラスは些か不思議に思う。


「気にしすぎじゃないの、先生? 雨が降れば綺麗さっぱりなくなるよ」

「それが、どうもぼくらの足跡じゃなさそうなんだよねえ」

「え?」


 ぎょっとして、指さされた場所をニコラスも遅れて覗き込む。

 薄っすらとではあるが、たしかに泥汚れの乾いた跡のようなものがあった。二人の足よりもひと回りほど小さいものから同じくらいのものまで、複数の形が散見される。

 どうやら一人ではないらしい。


 ニキは顎に手を添え、真剣な顔で唸った。


「――(ムヴラ)か?」

「どう見ても人でしょう」

「だよね」


 今度こそ二人は真面目に顔を見合わせた。

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