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コルシカの修復家  作者: さかな
11章 世迷いウィルと不思議のハロウィンナイト

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第116話 不吉のインフェルノ

「じゃあまたね、ルカ君」


 しばらく立ち話をした後、ミーシャは別れを告げて店から出ていった。華奢な背中が扉の向こうに見えなくなると、ルカはゆるく振り返していた手をそっと下ろした。


 厳格で手厳しく、他人とはそうそう馴れ合ったりしない。

 そんな、彼女に対して漠然と抱いていたイメージは、まったくの誤りだったのだ――扉のカウベルが揺れるのを見つめながら、ルカはしみじみとそんなことを思う。

 おそらく、教室で他の生徒たちに容赦なく忠告を突きつける姿が印象的だったせいだろう。しかしそれだけではない。しばらくカナコと修復作業を進めている間、彼女が教室内にいる他の生徒と会話らしい会話を交わしているところを見たことがなかったから、というのもある。

 孤高の存在なのか、別の理由によるものなのか。定かではないが、どちらにせよ人と関わるのが苦手か、あるいは興味がないのだと思っていた。


 だからルカは時折感じる彼女からの視線を、「他所者(よそもの)に対する監視」だとか「騒がしい人間への牽制(けんせい)(騒がしかったのはカナコだけだが)」であるとか、決してプラスではない類のものだと解釈していた。


 蓋を開けてみればなんのことはない。当たり前だが彼女は笑いもするし、楽しそうに喋る普通の女の子だった。

 絵画が好きで、修復に興味がある、だから今度作業を見学させてほしい――会話の内容は主にそんな風で、むしろルカは彼女に親近感を覚えたほどだ。


「おいおいおい! ルカ、お前あの子といつ知り合いになったんだよ」


 どこからかすっ飛んできたアダムが、勢いよくルカの腕を引っぱる。


「いつって……ついさっき?」


 後方に体勢を崩したまま、ルカは半身を捻って答える。アダムは「だー」と悔しそうな唸り声をあげ、天井を仰いだ。それからすぐに顔をぐんっと勢いよく元に戻すと、そのままルカの両肩を鷲掴む。


「知ってるか? 学園一の美人って噂だぜ、あの子」

「知らないよ」


 ルカは興味なさげに答えると、至近距離にあるアダムの顎をぞんざいに押し退けた。そもそも、部外者なのに学校の噂話に精通している方がおかしい。

 アダムは顎をぐいぐい押されようがおかまいなしで、「だよな、知らねーよなあ。わかってたけど」と独りごちている。


「くっそー、もうちょっと早く気付いてたら俺もお喋りできたのに」

「アダムだって他の生徒と話してただろ」

「そういうことじゃなくてよ……って、ちがうちがう」


 アダムは首をぶんぶん振ると、急に表情を固くさせた。それから再びずいっと顔を近づける。


「なぁ」

「なに」


 やけに距離を詰めてくる彼はどこか困り顔で、ちらちらとあたりの様子を目で窺っている。

 何かまずいことでも起こったのだろうか。


「どうしたんだよ」


 催促するようにルカがもう一度尋ねると、


「なんかさ……ニノンのやつ、あんま元気なかったよな?」

「ニノン?」


 しーっ、とアダムがすぐさま人差し指を唇の前に突き立てる。それからきょろきょろとあたりを見渡し、いっそう声を潜めて続ける。


「アーケード歩いてる時も、アイツ全然喋ってなかったなと思ってさ。いやわかんねェけど。なんつーか、俺、言いすぎたかな……みたいな」


 どう思うよ、と肩を寄せられたが、ルカも同じように眉をひそめることしかできなかった。よくよく思い返せば、普段と比べて確かに元気がなかったような気がしないでもない。


「まぁ、言われてみれば」

「やっぱそっかー」


 アダムはがりがりと頭を掻きむしる。


「別に苛めたくて言ったわけじゃなかったんだけどさ。そんなにキツく言ったっけか?」


 まぁでも大きい町で買い物するのも久しぶりだったからな、楽しかったんだろうな、あいつ買い物好きだもんな、云々……とぶつぶつ呟いては、アダムは一人納得したように首を縮こめる。


「うーん、でもどうすっかなァ。ほら、謝ったところで今更ってなるよな? ならねェ?」


 二度目の肩寄せで更に距離が近くなる。


「そんなことはないと思うけど……」


 ルカは適当なことを返しながら身じろぎをした。その時、うんうん唸るアダムの肩越しに小ぢんまりとしたハロウィンコーナーが見えた。ニノンが見たら喜びそうな、可愛らしいサイズの小袋がたくさんある。この時期になると、どこでもちょっとしたギフト用のお菓子を取り扱うのだろう。


「――アダム」

「あ?」

「アレ、いいんじゃないか?」


 ルカは思いついた考えをアダムに耳打ちした。その途端、しょぼくれていたアダムの目が生き生きとしはじめた。


「それいいな。そうしよう!」


 今度はルカが人差し指を立てて、しーっとやる番だった。アダムは慌てて口元を手で押さえると、手でもう一度「それいいな」といった様なサインを出した。

 ハロウィン用のお菓子を手渡して、そのまま二人で謝ってしまおう――なんて、こそこそ相談する内容でもないのだが、できればお菓子はニノンに気付かれない内に買ってしまった方がいいだろう。


「ルカはニノンを捕まえといてくれよ。俺、その間にお菓子買ってくるからさ」

「あ、おい」


 善は急げとばかりにアダムはハロウィンコーナーへと走って行ってしまった。

 まぁいいか、とルカは伸ばしかけた手を引っ込め、薄暗い店内に足を向けた。


 それからしばらく、足止め係を務めるために薄暗い店内を歩き回ってみたが、赤いフード姿はなかなか見つからなかった。先ほどからすれ違うのは見知らぬ人間ばかりだ。

 店内は入り組んではいるが、屋敷ほど広大な建物というわけでもない。こんなに歩いて一度もすれ違わないなんて、さすがにおかしいとルカはようやく焦り始めた。


 ニノンが行方不明だと気がついた時にはもう、既にかなりの時間が経ってしまっていた。



 *



 ウィルはとにかく口達者な男だった。スーパーでカートを押している間も、商品を探している時も、彼の口が閉じている時間はほぼなかった。

 一方のニノンはというと、憂鬱な気持ちを思い起こす暇もないくらい、彼の隣で楽しいひと時を過ごしていた。


「これってデートかな?」


 途中、ウィルは幾度もそんな風に茶化してはニノンを困らせた。


「じゃなくて、お礼なんでしょ?」

「んー、そうだっけ」

「ただの買い物のお、て、つ、だ、い、で、す」


 そうやってニノンは都度ぶっきらぼうにあしらってみせるのだが、その裏で悪い気がしていない自分にも気付いていた。それほどまでに青年は、人の心の隙間に入り込むのが上手だったのだ。



「オレを荷物持ちとして雇ってよかったでしょ」

「買い出し、あっという間に終わっちゃったもんね。ありがとう」

「うむ、素直でよろしい」


 買い物を終えた二人は、休憩がてら噴水のある広場のベンチに腰掛けていた。

 穏やかな日差しの中、どこからか風にのって飛んできた銀杏(いちょう)の葉が広場の中央でくるくると踊っている。

 ニノンはスーパーで買ったガラスボトルのジュースを二本取り出し、中身が黄緑色の方をウィルに手渡した。ニノンが選んだのは淡いピンク色の方で、中身は桃味のスムージーだ。


「ウィルはずっとこの町に住んでるの?」

「まぁね」


 なかなか開かない蓋に悪戦苦闘していると、横からウィルの腕がひょいとボトルを掴み取った。ウィルが表面を撫でるように回しただけで、蓋は簡単に開いた。


「一度も出たことないなあ、そういえば。ニノンは違うんだったよな。車であちこち転々としてるんだっけ?」


 はい、と開封されたボトルを差し出される。ニノンは「ありがと」と言ってそれを受け取った。


コルテ(ここ)には一ヶ月くらい前に来たんだったかな。その前はここよりちょっと南にある、ミュラシオルって村にいたの。夏になると一面に咲くひまわりがすっごく綺麗なんだよ。一度見てほしいくらい」


 青いひまわり畑が黄色に染まるまでの瞬きの間に、パリでは様々なことが起こった。口では到底説明しきれないような、様々なことが。

 そのせいか、ミュラシオルでの夏の日々が随分と遠い出来事のように感じられた。焼けるような日差しも、雨のように降る蝉の声も、高台から眺めた山の合間にきらめく水平線も。すべてが思い出のアルバムの中にきっちり仕舞われている。

 それでもまだ数ヶ月も経っていないのだ。マキの森から始まるニノンの『ふたつめの日常』は、一日一日がスムージーよりもはるかにドロドロで濃厚だ。


「そういえば町で一回もすれ違ったことないよね。ウィルは普段なにしてるの? 学校に行ってるとか?」


 またどこからか黄色い扇型の葉が飛んでくる。銀杏といえば、ボルゲーゼ邸の前の坂道を下ったところに見事な銀杏並木がある。その並木道は湾曲することなくまっすぐ伸び、パオリ学園の正門へと続いている。


「そうかもな」

「あはは、何ソレ。まるで他人事みたい」


 普段はお喋りなのに、自分のこととなると途端に口数が減る。この短時間の間にニノンが気付いた、ウィルという男の特徴のひとつだ。初対面でいきなり自身のことを事細かに語る人間もそうはいないだろうが、こちらから尋ねてみても今のように曖昧な答えしか返ってこない。

 おそらく、秘密主義というよりは、単純に話すのが面倒なのだろう。そんな空気を放っているのだった。


「いいじゃん、オレのことはさ」


 今回も例にもれず、ウィルはいたずらっぽい笑みを浮かべて誤魔化した。


「それより、そっちのジュースうまそうだなあ。一口飲みたい」

「自分のあるでしょ」


 伸びてくる手から逃げるように、ニノンはジュースを頭上高くに抱え上げた。


「だってすっぱいんだよ、このキウイ味。ほら、この色。見てるだけですっぱそうだろ? ほらほら」

「ええ……?」


 と、ニノンの注意が一瞬黄緑色の液体に逸れた。その隙をついて、ウィルが絶妙な動きでボトルを掠め取る。


「あ、ちょっと」

「よそ見してんのが悪いんだよー」

「む」


 遠慮を知らない子どもよろしく、ウィルはごくごくとジュースを飲んだ。ニノンも相手の手からジュースを奪い取り、競う様に無理やり中身を喉に流し込んだ。


「……甘ッ」

「すっ、ぱーい……!」


 声が同時に重なり、互いにパッと顔を見合わせる。その時の表情があまりにも正反対だったから、ニノンもウィルも思わず「ぷっ」と吹き出した。それが合図になったかのように、二人は無邪気に声を出して笑いあった。

 ウィルには不思議な力がある。憂鬱な気分も湿っぽい気持ちも、彼の手にかかれば蒸発してすべてどこかに消えてしまうのだ。少なくとも、ニノンにとってはそうだった。


 その時、目の前の噴水が突然飛沫を増やし、一際高い水の山を作った。それは一定のリズムで引っ込んだり高くなったりして、やがてまたもとの穏やかな水量に戻っていった。所定の時刻になると行われる自動のパフォーマンスだ。

 ニノンはちらりと柱時計に目をやった。

 時刻はもう午後四時を過ぎている。


「そろそろ帰らなきゃ」

「ああ……じゃ、行くか」


 どちらからともなく立ち上がり、二人は先ほどとは打って変わって無言のまま歩き出した。かなり重いであろう食料の入った麻袋が、ウィルの両手に食い込んでいる。

 もともと買い出しの手伝いをしてくれるというだけの約束だった。だから、目の前の坂を登りきれば、この楽しい時間は終わりを迎える。日付けを跨げば解けてしまう魔法のように、たちまちのうちに。


 銀杏並木に差し掛かった時、奇妙なほどに黙りこくっていたウィルが唐突に立ち止まった。


「どうしたの?」


 ウィルは問い掛けに答えず、一歩、二歩と後ずさり、しばらくの間じっとニノンの姿を見つめていた。彼の後ろには同じ形の銀杏(イチョウ)の木がずらりと並んでいる。

 何故だろう、こんな時間帯なのに学生が一人も歩いていない。合わせ鏡の中を覗いているような不思議な景色だ。

 視界の中を、チラチラと舞い散る扇の葉だけが動いている。

 黄色い背景の中にぽつんと細長い青年が立つ様はどことなく非現実的で、まるで奇妙な夢を見ている気分になってくる。


「ニノンってさ、絵になるよな」

「絵に――って、どういう意味?」


 ぽつりと呟かれた言葉の意味を捉えかねて、ニノンは首を傾げた。


「そのまんまの意味。銀杏の黄色とニノンのピンクが混ざって綺麗だったから、思わず見惚れてた」


 ぼっと、ニノンは自分の頬で熱が爆発するのを感じた。


「ウィルって、ほんと、すぐそういうこと言うよね。慣れてるみたい。ほら、もう行こ。バターが溶けちゃう」


 ニノンは急いで彼に背を向けると、落ち葉を乱雑に踏みしめて、一人でずんずん坂道を上り始めた。

 本当は、少し肌寒いくらいの気温だから、急がなくてもバターが溶けることはない。息をするように口説き文句を吐く男に、赤く染まっているであろう頬を見られるのが癪なだけだ。特にこのような黄色だらけの道にいては、赤色は目立って仕方がない。

 あはは、と軽快な笑い声が背後から追いかけてくる。


「本当なんだけどな。…………手元に置いておきたくなるくらい」


「えー? 何か言ったー?」と、ニノンは大きな声で訊き返す。ウィルはさっと仄暗い感情を引っ込めると、「なんでもない」と首を振り、大股で坂道を駆け上った。


「ニノンはハロウィン、参加するんだよな」

「もちろん参加する予定だよ」


 ようやくウィルが隣まで追いついてきた時には、数メートル先にもうニキの家の白い門が見えていた。


「じゃあ、ハロウィンナイトの大焚火って知ってる?」

「広場で八時から催される焚き火のこと?」

「そうそう」

「ポスターが貼ってあったのは見たけど」


 ニノンはアダムが見ていたイベント告知のポスターを思い浮かべる。確かそこには場所と日時が掲載されていただけで、詳細までは載っていなかったはずだ。

 ニノンが曖昧に首を捻っていると、ウィルは得意げな顔になって話してくれた。曰く、ハロウィンナイトの締め括りとして、広場に集まった人々みんなで魔除けの焚き火を囲むのだそうだ。


「ってことは、大焚火を囲んでダンスするってのも知らない?」

「ダンス?」

「やっぱ知らないか」


 ニノンが首を横に振った時、二人はちょうど玄関の前に辿り着いた。

 ここでウィルとはお別れだ。


「ちょっと待ってて。人、呼んでくる。お礼言わなきゃ」


 と、ニノンがドアノブに手を掛けた時だった。突然、左手を強い力で引っぱられた。驚いて振り返ると、そこにはやけに真剣な眼差しのウィルがいた。ニノンは思わず身を固くする。


「ウィル?」


 手首を掴む手のひらは驚くほどひんやりとしている。まるで、触れたところから彼の熱を奪い取ってしまったかのようだ。


「え、あの……」


 対してニノンの心臓はどんどん熱量を増しているようで、激しく脈動を繰り返している。


「ハロウィンの夜、大焚火の傍で踊れる相手は一人につき一人だけなんだ。男から誘っても女から誘ってもどっちでもいい。でも一人を選んだら他は選べない」

「へぇ……そんなルールが、あるんだ」


 青色の瞳から目が逸らせない。ルカの両目に宿る深い海のような青ではなく、これは――そうだ、灼熱の炎。青い炎(インフェルノ)の色だ。


「明日は特別な夜なんだ。死者も生者も関係なく、好きな相手と手を取って踊ることができる。そこで踊った二人はずっと一緒にいられるって言われてる」


 ウィルはそこで一旦言葉を区切った。そして、真っ直ぐにニノンを見つめると、決意したように口を開いた。


「ニノン――明日の夜、オレと踊ってくれないか」

「えっ……」


 咄嗟のことに、ニノンはすぐに反応を返せなかった。


「それって、あの」


 まるで、告白しているも同然ではないか。


「出会って間もない奴にこんなこと言われても迷惑かもしれない。けど、オレはもっとニノンと一緒にいたいって思ってる。もっとニノンのこと知りたい。それから、オレのことも知ってほしい。オレにはニノンしかいないから。だから――」


 ウィルはどこか必死さを宿した瞳をまっすぐニノンに突きつけてくる。手首を握る手にぐっと力がこもった。絶対に逃さないとでも言うように。


「そ、そんなこと、急に言われても」


 相手からの真っ直ぐすぎる言葉が、ニノンの脳を瞬く間に支配する。何か返さなければいけないのに、口からはしどろもどろな言葉しか出てこない。顔を覆い尽くす熱で目玉まで煮えてしまいそうだ。

 顔に出てしまっていたのか、その困惑を察知して冷えた手がぱっと離れた。ウィルは眉尻を情けなく下げ、少しだけ寂しげな笑みを浮かべる。


「明日の夜、大焚火の前で待ってる。もしオレと踊りたいと思ってくれたなら、その時は青い炎を灯したランタンを探して。――いつまでも待ってるから」


 らしくないその表情に、ニノンの胸はぎゅっと締め付けられるように痛んだ。

 何も答えられない。目も逸らせない。

 ドクドクと、心臓が耳元のすぐそばで脈打っている。


「あ……とりあえず、待ってて、ここで」


 ニノンは矢のように突き刺さる視線から逃げるようにして、家の中に駆け込んだ。





「ニノン! あんたいったいどこ行ってたんだい!?」


 ダイニングの扉を開けるなり、顔を青くしたニコラスが悲鳴をあげて駆け寄ってきた。


「あんたがいなくなったって、今アダムちゃんもルカも町ん中探し回ってて――って、ちょっとどこ行くんだい!」


 慌てふためくニコラスの手を引いて、ニノンはふらふらと玄関へ向かう。急ぎ足になれないのは、困惑が尾を引いているせいだ。あの瞳に見つめられたらきっと、また炎に焼かれたように身体中が熱くなるに違いないのだ。


「あれ、ウィル……?」


 戻ってみると、玄関ポーチはもぬけの殻だった。買い物袋が二つだけ、扉の前にぽつんと置かれている。


「こんなに重たいもの、あんた一人で買ってきたってのかい? そのウィルってのは一体……あっ、こらニノン!」


 ニノンは感情のままに玄関を飛び出した。門の先まで走って、そこからあたりを懸命に見渡してみる。


「ウィル、どこ?」


 見下ろした先には夕日を受けて赤く焼ける学び舎のレンガ壁。正門からまっすぐに伸びる銀杏並木を、見知らぬ学生たちがぽつぽつと歩いている。夕暮れが差し迫った空の下で、寂しく舞い散る黄色い葉。

 その景色のどこにも、あの柔らかそうな猫毛の青年の姿を見つけることはできなかった。

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