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コルシカの修復家  作者: さかな
11章 世迷いウィルと不思議のハロウィンナイト

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第115話 ニノンの憂鬱

 心の足並みが揃わないまま、三人は次の目的地へと向かうことになった。

 その画材屋は、アーケードのガラスドームが一際高くなっている円状の広場に面しているとアダムは言う。近くまでやって来ると、懸命に目を凝らさずともパレットの形をした釣り看板を見つけることができた。

 ハロウィン用だろうか、入り口には五段重ねのジャック・オ・ランタンがどっしりと鎮座している。


「こんなところにあったんだ」


 知らなかった、と興味深げに呟くルカ。


「この辺の学生には有名みたいだけどな」


 と言いながら、アダムが重たい扉を開ける。頭上でカウベルがガランガランと不気味に響く。奇妙に歪んだカボチャの表情を脇目に、ニノンもそろそろと入り口をくぐった。


 店内は薄暗く、そこかしこでロウソク型のエネルギーランプがゆらゆらと揺らめいていた。ヴェネチアンマスクを被ったマネキン、血塗れの鎌、そこかしこに張り巡らされた蜘蛛の巣。天井から吊るされた首吊り人形は口から赤い綿を吐き出している。

 おどろおどろしい雰囲気なのはハロウィンが近いからだろう。それを抜きにしても、商品棚には確かに変わったものが多く溢れていた。

 その手に詳しい人間が見れば、あるいは宝の山に見えたかもしれない。だがニノンにとっては埋もれる宝の価値も分からなければ、面白くもなんともなかった。


 退屈しのぎに目に付いたクロコダイルの人形を手に取ってみる。鱗がごつごつとしていてあまり可愛くはない。口元からちろっと出ているタグを引っ張ると、赤いメジャーがびろびろと伸びた。


「あれ? アダム君にルカ君だ」

「なに、お買い物?」


 渋い顔をしていると、突如商品棚の向こうから耳慣れない女性の声が聞こえてきた。

 ニノンはわずかな棚の隙間から声のした方を覗き見る。長い茶髪の女性に、肩口で切りそろえられたハニーブロンド、それから焦茶のポニーテールの女性。二人の前に集まっている顔には見覚えがある。パオリ学園の教室で時折見かける女生徒たちだ。

 なんとなく談笑の輪に入る気にはなれなくて、ニノンはさりげなくその場から離れようとした。――が、一歩下がったところで、背後にいた誰かとぶつかった。


「あっ、ごめんなさい!」

「いえ。こちらこそ……」


 慌てて振り向き、ニノンは思わず息をのんだ。

 燃えるような赤い髪。吸い込まれそうなほど綺麗な緑の瞳。小さな頭、スラリとした手足。そこには人形のように美しい少女が立っていた。

 ニノンは彼女にもまた見覚えがあった。ここ最近、同じ教室で黙々と作業をこなしていた生徒だ。同性でも一瞬見惚れてしまうほど美しい容姿の彼女は、教室の中でも一際目立つ存在だったからよく覚えている。


 惚けたように長い間見つめてしまい、ニノンは慌てて目を背けた。しかし当の本人の視線はニノンを通り越し、背後にじっと注がれている。


「…………ルカ君?」


 ぽつりと呟かれたのは意外な名前だった。

 え、とニノンは振り返る。少し離れた先には確かにルカがいた。なにやら棚の前でしゃがみ込み商品を漁っている。会話についていくのが面倒だったのか、向こうの輪から早々に抜け出してきたらしい。

 名を呼ばれてふっと顔を上げたルカは、怪訝そうに眉をひそめた。


「えっと、どこかで話しましたっけ」


 いかにも怪しんでいるといった口ぶりに、少女は徐ろに首を振る。


「あたしパオリ学園の生徒で、あなたと同じ教室でずっと作業してて」

「それは知ってるんですけど。……名前、どうして知ってるのかなと思って」

「ああ。そっち」


 緑色の目がふっと興味深げな形へと様変わりする。その目はニノンとルカの顔を交互に見やった。


「ルカ君に、ニノンちゃんでしょ。けっこう有名だよ。ニキ先生の居候だっていうし、それにあの真面目な学園長が教室の使用を許可するんだから――っていうか教室にあたしがいたこと、覚えててくれたんだ」


 最後の言葉はぼそぼそと呟かれたものだったが、ニノンの耳は決して聞き逃さなかった。

 その声色に薄っすらと甘酸っぱい色が漂っているように感じたのは、ただの気のせいだろうか?


「ルカ君って、すごいんだね」


 少女の目が遠慮がちに斜め下を向いた。


「あの黒髪の女の子に修復のこと教えてたでしょ? 熱心で丁寧で、絵のことすっごく大事に扱ってて。ああこの人、絵画のこと本当に好きなんだなって思ったんだよね――」


 一方的な賞賛に、ルカはただただ圧倒されているようだった。淡々と、けれど勢いに乗って喋っていた少女は、そんなルカの様子に気付いたらしい。急に我に返ったように口を噤んで頬を赤らめた。


「知らない人間にいきなりこんなこと言われても気持ち悪いだけだよね。周りにルカ君みたいな人、いないから。それで余計に気になっちゃって。ごめん」

「いや、別に……」


 ルカが珍しく照れたようにうつむいた。

 そのほんのひと仕草が、ナイフのようにニノンの胸にぐさりと突き刺さる。

 鉄くずのような得体の知れないものが、胃の底でチリチリと悪さをしている。ルカが一瞬だけ浮かべた表情が自分の見知ったものではなかったことに、ニノンの心は無性にショックを受けていた。


「へえ、修復家なんだ。この歳で……ってことは独学なの?」

「家が代々修復家で」

「自営なんだ。なんかすごいね」


 二人の会話はニノンを置き去りにして続いていく。耐えきれずに逸らした視線の外側で交わされる、控えめな笑い声。そわそわと弾む空気。その雰囲気だけで、二人がだんだんと意気投合していくのが分かってしまう。


「あたし、アルテミシア。ミーシャって呼んでくれたら嬉しい」

「アルテミシア――ミーシャ」


 ニノンはそのやり取りを盗み見るようにそっと顔を上げた。

 名を呼ばれた少女が嬉しそうにはにかんでいる。

 その横顔が驚くほどに綺麗だったから。だからニノンは、自分の存在がひどく恥ずかしいもののように思えてどうしようもなくなったのだった。

 これ以上ここには居られない。

 音を立てないようにゆっくりと後ずさりして、ニノンはその場を離れた。


 逃げるようにして店から出て、ショーウィンドウにもたれかかる。


「はぁ……」


 緊張気味に名を呼び返すルカの声。恋する乙女のように恥じらう少女の横顔。

 ニノンは今見たすべての光景を頭の中から消し去ろうと強く目を瞑った。けれど、見たくない場面は積極的に脳内に蘇っては眼裏にへばりついて離れない。口から漏れるため息に混じるのは、罪悪感と自己嫌悪の塊ばかりだ。


「もう、やだ……」


 こんなにも相手に執着する自分が(いや)だ。

 醜い嫉妬を抱える自分が厭だ。

 こういう時に限って昔の思い出を漁ってしまう自分のことも、ニノンは厭だった。

 ボニファシオの屋敷に住んでいた頃は独占欲なんてほとんど感じたことがなかったように思う。それはきっと、そんなものを感じる隙もないくらい、ルカとずっと一緒にいたからなのだろう。


『ニノン、彼にも仕事があるのだから。聞き分けなさい』

『いやいや、まだ遊ぶの!』


 ふと思い出された記憶の中で、幼いニノンは目尻にシワを刻んだ男性と、黒髪の少年の前で駄々をこねていた。一人はニノンの父親で、ヘソを曲げる娘に呆れたようにため息をついていた。その隣では少年が――ルカが困ったように微笑んでいる。

 父親が去った後、まだ拗ねるニノンにルカはこっそりと耳打ちした。


『週末は一日遊べる。それで、夜になったら天文台で星を見るっていうのはどうかな』


 それはとても魅力的な提案だった。

 ルカはニノンの機嫌をあっという間に直す天才だ。まるで惜しみなく水を注ぐジョウロのように、どんなに萎れかけた花でも蘇らせる。

 先ほどの拗ね様が嘘みたいに、父の修復作業の手伝いをしにいく彼をニノンは笑顔で見送った。


――あれ。結局、天文台には行ったんだっけ。


 ふと湧いた疑問が、すぐにその先の答えを見つけ出す。

 結局、その約束が果たされることはなかった。週末に大事なパーティーが催されることになったので、二人ともそれどころではなくなったのだ。それは確かイタリアのどこかからやって来たという、新たにこの屋敷で働くことになった科学者を迎える盛大なパーティーだった。


――あの人の名前、なんて言ったっけ。


 常に薄い微笑みを浮かべていたその科学者は、周りが一歩引いた目で見てしまうほど恐ろしく頭が良かった。その分というわけではないが、ニノンの父親は彼をことあるごとに褒め称えていた。

 彼のことを思い出そうとしても周りを漂う靄が邪魔をしてうまくいかない。それでも目を細めて靄の向こうを懸命に見つめていると、ニノンはふとあることを思い出した。


『ああ、あの子なら――のところにいるよ』

『今日も二人で例のアトリエにいるんじゃないかな?』


 それは、彼がやがてルカと親しくなっていく男だということだった。

 さながら兄弟か――あるいは親友のように。



 チャリン、と何かが落ちる音がしてニノンは顔を上げた。島旗柄を模した青色のモザイクタイルの上で、銀貨がくるくるとコマのように回っている。

 慌ててあたりを見渡すと、ちょうど駅方面に向かってアーケードを走り去ってゆく人影を見つけた。

 その背中に向かってニノンは勢いよく叫ぶ。


「ねえ、コイン落としたよ!」


 声が届いたのか、青年は走る体勢のままくるりと向きを変え、そのままこちらに走り寄ってきた。


「ごめん、ありがとう」


 アダムよりも若干背の高いその青年は、人好きのする笑顔を浮かべて銀貨を受け取った。


「すっごい大事なものだったからさ、助かった」

「失くさなくてよかったね」

「ああ。ありがとう」


 青年が頭を下げる度、柔らかそうな亜麻色の髪がサラサラと揺れる。先ほどは急いでいるようだったのに、何故か彼は立ち去ろうとしない。チラチラとニノンの顔を窺い見るような素振りをみせたかと思うと、唐突にこんなことを提案してきた。


「あのさ、何かお礼させてほしいんだけど」

「お礼って、コイン拾っただけだよ? いいよ、そんなの」


 ニノンは慌てて首を振るが、青年はなかなか喰い下がらない。


「ほんとに大事なモノだったんだ。大袈裟に言うと命の次に大事なモノなの。だから君はオレの命の恩人って言っても過言じゃない。命の恩人にお礼をするのは当然だろ?」

「えーなにそれ。無理やりだなあ」


 思わず笑いを零したニノンに気を良くしたのか、青年は得意げに口の端を引き上げて、ニノンの腕から買い物袋を奪い取った。


「買い物の途中? 女の子一人じゃ大変でしょ。荷物持ちするよ」

「ほんとに大丈夫だってば」

「他に買うものは? これで全部?」


 有無を言わせない物言いに、ニノンは仕方なく買い出しメモを差し出した。箇条書きされた一覧を追っていた青年の目が、三行目くらいからウンザリし始める。


「なんだこれ、かなり重たいじゃん。もしかして一人で持って帰ろうとしてたのか?」

「さすがに無理だよ。三人で買い出しに来てたの。でも二人はまだ中で買い物してて」


 そう言って、ちらりとウィンドウ越しに店内を覗く。内側から遮光フィルムが貼られていて中の様子はよく見えないが、アダムはきっと、まだ女生徒たちと楽しく談笑しているのだろう。それからルカも、ミーシャと名乗った少女と話し込んでいるかもしれない。

 うっかり彼らの様子を思い浮かべてしまい、ニノンの心は再びざわめきはじめた。慌てて顔を背け、視線を足元に落とす。置き去りにされた一人分の影が、足元から細やかなモザイクタイルに伸びている。


「私は大丈夫だから。お礼はほんと、気にしないで」


 ニノンは俯きながらぼそぼそと喋る。これ以上惨めな姿を誰かに晒したくなかった。

 と、その時、履き潰されたチャコールのブーツが足元の影にざりっと踏み込んできた。


「あっ、ちょっと」


 いきなり手首を掴まれ、ニノンはぎょっとした。制する声も無視され、そのまま引きずられるようにして青年に通りへと連れ出される。


「ちょっと待って。私、二人のこと待ってなきゃ……」

「店の外でそんな顔して待たせる奴らなんてほっとけばいい。オレならそんな顔させない、絶対に」

「な――なに言ってるの?」


 なんて分かりやすい口説き文句だ。さすがのニノンも顔を赤くさせた。アーケードを少し行ったところで青年はおもむろに振り返る。


「名前、なんて言うの?」

「え……私? ニ、ニノン」

「ふーん。…………やっぱり可愛いな」

「え!?」

「それ」


 と、青年はニノンの横髪を手で分け、耳たぶに光る小さな石の花を指差した。


「そのイヤリング。ニノンは目と同じ色なんだ。似合ってるよ」

「だ……だからっ……さっきからそう言うの、やめてってば」


 真っ赤になった頬を膨らませれば、青年はあははと声を出して笑った。


「ちょっとは元気になったな」

「からかわないでってばっ。もう、私ほんとに帰る」

「うわ、待って、待てって」


 青年は背を向けるニノンの前に回り込み、両手を広げて道を封じた。


「ごめん、ちょっとからかいすぎた。でもニノンに元気になってもらいたかったのは本当」


 ニノンは訝しげに青年を見つめる。


「な、なんだよ、それは本当だよ!」


 必死になる青年を見て、ニノンは「ぷっ」と吹き出した。


「知ってる。今のは仕返し」

「ええ? なんだよ」


 ほっと息をついたかと思うと、青年はすぐさま唇を尖らせて「あーあ」と呟いた。


「今のでオレ、かなり傷付いたな。これはもう買い物に付き合わせてもらうしかないよなあ」


 ちら、と窺うような目線が飛んでくる。しばらく悩んだ末に、根負けしたのは結局ニノンの方だった。


「じゃあ、お願いしようかな」


 項垂れながら答えると、青年は「よーし、まかせろ!」と握りこぶしを作って意気込んだ。


「二人にはオレから謝るから安心しろな。さて、どこに買い物に行く?」


 あまりの変わり身の早さにニノンは呆れてものも言えなかった。それでも、変に義理堅い彼の存在が少しだけ救いになっているのも事実だった。


 彼だけが耳飾りの存在に気付いてくれたからなのかもしれない。

 お世辞だとしても嬉しかったのだ。


 直線状のガラス天井から吊るされたオレンジと黒の飾り物が、アーケードを吹き抜ける風に揺れていた。そうだ、明日はハロウィンだ――唐突にそんなことを思い出して、ニノンの心に少しだけわくわくした気持ちが戻ってきた。


「ねえ。名前、なんて言うの? まだ聞いてなかったよね」


 隣を歩く青年を見上げてニノンは訊ねた。彼の目は青い。けれど、ルカの目よりも薄っすらと灰がかった青をしている。


「ん。ああ、オレ?」

「オレ以外に聞く人いないんだけど」

「それもそうだな」


 そう言って、青年は何故か一瞬考え込むような仕草をした。


「ウィリアム。ウィリアム……『クレー』だ。ウィルって呼んでよ」

「ウィリアム……? わかった。ウィルって呼ぶね」


 それは最近どこかで聞いたような響きだった。けれど、どこで聞いたのか、ニノンは最後まで思い出すことができなかった。

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