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コルシカの修復家  作者: さかな
side:Louvre Ⅴ

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131/206

露呈されざる思惑(前)

 まるでガラス細工を扱うような手つきで、ダニエラ・ダリは少女を車椅子から抱え上げた。

 腕にずっしりとくる重たさは、ガラスよりも鉛に近い。触れたところからぬくもりを感じないのは、鉛よりもシリコンに近い。


 上質なシルクのベッドにその体を寝かせる時、少女はまるで安らかな眠りについているように見える。その長い睫毛を持ち上げて、いつか汚れのない両眼でもってこちらを見上げてくるのではないかと錯覚するほどに。

 けれど、そのいつかが来ることはおそらくない。これからも、きっと。


「しばらくしたらお迎えにあがります」


 いっとう優しい声でそう囁いて、ダニエラは彼女の為にしつらえた品の良い小部屋をあとにした。


 部屋の外には広大なイモーテルの花畑が広がっている。隅の方に行けば薄暗いが、中央は天井から突き出た逆さのガラスピラミッドのおかげで、地上と変わらぬ明るさを保っている。

 普段ギシギシと絶え間なく音を立てているコンベアーも今は大人しい。AEP生成を中断しているのだから、絵画を地下空間(ここ)に運ぶ必要もないのである。


 日々何十という絵画を見なければならないカノンを、ダニエラはこうして時折休息させる。彼女の脳に執拗な負荷をかけるわけにはいかないからだ。


「連続稼働しても問題ない」


 サンジェルマン伯爵はそんなことをうそぶく。反面、計画停電を実施してまで稼働を停止することに反論もしない。

 おそらく、前述した因果関係の否定について、確実なウラは取れていないのではないか――と、ダニエラは疑っている。


 花畑に分け入ると、ダニエラは黄色い花を房ごと適当に伐採し、手持ちの袋に放り込んでいく。袋はあっという間にいっぱいになった。

 サンジェルマン伯爵の部屋を訪れる時には、必ず袋いっぱいの花を提げていかねばならない。枯れない花(イモーテル)から、彼の身体を維持するのに必要な精油を採取するために。




「エネルギー量の減少については、現在各分野が解析を進めているところです」


 地上に上がり、ダニエラはシュリー翼棟の最奥に位置する玉座の間へと赴いた。

 サンジェルマン伯爵は今日も変わらず気に入りの玉座に腰掛けている。窓はすべて分厚い遮光カーテンで閉めきられているので、室内はひどく薄暗い。

 地上にあるのに地下とほとんど変わらないその部屋で、ダニエラは淡々とサンジェルマン伯爵に報告を続ける。


「AIによる絵画の製造がうまくいけば、今より資源の供給は安定すると思われます。それから、フランス政府が率先して進めている〝修復家の国家資格化計画〟も概ね順調です」

「ルロワ閣下は頼んだ仕事を進めるスピードに関しては素晴らしいからね」


 サンジェルマン伯爵はダニエラから受け取った袋からイモーテルを一つ摘み上げ、指先でなじった。


「ただ、計画停電の実施によってうまく供給量がまかなえているという現状もありますので。今後も改善の見込めない状況が続くのであれば、予期せぬ停電が頻発することも考えられますが……」


――このままでいいのですか?


 ダニエラはそう問おうとしたが、やめた。聞くまでもない。答えなど分かりきっている。


「問題ない。そうなるまでに様々な対策の効果も出てくるのだろう?」

「尽力しておりますが、確約とまでは」

「ふむ。魂源(プネウマ)調律波のレベルを上げるのは難しいかな?」


 まるで良いアイデアを思いついたとでも言わんばかりに、男は平然とそう言ってのけた。ダニエラは感情のこもっていない眼差しを向け、すぐにまた逸らす。


「その案については賛同しかねます。ただでさえ調律波の人魂への副作用は未知数なのですから」

「確かに君の言うとおりだ」

「それに、無線送電装置に乗せるには今の波数が限界なのでは? これ以上レベルを上げれば、違和感を感じる人間が現れるリスクが高まります」

「そう昂奮するな、ダニエラ・ダリ」

「至って冷静な意見を述べたまでですが」


 代わり映えのないトーンで返せば、伯爵はおどけたように片手を挙げた。


「少し言ってみただけだ。魂源(プネウマ)理論はまだまだ未開の分野。なにせ我々の一族が内々で研究していた範囲しか解っていない……心配しなくても慎重にやるよ」

「そうしてください」


 何が面白いのか、サンジェルマン伯爵は喉の奥でくつくつと笑った。


「私も己の意思で動けない操り人形(マリオネット)を世に溢れさせたいわけではない。私が欲しいのは、己の意思で動ける人形だ」


 サンジェルマン伯爵の目がすっと細められた。彼の視線の先を目で追ったが、玉座から望めたのは、誰もいない広々とした室内だけだった。


「私は部下たちを信じるよ」


 本当は、他部門に任せている原因の解析や改善なんてすべて、小手先の対策でしかない。

 そして気の毒なことに、彼ら――つまり、カノンの存在を知るサンジェルマン伯爵とダニエラ以外のルーヴルに集う人間たち――は、目の前に立ちはだかる大きな問題を本気で打ち破ろうと奮闘している。


 だが、問題の本質は彼らの理解の及ばない場所で眠っている。

 カノン・ベルナール・ド・ボニファシオの中に。


 その事実を世の人間たちが知ることはないだろう。サンジェルマン伯爵はこの先もずっと、オンファロスの構造を開示する予定などないのだから。


 〝装置の核に人間(ヒト)を利用している〟


 そんな事実が知れ渡ったら、彼の英雄性は一気に転落することになる。ダニエラとてそれは本意ではない。カノンを世界中の好奇の目に晒したくなどないのだ。

 不意に蘇る、平和だった頃の記憶。柔らかな日差しの中で微笑む彼女の横顔。頭の中を残像が通り過ぎる時、それは強いアルコールのようにダニエラの胸の内をカッと熱くさせた。


「近年起こっている還元率の低迷――原因はやはり、カノン様にあるのでは?」


 ダニエラは冷静な声で、しかしやや強めに踏み込んでみた。サンジェルマン伯爵はゆっくりと目を瞬かせる。


「彼女の目が()()()()()()、というよりほかないだろう」

「では、新たにオンファロスの核となる人間を選出してはいかがです」


――カノン様はもう十分すぎるほど使命を全うされたのでは?


 ダニエラは発した言葉の裏に本音を忍ばせた。が、そんな胸中になど気付きもせず、サンジェルマン伯爵は口元を緩ませる。


「いいや、まだだ。もう少しで基盤ができあがるのだ、世代交代するための。だからもう少しだけ待っておくれ」

「基盤というのは、新しいオンファロス計画のことですか?」


 サンジェルマン伯爵は満足げに頷いた。彼は手慰みにぷちぷちと花の茎を千切っては、花弁だけを別の袋に取り分けている。


「レム・システムはもうじき完成する。あとはその核をどうやって選出するかだが……頼んであった例の調査はどうかね?」

「滞りなく」


 と、今度はダニエラが顎を引いた。


「フランスを中心に、各国の主要病院から脱色症患者のデータ抽出はほぼ完了しています。治験という名目であれば協力者も増えることでしょう」

「嘘は言っていない。〝感受(センス)〟を使い続ければ自然治癒するという報告もあるのだ。患者にとっても試す価値はある。違うかな?」


 楽しげに語る男を、ダニエラは彼が見てない一瞬の間に蔑視した。


「依然として、最有力候補はニノン・ベルナールなのですか?」

「変わりはない。患者の補足能力には様々な種類があるが、絵画を原料にし続けるのであれば残留思念(ステイプネウマ)に特化した力の方が相性がいい」


 総から花弁を千切ることに飽きたのか、サンジェルマン伯爵は袋ごとイモーテルをダニエラに押し付けてきた。スパイスのような独特の香りが袋から立ち込めている。


「彼女ほど強い力を持った患者を私は他に知らないのでね。とはいえ、あの時はまんまと騙されたよ。まさか〝感受(センス)〟を使っていたのが姉ではなく妹の方だったなんて。まぁ、今となってはどちらでもよかったのかな……」


 相槌を返すこともなく、ダニエラはしばらく黙りこんでいた。

 締め切ったカーテンの向こうから、コンシェルジュリーの鐘の音が聞こえてくる。


「――彼らについてはどのように?」

「道野ルカか」

「それと、エリオ・グランヴィル画伯です。道野ルカは現在コルテに滞在しているようですが」


 不運なことに、内部事情に触れてしまったエリーゼ・フォン・クラナッハについては、サンジェルマン伯爵の指示通りに処分を下した。

 情報の漏えいを恐れるならば、先に挙げた二名も十分排除の対象になりそうなものである。だが、サンジェルマン伯爵は首を振ってそれを否定した。


「放っておけばいい。画伯ならば、娘が傍にいる限り下手な行動はとらないだろう」

「彼はあれから絵画を制作してはいないようですが、目立った行動も見られません。おそらくは問題ないかと思われます」

「画家一人失ったところで後続は次々と現れる。AIも後ろに控えている。それから、道野ルカだが――たかだか一般人の少年が声あげたところで、世間はそれを糾弾とは判断しないだろう」


 もっとも、母親の末路を知った者が声をあげるとは到底思えないが。と、サンジェルマン伯爵はうっすら笑いながら付け加えた。

 彼は未だに気付いていない。道野ルカが知ったのは母の死の真相だけではないということを。

 彼はもう、オンファロスの真実をその目で確かめてしまっている。

 だがダニエラは、その事実をサンジェルマン伯爵には告げなかった。


「道野ルカならいつか自らの手でルーヴルの門を叩くことだろう。修復を続けたいのならばね。私はそれまで気長に待つよ」


 なぜ、とダニエラは口の中で呟いた。ん、と相手は首をもたげて聞き返す。


「なぜ、彼にそんなに執着するのです」


 伯爵の、白く濁った目がさっと見開かれる。


「あの子が代わりになるとでも?」

「ダニエラ、君は、私がそう思っていると――思うのかね」


 ぎらぎらとした眼差しが、ナイフのように鋭くダニエラを斬りつけてくる。だがダニエラは臆することなくその視線を受け止める。


「人は誰かの代わりにはなれませんよ」

「解っている、そんなことは」

「そんなのはただの自己満足です」

「私は、代わりにしたいわけではない……」


 その人の姿を誰かに重ねるなんて、そのような考えには微塵も共感できなかった。

 だからダニエラは、気がつけば柄にもなく語気を強めて反論してしまっていた。


「申し訳ありません。過ぎたことを」


 サンジェルマン伯爵が玉座から慎重に立ち上がるのを、ダニエラは片腕を支えて手伝った。そうして彼がゆっくりと時間をかけて大広間を去っていく後ろ姿を、ただじっと見つめていた。

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