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コルシカの修復家  作者: さかな
9章 盤石のルーヴル、あるいは偽りの楽園

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第92話 ルーヴルからの脱出(1)

 車椅子に乗せられた少女は、まるで人形のように目を伏せたまま眠り続けている。


「母さんもここで同じ光景を見たはずだ。それで、オンファロスが機械仕掛けじゃなく、生身の人間を使っていることを知ったんだ。だから殺した、口封じのために」


 言葉にするたびに、ルカはその事実をしっかりと頭で認識していった。不明瞭なことが多すぎて真相と呼ぶにはあまりにも不確かな仮説ではある。だが、人の倫理観を逸脱していることだけは分かる。悲しくも、母親の死がそれを裏付けていた。


「ここで俺も殺すのか――母さんの時みたいに?」


 挑戦するような口調でルカは言いきった。

 勝算があるわけでも、投げやりになったわけでもない。もしもここで命を奪われ、その死が闇に葬り去られようとも、きっと仲間たちが真実を突き止めてくれる。ルカはその僅かな可能性に賭けようと思ったのだった。


「ルカ、君の見解は半分当たりだ。彼女こそがオンファロスであり、この世のすべてを支えていることに違いはない」


 絵画がピラミッドの中に運ばれてしまうと、レールはぴたりと稼働を止めた。ダニエラは首を捻ってピラミッドのあたりを確認する。やがてこちらに向き直り、今度は車椅子を押してゆっくりと歩み寄ってきた。


「だが、そんな事実を持ち帰ってどうする。パンドラの箱を開けるか?」

「そうだ。そして真実を明らかにする」

「母のために?」


 問われてルカは言葉に詰まる。ここまで真実に執着するのは母を殺されたからに他ならないのだと、暗に気付かされたからだった。短い言葉の端々からは「そんな私的な理由で」という批判めいた響きも感じ取れる。指摘されれば確かに、口にするにはあまりに幼稚な動機だという気がしてくる。

 答えあぐねるルカが滑稽に映ったのだろうか。ダニエラはここにきて初めて、薄っすらと笑みを浮かべた。


「それほどの熱意があるなら、死者ではなく生者のために動けばどうだ」

「……どういう意味だ?」

 口角をわずかに持ち上げたままダニエラは目を細めた。

「自分の使命を思い出せということだ。お前には護るべき者がいるはずだ」

「護るべき、もの」


 ルカの視線はふいにダニエラから逸れ、車椅子の少女に吸い寄せられた。襟首までしっかりと隠された上質な深緑のワンピース。胸元まで垂れた絹のように艶やかなプラチナブロンドの髪。

 その側で、何かが光をたたえている。

 それは一石の首飾りだった。ウズラ卵ほどの大きさの丸い石が、黒い革紐にぶら下がっている。紺碧の海よりも青いその宝石を、ルカは何度となく目にしたことがあった。


「ベルナールの首飾り……!」


 五十年前までコルシカ島で出土していたと言われている、極めて純度の高いラピスラズリ。今や幻となった石の首飾りは、青の宝石により財を成したベルナール一族の証でもあった。


「いかにも」

 と、ダニエラはゆっくり頷いた。

「カノンお嬢様はベルナール家の末裔だ」

「カノン、お嬢様」


 よく知る少女の名前と響きが似ている、とルカは思った。偶然だろうか。だが偶然にしては顔立ちが似てやしないか。そもそも末裔と言うからには、ニノンと近しい人物なのではないか。

 渦巻く思考を掻っ切るように、頭の片隅でパッと会話が蘇った。いつかホテルの一室で、ベッドに腰掛け四人で話した内容だ。自分には「姉」がいたのだと、ニノンはそう言っていなかっただろうか?


「その人は、ニノンのお姉さん……なのか?」


 口に出してしまえばもう、そうとしか思えなかった。

 ダニエラは肯定も否定もせず、じっとこちらを見返してくる。

 動揺に揺れるルカの目がはたと彼の右手の薬指を捉え、釘付けになった。鈍色(にびいろ)の指輪が指の付け根をすっかり覆い隠している。遠目でも、あれが何であるかはすぐに分かった。ルカは自身の薬指にはまっている同じものをそっと手で握りしめた。


「ダリの一族はベルナールの末裔を護る者のはずだ。なのにどうして、こんなことを」


 護らなければならない存在を、道具のように扱っている。指輪を有する者としてはいささか不適切ではないか。ルカにはダニエラの心理が分からない。

 ベルナールの末裔を護ること――父親から告げられた言葉が脳裏に浮かび上がってふっと消えた。

 忠誠は破られたのか?


「ニノンはあなたに、助けを求めていたのに」


 口の中は乾ききり、ルカはそれ以上言葉を発することができなかった。

 しばらく沈黙が続いた後、ダニエラの口元がわずかに動いた。ギィギィと古びた音を立てながら、絵画を運んできたレールの入り口にシャッターが降りる。その間に彼は何事かを呟いたようだった。


「え?」


 聞き返したが、ダニエラはそれきり口を閉ざしてしまった。なんの感情も読み取れない顔でこちらににじり寄ってくる。間合いを詰められないよう、ルカも一歩、また一歩と後ずさる。その度に足元でイモーテルの茎がざりっと音を立ててへし折れた。


「俺たちはずっとダニエラさんを探していたんだ。聞かなきゃならないことがあるから」

 焦りが声に出ないように、平然を装ってルカはまくし立てる。

「ニノンとどういう関係なのか。過去に一体何があったのか。あなたは、ニノンが記憶を失くした原因を知ってるんじゃないか?」


 握った拳の内側は手汗でいっぱいだった。逃げなければいけないと、頭が危険信号を発している。けれど頭がもうひとつの指令を発している。真相を探らなければならないと。

 ダニエラは相変わらず無表情のままだったが、問いに答える気になったらしく、薄い唇をそっと開いた。


「私はすべてを知っている」

 その言葉にルカは息を呑んだ。

「だが」と、ダニエラはすぐさまルカの催促するような視線を一蹴する。

「それは私から伝えるべきことではない。彼女が自ら思い出さなければ意味がないのだ。それに、思い出すか否かを決めるのは彼女であって、私ではない」

「でも、ニノンは知りたがっていた。自分が何者で、過去に何があったのか」

「それは彼女の真の願いなのか――忘れてしまいたい過去だったとしても?」

 不穏な言葉に一瞬後ずさる足が止まる。かまわずダニエラは言葉を続ける。

「過去の出来事と対面するには覚悟が必要だ。他人がどうこう言う問題ではない。結局のところ、君ができることは一つだけだ。ニノンを護れ、道野家の血を継ぐ少年よ」


 ルカは眉をひそめた。

 ニノンの姉であろうカノンを利用して社会的地位を確立し、かと思えばニノンを護れと言う。ダニエラの言動はどこかちぐはぐで、腹の底で何を考えているのかさっぱり分からない。

 サンジェルマン伯爵といいダニエラといい、どうもルカのあずかり知らないところで話を進めてくる。それが余計にルカの心をもやもやとさせるのだった。


「ダニエラさん、あんた一体何者なんだ?」


 もったいぶらずに教えてくれればいいのに。と、苛立つ気持ちがつい言葉を尖らせた。

 だからだろうか。ダニエラの表情が、僅かに強張ったのは。


「従者だ。我々兄弟は……()()()従者。それ以上でもそれ以下でもない」


 先程までとは違う、苛立ちの滲む声だった。

 どきりと心臓がいやに音をたてた。同時に足がもつれ、あっと声をあげる間もなくルカは背中を地面に強打した。すぐさま体を捻り、体勢を起こそうと地に這いつくばる。

 その時、頭上からひやりとした声が降ってきた。


「従者とは、己の命に代えても主を護るものだ」


 ハッとしてルカは振り返った。氷よりも冷たい視線がこちらに向けられていた。目を逸らすことも体をぴくりと動かすこともできない。


「邪魔をするというのなら、私はたとえそれが誰であっても手をかけることを(いと)いはしない」


 瞬間、ゾッとしたものが全身を駆け巡る。

 ルカは地面を蹴りあげ一目散に駆けだした。黄色い花をかき分け、わずかに光の漏れる出口へと向かう。

 スロープ半ばまで走り抜き、ちらりと後ろを振り返った。ダニエラは一切の表情を消して、ひたひたと確実にこちらに近付いてきている。ルカは肩をぶつけるようにして前を向き、再び床を蹴った。

 スロープを駆け上がり、息を切らせて吹き抜けのホールまでやって来た時だった。ふと、前方から思わぬ人影がこちらに走ってくるのが見えた。ぎょっとしてルカは思わずその人物を二度見した。


「ニノン!?」


 髪色も服装も全然違う。でも確かにニノンの声で少女は「ルカ!」と叫んだ。

「うわっ」

 勢いよく胸に飛び込んできた体をしっかりと抱きとめる。勢いは収まらず、ルカは少女を抱えたままくるりと一回転すると、片足でトンットンと後ろによろけ、そこでなんとか踏みとどまった。


「どうしてここに?」


 改めて訊いた。ルカは両目をぐっと寄せて、胸元に埋まる深紅の髪の毛を凝視する。カツラだろうか。うまく変装しているから地毛の奇抜な色は息を潜めたままだ。それにしてもどうして変装なんか。

 ルカがあれこれ思案していると、胸元に埋まっていた顔がパッと上を向いた。見慣れない焦げ茶の色をした瞳は波打ち、目には今にも溢れそうなほど涙が溜まっている。


「助けにきたんだよ。私、ほんとうに、もう……ぶじでよかったあ」


 ついにニノンの目尻からは大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。ぎょっとして、ルカは慌てて涙を親指で拭ってやった。言葉になっていない呻き声とともに、ニノンの目からは次々と涙が溢れてくる。


「大丈夫、俺はなんともないから、ほら」


 ルカは自身のシャツの裾を引っ張ってきて、しとどに濡れる少女の頬をごしごしこすった。

 助けに来たとニノンは言った。それにしては不可解なことが多すぎる。ルカはニノンをなだめながら首をひねった。コルシカ島からパリまでの長距離を一体どうやって移動したのか。なぜオンファロスの中枢までやって来れたのか。そもそもどうしてルーヴルにいると分かったのか――。


「こら、イチャイチャするな!」


 尽きない疑問にバシッと答えを突きつけるかのごとく、少年の怒鳴り声がホールに木霊する。ハッとしてルカは顔をあげた。またしてもこの場所で聞くはずのない声である。

 吹き抜けの向こう、日陰から姿を現した少年は、眼鏡はかけているが金髪蒼目と派手な出で立ちがそのままだ。


「ジャック?」


 意外すぎる助っ人は眉をつり上げ、ずんずんと大股でこちらに歩いてくる。どうしてジャックまでがここに、とルカはますます頭を混乱させた。


「言っておくがお前の為じゃないぞ」

 こちらの表情から察したのか、開口一番ジャックはそう釘を刺した。次いでニノンの眼前にビシッと人差し指を突きつける。

「このワガママ女に付き合わされただけだ。それはいいから、とにかく、はやく、離れろ」


 今度は二人を引き裂くみたいにして、片手をしっしっと大げさに振った。忙しない男だなとルカは思う。対してニノンは自ら勢いよく身を剥がし、顔を真っ赤にして俯いた。


「今回のこれは貸しだぞ。ありがたく思えよ、なにしろこのジャック様が助けに来てやったんだからな」

 胸をはって訴え始めたジャックから顔を背け、ルカは険しい表情で吹き抜けの向こう側を見据えた。

「おい、聞いてるのか、この――」


 ルカは手を差し出してジャックを制した。

 耳を澄まさずとも、コツ、コツ、と響く足音がすぐそこまで迫っていた。ルカの視線を追うようにして、二人の顔が同じ方向を向く。

 いつの間にか吹き抜けのホールはオレンジ色に染まっていた。天井に張り巡らされたガラスが、夕刻の光をそのまま受け入れている。空中に浮かぶ球体が、朱く染まった床に丸い影を落とす。

 その影を踏みしめて、男が一人立ち止まった。


「……ダニエラさん」


 ニノンは怒ったような悲しいような、複雑な声色でその名を呼んだ。


「ルカを返してもらいにきたの。何が目的か知らないけど、ダメって言われても無駄だから」


 ニノンはルカの腕を取ってぐいっと引っ張った。強気な言葉じりとは裏腹に、手が少し震えている。


「そういうことなら問題ない」

 意に反してダニエラはあっさりと承諾した。

「もともとここに連れてきたのも、あの方が直接会って話したいと仰ったからだ。当初の目的は果たされた。こんなところにまで忍び込んできたことは誤算だったが……」


 ちら、とダニエラはルカを見やった。試されているような眼差しだ。先ほどのやり取りを思い出して、ルカはついつい睨むように見返した。すると、ダニエラも同じようにして目線を鋭くした。


「やはり信用できないな。ここで見聞きした出来事に関する記憶を消してから返還することにしよう」


 ルカは咄嗟にニノンの手を取った。捕まれば何か恐ろしいことをされるに違いない。

 逃げなければ――駆けだそうとした直前のことだった。迫るダニエラの前に突如として人影が飛び出した。先ほどまで隣にいたジャックが、二人を庇うように目の前に立ち阻んでいた。


「先に行け!」


 背中をこちらに向けたままジャックは叫ぶ。


「でも、ジャック」

「いいからさっさとしろ!」


 有無を言わせない力強さでそう急かされる。

 ルカは意を決したように大きく頷くと、まごつくニノンの手を引っぱって駆けだした。彼に勝算があるのかどうかなんて分からない。けれど今は逃げるよりほかに道はないのだ。

 燃えるようなオレンジの中を駆け抜けて、ルカは再び地底の要塞跡へと飛び込んだ。

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