8 招かざるお客様
とても良い天気である。
広い敷地を持つここ、カトールでは門士はそれぞれの師事する門士に従うもの、完全なる一匹狼なもの、友人同士で群れるものなどが様々いる。
私ミチカ・アイゼンは、まだ試験を受けていないため十級門士よりも更に下の見習いになるのだろう。そんな私の身を預ってくれているのは三級門士ベイル・デイタである。
彼は自身の管理している馬のいる敷地の納屋の二階を改造し、私の部屋として提供してくれた。
おそらく以前学園にいたときと同じような意味合いの隔離部屋ではあったが、私自身も殺人鬼が他の人と触れあうより隔離されたほうがマシだと思っているのでありがたく受け入れた。血の雨が降る確率は出来るだけ下げるべきだと思う。
その敷地の横、普段は馬を走らせる広い馬場で、私は今息を切らして殺人鬼を追いかけている。足元が砂で走りにくい。
「残念、はずれ!」
私が振り下ろしたナイフを、ひょいと横に避けたうえでリパー・エンドは挑発的な笑みを浮かべた。イラッとする。
「ミチカはさぁ、ナイフの技がどうこう以前に、体力不足だよね」
「うっ……さい!」
追いかけながら叫ぶ。脇腹が痛い。もちろんリパー・エンドに反撃をくらった訳ではない。単純に走りすぎて痛いのだ。何でこんなところが痛くなるのだと、思わず左手で脇腹を押さえると、彼が笑った。
「そこが痛くなるのはね、ミチカの準備運動が足りないからだよ。そろそろ辛いだろうし、もうやめない?」
殺そうとしている相手に同情のこもった助言を貰った私は、リパー・エンドを睨み付けた。きっと情けない表情になっただろうが知ったことか。あぁ脇腹痛い。
「ミチカ、もういい」
馬場の脇の柵の横で、腕を組んでいたベイルは渋い顔で私を止めた。日に焼けた巨大な体躯の彼は、私とリパー・エンドを交互に見て、ため息をついた。
つい先ほど「とりあえずお前一度、こいつを殺してみろ」とベイルから神聖魔法のかかったナイフを渡された。振り回したナイフはひょいひょいと避けられ、追いかけて息を切らした私が立ち止まるとリパー・エンドも立ち止まる。完全にからかわれている。ぎりぎりと歯を食いしばった。
ここ数日、ベイルには下働き代わり程度の仕事を言いつけられていた。体力増強のためである。その合間にちょっとベイルの時間がとれて、どれほどナイフの扱いに慣れているのかを確認したいとのことだった。ベイルは自分の髪の毛をがりがりとかいてぽつりと言った。
「……お前、本当に体力ないな」
私を試した結論がそれだ。ナイフ関係ない。
「あとやっぱり、そいつは反撃はしないんだな。それが分かればまぁ充分だろ」
ベイルは私からナイフを受け取って、ちらりと殺人鬼を見る。彼は反撃をしないどころか、私が滑って転けかけたりするとひょいと腕を取って助けてくれる。それもそれで腹が立つのだが。
「だってミチカが怪我をしたら可哀想でしょ?」
にこにことリパー・エンドは笑うが、こいつに可哀想と思う感情があったことのほうが驚きだ。
目を丸くした私に、彼はさも優しげに付け加えた。
「殺してあげられないのに怪我なんてしたら痛いからね」
「……」
ベイルが眉根を寄せて私の方を向くが、私は首を振った。
「理解しようとしないほうがいいです。狂人ですから」
「ほんとイカレてんな……。行動だけじゃなく頭の中身も」
目の前であからさまに悪口を言われているというのに、リパー・エンドはどこ吹く風だ。気にしている様子もない。
「ミチカ、お前戦い方はどんな感じだ?」
「どんなと言うと?」
ベイルは狂人を無視しようと決めたようで、私に質問をしてきた。
「死霊術士で戦うなら、死霊は何人召喚できる?」
「……今のところ、一人だけです」
アレか? と指さされてアレです、と項垂れるように頷く。アレは暇そうに欠伸をしていた。
そもそも死霊術士は戦う場合に、攻撃用の死霊と防御用の死霊を用意するものが多い。自身を守ることができないモヤシっ子が殆どだからだ。体術や剣術を習って自身を守る死霊術士もいるにはいるが、切られようが焼かれようが復活する死霊と比べて自分は切られたら死ぬ。そんな危険性を考えると攻守で二体召喚するのが定番なのである。
だが私は一体、リパー・エンドしか召喚できない。何故なら私の魔力はほぼ全部こいつが喰らっているからなのだ。他に回す余剰の魔力がない。契約の解除もできないので、自分の身の丈に合った死霊を二体、という選択が出来ないのである。
「で、お前の希望としてはあいつを刺し殺したいんだろ?」
ベイルが手にもった神聖魔法の書かれたナイフを見て私は頷いた。ちなみに普通に持ち歩くと奪われるレベルの高級品らしいのでベイルが預ってくれている。
神聖魔法が無理と分かった今、もう残った方法はそれしかないと思う。
「うーん……」
なんつー難題を、と眉間に皺を寄せたベイルが呟く。そりゃあ分かっている。身体能力も魔力も、何一つ私はリパー・エンドに及ぶべくもない。少しでも良い情報を、と私は両手を握りしめて叫んだ。
「で、でも私、腕立て伏せ二十回いけるようになりました!」
私の報告に、ベイルは一瞬固まってしばらく沈黙した。
「……そ、そうか。それは……頑張ったな」
絞り出したような褒め言葉が彼の喉から出た。引きつったように微笑んでベイルは私の頭に手を置いた。
「まあ、ちゃんと食って健康的に筋肉を増やせばもっと沢山出来るようになるさ。……多分な」
最後の多分は私の腕を見ながら付け加えられた。そりゃあ細くて頼りないだろうが、丸太のような彼の腕と比べられても困るのである。
「ミチカは腕より先に腹につくよ、お肉」
「うるさい黙れ死ね」
しげしげと私の体を見ながら言うリパー・エンドである。ほんと死ね。そして今日から腹筋も毎朝のメニューに取り入れようと私は決意した。
* * * * * * * * * *
その後も私は体力や腕力強化のために、ついでに雑用としてベイルが管理している馬の世話をすることになった。現在井戸と馬房を往復中だ。まだ水桶は一つずつしか持てない。小指で水桶が持てそうなベイルと一緒にしてほしくはないが、腕力はないほうだと自覚している。
「うーん」
水桶を地面に置いて、自分の左腕を握っていた。ぷにぷにしている。いや太ってない、筋肉の固さが全然ないだけだ。
心の中で言い訳して私は水桶を再度両手で掴んだ。
人が頑張っている姿を見て笑うような奴は追い払ったので、殺人鬼は今傍に居ない。
その時、後ろから声が聞こえた。
「重そうですが、持ちましょうか?」
丁寧な言葉遣いで声をかけられて振り向くとそこには長身の青年がいた。赤茶色の髪に、優しい笑みのようなものを浮かべている。二十代の後半くらいだろうか。かっちりとした見習い騎士のような服装で一人佇んでいた。
「え、と、あの」
急に言われて戸惑ったあとに、私はぺこりと頭を下げた。見知らぬ人の親切は大変ありがたいのではあるが、これは私の仕事と筋力強化なのである。いつまでもモヤシのままではいられないのだ。
「ありがとうございます。大丈夫です」
「そうですか」
無理強いするつもりもないのか、彼は微笑んだ。優しい、線の細い顔立ちの青年である。会ったことはないがおそらく彼もカトール一門の門士だろう。
私が私だと知っていたらきっと親切にするまいなぁと思いながらも、私は水桶を持ち上げる。重い。そんな私に再度彼から穏やかな声がかかる。
「ミチカ・アイゼンさんですよね?」
「えっ」
出来ることなら人違いですと言いたい気持ちは満々だったのだが、彼の視線は落ち着いて私を捉えている。確信を持った人の目だ。諦めて私は水桶を置くと頷いた。改めて彼に向き直る。
「そうです、何のご用でしょうか?」
罵られるのならば出来ればリパー・エンドがいないうちに、と思って尋ねると、彼は目を細めた。
「私はフィリップ・ノベル、四級門士です。もしよろしければあなたと、リパー・エンドさんに会いたいと私の主人が仰っているのでご足労頂けないでしょうか?」
主人、と言われて彼は死霊なのかと思ったが、違うように見える。一応私も死霊術士なので、死霊は見れば分かる。彼は人間だ。つまり主とは雇い主か誰か、恐らく彼より地位の高い人間なのだろう。
大変丁寧にお誘い下さっているが、今までの経験上嫌な予感しかしない。
「すみませんが、リパー・エンドがいないので無理です。ごめんなさい」
殺人鬼は多分どこかをふらふらしているはずである。いなくてよかった。この世からいなくなればいいのに、と思いながらもそれを言い訳に私は断ると、フィリップは首を傾げた。
「え、そちらにいらっしゃるのは?」
彼の視線を追って振り向けば、すぐ近くの通路脇の柵の上には座って笑顔でこちらにひらひら手を振っているリパー・エンドの姿がある。いつの間に、とかどうしてこういうタイミングの悪いときに、などの罵声が喉までこみあげてきたがぐっと耐えた。フィリップの方へ向き直ると、私は真顔で言った。
「全く見知らぬ赤の他人です」
後ろで爆笑している声が聞こえるがもちろん聞こえないふりをした。
「そんな訳でご用がある方のほうからいらしていただいたほうがいいと思います」
にっこり笑顔で言ってから頭を下げると、困ったような表情のフィリップを尻目に私は水桶を手にとった。重い。
私がよろよろ馬房の方へ向かってもフィリップは引き留めなかった。代わりに後ろから付いてくる軽快な足音が聞こえる。リパー・エンドだ。
「なんであんたはこう、いなくていいときに帰ってくるのよっ」
私が潜めた声で罵ると、後ろから不満そうな声があがった。
「えぇー。僕、結構急いで帰ってきたのに」
「いらないわよ。あっち行ってて」
私が立ち止まって後ろを振り向くと、そこには既にフィリップはいなかった。やれやれと水桶を地面に置いて、一休みした。
私とリパー・エンドを、両方名指しで呼ぶような人間にろくな人はいない。リパー・エンドを倒そうとか私を殺そうとか、あるいは利用しようとか。その全てにおいて傲慢なほどの強い暴力で振り払われる結末にしかならないのに。
フィリップの主とやらの用事も気にはなったが、カトール一門最初の犠牲者になりそうな予感がひしひしとしたため聞かなかったことにさせてもらおう。
何とか水桶を運ぶ私の後ろを、不満そうな顔をしたまま殺人鬼がついてきた。ついてこなくていいのに。
手に持った重い水桶をどうにか馬の飲む桶に入れ終わり、私は馬房脇の柵に座って休憩した。既に両手は筋肉疲労でぷるぷるしている。しかしこの後もまだ、馬小屋の掃除と餌作りがあるのだ。少しだけ休んだら続きをしよう。私は疲れた手と足をぐるぐると回した。
そんな中、リパー・エンドは私の隣の柵に寄りかかるようにしていた。私が彼を睨み付けても、気にせずに手に持ったナイフを放り投げては掴んでまた投げている。
あっち行ってと言われた場合、リパー・エンドは何らかの用事やからかいがなければどこかに行くはずなのに、何故か私から離れない。
何だか嫌な予感がした。こいつが私の傍を離れないときは、大抵私の身に危険があるときだった。
「……何か、あるの?」
私が尋ねるとリパー・エンドは薄く笑った。
「うん。さっきのフィリップがまた来るよ」
「……」
私は柵から立ち上がるとため息をついて両手を回した。仕事は早めに終わらせよう。招かざるお客様が来るようだ。願わくば血の雨が降りませんように、と私は思わず空を見上げた。
空には厚い雲がかかっていて、降るとも降らないとも言えそうになかった。
* * * * * * * * * *
招かざるお客は私が馬の餌を運び終わる頃に来た。夕方に近い時間だった。
「お前が、ミチカ・アイゼンか?」
かけられた声は全く友好的ではない。私は最後の飼い桶を馬房の中につけると、馬小屋から出た。
そこにいたのは私より少し年上くらいの小太りの男と、その少し後ろに控えるようにしている細身の青年、フィリップだった。この小太りの男が彼の主人なのだろうか。
男は運動不足か美味い物の食べすぎかで、太った顔には細い眉と目がのっていて、私を見下すように見ていた。残念ながら彼の身長が私より少し高いくらいだったため、顎を上げて私を見下していた。そこまでする必要がどこにあるのだろうかと突っ込みたい気持ちはなんとか抑えた。
小太りの体には特注品らしき素材を彼の体にぴったりとなるように仕立て上げられていた。きっと素材が泣いている。代わりに泣いてあげたい。隣の殺人鬼はくっくと笑っているけど。
「そしてそいつがリパー・エンドか」
男は見下した表情のまま視線を動かして、私の脇にいたリパー・エンドを見た。リパー・エンドはその視線を面白そうに見返すだけだ。
「ネロ様、危険ですから視線は合わされないほうが」
後ろで言いかけたフィリップを、ネロと呼ばれた男は睨み付けた。野生動物に対する対処としてはフィリップの言い分は正しい気がする。その時気付いたのだが、フィリップの頬には先ほどにはなかった青痣が出来ていた。もしや、殴られた?
「黙れ、使いも出来ない無能者が! こんな小娘と青二才、引きずってでも連れてくればいいものを!」
フィリップは視線を下に向けて「申し訳ございません」と穏やかに謝った。それもまた面白く無さそうにふんと鼻を鳴らすネロ。
まるで地位の高い子供が威張っているような様子に少しだけ眉根をよせて、私が隣のリパー・エンドを見ると彼は首を傾げた。
「ん、やっていいの?」
「駄目に決まってるでしょうが!」
なんで殺人許可が出たのかと思い込むのかこいつの考えが分からない。そもそも分かる気は前からしなかった、と思い返して私はネロの方を向いた。
「何の用?」
淡々と聞く私に、彼は鼻で笑うようにして言った。
「死霊術士の恥さらしが、三級門士に対等の口か?」
きっと彼は普段から、当然のように丁寧な対応をされているのだろう。私もまた跪くべきだと考えているのがよく分かる口調だった。それが少し不思議に感じる。ここはカトール一門だ。学園ならまだしもカトールでは実力が物を言う。
彼はそんなにも強いのだろうか。探るような私の視線に、彼の唇の端が上がった。
「お前のせいで死霊術士の地位は地に落ちた。カトールでも死霊術クラスを望む門士は激減し、死霊術士をやめるものまで出る始末だ」
そう率直に言われると何も言えない。私は視線を下に向けた。
「お前とリパー・エンドが学園の手に負えずカトール一門に来たと聞いて驚いた。だがいい機会かも知れん。お前はリパー・エンドの死霊解放すらできないのだろう?」
下に向けた視線を上げようとしない私に、傲然とした声が降ってくる。
「ならばリパー・エンドを俺に寄越せ。俺が死霊解放してやる」
当然のことのようにネロに言われて私は目を丸くした。
……リパー・エンドを、譲る?
それは全く考えなかった方法だった。確かに死霊は召喚と同じように、死体の一部と術士の承諾があれば別の死霊術士に譲り渡すことが出来る。
また、術士の承諾がなくとも死体の一部と高い死霊術があれば無理矢理奪い取ることもできるのだ。ネイ教官がそれを試みようとしたらしいと学園で聞いた。
だが。
「……あんたがリパー・エンドを解放できると思えないし、そもそも死体の一部もないわ」
私は首を振った。ネロは恐らく死霊術士の中では充分力量は高いのだろう。
しかしリパー・エンドの魔力には全然及ばないように思えた。そして何より譲るための死体がないのだ。
「そんなもの、俺の家の力で今探させている。すぐに見つかるさ」
「俺の家?」
見るからに大金持ちですという服装をしているが、予想通り彼は頷いた。
「ネロ・ドミトリーだ。名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
家名を聞いてさすがに私も目を丸くした。ドミトリーって……。王都から離れた学園にいた私ですら知っている。王家とも連なるとも言われる大貴族であり大富豪のドミトリー家?
たしかにそれほどの家ならばリパー・エンドの死体を探すことも出来そうな気がする。そうしたら私はどうするべきか。リパー・エンドを、譲る?
……いやいやいや、駄目だ。想像した瞬間に何か背中に嫌な汗が流れた。
そもそも私は彼の精霊石と契約しているし、それ以上に譲った瞬間、この殺人鬼に殺されそうな予感がひしひしする。第六感とでもいうべきものが「絶対やめとけ」と囁いてきた。
退屈そうにナイフを回していたリパー・エンドが、話に入ってきた。
「えー。僕、弱いやつがご主人様とかやだよ?」
あからさまに機嫌を害した様子のネロがリパー・エンドを睨む。
「そこの女よりよっぽど俺の方が強い」
言われたリパー・エンドは、唇の端を上げた。
「鼠と兎で強さ比べされてもねぇ」
フィリップは、ネロが怒りに身を震わせるのをはらはらと後ろで見守っている。心配そうな表情ではあるが口を出さないのはそう言いつけられているせいだろうか。
兎と評された私は隣の殺人鬼を睨み付ける。どっちにしても弱いのは分かっているがリパー・エンドに言われるとイラっとくるのは仕方ない。そんな私にリパー・エンドは首を傾げた。
「なんで怒ってるのかよくわからない。兎可愛いと思うけど? ミチカ」
「やっぱりそっちか! 可愛いというより弱いって言いたいんでしょうが!」
「あ、分かった? ごめんごめん」
全く悪いと思ってない様子で笑いながら謝るリパー・エンドに、わなわなと震えていたネロは叫ぶように言った。
「なら俺の実力を見せてやる! 出てこい、アルデチカ!」
彼が叫んだ瞬間に、後ろのフィリップはあからさまに顔色を変えた。制止するように叫ぶ。
「いけません、ネロ様!!」
「ミチカ、どいてて」
同時にリパー・エンドは私の前に出る。少しだけ嬉しそうな横顔が見えた。どこからか、ひゅう、と生暖かい風が吹いた気がした。
なにか、こわいものがくる。
思わず身が震えた。
「っ!」
私が息を呑んだ瞬間、フィリップの凛とした叫び声が聞こえた。
「ネロ様! 門士同士の死闘は禁じられています! このままアルデチカに命令を下すのであれば、私は当主様にお伝えしなければなりません!」
その叫びに、ネロは狼狽えたように上げかけていた手を止める。
そしてまた刃物を手に駆け出そうとしていたリパー・エンドも立ち止まった。
「ミチカ」
彼の低い声は、少しだけ笑みを含んでいた。
「アレ、今殺したほうが君のためにはいいと思うけど、どうする?」
「だ、駄目に……決まってるでしょ!」
私の虚勢は簡単に見破られるだろう。声が震えてしまった。
しかしリパー・エンドは突っ込まなかった。むしろ楽しそうに両手の刃物をしまう。
「ご主人様がそう言うのなら、僕は従うだけだよ」
鼻歌を歌いそうな表情で彼は言う。こんなに素直にやめるのは何かある。何かあるのだろうけど、私には分からないのだ。歯噛みする思いで彼を睨むが彼は馬房の傍に寄りかかってそっぽを向いた。話す気はないらしい。
「この犬が!」
一方ネロはフィリップの足を蹴り上げた。彼は一瞬だけ顔を歪めたが、そのまま深く頭を下げる。
「すぐに親父に言いつけやがって!」
「いけません。アルデチカではあのリパー・エンドには勝てません。ネロ様の命が危険なのです」
しかしネロは不愉快そうに彼を睨め付けた。
「やってみなければ分からんだろうが」
「……代償がその命でもですか?」
「俺の方が強い!」
はぁ、と小さなため息をついてフィリップは私の方を見た。お互いわがまま野郎には苦労しますねぇ、と同情していた私は視線が合って少したじろいだ。
「ミチカさん、明後日の武術大会に出ていただけませんか?」
明後日の武術大会。死者がでないようになっているというそれは、先日ベイルに言われてさらりとそこの殺人鬼が断っていたやつだ。言うことを聞かないネロの命を守ったまま実力を判断するにはいい方法だとは思う。……だが。
私が横を向いてリパー・エンドを見ると、彼は馬房脇に寄りかかったまま笑って首を振った。
「やだ」
……本当にこいつは自由人である。殴りたい。思わず私は拳を固めた。
「生死をかけた戦いなら応じてあげるよ? いつでもおいで」
からからと笑うリパー・エンドにネロが噛みついた。
「臆しているのか!? 戦えば俺の方が強いことがすぐに分かるぞ!」
「うんうん、怖いからやだ」
……完全にからかっている様子のリパー・エンドに、血管が浮き出そうなネロは歯噛みした。
「ネロ様……」
フィリップの心配そうな声に、舌打ちしてネロは背を向けた。
「ふん、臆病者が! もういい、フィリップ行くぞ!」
「は、はい!」
「覚えてろミチカ・アイゼン、リパー・エンド! 必ず叩きのめしてやるからな!」
完全に小悪党の捨て台詞を吐きながら、ネロは傲然と頭を上げて馬小屋の一角を離れていった。ぺこりと頭を下げてフィリップがそれを追う。
はぁ、と私はため息をついた。招かざる客が去った。もう既に日はたっぷりと暮れている。早く戻らねば夕食を食い損ねてしまう。
「……はぁ」
隣でリパー・エンドもため息をついた。
「最近人を殺してないなぁ……」
うるさい黙れ死ね。
「……あんたねぇ……あのネロ・ドミトリーって貴族の中でも大貴族よ。殺したらそれはもう大騒ぎになるわ。あんたの時代でもドミトリー家ってあったでしょ?」
「さあ……僕、興味の無いことは覚えない方だからさ」
半眼の私に、笑って答える殺人鬼。まあ上位貴族を狙って殺していたとかいう噂も聞かないのでその辺は無差別なんだろう。無差別殺人鬼、うん、たちが悪い。
私はもう一度ため息をついた。これだけ挑発されても全然乗り気にならないということは。
「本当にあんた、武術大会出る気がないのね」
「ミチカしつこい。人の嫌がることを無理強いしたらいけないよ?」
めっ、と叱るようにリパー・エンドが言ったので、思わず私は足元の餌箱をリパー・エンドに向かってぶん投げたのであった。