6 嘘つきな人たち
「泣いてるの? ミチカ」
こいつの笑みが非常に腹が立つのは何故だろう。私は鼻をすするとリパー・エンドを睨み付けた。
「そんな訳ないでしょ、馬鹿じゃないの」
「ふぅん」
じゃあそういうことにしておこうか、と楽しそうに笑うリパー・エンド。
殴りたい。すっごく殴りたい。
私の周囲は血に塗れている。リパー・エンドが飛ばした首がいくつか転がっているのだが、これだけ毎日死体に親しんでいるともはや感覚が麻痺してきた。
目の前の殺人鬼が「お客さんが来たから殺してくる」と鼻歌交じりに出かけたが、お客さんとやらはこっちにも来た。
黒い服装で覆面のようなものをかぶり、両手にはナイフや鈍器を持ったお客さんだ。歓迎したくない。
自室を飛び出し逃げ回って隠れて、先日エミリオが掘った落とし穴に男達を落としたりして、やり過ごせたかと思いきや、木の上から男が降ってきた。
血の雨以外にも最近は降るものである。そんな阿呆のようなことを思いながら、逃げだそうとした私の足がもつれて転んでしまい、そのまま男に紐で首を絞められた。
段々と意識が遠のいていったときに、急に手の力が緩んで代わりに血の雨が降ってきた。もはやいつもの出来事である。
「お待たせ、ミチカ」
少しだけ息を弾ませて、リパー・エンドが帰ってきた。私の傍らに立つ彼に思わず「守るなら最初から傍にいてよ」と言いかけて口を噤んだ。
こんな奴に頼ってたまるかという以上に、死にたくないと思ってしまっている自分を知られたくなかった。
そんな私を見て、殺人鬼は低く笑ってからエミリオの作った落とし穴に飛び込んでいった。何でこいつは人がどこにいるのか分かるのだろうか。探索眼でもついているのかと尋ねたい。というか穴に蓋して逃げ出したい。無駄だろうけど。
しばらくして大変満足そうな笑顔で穴から飛び出して来たリパー・エンドは、何かを私に投げてきた。緩やかな軌道を描いてそれは私の目の前に落ちる。
「あ、これミチカにお土産」
「へ?」
それは刃が弓のように湾曲している短刀だった。内側に刃がついてあり周囲には神聖文字でなにやらびっしり書かれている。持ち手のところまで全てだ。
放り投げてきたリパー・エンドの左手は火傷したかのように真っ赤になっていた。
「浄化仕様のナイフだよ。これで全身細切れにしたら、死霊でも倒せると思うよ?」
彼の手とナイフを交互に見て、私は目を丸くした。持っただけで火傷するほど強力ならば確かに、切り刻めば蘇れないだろう。効果によって差があるが、これほど強力な魔法のかかったナイフは相当高い。というか王族や貴族に流れて、一般には手に入らない。こんな高価なもの一体どうやって手に……いや奪ったんだろう、うん予想がつく。
解せないのはそれをなぜ私に渡すのかということだ。これで刺されたらリパー・エンドだって危ないというのならば、私に渡すのは自殺行為だ。反撃できないのに。
眉根を寄せてリパー・エンドを見ていると、彼はさっさと上着を脱いでどこかに行ってしまった。上着を脱いだ瞬間に一瞬見えた彼の脇腹には大きな切り傷があった。血は止まっているようだがあんな大きな傷が出来るなんて珍しい。
そしてそこには死体と私以外誰もいなくなった。
私はぽつりと呟く。
「……血なまぐさい」
彼が私の真上で男の首をはねたせいで、私もまた全身血塗れである。とぼとぼと自室へと向かっていく。学園を出る前にお風呂に入りたい。立つ鳥跡を濁さずと言うが、濁しまくりで申し訳ないくらいだ。
隔離室となっている私の部屋は小さいながらもお風呂がある。汲み置きの水は冷たいが、逃げ回って汗をかいた身体には心地よい。
血塗れの服を脱いでざっと身体を洗う。ほぅとため息が出た。
「情けない……」
じわりと目の端に涙が浮かんで、私はそれをごしごしとこすった。
先ほどリパー・エンドを部屋で待っていたときに、嫌な気配がしたのだ。リパー・エンドがよく放っている……殺気の気配が。
気付いた時には逃げ出していた。ちゃんと受け入れれば、部屋で彼らを迎え入れれば世界は平和になるというのに。私と言う小さな人間の死を呑み込んで。
しおれたような気分で身体を拭いて新しい服に着替える。思うに殺人鬼と一緒にいる場合着替えというのは予想以上に必要なのではないかと思えてきた。しょっちゅう血が飛んでくる。
風呂場から出て部屋にもどったらそこにはすでに殺人鬼がいた。椅子に座ってのんびりと待っている。暇そうに欠伸もしている。イラっとした。
思わず先ほど彼が渡した神聖魔法の短剣を投げつけると、リパー・エンドは首だけうごかして軽く避けた。
「はっずれー。駄目でしょミチカ。唯一の武器は投げちゃ駄目。そういうのは手に持って当てるもんだよ? はい」
殺人鬼が殺人講釈をしだした。投げられた短剣を布で掴んで、彼はもう一度私の手に短剣を渡してくる。
「あんた、何考えてるの?」
「んん?」
不思議そうに尋ね返す殺人鬼の肩口に向かって、私は短剣を握りしめて振り下ろした。
「それも駄目ー。軌道が悪いし重心が崩れてるから、下手に振り回すと自分の身体に刺さっちゃうよ」
彼はひょいと一歩後ろに下がると、倒れかけた私の腰を掴んで支える。本当にこいつは何をしたいんだ。
「神聖魔法に限らないでしょ」
見上げた殺人鬼の笑顔は腹立たしくなるほど爽やかだった。
「殺せる手段があるなら、なんでもするべきだよ?」
「……」
残り半年、死霊術でも神聖魔法でもなく、ナイフでぶち殺せと唆そそのかしているのだ。意味が分からない。やっぱりこいつは頭がおかしい。
「何を企んでるのよ。自分から私に殺す手段を渡すなんて馬鹿じゃないの!?」
「んん? だってミチカがどうしたらいいか分からないような顔してるからさぁ」
にこにこと無邪気に微笑んでいる狂人は、身体のバランスを崩した私を立たせてくれる。その手は綺麗に洗い流したのか血がついていなかった。
「何か目標があったほうが楽しいじゃん? その分失敗したときの絶望感も限りないし」
ああうん、分かった。つまりまた頑張って頑張って、失敗したときの表情を見たいということか。
私が半眼でリパー・エンドを見ても勿論彼が気にする訳がない。彼にとって私は、道ばたの小石のような存在でしかないに違いない。本当に憎らしい。死ねばいいのに。
観念するように頭を振った後、私は呟いた。
「……まずは毎日の腕立て伏せからね」
正直まだ両腕が筋肉痛なのである。死霊術士なんてモヤシのような存在に腕力を求められても困る。困るのだが、死霊術を伸ばすには限界があり、魔力は吸い取られて神聖魔法も使えずとなったらもう選択肢などない。
「ミチカはあんまり筋肉がつきそうにない体つきだからなぁ。どこまでいけるかな?」
楽しそうに人のやる気を損ねる台詞を吐く殺人鬼。本当にお前は何がしたい。
構うだけ無駄なので無視して私は荷物をまとめた。その中に神聖魔法のナイフをしまうと立ち上がる。副園長にまた剣術体術クラスの教官を頼んでもいいのかもしれないが、正直時間がない。
あと半年でこいつを殺せるぐらいの実力をつけるだけの指導をしてくれそうな教官はおらず、思いつく心当たりは一ヶ所くらいである。
「……王都にいくわ」
「おや、いいね。ずっと同じ所だと飽きるんだよね、僕も」
満面の笑みで賛成するリパー・エンドだが、もちろんこいつの意見など聞いていない。
「王都に、国中に名の知れた精鋭集団を育てる一門があるのよ。そこに行ってみる」
学園に近い仕組みではあるが、学園がお金さえあれば誰でも入れるのに対してそこでは実力だけが物を言う。もちろんミチカが普通に習いたいと言ったところで鼻で笑われるのは間違いない。だがもちろん、殺人鬼リパー・エンドの名はそこにも届いているはずだ。
あわよくばそこの人にナイフを渡して倒して欲しいものであるが……おそらく無理だという予感が満載である。
――こいつを殺せるのは、多分私だけだ。
ちらりとリパー・エンドを見ると、彼はすでに部屋の出入り口に向かっている。この学園にはもう彼を制する手段も、制する人もいないのだ。なんの未練もなさそうに殺人鬼は扉を出ると外で待っているようだ。そのままどっか行けばいいのに。
私は再度大きなため息を吐いて、荷物を背負って立ち上がった。
「……重い」
何もかも重い。荷物も重いし、世界も重いし、殺人鬼も重い。自分の気持ちすら重苦しい。
「あ、ごめん。持つよミチカ」
外に出ると言葉を拾ったのか私の荷物をひょいとリパー・エンドが持った。
重いのは荷物じゃないと彼を見るが、それすらも理解しているかのように彼は優しく笑う。
「いいじゃないミチカ。重いのも苦しいのも生きてる証拠だし」
「……死者の言葉は説得力があるわね」
私は軽くなった肩をほぐすように回した。世界に乗りかかられていたらさすがに重い。
吹き抜ける早春の風が、私の髪の毛を攫っていく。
あと半年で、私はこいつをどうにかできるのだろうか。
それから何も話さずに二人で学園の出入り口の門まで歩いて行った。幸い生徒達は授業中なのか、出会わなかった。
学園の門を出て、私は一度振り返った。
――ロザリオ教官、ネイ教官。そしてリパー・エンドを慕った狂い人エミリオ。皆はどこで眠っているのだろうか。
「ミチカ?」
こいつの傍にいればいるほど、血の匂いが染みついて取れなくなっていく気がする。
「死んだら、どこに行くのかなぁって」
私の呟いた言葉に、リパー・エンドは笑った。
「案内してあげたいところだけど、君は駄目なんだ」
知ってる。私が死んだらこいつも死ぬからだ。私が学園を見ながら立ち止まっているその背後で、殺人鬼は呟いた。
「駄目だって分かってるんだけど……困ったな」
「何が?」
私は急に背筋が冷えた気がして、少し先で立ち止まっていた殺人鬼を振り返った。そして息が止まりそうになった。
「最近君のこと」
彼の赤い眼が射貫くように鋭く私を見つめている。ぞわ、と両腕に鳥肌が立った。
「やけに殺したくなっちゃって、困るんだよね。早めに僕の中に閉じ込めた方がいいのかなぁって思うくらい」
「……」
そう言って目を細める彼に、粘ついたような喉の奥の言葉が出てこない。捕食者の殺気を受けて心の芯まで冷えそうになった。
――大丈夫、こいつは私を殺せない。殺せない、はずだ。
閉じ込められるのだってあと半年ある。何をしても無駄なんて、そんな予感は気のせいに決まっている。
「あ、と……半年あるでしょうが。約束でしょう?」
掠れた声が私から出て、彼はゆらりと背中を向けた。見えないはずの向こう側で、赤い舌がちらりと唇を舐めるのが見えた気がする。
「うん、大丈夫。約束だよね、守るよ?」
その日私は学園を出て、殺人鬼リパー・エンドと共に王都へと向かった。
隣を歩く殺人鬼の楽しそうな声音に、背筋が冷えるのを感じながら。