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死霊術士の殺人鬼  作者: かなん
カトール編
14/16

14 一年後のその日

 最近、リパー・エンドの様子がおかしい。

 フィリップは部下からそう報告を受けた。自身も少し感じていたことだった。




 ネロを殺してから五ヶ月程経っていた。もうすぐ半年だ。

 着々とフィリップは足場を固め、国からはドミトリー家の爵位を継ぐことを許された。貴族の爵位、遺産、支配地。全て彼が受け継いだ。

 彼が望めばより多くのものを手に入れることが出来たのは確かである。だが彼は望まなかった。彼が求めたのは、本来彼に与えられるべきものを全て奪い返すことであった。

 フィリップはドミトリー家の長男として生まれたが、母が愛人であったというだけで未来はなかった。貴族とは名ばかりの貧乏なノベル家に養子に出され、幼少の時からネロの使用人として顎で使われていた。屈辱だった。

 彼よりも聡く彼よりも強かったのに、立場の違いからネロの上に立つことは許されなかった。陰鬱な憎しみはどんどん育っていった。いつかその立場を逆転させてやる、とフィリップが思っていたことをネロは知らない。

 自分への過剰な自信からか、父親が運営に携わっているからか、ネロがカトールに入門すると聞いたときには当然のようにフィリップも押し込まれた。死霊術など興味もない。彼は剣術が、武術が好きだった。

 どれだけ彼が望もうとも彼の思うままになることなど何も無かったのだ。




 そんなとき、リパー・エンドに出会った。

 彼がネロとその死獣であるアルデチカ・フェマを叩き潰した時、身が震えた。

 圧倒的だった。リパー・エンドは暴力的なほど強く、そして何の情もない狂人だった。フィリップがもう少し純粋であったならば、エミリオのように彼に憧れたのかも知れない。

 だがフィリップはその殺人鬼を自分のものにしたかった。全てを支配されてきた自分と、支配を許さぬ彼。己の死霊としてこれほどふさわしいものはないと思った。

 リパー・エンドの死体の一部を手にしたときに、フィリップは邪魔な者は全て殺そうと暗い笑みを浮かべた。

 リパー・エンドに怯えた腹違いの弟のネロも、また実の父であるオーバン・ドミトリーも、彼が自分の手で殺した。しかし達成感などない。

 彼が望むのはドミトリー家嫡男として表舞台に出ることだ。それが例え血塗れの手であったとしても構わない。誰からも支配されない人間になりたかった。

 そのための武器を、彼は手にしたのだから。



 * * * * * * * * * *




「リパー・エンド」


 フィリップが彼のいる部屋にいくと、殺人鬼は椅子に座って、両足を机にのせていた。


「ん?」


 彼に向ける殺人鬼の視線は、何の感情もない。無機質な赤い瞳だ。フィリップは出来るだけ視線を合わせないようにしていた。深淵など覗きたくもないのだ。

 ミチカ・アイゼンから奪ったときに、対等の契約しかできなかったため彼には何の縛りもない。ただ主であるフィリップに対する攻撃が出来ないだけである。


「殺して欲しい人間がいるのですが……」

「悪いけど、しばらくやめとく」


 頬に笑みを浮かべて、リパー・エンドはキィと椅子を鳴らした。殺人鬼が人を殺さない。今までありえないことだった。


「何かあったのですか?」


 こんなとこで壊れてもらっては困るのである。フィリップにとってリパー・エンドこそが最大の武器であり盾でもある。カトールの門士や国内の貴族、また彼を嫉んだり恐れたものによるフィリップの暗殺は大分成りを潜めたが、それでも彼には多くの敵がいる。

 だがこの殺人鬼がいる限り、このドミトリー家に忍び込んで生きて帰ったものなどいない。

 その彼が人を殺さないという。怪訝そうに尋ねたフィリップにリパー・エンドは一言だけ返した。


「面倒くさい」

「……」


 この殺人鬼に、何があったのだろう。

 少なくともこんな反応は、今までなかった。フィリップの差し出した書類をちらりと見ては、仮面のような笑みを浮かべて出かけて行った。どんな厳重な警備も、一流の神聖術士も、彼を阻むことなど出来ずに、血塗れのリパー・エンドが帰ってくるだけだった。

 だからこそフィリップはここまでの力を付けたのである。


「体調でも悪いのですか?」


 死霊が体調を崩すなんてありえないだろうが、とりあえず原因を探らなくてはならないと、フィリップが尋ねる。

 リパー・エンドは薄く笑うだけで何も答えなかった。

 ひんやりとしたこの部屋の空気は、死者がそこに存在するからか。殺人鬼の周囲は暗く、明かりも月明かりだけである。


「しばらく、とはいつまでですか?」


 死霊は時に自ら契約の解除をすることが出来る。特に圧倒的な実力差がある死霊と主人であったり、対等な契約しか結んでいない場合であった時だ。前者がミチカで後者がフィリップである。

 解除をしたところで死霊はもとの屍に戻るだけなのだが、従いたくない主の場合それも可能である。

 そんなことになってしまったら、フィリップの今後は確実に危うい。


「いつまでかなぁ……多分、もうすぐ?」


 そんなフィリップの焦りも気にせずに、リパー・エンドは感情の見えない笑みを浮かべつつ答えた。


「……分かりました。しばらくが経過したら教えて下さい」


 無理強いは出来ない。この殺人鬼は自由だ。好きなときにふらりと出かけ、好きなときに戻ってきて、また好きなときに殺しに行く。以前リパー・エンドの外出に部下を付けたら、死体で戻ってきた。邪魔はするなということなのだろう。


「はいはい」


 軽い調子で答えるリパー・エンドだが、会話は終わったとばかりにフィリップに視線を向ける。出て行けということだ。フィリップは苦笑してその小さな部屋を出た。

 外で部下が控えていた。リパー・エンドと対峙をしているときに、部下を連れていると危険だということは早々に分かった。彼は殺気に敏感で、向けられた瞬間に無情に反撃する。おそらく生前ずっとそうだったのだろう。

 ミチカ・アイゼンといたときのリパー・エンドは違った。彼女にリパー・エンドが抑えられていたかどうかは微妙だが、殺意と悪意がある相手でも、手出しをされなければ反撃はしなかった。

 寝たふりをした凶悪な肉食獣とそれに少しでも心を許してしまった愚かな娘。まるでおままごとのような関係は、牙を向いた肉食獣にあっという間に壊された。

 自分はそんなへまはしない。彼を信頼することは勿論、関わる事すら最小限にしておきたい。アレはただの武器であり、壊れなければ良いのだ。

 控えていた部下がフィリップに尋ねる。


「どうなさいますか、フィリップ様」

「……放っておけ」


 変に部下を見張りにつけ、また殺されてしまっても困る。殺したくないというのであればしばらく様子を見よう。

 この世にフィリップにとっての脅威はもうないのだから。




 * * * * * * * * * *




 数日後。

 ひょっこりとリパー・エンドが書類を読んでいたフィリップのもとへ顔を出した。珍しいことである。彼はあまりフィリップの傍にいない。彼に暗殺者が現れる場合を除いて。


「誰か来るのですか?」

「うん」


 言葉少なにリパー・エンドは頷くと、フィリップの机の傍の柱に寄りかかった。愚かなことである。まだフィリップの暗殺を諦めていないものがいるのか。ここにリパー・エンドがいるというのに。


「捕まえたら背後関係を吐かせてくださいよ?」


 言うだけ無駄だろうが言っておいた。今までの刺客もほとんど二つに分断された死体ばかりで、生きて彼の元に辿り着いたものはいなかった。


「ないよ」


 リパー・エンドはふふっと笑った。久々に楽しそうにしている彼に、フィリップは少し安堵を覚えた。良かった、殺人となればやはり使えるものだ、と。


「背後関係なんてない。君と僕を殺しにきただけさ」

「……」


 恨みか何かで、本人が乗り込んできたのだろうか。どっちにしても、屋敷の周囲は部下で固めてあるし、最後にはリパー・エンドもいる。慌てる要素などどこにもなかった。

 ドン! という激しい音が聞こえる。この音は門内……いや屋敷内に入り込ませたのか。役に立たない部下達である。

 フィリップは立ち上がった。物音が近い。誰が忍び込んできたのか確認しようと思い、部屋の扉を開けて三階の手すりから、中央の広いホールを見た。そしてぎょっと、目を見開いた。

 後ろから付いてきたリパー・エンドは、笑みを浮かべたままだ。

 彼らの目の前には、壮絶な光景が広がっていた。

 何人かの死体が床に転がり、その中を三人の人影が立ち回っている。一人は茶色の髪の毛に黒い目をしたまだ少年ともいえる男の子。もう一人は日焼けした巨大な体躯を持った男。

 最後の一人に目を止めて、嬉しそうにリパー・エンドは目を細めた。

 死霊術士の服装をして、振り抜かれた棒を何とか避けた娘。体術は向上したが、それでも頼りない。一番の狙い目である。一瞬加勢してしまいそうになってリパー・エンドは右手を握りしめた。危ない危ない。

 代わりに彼女の少し前に出ていた少年が、彼女を襲っていた部下の胸を貫いた。鋭く光るそのナイフの柄は、ぐるぐると布が巻かれていた。そのまま持っては少年自身が傷ついてしまうからだ。彼もまた死霊なのだから。


「邪魔だ! 引っ込んでられないならもうちょっと強くなれよ!」


 睨み付けるように彼女に叫ぶ少年に、娘は叫び返す。


「後ろから襲われたの! 別にあんたが守る気ないのは知ってるわよ!」


 相変わらずの負けん気に、ついリパー・エンドの口からくっくと笑い声が漏れる。

 手すりの向こう側を見ながら呆然としていたフィリップが小さく呟いた。


「……死んだんじゃなかったのか?」


 その横からひょいと顔を覗かせると、階下に向かってリパー・エンドは声をかけた。

 それはとても楽しそうな声だった。




「やあ、ミチカ。エミリオ。ベイル。いらっしゃい」




 階下の三人は一斉に上を見上げると、各自違った反応をした。

 一瞬上を見上げた巨大な体躯の男……ベイルは少し苦笑しただけで、すぐに戦いに戻った。刃物を煌めかせる部下の手をねじり上げ、そのまま首に手をかけて骨を折る。腕力のある彼だからこそ出来る技だろう。

 身軽そうにナイフを振り回す茶髪の少年、エミリオは嬉しそうに微笑んで叫んだ。


「エンド様! お久しぶりです!」


 叫ぶ間も襲いかかる男達を避けて、その首筋を正確に切り裂いた。彼が主力となって着々と敵の数を減らしている。

 死霊術士の服装をした娘は、かろうじてといえる様子で部下の武器を避けている。一歩間違えれば当たって死ぬが、それをベイルとエミリオがフォローに入っているようだ。

 そんな娘、ミチカ・アイゼンはリパー・エンドを睨み付けると叫んだ。


「うるさい黙れ死ね!」


 久々の罵倒に、思わず笑みがこぼれる。変わらない彼女がそこにいることに、心が浮き立つのを感じた。

 そうでなくてはいけない。そうでなくては楽しくない。

 そのためにあの時、彼女を殺さなかったのだから。


「あんたの望み通り、殺しに来たわよ! リパー・エンド!」


 睨み付ける彼女の視線に、リパー・エンドは笑みを返した。




 * * * * * * * * * *




 あの日。

 突き刺した左胸の、あと一押しが出来なかった。

 もうほんの少し押し込めば、彼女の心臓まで貫くのに。

 リパー・エンドは胸に刃物を突き立てたまま、気絶させたミチカを抱き上げると、部屋の扉を足で蹴って開けた。

 扉の外にいた男は、ミチカの左胸に突き立ったナイフを見て苦笑した。


「……おい、刺すなよ。跡が残るだろ」

「ん? だって抜いたら失血死するかもしれないし」

「そういうことを言ってるんじゃなくてだなぁ……」


 言うだけ無駄か、と彼は首を振ってミチカの体を受け取った。ちらりと胸のナイフを見る。浅くはない傷だ。早めに神聖術士か医者に診せないと死ぬな、と冷静に判断した。


「じゃ、連れてくぞ? いいんだな」

「うん。僕は部屋の後始末していくからね」


 あ、とリパー・エンドは自分の服をごそごそとしてから、ぽいと何かを放ってよこした。封筒のようなそれはミチカの体の上に落ちた。


「それあげる。今のミチカなら使えるだろうし」

「おう、ありがとよ。さっさと行かないとそのミチカが死ぬだろうし、じゃあな」

「ん、またねベイル」


 手を軽く上げてリパー・エンドはその男を見送った。

 殺したくて彼女から離れたのに、遠ざかっていくその背中にどこか寂しさを感じてしまう。

 リパー・エンドは男の背に声をかけた。


「ミチカと約束したから、一年後……あと半年かな? そっちが来ないならその頃に殺しにいくからねって伝えてね」


 返事代わりに巨大な背中は小さく手を上げた。

 その様をリパー・エンドは微笑んで見送る。

 みるみるうちにその背中が小さくなり、闇に消えた。残されたリパー・エンドはミチカの部屋の中で適当な服を切り裂くと、自分の腕にナイフを突き立てた。

 血が吹き出し、室内を汚す。しばらくすると傷口は勝手に回復する。神聖術のせいであいた左胸はどうにもならないので、後でフィリップに頼めばいいかと諦めた。

 ミチカの部屋にネロの屋敷から持って来た人の肉片を適当にばらまいてからリパー・エンドはそこを出る。

 もうすぐ日が昇る。夜が明けて見る朝日は嫌いじゃない。

 ああ、昨夜は楽しい一日だった、と彼は唇の端を上げた。




 * * * * * * * * * *




 その数時間前。

 ベイルとの戦いは、数度拳とナイフを合わせただけで止まった。ベイルが拳を引いたのだ。


「……お前、殺る気ないだろ?」

「……ううーん」


 リパー・エンドは首を傾げる。殺す気が無いわけではないのだが、何となく気が進まない。何故だろう。ベイルは今恐らく一番ミチカが頼っている人間で。きっと殺したらまた彼女は泣くだろう。


「ミチカを宥めるのが面倒くさいからかな?」

「……」


 呆れた顔でベイルは口をあけた。


「宥めるもくそも……殺しにいくんだろ? あいつを」

「うーん」


 そのつもりである。そのつもりなのだが、首を傾げた。何かを忘れているような、何かを間違えているような。

 ああ、とリパー・エンドは手を打った。そういえばそうだった。


「蘇った一年後にってミチカと約束していたんだった!」

「……はぁ?」


 そうだそうだ、うっかりしていた。彼女を殺せるという喜びで思わず次の日に、と言ってしまったが、彼女と約束していたのである。全ては一年後に、と。

 だが、待つだけの価値はあるのだろうか? 彼女は半年後も変わらず殺したい存在でいてくれるのか。

 だから。


「ミチカが逃げたり隠れたり、諦めたりしないで、僕に向かってくるならあと半年待つよ?」


 彼の言葉にベイルはがりがりと頭をかいた。苦笑いしながら首を振る。


「……意味がわからん。相変わらずイカレてんなぁ、お前」

「そう? 人間らしいじゃない? ほら」


 ちらりと赤い舌で唇を舐めると、彼は微笑んだ。前にも同じことをミチカに言ったが、嫌そうな顔で睨まれるだけだった。


「僕、好物は後に残す方なんだよね」


 ベイルもまた嫌そうな顔をしてため息をついた。




 * * * * * * * * * *




 私はゆっくりと目を開いた。ずき、と胸に痛みが走る。

 白い天井を見て一瞬ここがどこだか分からなかった。どうやら寝台に寝ているようだ。

 しばらく呆然としていた。……死んであの世にいるしては何か痛い。左胸に手を当てると、包帯のようなものが手に当たる。


「起きたか? ミチカ」


 かけられた声に驚いて、がばっと身を起こした。


「ベイルさん!? ……ったた」


 急に起き上がったせいで胸が痛い。私の側に佇んでいたベイルは、苦笑して私の頭をくしゃりと撫でた。


「寝てろ。治療はしてもらったが、結構深い傷だったからな」

「生きてたんですか!? それともここがあの世ですか!?」

「勝手に殺すな。生きてるよ、俺もお前も」


 呆れ顔のベイルであったが、私はてっきり死んだと思っていたのだ。ベイルも……そして私も。


「リパー・エンドは……?」

「ああー……」


 嫌そうな顔をして、ベイルは自分の頭をかいた。


「ミチカと約束したから、半年後まで待つってよ」

「……」


 じゃあ刺すな! 死ぬでしょうが!

 大人しく何もせずに半年待つっていうことが出来ないのか、あの狂人は。ほんと死ねばいいのに。

 私が同じくらい嫌そうな顔をしたのを見てか、ベイルは苦笑する。


「幸いお前は死んだことになってるし、フィリップからの追撃はないと思うぞ」

「……嬉しいような嬉しくないような複雑な気分です」


 半年命が延びました、と言われてもまた半年後にあの狂人と戦うのか。圧倒的な実力差を見せつけられて、私のやる気は行方不明である。探す気になれない。

 そんな私の服にぽんと何か乗せられた。茶色い封筒だ。


「で、これリパー・エンドからお前にだってよ」

「燃やしてきてください」


 即座に返答した。どんな言葉が書いてあるのか分からないが、多分嬉しくない内容だ。見たくない。しかしベイルは首を振る。


「手紙じゃないと思うぞ。今のお前なら使えるってよ」

「……」


 どっちにしても嫌な予感しかしないのである。私は渋々その封筒を手にとると、開いた。

 中には茶色の髪の毛が少し入っていた。

 やはり嫌な予感しかしなかった。


「……やっぱ燃やしてきてください」


 茶色の髪、リパー・エンド関連……うん、あの少年しか予想がつかない。彼も十分狂人だ。蘇らせろというのか。リパー・エンドの心は分からないが恐らく、神聖魔法のナイフをくれたときと同じなのだろう。確かにあの少年は強いのだが……。


「使わないのか?」

「私に使える奴じゃないんですよ!」


 あのリパー・エンド教の信徒とでも言えるべき少年は、彼に心酔している。連れて行って裏切られるのは一度で十分である。


「まあそもそも蘇りに応じるかどうかなんて分からないしな。お前の好きにすればいいさ」


 笑って頷くとベイルは立ち上がった。白い部屋の中に家具は少ししか置いておらず、おそらく病院か治療室なのだろう。


「治ったら移動するから、しばらく体を休めておけよ」

「あ、ちょっとベイルさん! これ捨てて……っ」


 私の叫びを聞かずに彼はさっさと行ってしまった。手の中には恐らくエミリオの髪の毛。ネイさんから奪ったのだろうか。私は苦々しく封筒を握りしめた。

 ――そもそも召喚に応じる訳もないし。


「……死したる隣人よ。あまねく眠りの民。この地に蘇れ」


 小さな声で呟いた。半年前のあの日、全ての始まりの言葉を。


「この死者に再び命を」


 言い終わった後にも、そこに変化はなかった。拒否されたのか、二度と復活しないのか。分からないがホッと息を吐いた。馬鹿馬鹿しい。やはりあの殺人鬼に騙されたのだ。

 そう思った時に、手の中の髪の毛がすうっと消え去った。

 えっ……ええ!?


「……なんでお前が一人なんだよ。エンド様は?」


 つまらなそうな口調で背後から呟かれ、私は固まった。何故出てくる。いや呼んだのは私だけど。

 振り向くとそこには、茶色の髪の毛の少年が立っていた。綺麗な顔立ちをした彼は不機嫌そうな顔をして、両手を服に突っ込んでいる。

 エミリオ・レッテ。

 リパー・エンドの心棒者であり、狂人仲間だ。


「まさかエンド様を死霊解放したとか言わないよな?」


 向けられる殺気は、彼譲りなのか。非常に刺々しくぞっとするものだった。私自身が蘇らせたのでなければ、逃げ出していたであろう。


「してないわよ! あいつは他の人と契約し直したの」


 私の言葉に虚をつかれたようにエミリオは目を丸くすると、ふぅんと頷いた。リパー・エンドにも、そしてネイさんにも彼はちゃんと敬語を使っていたのに私に対しては全くそれがない。いやいいけどね! 死霊に軽い扱いされるのなんて慣れているけどね!


「で、お前は僕に何してほしいわけ?」


 半眼で睨まれて、私は詰まった。とりあえず試しに召喚してみた、などとは言えない。


「……半年後にリパー・エンドが私を殺しに来るのよ」


 彼の視線が鋭くなった。なんか羨ましいとでも言いたげな目だ。いやいやあんた一回殺されたでしょうが。それで十分ではないだろうかと思う。私なんか頼まれてもまた刺されるのはごめんである。怖かったし、刺された跡が普通に痛いし。最悪だ。乙女の柔肌を傷物にしやがって、覚えてろ。


「だからあんたを召喚したんだけど」


 どうしよう、だから守ってくれ! とでも言えばいいのだろうか。何かものすごい一瞬でお断りされそうな気しかしない。


「分かった」


 ……ん?

 頷いたエミリオに、私は目を瞬かせた。私はさっぱり説明し終えていないのだがいいのだろうか。しかし彼は笑みを浮かべる。


「その前にエンド様を倒しに行くんだろ? 僕も再挑戦したかったし、ちょうどいい」

「……いやいやいやいや! 待って、ちょっと待って!」


 何なのこの人達。攻撃は最大の防御なの? むしろ防御してるの? 捨て身ばっかりだよね!

 出来れば防御で逃げたい私には全然理解出来ない。


「どちらかというと守って欲しいんだけど」

「はぁ!? お前を!? お断りだ!」


 迷いなく一瞬で断られた。嫌われているのは分かっていたが、早すぎる。ここで契約解除でもされたらもう生身でリパー・エンドと対峙するしかない。一回やって懲りた。もっと巨大な魔力を持って、隙でもつかない限り私では倒せないことがよく分かったのだ。


「分かった、守らなくていいからリパー・エンドが来たら戦ってよ! その間に術者倒すから!」


 今まででリパー・エンドと一番互角に渡り合ったのはエミリオだ。彼にリパー・エンドを任せてその隙にフィリップを倒すしか手はないかもしれない。

 しかしその言葉にもエミリオは顔を顰めた。


「……お前、前より大分ましな魔力だけど……糸が短い」

「へ?」


 糸? そういえばリパー・エンドも言っていた。契約直後は、フィリップとの糸が切れてしまうから、カトールまで送っていけないと。


「エンド様は自分の魔力を使って糸をのばせるけど、僕はそうじゃない。距離的に向こうから攻撃をしかけられたら、術者まで辿り着く前に糸が切れるぞ」

「……」


 つまり、半年後にリパー・エンドの襲撃を待つのでは遅いのか。こちらが乗り込んで倒さないと私は反撃手段もなく死ぬらしい。


「……当たり前じゃない。倒しに行こう! 攻撃は最大の防御でしょ!」


 私の言葉にエミリオはものすごく嫌そうな顔をした。限界ギリギリの妥協で、しかし彼はリパー・エンドに会いたい気持ちが勝ったようだ。私は出来れば二度と会いたくないが、狂人の気持ちは分からないので好きにしていただきたい。


「分かった。自分の身は自分で守れよ。僕はエンド様と違ってお前なんかどうでもいいんだからな。失血死しない程度の傷なら放っておくぞ」

「……あいつだって私の事なんかどうでもいいわよ」


 でなければあんなに喜々として殺しにこないだろうに。嫌な方に特別でも嬉しくない。

 しかしエミリオはため息とともに吐き捨てた。


「エンド様は今までになぁ……。 ふん、やめた馬鹿らしい。雑魚で馬鹿で能なしの事なんか構ってられるかっ」


 ぶつぶつと私に対する罵倒を呟きながら、エミリオは部屋を出て行った。さすが殺人鬼のお仲間である。主人に対する忠誠が一ミリもない。ナチュラルに罵倒していった。

 誰もいなくなった室内で、私は力が抜けてそのまま寝台に横になった。

 昨日は最悪の一日であった。

 その前日も最悪であったが、さらに悪かった。川の向こう側に行きそうになってしまった。もういっそ行ったら楽だったんじゃないかな、とそんな気すらしてしまう。強く生きよう。

 目を閉じると最後に見た光景が脳裏に浮かぶ。そしてイラっとする。

 何が怖くない、だ。怖かったし痛かったわ!

 しかし死んだことになっているのはありがたい。これで外見をこっそりと変えれば、ミチカ・アイゼンという世紀の大犯罪人としてでなく普通の人間として生きていけるかもしれない。

 あいつはそれを狙った……訳はないな。うん。あいつが私のために何かをする義理などもうないし、不幸中の幸いなだけだろう。

 疲れ果てていた私は、目を閉じた。すぐに眠気が襲ってくる。とりあえず今は何も考えずに眠ろう。眠くて仕方がない。

 夢すらも見ずに私は深い眠りについた。




 * * * * * * * * * *




 その後半年は、いやぁほんとスパルタであった。鬼教官が二人に増えた。


「頑張れミチカ。いやぁリパー・エンドがいないと楽でいいな。反撃で殺される恐れないし」

「それくらい避けるか抜け出せよ。お前本当にどんくさいな」


 ベイルに腕を捻られて床に押さえつけられながら私は早々に左手で床を叩いた。ギブギブ! 痛たたた! ギブだってば! ちょっとエミリオ、何呆れ顔で見てるのよ! 助けようとか考えようよ!

 しかし現在私の死霊となっているはずのエミリオは私が痛そうな顔するとざまあみろとでも言いたげな顔になる。死ねばいいのに。

 主に体術というか、逃げ技中心に教わった私であったが、勿論異論はない。攻撃と防御でいえば攻撃はエミリオが行うため、私はさっくり死なない為の行動だけをたたき込まれた。一応頑張ったつもりである。


「まあ仕上がりとしては……二割くらいか?」

「いやいや、ベイルさんの基準で言われても困るんです!」

「二割もない。不格好に避ける程度ができるくらいだろ」


 エミリオやかましい。避けられるだけマシではないか。前ならば全部当たってるわ!

 そんなスパルタ教育も今日で終わり。明日はフィリップの屋敷に乗り込むのである。外で待っていたい私だったが、エミリオが頑強に「お前も来い」と言い張るのだ。彼のように、殺しかけた相手に喜々として会いに行くほどポジティブではないのだが、何か考えでもあるようなので渋々ついていくことにした。

 ベイルもついでに来てくれるそうで、もう足を向けて寝られない。こんなに付き合わせていいのかと悩むが、彼は「ここまで乗り掛かったらもう仕方ない」と苦笑するだけだ。

 最後の夜は、寝台に入ると両手を合わせて神様に祈った。

 あの殺人鬼がこの世から消えてなくなりますように。生きて帰ってこられますように。


 刺された跡が少し痛むような気がした。


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