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死霊術士の殺人鬼  作者: かなん
カトール編
13/16

13 そして世界は暗転する

 私は自分の部屋でじっとしていた。

 背中を壁につけて、寝台で足を抱えて座っている。出入り口は二ヶ所、扉と窓である。

 小屋は以前ベイルが使っていたもので、改装して私の部屋を作って貰っている。寝台と衣装戸棚くらいしかない簡素な室内だが、眠るだけなので問題はなかった。私が眠っているときに、リパー・エンドはどこかに出かけていて、朝になるとひょっこり戻ってきていた。

 どこからか来るにしても、おそらく壁をぶち破るような真似はしないはず。彼はあれで合理主義だ。出入り口があるのならばそこから来る。もし全部を鋼鉄などで溶接すればぶち破ることもあるかもしれないが、残念ながら私の方で溶接の方法がない。出来ることなら溶接した鉄の箱の中に隠れていたい。窒息死するが。

 夜も更けて、月が少し傾きだした真夜中、急に部屋の扉が開いた。心臓が跳ね上がった。


「や、ミチカ」


 当たり前のように笑顔で、挨拶しながら彼は扉から入ってきた。まるで今も私の死霊であるかのように。彼の黒衣が月明かりに浮かぶ。返り血の目立たない、殺人鬼の正装である。


「さっきまでベイルと遊んでいたから、遅くなっちゃってごめんね?」

「っ!? ベイルさんは……!」


 聞こうとしてやめた。そんなの、分かっているではないか。今彼がここにいて、ベイルの姿が現れない時点で。

 どうして私は周りの人を死に導くことしか出来ないのだろうか。私が死ねば終わるのか?

 いや、違う。以前ならば私が死ねば終わった。でももう違う。私が死んでも、こいつは死なないのだから。

 私は腰にさしたナイフを右手につかみ、ゆっくりと立ち上がる。リパー・エンドは笑みを浮かべた。


「ミチカ、僕はね。君と遊ぶ気はないんだ」

「……どういう意味?」


 眉根を寄せて彼を睨み付けると、彼はいつのまにか出していたナイフをくるりと回す。月光にきらりと刃先が輝いた。


「君の事は好きだから、出来るだけ楽に殺してあげたいんだよ」

「……馬鹿じゃないの? 全く嬉しくないわよ」


 生涯こんな嬉しくない好きと言う言葉を聞くことがあるだろうか。私が半眼で彼を見ると、リパー・エンドは驚いたように目を丸くした。


「えっ。ミチカ、なぶり殺しが好きなの?」

「んな訳ないでしょうがっ!」


 やはりこいつは脳に神経が必要だ。人間のふりをした狂人は「あー、良かった、びっくりした」と胸をなで下ろしていた。全然良くない。

 笑うリパー・エンドは油断しているように見える。見えるが、恐らく……。

 私は寝台を飛び降りると、そのまま彼に駆け寄り、彼の肩口に向けてナイフを振り下ろした。

 彼はあっさり一歩引いて、その瞬間私の視界が反転した。

 少し遅れてダン! という物音が響く。

 リパー・エンドを見ていたはずなのに、天井が見える。私の背中に痛みが走った。

 斬りかかった私の右手を掴んで、そのままくるりと回転するようにリパー・エンドに床に叩き付けられたのだと気付いた時には、私は床に縫い止められていた。

 右手はナイフごとリパー・エンドの左手に押さえつけられ、私の足の上には暴れさせないようにか彼の右膝が押さえるように乗っていた。

 右手を動かそうにもぴくりとも動かないし、足は太股の上辺りにリパー・エンドの右膝が乗っているから逃げ出すことも出来ない。私を上から見下ろす彼の顔には、いつものような笑みが浮かんでいた。

 ほんの一瞬だ。一瞬なのに、すでに私は身動き一つとれず、殺人鬼に喉元を晒している。

 本能的な恐怖で、ごくりと喉が鳴った。

 実力の差というのはこれほどにも無情なのか。私はそろりと左手を動かした。


「ミチカ」


 いつでも私を噛み殺せるはずの存在は、優しく声をかけてきた。


「首と胸、どっちがいい?」

「……?」


 こいつの言葉には恐らく通訳が必要だ。狂人界の言葉で話すのはやめてほしい。ひそめられた私の眉を見て、彼は再度説明した。


「首を切られるのと胸を刺されるのどっちがいい? あ、腹はお勧めしないよ。多分痛みが長引くし」

「……」


 親切なことに、こいつは出来るだけ好きな死に方を私に決めさせてくれるらしい。頭がおかしいとしか思えなかったが、まともなことなど一度もなかったと思い返した。


「ミチカが選ばないなら胸刺すけど? 首だと血が噴き出すし。ミチカは血嫌いでしょ?」


 死ぬならどっちもお断りである。ゆっくりと私は左手の指先を上げる。


「……どっちも嫌だって言ったら?」


 出来るだけ何気ないように言ってみたが、語尾が少し震えていた。リパー・エンドはくっくと笑って首を振る。彼は力を入れているように見えないのに、私の右手は全く動かない。


「それは駄目。死に方に希望があるなら出来るだけ沿ってあげたいけど」


 リパー・エンドの右手のナイフがそっと私の左胸に当てられた。あとはそのまま差し込むだけで、私はこの世と断絶することになる。

 落ち着け、と自分に言い聞かせて私は床に押さえつけられたまま殺人鬼を見上げた。


「……じゃあ、一つお願いがあるんだけど」

「うん、いいよ? 聞けることなら」


 笑って頷くリパー・エンドに、私は彼の背後にある寝台に視線を向けた。


「私の荷物の中で一つ、育った孤児院に送ってほしいものがあるの」


 私の言葉に、彼は瞬きをして寝台の方に顔を向けた。


「いいよ? どれ?」


 ふっと、彼の視線が私から逸れた。扉前で対峙した彼は恐らく、油断しているように見えながらも全くそんなことはなかった。彼の体には戦いが、生死の境を歩くということが染みついていた。しかし獲物を捕まえ捕食するばかりの彼に、多少の油断がないとはいえない。

 その瞬間が今だった。私を見ていない、最大の好機。

 私は左手を彼の胸に向けた。リパー・エンドに奪われていた魔力は、私の体に溢れている。搾取する者のいないその力は、かつてロザリオ教官に教えて貰った神聖魔法として、閃光のように私の手からほとばしった。


「っ!」


 息を呑むような声は、私だろうか。それとも彼だろうか。

 月明かりよりも激しい神聖なる光が小さな部屋の中を照らした。それは真っ直ぐに殺人鬼の左胸に向かった。

 弾けるような眩しさが目に飛び込んで来て、思わず目を閉じた私は体上の重みが吹っ飛んだのを感じた。

 ッドォン!

 激しい衝撃音に、ビクリと体を震わせる。右手と両足を押さえていた重みが消え、私は身を起こした。

 先ほどの激しい光に目がくらみ、月明かりがやけに暗く見える。

 室内には私と、そして吹っ飛ばされた彼しかいなかった。

 リパー・エンドの左胸には大きな穴か空いている。それはかつて私に攻撃したときのようにぽっかりと空間になっており、血が吹き出ていなかった。

 壁に叩き付けられ、背を壁に預けたままの彼の表情は見えない。私の魔力はほぼ空っぽで、彼の周囲の魔力も感じ取ることができなかった。効いたのか、効いてないのか。

 人間ならば心臓を吹っ飛ばされているのだ。普通は死ぬが、死霊は心臓が無くなっても死なない。

 私は右手のナイフを握りしめたまま立ち上がった。これで細切れにすればさすがに僕も死ぬよ、と言っていた。こいつは酷い嘘つきで、それすらも嘘かも知れないけど。

 ふらつく足取りでリパー・エンドの目の前に立つ。右手のナイフがやけに重く感じられて、両手で掴み直す。  

 殺さなければ。

 殺さなければ、死ぬのだ。

 足元には壁に背を預けて左胸に大きな穴を開けた殺人鬼がいる。全く動かない。狂人で、最悪で、存在すら忌まわしく、彼のせいで沢山の人が死んだ。そしてこれからも死んでいく。

 私が断ち切るべきなのだ。死霊といえども自分の手で人を殺すのは初めてで、でもやらなくちゃいけない、と自分に言い聞かす。

 こいつが私にしたことは全て、ただの利己主義で何の情もないはずだ。私を守ったのも、宥めたのも、抱きしめたのも全て、自分の命を握っていた主人に対して義理でしかない。

 だから私の手が震えるのも視界がぼやけるのも、人を殺すのが怖いだけなのだ。決して、こいつの死を悲しんでいるわけではない!

 歯を食いしばって、私は彼の体の隣に膝をつくと、ナイフを振り下ろした。

 その刃先がリパー・エンドの体に食い込む寸前に、思わず目を閉じた。


「っつぅ……痛たた……」 


 ガク、と急に振り下ろした手が止まる。その刃先を指の間で掴んで止められたのだ。

 目を見開くと、しかめっ面をしたリパー・エンドが右手で私のナイフを挟んでいた。その指先は神聖魔法の効果でか、火傷したようにみるみる真っ赤になっていった。


「久々に痛みを感じると、ちょっとびっくりするね」


 ぼやくようなその言葉と同時に、私が両手で握り込んでいたナイフは、刃先を捻って奪われた。リパー・エンドはそのままナイフを横に投げる。それは部屋の隅まで転がって止まった。

左胸に穴を開けたまま、リパー・エンドは動いていた。全魔力をつぎ込んでも彼の意識を絶つことすら出来ないのか。彼を全て吹き飛ばすほどの神聖魔法は、私には使えなかった。衝撃と絶望と、恐怖で私は一瞬固まった。

 リパー・エンドから距離を取ろうと思った時には、私の両手はひとまとめに彼の左手に掴まれていた。間近に殺人鬼の顔が迫る。かすかに苦笑しながらも、リパー・エンドは息が触れるほど近く、私の目の前で囁いた。


「ミチカ。相手を殺すときに目を逸らしちゃ駄目だよ。あとさ」


 ズキッ。

 左胸に小さな痛みが走った。


「僕のことでもう泣かないでよ。楽にしてあげるから」


 勝手に私の頬を伝っていた涙を、彼の赤い舌がぺろりと舐めとる。

 何故そんなことをしたのかというと、彼の両手が塞がっていたからなのだろう。左手は抗えないように私の両手をまとめ、そして右手は吸い込まれるように。

 小さなナイフを私の胸に突き立てていた。

 痛い、と思った。熱い、とも思った。

 だけど何か現実感がなくて、私は目を瞬かせていた。両手はリパー・エンドに掴まれているから動けない。私の左胸には半ばまで埋められたナイフ。何で、と意味を理解することが出来ないまま呟いたが、声にならなかった。

 その柄を握っていた彼の手が離れて、私の首筋に回る。


「ミチカ、大丈夫。怖くないよ」


 優しいその声と、彼の微笑みが最後に視界に映って。

 ――そして世界が暗転した。




 * * * * * * * * * *




「ただいま」


 夜が明ける少し前にリパー・エンドはフィリップのもとへ戻ってきた。現在フィリップが拠点としているのはドミトリー家であり、ネロの部屋を根城にしている。既に屋敷内は制圧済みだ。従うものは残してあるし、逆らうものはこの世にはいない。フィリップは微笑みを浮かべた。


「遅かったですね。ミチカ・アイゼンは手強かったのですか?」


 そんなはずあるまい、と言わんばかりのフィリップの声に、殺人鬼は首を振った。


「ううん、ベイルも相手にしてきたから時間かかった。ミチカは強くないけど……弱くもなかったかな? 全力で抵抗してきて、可愛かった」


 前の主のことを思い返したのか、彼の頬に笑みが浮かぶ。自然と浮かんだその笑みに、フィリップは揶揄するように声をかける。


「……彼女を殺したことを残念がっているようにも見えますが」


 現主の言葉に、死霊は薄く笑う。


「うーん、そうだね。殺したくなるくらいには好きだったからね?」

「……」


 好かれるのも良し悪しだな、とフィリップは思う。良いことなどなさそうだが。リパー・エンドは自身の左胸に手を当てると、顔を顰めた。


「それよりフィリップ、召喚し直してよ。ミチカに左胸吹っ飛ばされてさ。あ、また神経もつけてね?」

「……構いませんけどね。私は殺さないで下さいよ」


 苦笑気味に言うフィリップに、リパー・エンドはちらりと視線を向けると唇の端を上げた。


「あはは、君の事は殺したいほど好きになりそうにないよ?」


 それはなによりだ、とフィリップは思った。こんな殺人鬼に好かれても嬉しくない。

 フィリップはリパー・エンドの体を召喚し直した。その術で空いていた穴はふさがり、死霊は満足そうに唇の端を上げる。

 ミチカ・アイゼンは死霊術士のくせに神聖魔法も使えるのか、とフィリップは思ったが、そんなどうでもいいことはすぐに記憶の端に追いやった。彼は手に持った書類をぽいとリパー・エンドに放る。


「元気になったところで、このリストの人間が殺してきてほしい人なのですが」


 まずは国との話し合い、そしてリパー・エンドはフィリップの支配下にあることを知らしめないといけない。裏でこっそりと使うにはこの殺人鬼は派手に人を殺しすぎる。それならばむしろ武力として扱った方がいい。

 ちらり、とその書類を見て彼は興味無さそうに頷いた。


「ん、明日ね。今日はそんな気分じゃない」

「……まさか、今日は元主の喪に服すとか言わないでしょうね?」


 苦笑するようなフィリップの言葉が身を翻したリパー・エンドの背中にかかる。リパー・エンドは以前忍び込んだ小さな部屋を自室代わりにしている。どの豪勢な部屋を使ってもいいと言っているのに、興味が無い様子である。

 彼が求めているのは殺人で、自分ならばそれをいくらでも与えられる。だから、史上最悪と呼ばれたような殺人鬼が、前の無力な主の死を悲しむことなどあるはずがない、と思った。

 扉から出る直前で振り返ると、殺人鬼は唇の端を上げた。


「まさか。僕はね、死んだ人間には何の興味もないよ」


 さもありなん、とフィリップは思う。同じく死んだ人間には興味がない。大事なのは生きている人間をどのように使うかである。


「念の為聞きますけど、ミチカ・アイゼンは死霊化はしてないですよね?」


 元主であるミチカ・アイゼンに変に執着しているのではないかと少しフィリップは案じた。今日だってフィリップの同行を邪魔だから、と微笑んで断るくらいだ。

 死んだ人間に興味はなくとも、生き返らせたら……彼に影響を与える人間が自分以外にもいてもらっては困る。そう思ったがリパー・エンドは目を丸くした。


「何で? 死霊は死霊を持てないし……そもそもミチカは蘇らないよ?」

「蘇らない?」


 フィリップは眉根を上げた。死霊術士になって何度も死体を蘇らせたことがあるが、たまに決して生き返らないものがいた。術者との相性や力不足と言われていたが。


「ミチカは蘇らない。蘇るのは僕みたいに黒くて汚れてて歪んでて、この世界に執着があるものばかり」


 彼女が執着するものなどもうどこにもいない。親も友人もおらず、死霊術も神聖術も彼女を救いはしなかった。境界線を越えた彼女は二度と戻らないのだ。彼女を殺せるのはただ一度、ただ一人だけ。


「だからこそ、僕はミチカを殺したかったんだよ」


 歪んだ愉悦の声だけ残して、リパー・エンドは扉の向こうに消えた。

 残されたフィリップは背筋に冷たいものが落ちるのを感じながら小さく吐き捨てた。


「……狂人が」




 * * * * * * * * * *




 ミチカ・アイゼンが使っていた部屋は、血塗れだった。

 所々残る肉片と、切り裂かれた彼女の服がそこで発見され、ミチカ・アイゼンは亡くなったのだと思われた。彼女の師であるベイル・デイタも行方が分からなかった。

 ベイルの弟子達は同門の義理で彼女の葬儀の手配を行い、新聞には大々的にリパー・エンドを蘇らせたミチカ・アイゼンの死亡が報じられる。

 リパー・エンドが消え去ったかに思われたのだが、それは一時の夢に過ぎなかった。

 彼がフィリップを新たな主にしてまだ存在していることを記した新聞が出たのは、それより少し後だった。

 フィリップは国王やその側近には手出しをしないことを約束し、代わりに静観を求めた。そんな彼に国は何も出来なかった。反対した国王の側近は次の日死体で見つかった。どれだけ警備を固めようとも。

 カトール一門はフィリップの四級を取り上げ、ネロ殺害及びオーバン殺害の容疑で出頭するように伝えた。だが、それと同時に一級と二級の門士、及び運営陣に不審な死に方をするものが何人も出たようだ。

 上層部とフィリップの間でどのような取引が行われたかは詳しく知られなかったが、その後カトールもまた静観という手段をとらざるを得なかった。

 新聞では懸賞金がフィリップにかかったこと、そしてフィリップと裏の世界との黒い繋がりや殺人鬼の事などを書き伝えたが、記事の言葉は慎重に選ばれていた。既に行方不明になった先人がいたためと言われている。

 さすがに積極的に全人類を皆殺しにしよう、というようなフィリップではなかったため、彼と利害を対立するものに死亡者が絞られ、怯えながらも世間は落ち着きを取り戻してきた。







 時は過ぎ、リパー・エンドが復活してもうすぐ一年になろうとしていた。





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