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死霊術士の殺人鬼  作者: かなん
カトール編
11/16

11 子弟フィリップ・ノベル

 昔から思っていた。悪人が待ち受けている敵の巣窟に、何故正義の使者は馬鹿正直に飛び込むのだろうと。様々な罠が待ち受けたその場に、真っ正面から乗り込むのは主役だからなのか。

 幼い頃に読んだ絵本では、正義は勝つと書かれていた。

 では、悪が圧倒的な暴力を持っていた場合に、愛と勇気でそれは覆せるのだろうか。




「こんなの、罠よ!」


 私がネロからの手紙をくしゃりと握りしめて叫ぶと、馬を引き出しに来たベイルも、壁に寄りかかっているリパー・エンドも呆れ顔だ。


「わかりきった事だろうが」

「それはまあ、当たり前だしね」


 何言ってんだかとでもいいたげな視線を向けられて、私は頬が引きつるのが感じられた。分かっていても叫びたくなるのが人間というものだろうに。この人外どもめ。

 何で彼らはそんな冷静なのだろうか。リパー・エンドの死体の一部などという物騒なものを知らされて、落ち着いていられるか!


「第一、死体が見つかったところでどうにもできないでしょ。僕はミチカに蘇生されてるんだしさ」


 木箱に座ったまま、焦る様子も見せないリパー・エンドに言われて私は少し落ち着きを取り戻した。そういえばそうだ。二重蘇生はできない。私がリパー・エンドを蘇らせた以上、世界にこの殺人鬼はただ一人なのだ。良かったこいつがもう一人いたら世界が滅びる。いや意外と相打ちで死ぬかもしれない。それもそれで良いな、と思っていたらベイルが馬房から引き出した馬にブラシをかけながら言った。


「強奪は? 死霊術で相手の死霊を奪い取ることが出来ただろ?」

「あ、えっと」


 私は以前、ロザリオ教官に習ったことを思い出しながら言った。


「他人の死霊を奪う場合はいくつか制約があるんです。譲る場合は死体の一部と、術者の許可があれば基本的には力量自体は関係なく出来ます。でも奪う場合は一部じゃ駄目で九割以上の死体があるか、死体の一部と相手の術者よりも相当死霊術に長けている術者がいないといけないんです」

「んーよく分からんが、死体の一部があるなら、ネロがミチカより相当強ければ奪い取りが出来るってことか?」

「そうなるんでしょうか……」


 ならなんでわざわざ呼び出しがかかるのだろうか。ドミトリー家に行く必要がある理由がよく分からない。

 木箱に座りながら、だらりと足を投げ出すようにしていたリパー・エンドがくくっと笑った。


「あー、それは死霊術士そっちの制約だよねぇ。死霊こっちには死霊こっちの制約があってね、死体の一部と高い死霊術があっても奪いとれないよ?」

「え!?」


 そんなの聞いたことがない。なら他にどうすればいいのだろうか。問いかける私の視線に彼はにっこり微笑んで赤い舌をぺろりと出した。


「秘密」


 ……どうしてこいつはいらない情報はいくらでも漏らすくせに、必要なものは話そうとしないのか。出来ることならこんなイカレた死霊は譲りたい。誰かに譲って地の果てまで逃げ出したい。


「んじゃミチカ、休憩は十分だろう。さっさとそこの殺人鬼の胸にナイフをぶっ刺すために体力作りに戻ってろ」


 言われた私は、頑張ってねと爽やかに応援するリパー・エンドを一瞥してから、スパルタ特訓へと戻るのであった。ちょっとやる気が出た。




 * * * * * * * * * *




 そのまま体力作りでひたすら黙々と馬の放牧場の周りを走っていると、私は誰かとすれ違った。


「あれ?」


 私が立ち止まって振り返ると、彼もまた立ち止まる。手に持った書類のようなものを抱え込むようにして、彼はぺこりと頭を下げた。


「フィリップさん」

「こんにちは、ミチカさん」


 微笑むその顔はいつものように穏やかだった。

 私は思わず左右を見回したが、誰もいない。てっきりネロと一緒かと思ったのだが……。


「ネロ様は……ちょっと今屋敷に引きこもられてしまって……」


 脅かしすぎたかなぁといっていた殺人鬼の顔が脳裏に浮かんだ。まさか引きこもるほどとは。

 困ったように言うフィリップにそこはかとなく罪悪感を感じながらも、私は丁度良いので聞いてみた。


「あの、ネロから何か聞きました? リパー・エンドのこととか」


 死体の、一部ってどういうことなんだろう。引きこもっているから屋敷に呼び寄せたかったのだろうか。


「いえ、あの武術大会のあとは一度しかお会いしていないのですが、リパー・エンドさんのことは言葉にも出すなとお怒りになってまして……」

「……」


 そりゃあ殺気をあんなに間近で浴びてしまったらそうだろう。怒りもまた虚勢のようなものに違いない。


「ネロは引きこもって、何をしているんですか?」

「存じません……が」


 心の傷でも癒しているのだろうか、と思いながら聞くとフィリップは困った顔のまま、少しだけ声を低めて囁いた。


「……人同士を合成したらどれほど強くなるのか、と聞かれました」




 * * * * * * * * * *




「ミチカ、フィリップと何話してたの?」


 私が馬小屋に戻ると、何気ない様子で木箱に座ったままのリパー・エンドが聞いてきた。地獄耳か!?


「あんたに関係ないでしょ!」


 私が言い切るとリパー・エンドは「まあそうなんだけどね」と薄く笑って呟いた。


「ベイルさんは?」

「さあ? 知らない」


 肩をすくめて彼は手持ちぶさたそうに、ナイフを取り出した。

 私は立ち尽くしたままじっとその姿を見た。

 死霊術士にとって、死霊の強さが自分の力になる。死霊には人を使うものが殆どなのだが、死霊との契約は意外と簡単ではない。

 その死霊術士の魔力が死霊の力を補って余りある状態でないと蘇らせることはできないし、何故か条件を満たしているのに蘇らないものもいる。

 本来、私の力ではこの殺人鬼を蘇らせることは出来なかったはずなのだ。魔力に差がありすぎる。あの日学園で、何故私はこいつを蘇らせてしまったのだろう。

 死体の合成は禁忌である。かつてアルデチカ・フェマは弟子の死体を人ならざるものとの合成に使ったとも、人同士の合成に使ったとも言われている。合成が禁忌とされているのは、誰しも自分が死んだあとに自らを人ではないものに変えられたくないからかも知れない。

 だから私には分からない。もしこいつの、史上最悪とも言われる殺人鬼の死体を、そうでない人のものと合成させて蘇らせた場合。

 その死霊はリパー・エンドの力を持って蘇るのか。あるいはこいつがいる以上蘇りはしないのか、分からない。


「行くんでしょ?」


 急にリパー・エンドに聞かれて、私は思わずびくりと体を震わせた。

 座ったままの彼は、私をじっと見つめて唇の端を上げた。


「あいつの屋敷に、行くんでしょ? ミチカ」

「……」


 罠なんて、飛び込むものではない。そんなの無謀だし、馬鹿だと思う。

 なのにリパー・エンドの目は確信を持って私に尋ねた。歪んだ期待を持って。


「……行くわよ」


 そう答えると、彼は満足そうに微笑むのだ。


「大丈夫、ミチカは僕が守るから何の心配もないよ?」


 軽く言う彼の唇から赤い舌がちらりと覗く。本当にこいつはたちが悪いし、嘘つきだ。そんな存在が世界にまた生み出されるとするのなら、止めなくてはならない。……止められるものならば。

 私の背中には冷えた汗が流れる。走って上昇したはずの体温が、だんだんと冷えていくのを感じた。

 楽しそうに、遊びにでも行くように彼は私に尋ねる。


「あ、ねぇミチカ」


 視線だけで続きを促せば、彼は手に持っていたナイフをくるくると回しながら言う。銀色の軌道が綺麗な円を描いた。


「言ってなかったけどね、そこに僕の死体の一部があるのは確実だと思うよ。何度か僕の死体に死霊術を使われた気配がしたし」


 それが蘇生か強奪かは分からないけど、と笑顔で追加する。何で言わなかったのかなどと言っても無駄だろう。こいつは私に従っているフリをしているだけで、忠誠を尽くすことなどありえないのだ。


「それで、もし僕を蘇生なり強奪なりしようとしている人がいるなら、殺して良いの?」


 笑みを含んだ赤い目が私の視線と絡まった。

 ネロがリパー・エンドを合成死霊として蘇らせようとしているのか、あるいは強奪を試みているのかは分からない。けれど。


「……駄目に決まってる、でしょ」


 視線を逸らして言う私に、彼はくくっと笑った。


「それは残念」


 一度殺人の許可を出したら、何かが変わってしまう気がしたのだ。私と彼の間にある、張り詰められたような何かが。




 * * * * * * * * * *




 真夜中である。

 真正面から堂々と「やあこんにちは、お邪魔します」と言う勇気と無謀さはなかったので、私とリパー・エンドは深夜にこっそりドミトリー家に忍び込んだ。

 屋敷は大きな三階建てで、高い塀に囲まれている。さすが貴族の中の有力者、どれほどお金をかけているのか分からないくらい豪勢な建物である。

 リパー・エンドはいつものことではあるが、私もまた持っている服の中では一番動きやすい黒い服を選んで、深夜ドミトリー家の庭に降り立った。盗賊と言われても相違ないような、闇夜に溶ける服装だ。

 私の体を毎度のように荷物のごとく肩に担いでリパー・エンドは庭に下ろす。もう少し何とか……いや言うまい。どうせこいつには理解できないだろうし。

 私の恨みのこもった視線を無視して、リパー・エンドは左右を見回す。広い庭には何匹も黒い犬が放たれているが、吠えるものも襲いかかってくるものもいない。怯えたように視線を向けて後ずさりしている。野生の本能ってすごい。


「あそこかなぁ……多分」


 そうリパー・エンドが指すのは、三階建ての大きなドミトリー家の屋敷のある一ヶ所である。二階の部屋の端にある窓だ。


「そこにあんたの死体があるの?」

「うーん……多分」


 リパー・エンドにしてははっきりしない返事だ。しかし目的地が見えたならさっさと行ってさっさと帰りたい。誰にも見つかりませんように。


「じゃあ、行きましょ」

「ん、はいはい」


 ひょいと彼は私の腰に手を回すと、抱き上げた。人一人を担いでいるような重さを感じさせない動きで、庭の木々の隙間を走っていく。逆さまだと頭に血がのぼるので、私は手をリパー・エンドの肩に置くようにして身を起こした。ぐんぐんと視界から木や犬が遠ざかる。

 私の目的はただ一つ。リパー・エンドの死体を破壊することだ。

 盗んでも燃やしても何でも良い。もしも他の死体と合成させられているのだとしたら、そこだけ切り取って破壊しなければならない。

 私がそう言ったときに、リパー・エンドは「ミチカがそう望むなら別にいいよ」とあっさり頷いた。内心何を思っているかは分からないが、自分の死体を破壊したいと言われても怒らないどころか、どこか嬉しそうにすら見えた。

 ベイルの特訓を終えた深夜、私とリパー・エンドはドミトリー家に忍び込んだ。


「飛ぶよ、ミチカ。頭引っ込めて」


 言われて私は慌てて起こしていた身を下げる。いつの間にか遠かった屋敷が目の前にあり、彼は目測していた二階の端の部屋の前で、地面を蹴った。

 一瞬の浮遊感。

 そしてふわりと窓枠に取り憑くように片手と足をかけて、リパー・エンドは窓の中を覗き込む。


「誰もいないね。入ってみようか」

「音立てないでね」


 私が小さな声で言うと、分かっているとばかりに彼は窓の外から鍵の部分に手を当てた。

 一瞬の間をおいて、ぐにゃりと中の鍵が溶けた。恐らく魔力を熱に変えて一ヶ所に集中させて溶かしたのだろう。こいつは普通に盗賊もやれるんじゃなかろうか。

 鍵のなくなった窓をあけて、中に入ると彼は私をぽいと捨てるように床に落とした。一応主人である私の扱いが、毎回ながら物のようであることに、いい加減正座させて説教するべきでなかろうかと私は思う。


「……あんたねぇ」

「しー、ミチカ。駄目でしょ忍び込んでいるんだから」


 私の怒りの声を咎めるように、彼は指を一本立てて自分の口の前に当てた。イラっとするが、確かに忍び込んでいるので迂闊なことはしないほうがいいだろう。私は口を閉じた。


「この辺だと思うんだけど」


 彼は部屋の中をぐるりと見回すが、死体っぽいものはどこにもなかった。一部というのだから小さいかけらなのかも知れない。段々と暗闇に目が慣れて来た私も探しだす。

 私がいるこの部屋には、机と椅子、ソファ、戸棚のような物がいくつかと、本棚、そして暖炉という普通の部屋のようであった。小さい部屋なのに内装は豪華でお金がどれだけかかっているのかは想像に余る。その辺の皿を一枚持って帰ったら一年くらい暮らせる気がする。

 私は机の戸棚を開けていくつか中を見るが、何もない。書類とか小物ばかりだった。音を立てないように戸棚を閉じ、机へ向かう。

 机の引き出しを開けると、中には小さな箱が一つあるだけだった。

 何気なく手に取ると、手の平に収まる程度の箱の上には、何か文字が書いてある。暗くてよく見えない。目を細めるようにして見たが、劣化しているのか読み取れなかった。

 中を開けると、そこに何かがあったような凹みが二つと、小さな白い物が一つ。

 骨? と一瞬思ったがそうではなかった。私の手からその箱をひょいと取り上げたリパー・エンドは、笑った。


「ああ、これだね。僕の……乳歯かな?」


 ……へ?

 ぽかんと口をあけてリパー・エンドを見ると、彼はしげしげと中身を見て箱を閉じた。

 にゅうし……入試……いや乳脂……乳歯? 混乱する私の頭は、リパー・エンドにも子供の頃があったということが思い至らず、様々な物を想像してやっと辿り着いた。乳歯って、子供の、歯!?


「僕の死体は大分厳重に抹消されたんだろうけど、これは盲点だね。母親が死んだときに一緒に埋められたやつだったかな」


 ほら、と示された箱の上には日付のようなものと名前のようなものが書かれていた。母親って……ええと母親って何だっけ。

 激しく混乱する私に、彼は楽しそうに言う。


「箱の端に穴があいてるね。ここから落ちたのを鼠か何かが間違えて飲み込んだのかも?」


 ねずみ――鼠。学園であの日、私が蘇生させようとしていたのは鼠だった。

 絡まっていた縄がほどけるように、起こった出来事が自然と脳裏に浮かんだ。

 ――なんて、ことだ。

 息が、できない。喘ぐように私は、自分の服の胸元をぎゅっと掴んだ。

 あの日、私達は近くの墓地で捕まえられたらしき鼠の死体を蘇生させようとしていた。まだ死霊術士の卵のようなひよっこの私達は当然人間の蘇生はできない。初めての蘇生は、失敗することが少なく死獣が暴れても対処可能な鼠で行われた。

 教官が私に配った鼠は勿論死んでいた。私は教官に教わったように、その鼠に向かって手をかざしてこう言った。


『死したる隣人よ。あまねく眠りの民。この地に蘇れ』


 だから彼は蘇ったのだ。死体の一部を鼠の中に秘めた彼は、私の呼びかけに応じた。


「……どうしてよ」


 私の声は、震えていた。彼は片眉を上げて、首を傾げた。


「なんで君の声に応じたのか、って?」

「違うっ!」


 潜めようとしても、勝手に声が大きくなってしまいそうだった。

 リパー・エンドの死体は当時の人々が焼き、粉砕し、粉も全て海に撒いたような話を聞いたことがある。彼は人を殺して喜ぶような快楽殺人鬼であったのだから二度と蘇らせたくないと当時の人々は願ったのだろう。それほどに彼は憎しみを集めていた。

 しかし彼は蘇った。我が子の乳歯を成長の記録として保管していた、この殺人鬼の母親が持っていた小さな歯から。

 彼が殺した人間の数は百やそこらではない。災害のようなもので、誰にも彼は止められない。喜々として人を殺しにいく彼の姿と、彼が手に持った箱が同時に脳裏によみがえる。

 箱の上には彼の母親が書いた日付と、きっと彼の名前。


「どうして、そんな風になっちゃったのよ……!」


 声と共に私の目からぼろりと涙が溢れた。


「え……? ミチ、カ?」


 困惑するリパー・エンドは、目を瞬かせた。

 今までと比にならないくらいに、私の胸の奥にリパー・エンドに対するどろどろとした憎しみのようなものが沸き上がってきた。熱いその感情が、胸を焦がす。目の前が真っ赤に染まるように、頭に血がのぼった。


「あんた、母親いたんでしょ? あんたの乳歯を大事に取っておくような、日付も書いてしまっておくような母親が、いたんでしょう!?」


 真っ赤な視界に、忘れていた過去の記憶が浮かび上がった。



 * * * * * * * * * *




 小さい頃、私と孤児院の外で一緒に遊んでいた子供達は夕方になると迎えが来ていた。「お母さん!」と叫んで駆け寄る彼女達には優しい笑顔で抱きとめる女の人がいた。母親だ。

 いいなぁ、と思った。でも手に入らないものなんだよなぁ、とも思った。私には両親はおらず、捨てられたとも死んだとも院長先生は教えてくれなかったからだ。

 私は小さい頃、母親に抱きしめられるのはどんな気持ちなんだろうと空想したものだった。

「あなたを捨ててごめんね。迎えに来たのよ」と微笑む私のお母さん。

 泣いていたら抱きしめてくれるのかな。失敗したら「仕方ないわねぇ」と困った顔で笑うのかな。

 孤児院では自分の部屋はなく、大人数が一室で暮らした。私達の担当の太った女の先生は、夜になると帰ってしまった。眠れなくて寂しい夜に手を握ってくれる存在もいない。

 いつしか憧れるのをやめた。迎えが来ると信じるのもやめてしまった。

 私にはお母さんはいないんだ、と受け入れた頃に孤児院から学園に入学し、奨学金を貰って寮に入ることになった。



 * * * * * * * * * *



「ミチカ、落ち着いて」


 歪む視界に、珍しく慌てたようなリパー・エンドの顔が映る。


「なんでそんな風に育ったのよ! そんなに愛されて、大切にされていて!」


 憎らしくて、どうにかなってしまいそうだった。私が欲しくて欲しくてたまらなかったものを持っていたくせに、こいつは殺人鬼になり果てた。

 こんな奴、人じゃないと思っていたのに。なのに。

 私は両手をリパー・エンドの胸に叩き付けた。いつもならばどんな攻撃も避けるはずの彼は、困った顔でなされるがままだった。


「ずるいじゃない、なんでよ!? 私だって欲しかったのに、あんたは持ってたのに! 愛されたんでしょう!? お母さんに、抱きしめて貰ったんでしょう!?」


 殺人鬼に幼少期があったということを、私は全く想像していなかった。殺人鬼で生まれて殺人鬼で育ったものだと思っていた。なのにこいつには母親がいたのだ。彼を愛して、大切に育てた母親が。


「なのにどうしてあんたはそんな風に歪んじゃったのよ! お母さんに、愛されたんで、しょう……!?」


 胸元を叩かれたまま、彼は困った顔で私の背中に手を回した。落ち着かせるようにぽんぽんと叩く。


「ミチカ。君の言っていることは分かるけど……分かるけど、僕には理解できないんだよ」

「どうしてよ、あんたは……」


 悲しいほどに、この殺人鬼は空虚だった。彼は誰かを愛するという言葉を知らない。

 何故愛してくれる存在がいたのに、彼は殺人鬼になってしまったのか。


「多分君の言う通り、僕の母親は僕のことを愛してくれたんだと思うよ」


 私の背中をそっと撫でながら、彼は薄く笑みを浮かべた。


「でも僕は、母親のことも父親のことも何とも思ってない。愛してないし……別に憎んでもいない」


 ぼろぼろと涙が流れて、すすり泣くように私はリパー・エンドの胸元を握りしめた。虚しかった。私がどれほど声を枯らして叫んだとしても、私の言葉は彼には届かない。

 普通の家で、普通に愛されて育ったはずのリパー・エンド。私が欲しかった情景がそこにはあったのに、彼はそれを惜しいとも思っていない。それがこの上なく憎らしかった。


「ずるいじゃない、なんでっ……」


 しゃくり上げる私の頭と背中をゆっくりと引き寄せて撫でながら、彼はぽそりと呟いた。


「……ごめんね、ミチカ」


 その声は今までに聞いたことのないような、酷く寂しそうな声だった。一瞬私が体を強ばらせると、彼は続けて囁いた。


「分かってあげられなくて、ごめん」


 ああ、そんなもの最初から分かっていたのに。彼が私の言葉の意味を理解出来るはずなんてなかったのに。人を殺してはいけないと、好きな人は大切にしようと私が言ったとしても、彼には理解出来ないのだ。彼は好きならば楽に殺してあげようとか、そんな歪んだ認識しか持っていないのだから。そう思うと更に両眼から涙が溢れた。

 私は泣いている顔を隠すように彼の胸に埋めた。死霊なのに、もう生きていないのに彼の体は暖かい。


「ごめんね、ミチカ、ごめん」


 私を抱きしめながらただ謝る彼の声に、困ったような慈しむような優しさを感じて、私は嗚咽しながら声を漏らした。


「……ひっく、馬鹿、じゃないのっ……あんた……」


 優しく背中を撫でる手が、ずっと欲しかったのに。

 悔しいことに今私を撫でる手が、殺人鬼の手だというのに温かくて優しいのだ。

 私はそのまま、落ち着くまで殺人鬼の胸の中で泣き続けた。




 * * * * * * * * * *




「ミチカさぁ……」


 しばらく経った後に、私が彼から離れると、顔をしかめるようにして呆れたような声でリパー・エンドに告げられる。


「僕の服で鼻をかむのはやめてくれない?」


 顰めっ面をしながら、胸元を近くの棚にあった布で拭いている殺人鬼に、私はぷいと顔を逸らして言った。


「うっさいわね、あんたが悪いのよ」


 ああ、恥ずかしい。恥ずかしい。

 子供のように大泣きしてしまった。

 一気に血が頭に昇ってしまったせいで、こんな殺人鬼の胸で泣くというありえないことをやらかした。くそう。死にたい。

 私が心の中で悪態をついていると、リパー・エンドはやれやれと肩をすくめる。いつもと変わらない様子である。私が泣こうが喚こうがここでいきなり服を脱ごうがきっと彼の感情に影響を与えることなどあるまいと思う。


「もう大丈夫? いくよ?」

「……うん」


 目をこすって涙の残滓を振り払うと、私は頷いた。先ほどの箱はリパー・エンドがひょいと自分の服の中に入れていた。あとは誰にも見つからないように戻るだけだ。

 幸い暗い屋敷は暗いままである、よかった泣いている時に見つかったらもう死ぬしかない。

 屋敷の中へ続く扉を開けたリパー・エンドを追いかけるように私は足を早める。廊下はしんと静かで、人の気配はなかった。あれ、そういえば行くって、どこに? 窓から帰るのではないのか。


「ここかな」


 彼が足を止めたのは、二階の中央の一室である。後ろには大きな螺旋階段があり、おそらく玄関から入って、二階に上がったらまずこの部屋に辿り着くのだろう。


「ここって?」

「ネロの部屋だよ」

「!?」


 何でわざわざ火に飛び込むような真似を、と私が目を向くと彼は首を傾げた。


「さっきの箱、三個のくぼみがあったのに、一個しかなかっただろう? 一個は鼠だとして、残り一個はどこにあると思う?」


 ギイ、とリパー・エンドがためらいもなく扉をあけるとそこには誰もいなかった。正確に言うと生きている人間はいなかった。

 ヒッ、と私は息を呑む。

 その部屋もまた豪華なものであった。広い室内に先ほどの数倍の豪勢な家具が並ぶ。部屋の奥に、椅子に座ったまま突っ伏している男がいる。どこかで見たようなその男は、机に突っ伏したままピクリとも動かない。

 促されるように私は部屋に入って、それ以上進めずに立ち尽くした。無造作に奥へと向かったリパー・エンドは、その男の頭を掴んで上げる。

 その男は、ネロ・ドミトリーであった。小太りの彼の顔は、眉間に大きな穴があいていた。死んでいる。


「遅かったですね」

「っきゃあ!?」


 後ろからいきなり声がして、心臓が飛び上がるほどぎゅっと縮んだ。後ろを振り向くと、扉前のそこには手燭のぼんやりとした明かりを持って微笑む青年がいた。

 フィリップ・ノベルだった。

 私は慌ててリパー・エンドのもとに駆け寄ると、盾にするようにその影に隠れた。殺人鬼は楽しそうに笑ってネロの死体から手を離す。ごとり、とそれは机に戻った。


「やあ、フィリップ」

「お待ちしていました、リパー・エンドさん」


 主人の死体を目の当たりにしながらも、フィリップには動揺が見られない。微笑んで挨拶をしてきた。普通こういった状況ではリパー・エンドがネロを殺したと騒ぎ立てるものではないのだろうか。

 落ち着いているのはリパー・エンドも同じだった。彼はにこにこと笑顔でフィリップに応じる。


「待たせたんだったらごめんね。僕のご主人様がさぁ」

「あ、ちょっと! うるさい黙れ死ね!」


 いきなり恥をばらされかけて、慌てて私は叫んだ。彼はくっくと笑って話を変える。当たり前のように尋ねた。


「で、フィリップ。君が殺したんだろ? ネロを」


 目を見開く私をよそに、青年は穏やかな笑顔のまま微笑んだ。


「はい。もう用済みだったので」


 ……。

 この青年は、一体誰なのだろう。フィリップ・ノベルではなかったのか?

 しかし彼の笑顔は仮面のように崩れない。何か恐ろしいものを感じて、私は思わずリパー・エンドの服の裾を掴んだ。


「折角ドミトリー家の力でリパー・エンドの死体の一部を手に入れたというのに、ネロ様ときたら破棄しようと言うのですよ。あいつは人が扱っていいものではない、と」


 今更ね、と彼は冷笑する。


「そんなことを言うのならネロ様の死霊などどれほどの禁忌なのか、ご存じないから教えて差し上げたら罵るものですから」


 そうしてフィリップはいつもの穏やかな笑みで言う。


「殺してしまいました」


 狂ってる。私はこくりと喉を鳴らした。

 しかし狂人は狂人同士、リパー・エンドは気にした風もない。ネロをちらりと一瞥してくくっと笑う。


「まあ、アルデチカも元は人だったしね」

「ああ、やはりご存じで? 裏の組織から流して頂いた、人を元にした合成死霊です」


 クスクスと笑うフィリップはまるで人ではないもののようだった。

 私は掴んだリパー・エンドの服をぎゅっと握りしめた。

 掴まれた殺人鬼は、それを気にするでもなく笑顔のままフィリップに尋ねる。


「で、フィリップ。君はどうしたいんだい?」


 フィリップは手燭を脇の台の上に置くと、手の中にあった布を広げてみせた。

 そこには白い小さな物が一つあった。


「リパー・エンド。私の死霊になりませんか?」


 殺人鬼の死体の一部を手に、フィリップは微笑んで言った。





 思わず私はリパー・エンドを見上げた。彼は面白そうに唇の端を上げた。何で、嫌だって、いつものようにすぐに言わないの?


「ゆ、譲らないわよ!」


 私は慌てて否定した。こんな場所で狂人に殺人鬼を譲ったら、普通に命が危ない。しかしフィリップは私を虫けらを見るような視線で一瞥した。


「あなたに聞いてません。私はあなたより強いですし、死体の一部もある。でも奪い取れなかった。恐らくリパー・エンドが強奪を拒否しているのでしょう?」


 死霊には死霊の制約がある、と以前リパー・エンドが言っていた。死霊が望まぬ主に奪われないように、抗うことが出来るようだ。ではもし、リパー・エンドが私でなくフィリップを主人にしたいと思ったら。

 フィリップは私から視線をリパー・エンドにずらした。


「彼さえ承諾すればあなたの同意など必要ないのです」


「いいよ?」


 あっさりとした声が、聞こえた。

 どこから聞こえたのか、誰が言っているのか。私は左右を見渡した。

 つ、と掴んでいた裾から手が離れた。

 同時にちぎれるように私とリパー・エンドを繋いでいた見えない鎖のようなものが消え去る。フィリップの手にしていたリパー・エンドの死体の一部が砕けて消えた。


「いいよ、フィリップ。君の死霊になってあげる」


 いつものように、明るく、楽しそうにそう言って。

 リパー・エンドは私の前からすたすたと、フィリップのもとへ行ってしまった。


「リ、パー……?」


 何を言っているのか分からなくて、私は首を振った。手が、震える。

 もう既に手遅れだった。私と彼の契約は破壊されている。ぶわっと急に私の全身に魔力が溢れて、立っていられずにその場に座り込んだ。

 だって私の魔力は、全部リパー・エンドが吸い取っているはずなのに。


「……リパー・エンド」


 呆然と、口から言葉が漏れた。

 あんなに何度も、こいつと離れたいと思ったのに。死んでしまえと思ったのに。


「なんで」


 小さく呟いた声に、リパー・エンドは目を細めた。フィリップは満足そうに隣に佇んだリパー・エンドを見る。


「ネロ様では拒否されると思いましたけど、やはりあなたは見る目がありますね」

「うーん、ごめんねフィリップ。別にそういう訳でもないんだ」


 殺人鬼は首を傾げて、私を見た。その笑顔はいつもと変わらなかった。けれど。

 ぞわりと背筋が冷える。それは一度や二度ならず、何度も経験した気配。

 血の気が凍るほどの、殺気だった。


「ネロでも別に良かったかも。僕はミチカから離れたかったから」

「な……なんで!?」


 床に座り込んだまま、両手を握りしめて私は叫んだ。どうして、なんで急に、こんなことを。


「なんでって」


 リパー・エンドは唇の端を上げる。ぺろりと赤い舌が唇を舐める様は、まるでご馳走を前に舌なめずりするようであった。





「だってそうしたら君が殺せるだろう? ミチカ」




 静かな室内に、恍惚の声が響いた。



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