早朝の駅
「……きみは魔法使いなのか?」
早朝の駅。
昨晩の飲み会のあと、わたしと彼は駅のベンチですっかり眠りこけてしまっていた。
「なに寝ぼけてるんですか。ちゃんと起きてください」
わたしは彼を揺り起こす。
わたしが着ているのはブラウスとスカートだ。間違っても魔女の服なんかには見えない。
むう……とまどろむ彼をほっといて、わたしは深くため息をつく。
……こんなはずじゃなかったのに。
本当なら、今回は先輩のおうちでお世話になる予定だった。
うっかり酔いつぶれてしまった、という口実を作って、先輩とわたしとの煮え切らない関係を強引にでも進展させるつもりだったのだ。
しかし、慣れないことをしようとして力みすぎていたのだろう、昨日はほんとうに前後不覚になるまで酔っ払ってしまい、こうやって駅で目覚めるという体たらくぶり。
わたしはがっくりとうなだれる。
「……あれ?」
携帯を確認しようとして、わたしは一気に目が覚める。
「かばんが……ない」
「ああ、それならロッカーに預けてある」
間髪いれずに先輩がいった。
「もう」
相手が先輩であるのにも関わらず、わたしはすねた声をだした。
ロッカーに荷物を預けて駅で寝るなんて、少し気の使い方を間違えてないでしょうか。
しかし、こうなったのはわたしの浅はかな企みがそもそもの原因だ。どうしたって、うなだれるしかない。
「しかし、やっと起きてくれたな。今日は僕は寝て一日がつぶれそうだ」
「先輩……寝てなかったんですか?」
「駅なんかで眠れたものじゃないよ。本当はずっと起きていようと思っていたんだが、さっきあまりに眠かったから一応荷物をロッカーにあずけてきたんだ。そしたらいつの間にか気を失っていた」
「何時まで起きていたんですか?」
「5時半」
わたしは駅の大きな時計を見上げる。今は六時ちょっとだ。先輩はほとんど徹夜をしてくれていた。
「ああ……すみません。もしかして、ここで寝たのってわたしのせいだったんですか?」
先輩はこくりとうなずく。
「きみが僕を放してくれなかったし、こっちがどれだけやっても全然起きなかった」
「……すみません。ご迷惑をおかけしました」
「いいよ。しかしきみは昨日のことは全く覚えていないんだな……とりあえず、かばんを持ってくるから」
先輩がロッカーから帰ってくると、わたしにかばんと缶コーヒーを渡してくれた。
「風邪はひいてないか?」
「ええ……大丈夫だと思います」
化粧を落とさずに寝てしまったことについての諦めとともに、わたしは缶コーヒーを開ける。
「ところでその、なんだ……」
「はい?」
「いや……なんでもない」
変な様子の先輩を横目に、わたしは熱いコーヒーを飲む。
一息ついて携帯の電源を入れ、同僚から届いていたメールを確認する。
すると、そこには不思議な文面があった。
『ところで、魔法はどうなった?』
「……魔法?」
私は文章の意味を把握しようと頭をまわす。
しかし、まったくわけがわからない。
同僚からのメールは全体的には昨日の飲み会をねぎらう内容で、そして最後はこんな文章で締められていた。
『あとね、面白い動画録っといたから見てみるといいよ』
なんだろう?
私は自分の携帯のデータフォルダに保存されていた動画を開く。
動画は、昨日の飲み会の様子だった。
同僚たちがクスクスと笑いながらわたしの携帯で録っていたのは、先輩に絡むわたしの姿で……なんと、ベロベロに酔っぱらったわたしは、先輩に魔法を使っていた。
――先輩がわたしを好きになる魔法をかけちゃおうかな。
なんてことだ。
酩酊したわたしはそう言って、次の瞬間には先輩にキスをしていた。
破廉恥な行動に同僚たちの歓声がどっとあがり、わたしは静かに動画を閉じる。……頭が重い。
「……先輩、すみませんでした」
「なにが?」
「先輩にその……昨日、絡み酒をしてしまって……」
「ああ……それよりきみに聞きたいことがあるんだが」
「はい?」
「きみは、魔法使いなのか?」
先輩に言われて、わたしは顔がかーっと熱くなる。
「……どうやら、昨日のことは覚えてるようだね」
先輩は笑い、わたしは撃沈して顔を伏せる。
「――とにかく、昨日はすまなかった。僕もどうにかしていたようだ」
「はい?」
「ん……きみは昨日のことをどこまで覚えてる?」
「それが記憶にはまったくなくて。さっき、わたしの携帯で録られていた動画をみて、昨日なにがあったのかを知ったところです」
「そうか……ところで、きみは今日このあとどうする?」
「はい。とりあえず家に帰ってお風呂に入ろうかと……」
元気なく答えると、先輩もどこか所在なさげになる。
「……よかったら、今度二人で食事にでも行かないか?」
「え?」
唐突な誘いにわたしは面食らう。
確かにわたしが行動を起こしたのは、先輩のほうもわたしのことを想ってくれているという確信があったからだけれど……昨日のは明らかに失態だったし、こんな流れはすこし腑に落ちない。
「いや、迷惑ならいいんだ。ただ、一度ちゃんとしておきたくてね」
「はあ……」
キスをしたから、先輩はこんなことをいうのだろうか……?
なんとなくもやもやしたものを抱えて帰宅したわたしは、もう一度、わたしが先輩に魔法をかけていた動画を開いてみて、おおきく息をのんだ――。
休み明けの日。
会社には、「お酒は人を素直にするね」「熱烈なキスだったよ」などと同僚から茶化されるわたし……ではなく、みんなのおもちゃになっている先輩の姿があった。
どうやら、先輩の朴念仁ぶりについてはわたしよりもみんなのほうがじれったく思っていたらしい。そういった岡目八目な事情もあり、本来なら疎まれる社内恋愛も、飲み会での先輩の大胆な行動もあいまってむしろ祝福モードで受け入れられていた。ああまでされちゃどうしようもないよと全員からからかわれて、すっかり先輩は青色吐息だ。
「……先輩。責任とってくださいね?」
「きみまで僕をなじるのか……」
確かにキスをしかけたのはわたしのほうだったけれど、すっかり立場は逆転していた。
――あの動画の続きには、わたしのキスにそれは熱く応じる先輩の姿が映っていたのだった。
結果なにも不思議なことは起きないというオチ。
お題・『早朝の駅』『計算する』『魔法』




