参
ポケットに手を突っ込み、中から小さな瓶を取り出す。200ミリリットルほどが入るその中の水を、死体へとぶちまけた。
「さーて、」
わざとらしく元気そうな声で言いながら、空になった瓶をそのまま投げ捨てた。かしゃん、と軽い音を立てて瓶が割れる。
「――狩りますか」
腐った血肉のような、鬼の臭いが近づいてくる。それからもう一つ、焼ける臭い。鳥の貌の魅子だろう。というか、すでに視認できるほど近くにいるんだけど。
鬼の血で赤黒く染まった袴姿の、鳥の貌を着けた魅子――日崎 炯が、狂ったような高笑いをしながら、それと交戦していた。右手の刀で斬り付け、左逆手で持った刺刀で突き刺す。合間に零れる血と火の粉が、花弁のように宙を舞う。傍目からは遊んでいるようにしか見えない。もしくは、目を奪われるほど、可憐で妖艶な舞。もっとも、彼の金の瞳は愉悦に輝いているし、舞とは程遠い、嬲り殺しが行われているのだが。
嬲られてるそれは、異形だった。鱗とも違う、瘡蓋のようなもので覆われた皮膚は、鬼狩の刀以外では傷を付けることすらできないほどに硬い。肥大化した手は片手で頭を握り潰せそうなほど大きく、その指には黒ずんだ鋭い爪。盛り上がった皮膚によって落ち窪んだ目は血走り、瞳は金に染まっている。ヒトでは有り得ない発達した牙が、口に納まりきれずに零れていた。そしてその額には、この異形が鬼と呼ばれる由縁となった、角。
《邪魔するな、といったところかのう》
つまらぬ、と言い残し、雷閃は電気を発しながら消えてしまった。あの状態だからなあ、横取りしたらこっちまで斬られてしまいそうだ。戦闘モードの鳥の魅子に手出しは無用、というのが暗黙のルールになる程度には、味方にまで被害が及ぶことが多々あった。
暴れようにも、これではこっちが被害を被るだけだ。雷閃には悪いが、鬼は炯に任せておくとして。ぐるりと辺りを見渡すと、無事に安全な家の中へ逃げ込んだ人の、窓から覗く目と視線が合った。ふたつどころではない、沢山の目、目、目、目。恐怖や畏怖、嫌悪、あるいは奇異。色々な感情が混ざっている。
見ているだけには留まらず、ケータイを構えて写メやらムービーを撮り出す奴までいる。私達は見世物じゃないっての。つか肖像権。いや貌を着けてるから顔はわからないけどさ。
そうこうしている内に炯が飽きたらしく、火柱が鬼を焼いた。その現象を起こした張本人である炯は、忌ま忌ましげに舌打ちをし、両手に握る刀を納め、乱暴に貌を外した。
私も他に生き残りが居ないことを確認して、納刀し貌を外す。同時に、家の中に篭っていた人々もわらわらと外へ出てくる。
「お疲れー、けー兄」
「ああ、お疲れ、黎音」
素顔に戻った炯の顔は浮かなく、住人達が水を撒くのをぼんやりと眺めていた。先程までとはまるで人が変わったかのようだ。けれどこれがいつものこと。戦闘中の苛烈さと、普段の人当たりの良さとのギャップに惹かれるのか、彼のファンは少なくない。
現に今、炯の周りには彼のファンによる包囲網が出来ている。あーあ、当分帰れないなこれは。
私が表立って活動し始めたのは最近だからそうでもないが、私達は有名だ。それこそ芸能人並には。炯の場合はイケメンさがそれを顕著にしているけど。
「ちょッ、黎音!」
知らない、私は知ーらないっと。私達は鬼を殺すことが役目であって、逆ナンされた炯を助けることではない。というか面白いから放置。傍観を決め込んだ。
「ごめんな、俺帰んなきゃ……て、え? サイン? 俺芸能人じゃねーって。用心棒……は申請してくれ、でも悪いけど俺にその仕事回ってこないから。一緒に写真? だから帰んなきゃいけないんだって……付き合う、のはごめん、俺彼女居るから!!」
リア充爆発すればいいのに、と思わず口走りそうになったのも仕方ない。
何にせよ、鬼を倒したのだから、さっさと戻らなければならない。集めた刀を抱え、炯に行くよと目配せすると、頷いて了承の意を示した。
「焔煌」
炯の喚び掛けに、どこからともなく現れた炎が、翼を広げる。強引に包囲網を掻き分け、炎を纏った朱い鳥――焔煌の脚を掴んだかと思うと、飛び上がった。歓声が一際大きくなる。そんな野次馬達には目も暮れず、というか私にさえ一瞥も暮れず、さっさと居なくなろうとする炯に嘆息した。刀の半分くらい持ってくれたっていいだろうが。恐らく照れと羞恥でそこまで頭が回らないのだろうけれど。
この場に突っ立っているわけにもいかず、自分の刀を左中指の腹で二度叩く。呼応して喚び出された白虎の背に飛び乗った。
「皆さーん、鬼と遭遇したら、近くの鬼狩に助けを求めるか、002番で鬼狩本部まで緊急通報してねー。『お、鬼!』が覚えやすいよ! つぶやいたーでも『#鬼情報』にて対応しまーす。その他鬼や鬼狩に関するご意見、質問、相談諸々は、フリーダイヤル、028-188、鬼や嫌やまで! あ、悪戯はやめてくださいよ、それに人員裂かれて助けらんなかったーじゃあ目も当てられないんで。それではさよなら、また会わないといいね!」
きっちりしっかり宣伝し、雷閃に炯を追わせる。テレビCMなんかでも促しているし、電話帳にも載っているが、念の為だ。仕事だから恥ずかしくない。鬼狩は皆、事態が収束した後に言うことになっているんだ、義務なんだ。だから恥ずかしくなんてない、頬が熱いのは気のせい、顔が赤いのは目の錯覚なんだよ!