弍
/*――――――――――――――――*/
風を切って駆け抜ける。屋根から屋根へ、時には電線さえも通って、目的地へただただ真っ直ぐ。雷閃の生き生きとした肉の動きが太腿を通して伝わってくる。
予定として入れていないというのに、私にまで要請が回ってくることはそうそうない。久々の獲物に血を湧かせているのだろう。戦闘狂というわけではないが、闘争心は本能の部分に書き込まれているから。仕方ない、雷閃の為に少し派手目に暴れるか、と考えていると、風が鬼の臭いを運んできた。腐臭のような、血臭のような、死臭のようなその臭い。決して気分のいいものではない。
「くさー」
《烏滸がましい奴らめ。我が喰ろうてくれるわ》
鼻にシワを寄せる私とは反して、雷閃は狂気に喉を鳴らし、速度を上げた。相当飢えているようだ。もう少し早く気付いてやればよかった、と反省している間にも、現場は着々と近づいている。耐えがたい悪臭に吐き気を催しながら、住宅街の一角、血の海と化したそこへ降り立った。
「うえー」
びしゃりと水たまりを踏んだような音がしたが、そんな生温いものではない。雷閃の白い毛が赤く染まる。周囲には血溜まりしかない。勢いで内履きのままで来てしまったから、なるべく降りたくないのだけど。きっとそうも言ってられないんだろうなあ、と雷閃に跨ったまま嘆息した。ここに鬼が居るのは確実だ。さて、どこに居るんだか、と雷閃を歩かせ探索する。
血の海に沈んでいる死体には一様に共通点があった。服装はバラバラだが、皆が皆、利き手掌に刺青が入っていた。そして傍らには折れた刀。それらは鬼狩の証だ。今のところ、一般人の死体とは出会っていない。それだけでも善しとするか。
死体には目も暮れず、その脇に落ちている刀を回収しながら歩き回る。セーラー服に血が付くが、仕方がない。替えは幾らでもある。
「こりゃ、生存者は居なさそうだね」
《否、そこに居るぞ》
そういえば、雷閃の足音に紛れて何か聞こえてくる気がする。隙間風が差しているかのようなこの音は、呼吸音、か? 雷閃が鼻先で示した方を見る。遠目からだと同化してわからなかったが、男が塀に凭れ掛かっていた。あの赤は返り血か。
生きているのなら、治療しなければ。鬼狩は消耗が激しい。だから使える内は使わなければ間に合わない。言い方は悪いが、それが現状だ。
「魅子、さま、いらして、くれたのですか……」
魅子とは、貌を着けている、鬼狩の中でも特異な存在だ。それはいいとして、雷閃から降り、男の下へ駆け寄った。内履きが汚れるだなんて今更だ。
「喋んないで。応急処置する、か、ら……」
近寄って、気づいた。彼の服を汚しているのは返り血ではない。それどころか、彼の胸は無数の切り傷があり、服なのか肉なのか判別できなくなっている。正直、何故生きているのかわからないくらいだ。
《ふむ、手遅れだのう》
「……そーだね」
鬼狩は一般人よりはタフだが、ここまでの傷を負ってしまってはどうしようもない。それに、男の瞳は金に変わりつつあった。
「鬼に、やられたんで……俺は、も、駄目です」
そして男は肯定する。私は集めた刀を男の脇に降ろして、自分の刀を抜いた。純白の鞘に封じられていたその刃。けれどそれは、幾度も血を浴びた、無慈悲な武器だ。
「隊は、全滅、です。鬼、は、鳥の、魅子様、が」
「わかった」
「魅子様、どうか、どうか慈悲を」
「……うん」
一瞬だけ目を伏せ、右手に持った刀で薙いだ。崩れ落ちる体には目も暮れず、刀に付いた血を掃うことに専念する。
鬼に致命傷を負わされた者は鬼になる。だから鬼狩は、致命傷を負わされたら自ら命を絶つよう、仲間だろうと殺すよう教え込まれている。あんな異形になるくらいなら葬ってやるのが慈悲だろう。それに、鬼が殖えるとこちらとしても厄介だ。