3 歴史の真実と懐疑心
私がじいちゃんのお話に深く感銘した理由のひとつに『チャユたちが学校で勉強している日本史は、後の世に徳川家によって作り替えられた歴史なんだぞ』という、予想もし得なかった強烈な先制パンチに、私の脳が激しく揺らされたことが挙げられます。
何も疑うことなく学校で教えられた歴史が真実の日本史であると信じてきた私にとって、最初はじいちゃんが何を言わんとしているのか見当もつきませんでしたが『歴史というものは、その時々の権力者によって改ざんされ続けながら成立するものなんだ』という言葉で、じいちゃんのお話を真剣に聞きたい気持ちになったのです。
これから連載を開始しようとする「傍陽野物語」の予告編のようになってしまいますが、じいちゃんのお話と学校で教わった日本史とは所々が微妙に食い違っているのです。まったく掛け離れていないところが、じいちゃんが言うように本当に徳川家が都合良く書き替えた歴史のような気がしてならないのです。
一例として… 学校で教わった「関ケ原の戦」では、西軍として着陣した小早川秀秋の裏切りにより、徳川家康率いる東軍が勝利したことになっていますが、じいちゃんのお話でも確かに東軍が勝利したものの、実際に裏切ったのは最後まで日和見を決め込んでいた小早川秀秋ではなく、東軍諸将と精通しながら西軍として着陣していた黒田長政だったのです。
また、関ケ原の戦には草の者だけでなく、真田信繁も隊を率いて舅である大谷吉継と共に藤川台に着陣していたのです。なお、同戦後に実質的な東軍の総大将だった石田三成、キリシタンであるために自害できなかった小西行長、僧でありながら死を恐れて逃亡した安国寺惠瓊らが京の三条河原で打首にされたのは事実のようですが、史実では戦中に命を落としたとされている大谷吉継や平塚為広、戸田重政、そして三成の重臣として石田隊を指揮した島左近なども、その後のじいちゃんのお話の中には度々登場してくるのです。
更に、真田家や傍陽の地、そして我が向井家とも何の接点もないと思っていた名高き剣豪も、黒田長政隊として参戦した関ケ原の戦中に草の者に命を救われ、新免竹蔵という名で傍陽の地で忍者修業に勤しむ毎日を送っていたのです。
その後に起こる大坂夏の陣のお話でも、真田信繁は討ち死にするどころか、嫡男である大助幸昌、佐幸の父である向井佐平次、兄である向井三兄弟ら生き残った数名の草の者たちと共に、秀頼公を擁護しながら九州の地へと逃亡を図っているのです。それらのすべてが我が向井家のご先祖様たちの歴史なのですから、いくら歴史に無頓着な私であっても、興味を抱かないはずがありませんでした。
大正時代の初期に大阪の立川文明堂から出版された約10年にも及んだ長編の小冊子である立川文庫には「真田十勇士」として、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好晴海・伊三入道兄弟、穴山小介、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、望月六郎、禰津甚八という信繁を取り巻く10名の同士の名前が登場してきますが、じいちゃんのお話にも佐太郎、佐助、佐吉、佐幸の向井四兄妹をはじめとして、相木琴乃のご先祖様だという「横尾のお琴」や、霧隠才蔵のモデルらしき「霧隠鹿右衛門」など、老若男女48人の草の者たちが登場してくるのです。
じいちゃんは彼らのことを「真田四十八草士」と言っていましたが、もしも私に命名権があるとしたら、今風に「SND48」と名づけるのではないでしょうか。ちなみに、じいちゃんのお話を聞くまでは何の興味もありませんでしたが、私でも聞き覚えがあった真田十勇士のひとりとして名高い「猿飛佐助」が、佐幸が中兄と呼んでいた向井三兄弟の真ん中の兄「向井佐助」のことだと知り、前半は面白味に欠けていたじいちゃんのお話に、俄然心がときめくようになりました。
実際のところ、じいちゃんのお話は真田信繁の祖父である幸綱の時代から始まりましたので、最初の頃は退屈することも多かったのですが、佐幸の父である佐平次と信繁が上州の秘湯・日向見温泉で出会う場面を聞く頃には、私の体も思わず前に乗り出す感じになっていました。
更に、現在の私と相木琴乃のように、450年前にも佐幸と同い年の「横尾のお琴」がライバル関係であったり、佐幸の兄たちや四十八草士が大活躍する大坂夏の陣までお話が進むと、自分の予定よりもじいちゃんのお話を聞く方を優先してしまうほどに引き込まれていました。
私たちは学校で徳川家が都合良く書き替えた歴史を学ばされてきました。とはいえ、もしかしたらじいちゃんが「真実」だという向井家の歴史でさえも、どこかの時代で誰かの手によって改ざんされているかも知れません。ひょっとしたら徳川家が改ざんしたとされる歴史が「真実」である可能性すらあります。
私はじいちゃんのお話を聞きながら思いました。歴史を学ぶということは、数学や理系の授業のように、たったひとつの絶対的な答えを求めるのとは違い、自分の心で自分の「真実」を捜し求めるための授業なのではないかと。
おそらくじいちゃんも、歴史に興味を持っていなかった私のために、史実に尾鰭をつけて少しでも面白く聞かせる努力をしてくれたことでしょう。ですから、私もこれから生まれてくるであろう自分の子供や孫に対し、じいちゃんの気持ちや向井家の歴史を伝えていかなければならない権利を得たような気がしました。
私は養子でも取らない限り向井家の看板を背負っていく人間ではないので、あくまで権利であって義務ではないのです。ですが、父や兄が時代に淘汰されてしまいそうな性格である以上、私の権利はいずれ義務に変わる可能性もあります。その時のために… 誰ひとりとして向井家の歴史を後世に伝えようとしなかった時のために… 私はこの耳で『まだ中盤に差し掛かったばかり』だという、じいちゃんのお話をしっかりと聞き続けようと思います。
これまで長々とじいちゃんのお話のプロローグ的な部分ばかりを語り続けて参りましたが、いよいよ次章からは向井家に伝わる真田氏と草の者を中心とした戦国絵巻が始まります。年号に関しては、混乱を避けるために元号ではなく、すべて西暦で表記したいと思います。歴史小説を執筆するにしては拙い文章に終始すると思いますが、筆者にとっても初の試みですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
今後の展開を鑑み、8月5日より当小説をムーンライトノベルズの方に第1章から投稿し直したいと思います。ここまでお読みいただいた方には大変ご迷惑をお掛け致しますが、なにとぞご理解のほどよろしくお願い致します。
今後とも『傍陽野物語』ならびに志摩譲治をよろしくお願い致します。