スペード 主章Ⅱ
ムゲットは賑わっていた。
こんな日は、親は酷く警戒する。
何せ犯罪大国だ。誘拐や殺人も多い。賑やかであればあるほど暗殺者は仕事をしやすく、浮かれた人間が多ければ多いほど誘拐も容易い。
「嫌になるほど賑やかだ」
スペードは呟く。
別に遊びに来たわけではない。
仕事がある。
いや、仕事と言うには少し語弊がある。これは個人的趣味の範疇だ。
月の女神の愛する少女を探す。それこそが彼の目的だ。
月の女神、つまりディアーナはセシリオ・アゲロの崇拝対象であり、彼とその部下を護るとされる紋章のモデルの神話だ。
それはあくまで神話の世界であり、既に信仰などと鋳物が消え去ったこの国では何の意味も示さない。いや、月の女神と言えばすでにセシリオ・アゲロの権力の象徴としての認識しかない。
その女神の寵愛を受けた人物を探すことは雲をつかむどころではない。霧を捕らえるような話だ。
「単純に考えれ、朔夜が怪しいと思うのですがねぇ」
忌々しい師匠。時の魔女の話では朔夜ではないと言うことだ。
けれども彼女に愛され、そしてディアーナの寵愛を受ける。
「女神の加護を受ける?」
随分昔にセシリオがそんなようなことを言っていたことを思い出す。
「アラストル、こっち、こっち」
「おい! 迷子になるぞ!」
すれ違う銀と黒。騒がしい。
スペードは溜息を吐く。
「浮かれきっていますね。観光客でしょうか?」
カモ以外の何者でもない。
そう思ったがやめた。
あんな馬鹿に関わればこちらまで同じ部類に入れられそうだ。
スペードはすれ違った二人のことを記憶から追い出し、先を急ぐ。
向かう先は大聖堂だ。
別に信仰心があってのことではない。
ただ、あの屋根はとても見晴らしが良いのだ。
月の女神の寵愛を受けた少女の姿を垣間見ることができるかもしれない。
「まぁ、無駄足の可能性の方が高いですがね」
「そうでもないわよ?」
独り言のつもりが返答があった。
驚いて見上げると、先客が居た。
「師匠、どういう意味です?」
「そのままの意味よ。カトラス」
「その名で呼ばないでください」
「あら、ごめんなさいね。スペード」
嫌な人に会った。
スペードは今すぐこの場を去りたいと思ったが、目の前の女はとてもそうはさせてくれそうに無い。
「何をしにきたのですか? 師匠」
「サーカス見物よ」
「嘘をおっしゃい」
「嘘じゃないわ。ライガーなんて珍しいもの」
「貴女に珍しいものがあればこの世から珍獣は消え去ります」
「まぁ、失礼しちゃう」
彼女は楽しそうに笑う。
外見ばかりは年頃の娘だが実年齢はスペードのそれより遙かに上。彼女は七百年の時を生きる魔女だ。
「そろそろ歳を考えたらどうです? いつまでも若作りされてはむしろ不気味としか言いようがありません」
「こら、レディに年齢の話をしないの」
「トラディショナルレディの間違いでしょう?」
ばばあの間違いだろ。
内心呟いたが口に出せば拷問まがいの「お仕置き」の他に昔の話をいろいろと持ち出される厄介な女が相手なので必死に耐える。
「それで? 目的は何です? 師匠」
「それはあなたが知っているわ。スペード」
あなたと同じ目的よと彼女は言う。
「おや、随分賑やかですね」
「あら、セシリオ、久しぶりじゃない」
スペードは突然現れたセシリオに驚きつつも神出鬼没は彼の専売特許であったことを思い出し、知らぬふりをすることにした。
「時の魔女までお出ましとは、今年の祭りは面白いことになりそうですね」
「そうね。でも、楽しいことだけじゃないみたいよ」
彼女はそう言いながら大聖堂からそう遠くない武器屋を見る。
「なにかありますか?」
どうせからかっているだけだろうと高を括りながら視線を追えば、見事に建物が爆発した。
「なに?」
「リヴォルタの仕業ですね」
「こんな計画は聞いていません」
「やっぱりあなたはリヴォルタじゃないですか」
「黙りなさい。それより……師匠、それを貸してください」
彼女が覗き込んでいた望遠鏡を奪い取る。
「こら、もうっ、貴重なものなんだから壊さないで頂戴ね。一応商品なんだから」
「だったら後で買い取ります」
真実のレンズを埋め込まれた望遠鏡はあらゆる魔術も無効化して映し出す。
「……ランデッロ……」
「知り合いですか?」
「ええ。芸術家気取りのいかれた男ですよ。芸術は爆発だとか言って勝手に爆破事件を起こしてくれる。先日のスラムでの爆発沙汰もあの男の仕業ですよ」
スペードは忌々しそうに言う。
「困った坊やよ。もともとはオルテーンシアの花火職人の息子だったんだけれど、こっちに来てから螺子が外れたように爆発沙汰ばっかり起こすの」
「ええ、お蔭でテーラの名画もディセーニョの貴重なステンドグラスも灰に変わってしまいましたよ」
「最近じゃ陛下直々に指名手配に加えられたわ」
魔女は呆れたように溜息を吐く。
「困りましたね。このままでは僕の可愛い奥さんのショーが台無しになってしまいます。あの男は殺しても?」
「構いませんよ。邪魔なだけです。ああいう無能は」
計画の邪魔だ。
スペードにとってランデッロはそれ以上でも以下でもなかった。
「気をつけなさい、セシリオ。あれでも魔術師の端くれです。繊細な術は使えませんが派手な魔術を好んで使います」
「へぇ」
「特に炎や爆発を好みます」
「容易に想像できますね」
「ええ」
セシリオは愛用のナイフを玩びながらランデッロを見据える。
「ここからでも十分に届きそうですが……万が一反撃されるとこの建物が台無しになりそうですね」
「おや? 反撃の隙を与えるつもりですか?」
「まさか。でも用心は必要ですよ」
「今なら五十万リラで私が防御魔法を施してあげるわよ?」
「結局商売ですか?」
「稼ぎ時ですもの。稼いでおかないと」
笑顔で言う彼女にスペードは溜息を吐く。
「仕方ありませんね。僕の可愛い奥さんと娘の為ですから」
セシリオはそう言ってポケットから金貨の入った袋を取り出し魔女に投げつけた。
「百万は入っていますよ」
「まぁ、随分気前が良いわね」
「ついでにサーカス周辺にも防御魔法をお願いします」
「ああ、そういうことね。お安い御用よ」
そう言って魔女はどこからか石を取り出し屋根の上に配置する。
「じゃあ、私はサーカスのほうに居るわ。大聖堂の建物自体の安全は保障するけど、あなたたちの身までは保障していないから自分の身くらい自分で護りなさい。まぁ、殺しても死なない人たちだから平気だと思うけど」
彼女はそう言って屋根から飛び降りる。
下を見ても既に人混みに紛れてその姿を探すことは出来ない。
「相変わらずですね。あの女は」
「全くです」
二人は深く溜息を吐いた。