33話
「あなた達は幸運です。その体をもって呪術を体感する事が出来たんですから。」
床に倒れ込む3人を見下ろしながら、紺野が吐き捨てるように話した。
「先生⋯。」
美琴は何とか徐々に体を動かしながら、中腰の姿勢まで体勢を持ち直した。
「私達を、殺すんですか?」
「いいえ。そんな事はしません。ただ、心は死んでもらいましょうかね。」
影が徐々に3人へと伸びていく。
「いやぁぁぁっ!」
美怜か叫び声を上げる。松下も苦悶の声を漏らしていた。
「止めて下さい、先生⋯!」
「あなた達が悪い。私に尋問じみた事をして。」
「こんな事してどうなるか分かってるのか!?」
松下が大声で問い詰めた。
「どうなると言うんですか?何も証拠は残らないのに。」
「先生⋯お願いです。」
「美琴さん、本当に、ごめんなさい。」
「安田美琴。」
診療の予約が入った子供の名前を、診察室で紺野は呟いた。世間を騒がせた光星小学校児童集団失踪事件。その子供は行方不明になった児童達の中で、唯一発見された女児児童だった。
霞ヶ丘心療総合病院には何かの事件や事故で精神障害を患った者が、多く来院した。それは警察からの紹介がほとんとであり、安田美琴も同じ様に紹介されたようだった。
まさかこの病院に来るとは。しかも、自分が診る事になるなんて。これもまた運命か。
紺野は女児の事を憐れみながらも、どう診察するかを考えた。相手はまだ10歳の子供。紺野は子供の事が苦手だった。ここまで小さな子を診る事はほとんど無い。聞くに、見るからに心を閉ざしてしまっているという。
とにかく、会ってみないことには分からない。紺野は診察予定日を確認した。
当日、安田美琴は母親の安田舞子に連れられて来院した。診察室にやって来た美琴は、明らかに元気が無く、目が虚ろだった。母親も参っているようで、目の下の隈がメイク下でも分かる程だった。
彼女は事件の事を何も覚えていないという。あんな事に巻き込まれれば、激しいストレスとショックで記憶障害を引き起こしても、何ら不思議ではない。しかもまだ幼い子供だ。
それにしても、よく帰ってこられたものだ。
紺野は関心していた。
「こんにちは。初めまして。美琴さんを担当致します、紺野真尋と申します。」
「安田舞子と申します。どうぞよろしくお願い致します。」
「よろしくお願い致します。」
舞子は美琴と手を繋いでいた。美琴はイスに座りながら、ただ視線を下へと落としていた。
「美琴さん、紺野と言います。よろしくお願いします。」
美琴からの返事は無かった。
「ご存知かと思いますが、この子、話せないようなんです。」
「存じております。」
「事件のせいで⋯何か⋯ショックを受けて⋯先生⋯何とか美琴を治してやって下さい。」
舞子は必死の形相だった。
「美琴さん、いくつか質問をさせて下さい。何か言葉は話せますか?どんな言葉でも大丈夫です。好きな食べ物とか動物とか、何でも良いです。」
「⋯。」
「難しいかな?」
「⋯。」
紺野はどうしても自分で確認しなければならない事があった。
「美琴さん、最近あった事で、何か覚えている事はありますか?」
質問すると美琴は見るからに怯え出した。そして、首を横に振った。
「美琴、大丈夫よ。大丈夫だから。」
舞子が優しく声を掛ける。
「美琴さん、ごめんなさい。何も覚えていなければ大丈夫ですよ。気にしないで下さいね。」
「あの子、何も覚えていないわ。」
「そう。」
「よっぽど恐ろしかったみたい。言葉も話せなくなってる。」
「それは良かった。好都合だ。」
高島が安堵の表情を浮かべた。
「まさか姉さんが担当医になるなんて。美琴さん、すごい運命だね。」
「良かったわね、私が担当医で。」
「うん、助かるよ。」
「で、どうした方がいい?」
「彼女の記憶が戻らないように。それだけでいい。」
「それでいいの?他には?」
「何も。何もしなくていい。」
「どうとでも出来るわよ?」
「する必要はないよ。彼女が逃げ出せたのは、僕のミスだ。彼女は頑張った。だからご褒美を上げないと。」
高島の言葉に紺野は動揺していた。
「俊輔の言葉とは思えないわ。」
「どうしてさ。僕は彼女の担任教師だよ?生徒なら、褒めて延ばさなきゃ。美琴さんは普段から成績もいいし、クラスの事を率先してやってくれる優等生だ。記憶だけ何とかしてくれれば、後は普通に治療してあげて。」
「いいのね?」
「細かいところはまかせるよ、姉さんに。」
その日は美琴と2人きりで紺野は診察に当たった。
「美琴さん、最近気分はどうですか?」
「⋯。」
「ご飯、ちゃんと食べられてるかな?」
「⋯。」
「何処か、体がおかしいなと思う所はない?」
「⋯。」
紺野の問い掛けに、美琴は何も答えなかった。
「悲しい?」
美琴はそう尋ねられと、涙を流した。それを見て紺野は立ち上がり、美琴の前まで近寄り、腰を降ろした。
「大丈夫だよ。大変だったね。」
美琴は震えながら、涙を流している。
「お母さんもお父さんもお姉ちゃんも、みんな美琴ちゃんの側にいるよ。私も側にいる。だから心配しなくていいからね?」
そう言うと紺野は手を差し出した。美琴はゆっくりとその手を掴んだ。小さくて、温かい手だった。
紺野が彼女を見つめると、初めて美琴と目が合った。彼女はとても綺麗な瞳をしていた。
「先生⋯!お願いです、こんな事は止めて!」
美琴は必死に抵抗していた。その姿を紺野はまじまじと見た。
「美琴さん。」
彼女と目が合う。彼女は言葉を話し、感情を露わにしている。紺野は微笑んだ。
「美琴さんがここまで元気になってくれて、私は嬉しく思います。」
部屋の闇が、影が、急速に収束していく。紺野の足元へ。
「それに、本当に大きくなりましたね、美琴さん。」
「先生⋯。」
足元に全ての闇が収束した瞬間、紺野は口を開け、白目になり、その場に崩れ落ちた。部屋の明かりが元に戻る。
一体何が起きたのか、残された3人には分からなかった。




