28話
「お電話代わりました、紺野です。」
『こんにちは。お世話になっております、安田美琴の姉の安田美怜と申します。』
「美琴さんのお姉様。こんにちは。」
『直接お電話を取り次いでいただき、申し訳ありません。』
「いえ、構いません。いかがされましたか?」
『美琴の事で相談がありまして。何とか先生と直接会ってお話しが出来ないかと。』
「では、こちらに来て頂けますか?」
『すいません。診察時間内では到底終わりそうにない相談事でして。それに、美琴は今かなり参ってる様子で、家から出られないんです。』
「そうなんですか。大丈夫ですか、美琴さんは。」
「どういう訳か、また言葉が出難くなったみたいで⋯。実は⋯父が亡くなりまして。」
「⋯お父様が。それは⋯言葉もありません。先日お母様が亡くなられたばかりなのに。」
『正直、私も参っていて⋯。紺野先生には妹だけでなく、両親も長年お世話になってきました。無理なお願いなのは理解しているのですが、何とか美琴とお会いするお時間を作ってはいただけないでしょうか。』
「⋯外に出て診察するとなると、処方箋は出せませんが。」
『構いません。』
「⋯。」
『先生?』
「分かりました。では直接ご自宅の方にお伺いさせていただきます。早速ですが、今夜はどうですか?」
『えっ、よろしいんですか?』
「今晩でしたら大丈夫です。夜の8時頃になってしまうかと思いますが。」
『本当に助かります⋯!全く問題ありません。どうかよろしくお願い致します。』
「分かりました。では今晩お伺いさせていただきます。」
安田美怜からの突然の電話。安田美琴に異変が起きているらしい。あんな事があったのだ。無理もない。紺野は様々な可能性を考えた。
話を聞く限り、記憶の檻は壊れてはいない。それどころか、記憶そのものはより深く彼女の奥へと沈み込んだと捉えるべきだ。
根幹となる過去の大きなトラウマ。そして今回の両親の突然死。安田美琴が粉々に壊れてしまったとしても、何ら不思議ではない。
より深く、重く、トラウマが大きくなるように、洗脳は上手く効いているという事になる。
しかし、直接姉の安田美怜から電話が来るとは思ってはいなかった。今、安田家はボロボロ。妹が壊れてしまっては、安田美怜も壊れてしまうかもしれない。
その恐怖があるのか。それゆえ助けを求めているのか。
何にせよ、安田美琴の精神状態と記憶障害の状態を念入りに確認しておく事は、必要な事かもしれない。
紺野の頭の中は、美琴の事しかなかった。
車が安田家に到着した。1階に明かりが点いているのが見える。紺野は車を家の前に寄せた。ゆっくりと車を降りた紺野は、インターホンを押した。すぐに美怜の声がした。
『はい。』
「こんばんは。紺野です。」
『少々お待ち下さい。』
玄関の扉が開き、美怜が顔を出した。
「お待ちしてました。急に来ていだたき、本当に申し訳ありません。お忙しいのに。」
「いいんです。美琴さんとは長い付き合いですから。何でも言って下さい。」
家に上がると、紺野はリビングに案内された。
「美琴さんは何処に?」
「2階の自室です。呼んできますので。取り敢えずお座り下さい。」
美怜は紺野はダイニングテーブルへと案内した。
「では、失礼します。」
席に腰掛けると、紺野はリビング内を見渡した。
「今、飲み物を淹れますので。」
「お構いなく。検診ですので。」
「せっかく来ていただいたのに、飲み物くらい出させて下さい。」
そう言うと美怜はキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。紺野はキッチンに目を向けると、白い布団のような布が、床に長く引かれている事に気がついた。部屋によく置かれる消臭剤の匂いが、心なしか強い気もした。
「お父様の事は、本当にお気の毒に。信之さんとは先日お話ししたばかりでした。私も心が痛いです。」
「ありがとうございます。父が生前お世話になりました。」
美怜が麦茶をグラスに注ぐ。
「お辛いですね、美怜さんも。美琴さんの事もあるのに。何かあればお話だけでもお聞きしますよ。自ら命を絶たれるなんて⋯信之さんのお話もお聞きすれば良かった。私のミスです。」
「ミスだなんて、そんな。」
美怜は紺野の前にグラスを置いた。
「今、美琴を呼んで来ます。お待ち下さい。」
そう言うと美怜は2階へと向かった。美琴の状態はどうなっているのか。紺野は早く確認したかった。
足音が聞こえ、リビングのドアが開くと美怜の後ろに美琴が見えた。次の瞬間、紺野は警戒心を強めた。
「失礼ですが、どなたですか?」
「始めまして。松下と言います。」
美怜と美琴は紺野の前に座った。松下は紺野を見つめると、そのままソファに腰掛けた。
「紺野先生。」
美怜が口を開く。
「何でしょう。」
「何故、父が自死だと知っているんですか?」
紺野はじっと美怜の目を見ながら、深く息を吸った。美琴も松下も彼女の事を凝視した。
「これは、何ですか。」
「答えて下さい。」
「何の真似ですか?」
「先程から、会話は一応録音してます。」
美怜がズボンのポケットからスマートフォンを取り出して、録音画面を見せた。
「美琴さん、これは何?」
「答えて下さい、紺野先生。父が自死だった事は誰にも、何処にも言っていません。何故ご存知何ですか。」
美怜が強く迫る。
「さあ、こっちの反撃だ。」
ソファに座る松下が呟いた。




