24話
「安田さん、聞こえてますか?」
警察官の呼び掛けに、美怜はようやく気付いた。
「お父様のご遺体はこれから検視になります。」
「検視?」
「ご自宅の方は、現場検証という形に⋯」
「待って下さい。すみません、あなたが何を言っているのか分かりません。」
美怜は無表情で警察官の事を覗き込んだ。
「ですから現場検証を⋯。」
「はい?よく分からないので、父に話して貰ってもいいですか?」
警察官は参ったという表情を浮かべた。美琴は美怜の腕に触れた。
「お姉ちゃん。」
美琴の声に我に返ったのか、美怜はその場で泣き崩れ始めた。美琴も静かに涙を流していた。
これまで長い間、美琴は暗闇の中にいたよう感覚だった。何をしていても、自分がそこにいないような、そんな感覚。
舞子と信之はそんな美琴を献身的に支えた。両親がいなければ、美琴はここまで生きてこれなかった。
日常生活だけではない。学校の事、勉強の事、将来の事⋯何から何まで美琴に対してフォローをしてきた。
『大丈夫、美琴は何も悪くないから。』
ただただ優しい言葉を掛け続けてくれた。そんな2人は、両親は、もういない。
美琴はその事実に絶望した。
「ふっ。」
美琴は救急車の中から、道路の先、野次馬の方に目を向けた。急いでそこから飛び出し、道路に立った。
今、誰かが笑った。美琴には間違い無く、誰かの笑い声が聞こえた。
誰だ。誰が笑った?
美琴は目を見開き、遠くを見た。
「⋯美琴?」
泣きながらも美怜が美琴の事を心配する。美琴はその場から動かず、目線を遠くにやったままだった。何故気配を感じたのか、美琴にも分からなかった。
その日の正午、紺野真尋は自身の診察室にいた。午前中の診療が終わり、紺野は一息ついていた所だった。この日は午後の診療は無く、病院自体が休診となる日だった。
ノック音の後に、若い心理士のスタッフが診察室に入って来た。
「先生お疲れ様です。代筆をお願いされていた診断書の確認をお願い致します。」
「はい、ありがとう。」
手渡された診断書に紺野が目を通す。その様子を心理士スタッフは見守っていた。紺野はチラっと彼女方を見ると、
「Awaken。」
と声を掛けた。すると、彼女はゆっくりと紺野の前まで歩み寄った。
「来て。」
紺野がそう言うと、彼女は紺野に口付けをした。ゆっくりと唇を離し、紺野は彼女を見つめると、微笑んだ。
「ありがとう、近藤さん。」
紺野は机の下で、指を鳴らした。近藤の顔付きが変わる。
「近藤さん、この診断書で大丈夫です。お願いします。」
「あっ、はい。」
何事も無かったかのように、近藤は診断書を手に取り診察室を出た。紺野は背徳感を感じながらも、まんざらでも無い表情を浮かべた。
スマートフォンが振動する。紺野は着信に応じた。
「はい。」
『連絡が遅くなったけど、確認したよ。』
「そう。」
『多分、死んだよ。泣いてたみたいだからね、彼女達。』
「そう。悪いけど、まだ病院だから切るわよ。」
『はいはい。』
電話を切ると、彼女は天井を見上げ、大きく息を吐いた。
昨夜の公園にまた松下の姿はあった。ベンチの近くで落ち着かずウロウロと歩いていると、山岡がやって来た。
「連絡を貰って驚きました。仕事が早いですね、山岡さん。」
山岡は露骨に嫌な顔をした。
「残りの金を。」
松下は封筒を手渡した。封筒を確認した山岡は、手に持っていたA4サイズの茶封筒を松田に渡した。
「ここで確認するか?」
「大丈夫、山岡さんを信じてます。」
「やれやれ全く。じゃあな。」
そう言うと松下は、また足早に去っていった。
念願の物が予想以上に早く手に入った。松下は近くに停めてあった車に戻り、車内電気を付けた。茶封筒を開き、中身を確認する。何枚もの書類が入っており、松下はその全てを茶封筒から引き出した。
一番上の書類には【高島 俊輔】の文字があった。
松下のジャーナリストとしての勘だった。取材した時、間違いなく何かを彼から感じた。
調べてみる価値はある。松下は書類に目を通し始めた。
美怜と美琴の姿はホテルの一室にあった。信之の検視解剖と自宅の現場検証。悲痛な面持ちとは裏腹に、実に慌ただしい1日だった。
信之の遺体はひとまず警察署内にある霊安室に保管された。検視結果は聞くまでもなく【焼死】であった。警察に色々と説明は受けたが、2人はもう限界だった。
美怜は美琴に背を向け、窓際のベッドで横になっていた。美琴はそんな美怜に中々声を掛ける事が出来ずにいた。
「お姉ちゃん。」
「⋯何?」
「私、何か、食べる物、買ってくる、よ。」
「⋯。」
美琴はカバンから財布を出して、部屋から出て行こうとした。
「どうして?」
美怜の声に、足を止める。
「ご飯なんか⋯食べれる訳ないじゃん⋯!」
美怜が感情を露わにした。
「⋯ごめんなさい。」
美琴の言葉に、美怜は我に返った。ベッドがら起き上がると、すぐに美琴の元へ駆け寄った。
「ごめん、ごめんね美琴。私⋯。」
「大丈夫。」
「何で⋯。」
美怜は入り口側のベッドに座り込んだ。
「何で⋯こんな事に⋯。」
美琴も少し距離を開けてベッドに座った。
「今日、家の近くに、誰か、いた。」
「⋯どういう事?」
「私も、分からない。でも、お父さんは、自殺じゃ、ない。」
「自殺だよ。見てたでしょ?」
「あんな事、お父さんが、する訳、ない。」
「⋯分かった。私がコンビニで何か買ってくるよ。」
「えっ。」
「気分展開したいし。ちょっと、頭冷やしてくる。何がいい?お姉ちゃんのお任せでいい?」
「いいけど、お姉ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。任せて。」
そう言うと美怜は部屋を出て行ってしまった。美琴は自分の発言を後悔したが、もう遅かった。




