22話
1人で住むには広すぎる程のリビングに、彼女は立っていた。高層階から見える都心の景色。決して眠らない夜の街はとにかく明るく、キラキラと輝きを放っていた。
そんな夜景を窓から見下ろしながら、彼女は彼を待っていた。手元のスマートフォンに、彼からのメッセージが届く。
『今、入口前にいる。』
彼女はメッセージを確認すると、自室から1階の玄関ドアを開く操作を行った。
少しすると、インターホンが鳴った。彼女は玄関に向かい、ドアを開けた。
「こんばんは。」
「遅い。」
「時間にはルーズなんだ。分かるでしょ?」
彼はそう言うと彼女の部屋に上がり込んだ。慣れた足取りで、キッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。
「ラインナップがつまらないな。まあいいや。水、貰うね。」
ミネラルウォーターを取り出すと、棚にあったグラスに注ぎ、それを手にダイニングテーブルへと向かう。イスに腰掛けると、ゆっくりと水分補給を始めた。
「今年の夏はやけに涼しいね。」
彼が彼女に笑い掛ける。
「どうだった?今日も会ったんでしょ?彼女に。」
「会ったわ。」
「本来今日は会う予定は入ってなかったはずだ。」
「急遽連絡があったの。」
「そうなんだ。」
彼女は彼の前に腰掛けた。
「実は今日、偶然駅で父親と一緒にいる彼女を見かけたんだ。驚いたよ、大きくなってた。思わず感動してしまったよ。それで⋯彼女は何て?」
「記憶が戻り掛けてる。だから今日、改めて洗脳を掛けた。」
紺野真尋はテーブルの上で両手を重ねた。
「洗脳は盤石だったはずだ。何で今更?」
「鍵をかけて封じている記憶の内容が強烈過ぎる。檻の中に獰猛な野獣を入れているような物。出てこようと体当たりを繰り返して、檻が壊れ掛けてる。」
「分かりやすい。でも大丈夫なんでしょ?」
「檻は直した。でも、檻に寿命はある。」
「記憶が戻るって事?」
「断定は出来ない。彼女自身が檻に気付いて、壊そうとしている。」
「何で今更。思い出さなくていいのに。」
「理由は分からない。」
「声も出せるようになったんでしょ?」
「多少。」
「回復してきたのか。10年かけて。」
「それが人間よ。」
「素晴らしいね。」
「あなたの方は?何故ジャーナリストなんかの取材を受けたの?」
高島俊輔はグラスを触りながら笑みを浮かべた。
「久し振りにあの時の事を話せると思ったら、少し楽しみになってしまってね。楽しそうだから取材を受けてみたんだ。」
「そんな事して平気なの?」
「今更話した所で何も変わらない。だから10年間、未解決なんだ。」
「岩崎葉子からのお願い?」
「そんな感じ。」
「そう。お子さんのお名前、何だったかしら。」
「岩崎亮太君。」
「まだ諦めてないのよ。彼女も、他の方も。」
「ふふっ。」
「⋯。」
「元気だよ、亮太君は。」
夜も遅い時間、松下は駅の近くにある公園のベンチに腰かけていた。隣にはスーツ姿の男性がおり、困惑した表情を浮かべていた。
「困るよ松下さん。昔のよしみだからって。」
「頼むよ山岡さん。何もタダでお願いするわけじゃない。まずは前金。」
松下は茶封筒を山岡に手渡した。山岡はすぐに封筒の中身を確認した。
「!⋯こんなに?」
「だから頼むよ。」
「⋯期待しないでくれよ。」
山岡はそう言うと、早足で去っていった。
松下は自分の直感を信じる事にした。ある人物について詳しく調べる必要がある。そう考えていた。
何より何か大きなアクションを起こさなければ、この事件はこれ以上何も動かない。松下はそう感じていた。
美琴は眠れずにいた。自室のベットに座り込みながら、特に何をする訳でもなく、ただそこにいた。
何故か、また記憶が曖昧になってきた。あの事件の時、誰かに何かを言われた気がする。でも思い出せない。何か言葉を思い出したはずなのに、もう思い出せない。
美琴は苦しんでいた。何故なのか、全く原因が分からない。
美怜も信之も背中を押してくれている。協力してくれている。だからこそ、記憶を取り戻したい。なのに、何かが自分の中で足を引っ張る。
パチンという音が聞こえる。
誰かが自分に語り掛けた気がする。
記憶が奥へと追いやられた感じがする。
何かは分からないが、今日、美琴は自分の身に何かが起きた気がした。




