17話
舞子の遺影の前に、信之は座り込んでいた。味わった事のない喪失感。信之は体がピクリとも動かなかった。
「舞子。」
名前を呼んでも、誰からも、何も返って来ない。安田家には静寂が訪れていた。
食材の買い出しに出掛けた美怜は、道中、公園のベンチに座って遠くを眺めていた。母の突然死という現実を、未だに信じることが出来なかった。
遊具で遊ぶ親子の姿が見える。子供の頃、よくこの公園に遊びに来ていた美怜は、母との思い出が親子に重なって見えた。
涙を浮かべるが、その涙が溢れる前に美怜は涙を拭った。泣いていても仕方がない。泣いていても、きっと母が心配するだけだ。
美怜は立ち上がって、再び目的地のスーパーへと歩き始めた。
美琴はベッドに倒れ込んでいた。常に自分と一緒にいてくれた母がいなくなってしまった。
もう、永遠に会えない。
美琴はこの感情が悲しみなのかさえも理解出来なかった。ただ体がフワフワするような虚無感に襲われていた。暗闇の中に落ちてしまったような、そんな感覚を美琴は味わっていた。
『みんな、一緒。』
この言葉だけが、頭に浮かんでくる。
『みんな、一緒。』
『みんな、一緒。』
『みんな、一緒。』
『いいかい、みんな、一緒だよ。』
ベッドから美琴が起き上がった。確かに言われた。この言葉を。
美琴はその事を思い出した。誰に言われたのか、どんな声だったか、何処で言われたのかは分からない。でも、言われたことは間違いない。
美琴は動悸が激しくなってきた。冷や汗も出てくる。何故、これまで何も思い出せなかったのか。美琴は自分で自分を責め始めた。
こんな感情を抱いた事は、これまで無かった。
「もしもし。」
岩崎葉子が電話に出ると、その電話は松下和之からだった。
「松下です。今、葛城さんと会ってお話しを聞いて来ました。」
「どうでしたか?」
「ハッキリ言って、何も収穫はありません。谷口さんも同じです。この失踪事件は“神隠し”だそうです。それしか考えられないと。」
「そんな事を。」
「意外ですか?」
「いえ、驚きません。散々お二人にはお話しを聞きましたから。」
「保護者説明会以降でしたか。お二人が、あなたの作った【家族の会】に協力すると約束してくれたのは。」
「お二人だけではありませんが、そうです。あの時光星小学校にいらっしゃった先生方のほとんどの方とは話が出来ています。また誰か紹介しましょうか?」
「どうでしょうね。皆さん協力的ですが、協力しても無駄だと思ってませんかね。少なくともお話しを聞いたお二人からはそう感じましたよ。」
「そうでしょうね。無責任な大人達です。他のご家族の方が聞いたらどう思うか⋯。」
「記事にします?」
「そんなの何の意味もありません。それに、似たような記事なら以前に出ています。」
「分かってたんですね。取材が無駄な事を。」
「無駄とは思いませんが、収穫は無いだろうとは思っていました。」
松下がスマートフォンの向こう側で大きく溜め息をついた。
「他に取材しがいのある人はいませんか?」
「⋯1人。その2人や他の方よりはマシな人がいます。」
美琴が下の階に降りると、信之は舞子の遺影の前で座り込み、じっと遺影を見つめていた。美琴はそんな信之にゆっくり近付いた。
「美琴か。」
信之が振り返った。
「どうした?お姉ちゃんは買い出しに行ってくれてるぞ。」
「お父さん。」
「何だ、美琴。」
「私も、外いきたい。」
信之は一瞬で現実に引き戻された。娘が、美琴が前を向こうとしている。そう捉えた。
「分かった。お姉ちゃんが帰って来てからでいいか?」
美琴は信之をまっすぐに見つめたまま、頷いた。
「何処に行きたいんだ?」
「学校。」
「えっ。」
「光星小学校。」
「大丈夫なのか。そんな所に行って。」
「⋯うん。」
すべての元凶。多くの人物の運命が狂った場所。美琴の全てが変わってしまった場所。まさかそんな所に、美琴が行きたいと言い出すなんて。
信之は美琴に何かあったのか、急に不安になってきた。こういう時、舞子なら何と声を掛けるのか。
「お父さん?」
美琴が少し不安そうな顔をしている事に信之は気付いた。
「分かった。美琴が良いなら、行こう。」




