か細い光は
ハタヌ。アガンス王国の都で、いわゆる冒険者の都市。この大陸にある都市の例に漏れず、巨大なダンジョンを地下に抱える。
そんなダンジョンに挑む冒険者を支える職業は多々あるものの、代表的なものの一つは鍛冶屋だろう。
魔物を倒すための武器に、攻撃を防ぐ防具、それらを一式揃えるなら、鍛冶屋が立ち並ぶ場所へ行くのがもっとも効率が良い。
と、田舎から出てきた、現実を知らない駆け出し冒険者は思う事だろう。
だが、鍛冶屋とは何かという話だ。
基本的に、それは軍隊や騎士団、ギルドのお抱えで、武器の製作やメンテナンスを行う複数人の職人集団の事を指す。
冒険者からの要望に応じて武器を製作する事もあれば、これくらいの期間で、これくらいの量を作って欲しいと言われる事もある。
そのため、鍛冶屋のギルド化は早かった。全ての職種のギルドが加入する事が義務付けられているギルド協会の中でも、最古参に位置する。
鍛冶職人になるためには、まず鍛冶屋ギルドに登録して、どこかの鍛冶屋で見習いとして十年以上修行をする。その後、一人前として認められれば、修行先で働き続けるか、独立して、新しく鍛冶屋ギルドを設立するかの二択だ。
この二つの選択肢以外は認められない。
それが鍛冶屋という職業に就く者の運命だった。
だが、ムートロはその選択肢を持たなかった。
一人、一子相伝の鍛冶工房に生まれ、修行先も実家、一人前になってからも実家という鍛冶屋ギルドの中でも、孤立した存在だった。
通常、鍛冶屋と言うのは個人製作ではない。剣を一本作るにしても、部位ごとに製作する担当が別であり、同じギルド内での分業体制が徹底されている。
しかし、ムートロの鍛冶屋は一族で経営してきたために、全ての工程を一人で行うのが常である。
そうした点から、他の鍛冶屋ギルドとは接点を持つ事が出来ず、距離を置かれていた。
そんな例外をギルド協会が放っておく理由は無かった。
「地代、払えてんのか?」
布が金属を擦る音が工房の中で止むことなく鳴り続ける。
「武器の製造許可は取り上げられて無いだろうな」
粘性の透ける液体が鉄に触れ、馴染む音だけが、老いた鍛冶職人の耳に届いていた。それ以外は何の意味も持たない、鼓膜を打つ価値の無いものだった。
しかし、その男の声は響いた。
「闘ってんのか?」
恐ろしい程に、無頓着な程に、日が経っても苛む程に、その男は核心を突いてきた。それこそが己の存在意義かのように。舞い戻ってきた理由かのように。
「全部奪われるのを、黙って受け入れてるんじゃないだろうな!!!」
俺は研磨剤を塗る手を止めた。
そして、だらりと手を下ろして、インヘルの方を見た。
「負けたつもりはない。だが、協会が出来る前から俺の武器は売れなかった。不必要なら、留まる理由は無い」
「それを敗走ってんだよ」
昔から遠慮を知らない奴だ。人を選んで態度を変えると言う事をしない。
そこには一種の信念のようなものさえ垣間見える。
「親父の代からこうだった」
「変えろよ、てめぇの手で!」
「俺はもう、疲れた」
俺は剣へと視線を戻すと、研磨剤を塗るのを再開した。
何も、自分の工房が、先祖代々から受け継いで来た務めが、擂り潰されていくのを黙ってみていた訳では無い。
先々代からずっと、方々を駆けずり回っては、頭を下げて、武器を売り込んで、ここに残れるよう、生業なりわいを続けられるよう、力を尽くしてきた。
だが、その結果が今だ。
ふざけた事に、何にもならなかった。
ジジイと親父は槌を捨てたような連中に、懇願し、祈り、精魂が枯れ果てて死んでいった。
工房の存在を隠すかのように、都市計画に沿って建てられた店は、潰れては主と看板を変えて何度も甦った。
そうして、人々の目を俺から逸らしていった。
俺が工房を継いだ時、胸にあったのは、どう実家を畳むかだけだった。
ただの一人も来ない客のために、店を開け続けるのは苦痛でしかなかった。かと言って、連中の靴を舐める気にはなれなかった。
「協会は早くここを立ち去るか、秘伝の鍛造法たんぞうほうを教えろと言ってきた。もちろん、俺にその気はない。だから、連中は俺が死ぬのを待ってる」
「おめぇ、ガキは?」
「…居ねぇよ」
「けっ、子作りもしてねぇのかよ。道理で。生気ってのを感じねぇ訳だ」
インヘルは呆れたように、壁に寄りかかった。
だが、もう一人の方はそうは行かなかった。
「ここに来る前、協会に行ってたのか?」
「あぁ。俺一人のために召喚状しょうかんじょうも無しで、使いを走らせてきやがった」
「それで?」
低い声で男は続きを催促さいそくした。
「使いに着いて行って、協会の中で有り難いお説教さ。今のままじゃいけない、一緒に仲良くやろう、技術は広がって新しい技術を生むんだ、工房を維持するのも大変だろう、立ち退くなら金をやる、仲間外れは悲しいだろう、どこかの工房に入る気は無いか、ははっ…」
俺は喉の中で笑いを漏らした。
「クソ喰らえだ。誰があんな連中の顎あごで使われるってんだ」
「でも、今のままじゃこの工房も持ってかれるぜ。どうせ、先代の借金が~、お前の作った武器で怪我した~とか。色々色々いちゃもん付けられて、ぜぇ~んぶ持ってかれる」
「じゃあ、どうしろと言うんだ」
俺は再び振り返って、インヘルの方を見た。
ろうそくの薄明かりが照らす男の横顔は、ほくそ笑み、意地が悪そうに、片方の口角を上げている。
「んなもん、連中がそれどころじゃなくなれば良いんだ。例えば、連中の中でも力を持ってる奴の売ってる武器とか鎧とかの悪い噂を流す。そんでもって、売られてるやつに細工して脆くすりゃ良い。実際に質を落としてやるんだ。評判がガタ落ちになったら、こんな古工房なんかに目を向けられなくなる。そのうち、業界全体の問題だと馬鹿どもが思うように仕向けて…」
「それをやったら、本当にいよいよ終わりだぜ」
その提案は呑めない。俺は腐っても、鍛冶屋だ。鍛冶職人だ。
鉄の声に耳を傾け、鉄の心に寄り添って、鉄の形を変えていく。ふいごが巻き上げる火の粉と炎を眼に焼き付けて、槌を握る。
それこそが俺の生き様にして、生き方だ。晩節ばんせつを穢すつもりは無い。
「お前なりに言ってくれてるのは分かる。だけどな、もうそこまで抗うような歳でもない」
俺はろうそくに照らされて心地良い程に光る剣を見ながら言った。
もう、研磨剤は剣の刃に満遍まんべん無く塗り終えていた。
「明日の朝、ロルパナに届けてやる。今日は帰れ。代金もその時で良い」
「あぁ…分かった」
俺は突き放すように、話を切り上げた。
こんな話を続けても得るものは何もない。
それならしない方が良い。あんな話をしてたら、幸せが逃げていく。
「じゃ、じゃあ、また…明日な」
「あぁ」
帰り行く二人の背も見ずに、俺は返事をした。
作業をしていたからではない。
ただ、見たくなかった。
俺は充分、落ちていた。
自分の胸のうちで語る生き様すら嫌悪する程に。未来ある若者の背を見れないくらいに。
それくらい、現実は非情だった。
しおれた葉が抜けていく枯れ木の気持ちは、その足元を駆ける者達には分からない。
惨めだ。
武器は作れど、誰も買わない。見にすら来ない。鍛え上げた技術は一体何のためか。祖先から受け継いだ鍛冶道具達は長年、来ない出番を待っている。
苦しい。生活も楽じゃない。
太客が来た月にしか、パンは口に出来ない。いつも、おがくずと数粒の豆で飢えをしのぐ日々だ。
それでも、信念を貫きたい。もう、それ以外に生きる寄る辺は無い。
(鉄だ。鉄を鍛えてぇ…もう一度、力強く……)
枯れた涙は出てこない。願うだけ無駄なのだ。
だが、インヘルの言葉が頭の中を反響して、無くならなかった。
『闘ってんのか?』
『全部奪われるのを、黙って受け入れてるんじゃないだろうな!!!』
『それを敗走ってんだよ』
その言葉はどれも勇ましく、老いた己には想像も出来なくなっていた言葉達であった。
羨ましい。そう思うのはいけない事だろうか。
俺は薄明かりの中、しわがれた自分の掌を見つめてしまった。