タイトル未定2025/03/24 02:30
「おっ、よう」
「随分、遅い出勤で」
店先に居た二人の男のうち、一人は親しげに、一人は皮肉交じりに声をかけてきた。
全く、久しぶりに会うってのに、変わらない奴らだ。
「悪かったな。どれくらい待った?」
「数分くらいかな」
「何してたんだよ。店主は店に居なけりゃ不味いじゃねぇか」
「うるせぇ、てめえは六年間何してた?今更、帰ってきやがって」
明るい栗毛の小悪党の軽口に応酬≪おうしゅう≫を浴びせつつ、俺は店の戸を開いた。
歴史ある鍛冶屋の古びつつも、哀愁≪あいしゅう≫漂う店内には、手入れの行き届いた刃の光が闇に包まれた中でも不気味に光を発している。
(……我ながら良いもん作ったもんだぜ)
俺は心の中で、薄い自賛をした。
意味の無い思いだ。こいつらを買っていく客は来ないのだから。
「さ、入れ。今明かりをつける」
俺は慣れた手つきで暗闇の中を進み、手探りでろうそくを取ると、古い火口箱≪ほくちばこ≫を取り出して、火口≪ほくち≫(火をつけるための繊維や藁の事)に火をつけ、ろうそくに移らせる。
すると、ぱっと、周りが明るくなった。
が、暗かった店内に少しばかりの明かりが点いたくらいではどうにもならない。
多少、手元が見えるようになったぐらいのものである。
「けっ、くれぇなぁ」
「さすがにこれじゃあ、生活にも困るんじゃないか?ガラス窓を付けろとは言わないが、もう少し日の光を取り入れた方が良いぞ」
確かな助言だった。だが、そもそも、こんな日が暮れた頃に店に戻ってくるとは思っていなかったのだ。
長年、ここに店を構えているが、この時間帯なら、とっくに店内のろうそくを灯して、明るくしているから、問題はないし、わざわざ、自分の店を外から見た事は無い。
古びてはいるが、先祖代々から受け継いだ立派な工房兼販売店なのだ。手を加えて、どうこうしようとはとてもじゃないが思えない。
それに、役所勤めの高級取りでもない一般人の家じゃないんだ。ガラスの張られた窓なんて無いし、これから設ける予定も無い。
(工房に窓なんて、槌≪つち≫(ハンマーの事)を握るのを忘れた奴らがやるこった…)
「ふん、どうせ他の客は来ない。ろうそく代もあるんでな。ケチらせてもらうぜ」
俺はそう言いながら、手招きをして、二人を店から工房へと招き入れる。
「それより、剣を見せてくれ。どうせ、血錆≪ちさび≫がびっしりなんだろ」
「そんなんじゃないさ。ダンジョンから帰る前にはしっかり拭き取ってるよ」
暗闇の中でも、その異様さが分かるぼさぼさの黒髪を揺らす太客は、鞘ごと腰から剣を外して、こちらに渡してきた。
「どうだかな…」
俺は工房の中心に鎮座している古い金床の上にろうそくを置き、受け取った剣を鞘から抜いた。
スゥ…
微かに鞘と剣がこすれる音が工房の静寂に沈み、鈍≪にぶ≫い光を発して、大剣はその身を現した。
幅広で重く厚みのある鉄の塊。それでいて、長く延ばされた先端は、獲物に深々と突き刺さるように細く絞られている。
戦場で、ダンジョンで、多くの血を吸ってきたこの恐るべき凶刃≪きょうじん≫は、長年、至る所で様々な者達に握られてきたのだろう。持ち主が変わっても、どこへ向かおうと、この剣の前で流血は絶える事を知らなかったようだ。
この剣には、何度も鍛え直され、研がれ、磨かれた跡がある。血を吸っては研がれ、磨かれ、刃が毀≪こぼ≫れれば、鍛え直される。
その度に、この剣は原形を留めつつも、その性≪さが≫を変えていったに違いない。
武骨ではあるものの、完成されている造形には感嘆してしまう。ある種の神々しさや美しさまで感じられる程だ。
ろうそくの明かりよりも眩≪まぶ≫しい程に、暗闇の中で輝く刃は斬る事に優れ、突く事も申し分無しの性能を誇る。まさに“燻る業物”と言う事が出来よう。
「う~ん、毎度のことながら見事だなぁ。こんなのを作れる奴が居るなら、今すぐにでも弟子入りしたいぜ」
俺はろうそくをトザイに渡すと、金床の上に大剣を寝かせ、床に置いてある壺を取りに行く。
「状態はどうだ?悪くなってはいないと思うが」
「そりゃ、悪くなっちゃいねぇだろうが、錆の元は着いちまってるな」
「錆の元?」
研磨剤の入った壺を持ってくると片手に掴み、汚れた布を片手で取りながら、俺は後ろに向かって言った。
「お前、ダンジョンの中で水洗いしたろ」
「あぁ、湧き水が出てて。駄目だったか?」
「拭きがあめぇな」
暗闇の中でも、その人物がたじろぐのが分かった。
「けっ、常に最高の状態にしておきたいとか思ってるからそういう事になるんだよ。桶は桶屋、鍛冶屋は鍛冶屋だ。専門に任せりゃ良いのによ」
「だって…マヴェルの血を拭き取っても、黄色いのが取れなかったんだ。それで、湧き水が出てたから…」
「ダンジョンにあるの湧き水じゃなくて、地下水だろ。ただ溜まってるだけだ。女神の加護も無いぞ」
「そ、そうかもしんないけど…じゃあ、その地下水があったから、濁ったりしてなかったし、綺麗だと思ったから洗ったんだよ」
剣の持ち主は、言い淀んでから、指摘された通り言い方を変えた。
「もちろん、色は取れたよ。それに、ちゃんと乾いた布で拭いたし。別に疎かにした覚えは無いぞ」
「乾かしたか?」
また、暗闇の中でたじろぐのが分かった。
「あっ…忘れてた」
「馬鹿がよぉ」
盗賊崩れが呆れたように言う。当の持ち主は、自分の過失に気づき、一瞬でしおらしくなってしまった。
「はぁ…すまねぇ…俺が忘れてたばっかりに…」
「剣と会話すんなよ。答えてくんねぇぜ」
「ま、たっぷり謝っとくんだな。大事な商売道具だ。粗末≪そまつ≫にすんなよ」
「分かってんだけどよ…」
男は力なく項垂≪うなだ≫れた。
ここ数年、俺の店に来る奴はこいつしかいなかった。そりゃそうだ。協会に目を付けられたところになんて誰が行くものか。
物好きか、空気の読めない奴の二択なら、こいつは絶対に後者だ。空気を読まずに突っ走る。そんな向こう見ずだから、俺みたいな奴に愛剣を預からせる事が出来るんだ。
俺は金床の前に戻ると、男の方を見ずに、剣の方を見ながら言った。
「完全に水気が取れないまま、鞘の中で蒸れちまったみたいだな。今日のところは研磨剤を塗る。それで、錆の元は取れるだろう。後は…まぁ、砥石で整えてやろう。そっちの方はサービスしてやる」
「良いのか、火の車だろう?」
「若ぇのに心配される程、落ちぶれちゃいねぇよ」
「でも…」
この小僧はさっきまでしおらしくしていたと言うのに、他人の心配だけは一人前にやるのだから、こっちとしては肩透かしを喰らった気分になる。
「しんぺぇすんな。もし、駄目になっても当てはあらぁ」
「そうか…なら良いが」
俺がそう言うと、男は大人しく引き下がった。
全く、こいつのこういうところには眉をひそめたくなる。自分の事は棚に上げて、他人の心配ばかりすると言うのだから。
(ま、レパーツ・イントレアに居りゃ、感覚も麻痺するかなぁ。あんな裏にスラムを抱えてるようなところじゃ、紛争とも無縁か)
俺は皮の手袋をはめると、壺の中の研磨剤を布に付けて、大剣の表面に満遍なく塗り始めた。
「で、なんでこんな時間まで帰ってこなかったんだよ?」
作業を始めた俺の背中に、手癖が悪いのが声を投げる。
「別に、なんでもねぇさ」
「協会の連中だろ」
暗闇の中、ぼんやりとしたろうそくのか細い光が揺らめいた。俺は一切、研磨剤を塗る作業を止めなかった。
「変わんねぇな。新規参入防止と異端の排除ってのはさ」
盗賊は吐き捨てた。
静寂の中、俺は手を止めなかった。止めたくなかった。
これが俺の仕事で、俺に流れる血が求める事だったからだ。