第四話 宴はとうに終わった
「ふふっ…」
「おい、さっきから、何笑ってんだ」
「えぇ?」
「ギルドを出てからずっと笑ってるぞ。気色悪いから辞めろ」
「そうか?」
【レパーツ・イントレア】を出てから、下宿先までの道には人通りが少なく、魔力街灯も少ない場所を通る。
都と言えど、中心街から離れた郊外などはこんなものだ。
「意図的に笑ってるつもりは無かったんだが……」
「あの受付嬢に耳打ちされたのがそんなに嬉しいか?」
「まぁ…」
トザイは頭の後ろに片手をやりながら、満面の笑みを浮かべた。
よっぽど、あの芋女にぞっこんらしい。囁かれた程度でこんなになっちゃあ、初心と言うのも、余りある。
(この野郎、隠せてるつもりだったのかもしれねぇが、受付嬢の前でも笑みがこぼれてやがったぞ)
「まあ、どうでも良いや。付き合ってんだからなぁ」
「え…」
俺が肩を組みながら、言った一言に、トザイが凍り付く。
「え…」
「え、いや…付き合ってないよ…」
「は?」
俺は自分の顔が引きつったのが分かった。
「嫌だって…そのまだ……一度もどこかに誘った事も無いし……」
「はあああああぁぁぁ?!!!」
どうやら、俺が居なかった間、こいつと芋女の関係は一切進展しなかったらしい。
「おめぇ、6年間何してたんだよ?!てか、どこかに誘うとか要らねぇってそんなんは!!!」
「で、でも、全く何か接点の無い…」
「ギルドで顔合わせんだろ?!」
「それだけじゃん…」
「それだけで充分なんだよ!!」
俺は目の前の盆暗に、食って掛かる。呑気なのか、奥手なのか分からないが、童貞丸出しのクソみたいな仕草に、心底腹が立つ。
「良いかぁ?!俺が何のためにあんな眼中にも無い、まな板田舎娘にちょっかいかけてきたと思ってる?!お前が全くあの娘と喋れないから、わざわざ、御膳立てしてやってるんだぞ!!」
「は、話せてるし…」
「依頼の受注だけだろ!!たった、それだけのくせに調子乗んな!そんな事務的なのは会話に入らねぇんだよ!!!」
(いちいち、こっちの指摘に無駄な反論をしてくるな、童貞野郎が。そんなんだから、いつまでもあんな女一人落とせねぇんだよ。クソが、クソが、クソが、クソが、クソが、クソが………)
俺はてっきり関係が遅くとも、付き合ったくらいには進展していると思っていた。というか、逆に6年もあって、こんなに進まないものかと首を傾げたくなる。
頭おかしいとかのレベルじゃない。恋愛感情を持ってるのかと疑いたくなる。なんで、好きなのに告白しない。あんな、まな板の芋女に言い寄ってくる奴はさすがに居ないと思ってはいるが、6年も立てば、どんな女でもOKみたいな、とんちんか……度量の広い奴が出てきてる可能性がある。
(畜生…6年前なら、ライバルは絶対に居ないって思えたのに…この唐変木がさっさと、手出さねぇから……!!)
なんなんだ、こいつは。俺が居ねぇと、全く進まねぇのか。
呆れにも似た怒りが、俺の中を逡巡して選択を迫ってくる。俺だって、問題を抱えていない訳じゃない。こんな奴らの遅速恋愛なんかに、追い風を吹かせているような余裕は無いのだ。
悪いが、こんな世間的おっさん基準に、あと数年ではまりそうな奴の最後の春なんか応援している暇はない。取り合えず、一宿一飯の恩だけはダンジョンでの貢献で返すとして、早々にこの街を離れよう。
「あの娘、可愛いしさ、清楚だし、純粋だし……でも、俺みたいな奴が話しかけたら穢れちゃうような気がして…」
隣を歩く奴は、まだそんな事をうじうじうじうじ言っている。叫んで、発狂したくなるのを必死に抑えつつ、俺はどうにか思う限り、紳士的に言葉を紡いだ。
「あのな、相手の事を本当に思ってるなら、お互いに影響を受ける事はあるんだ。それを穢しただとか、与えたとか、染めたとか、色々思うのは勝手だが、絶対に起こり得るもんだ。俺とお前との関係でも起こるし、起こってた事だ」
「そうか…?」
「そうさ。そんな事が怖いなら、最初から惚れんな。好きなら相手の事、多少、染めるくらい覚悟しろよ。な?」
自信無さげに見てくるゴミ屑の顔に、グーパンしてやりたくなるのを、ぐっとこらえて、俺は真っ当な意見をくれてやった。
「まぁ…そうだよな…」
「そうさ、男と女。互いに影響し合い、引かれ合い、そして、愛を育む。そういうもんだ」
「そっか…」
まだ、とやかく言うようなら普通に殴ってやろうかと思ったが、どこか、神妙そうな顔をして、物憂げに俯いた。
ここまで言えば、大丈夫だろう。
「で、お前、今、どこ住んでんの?」
俺は露骨に話題を変えた。こんな話をするために、戻ってきたんじゃない。
「ロルパナの二階。前と変わってないよ」
「金あんだろ~?まだ、あんな偏屈ジジイのところに住んでんのかよ」
「良い爺さんさ」
「どうだか」
ロルパナ。クソみたいなジジイがやってる香料工房だ。そのジジイが食えない奴で、やれ、あれが無い、これが無いとうるさく言う奴で、トザイの事も、小間使い程度にしか思ってない。せっかく置いといてもらえるんだからと、この野郎はそのジジイのお使いも全部頼まれちまう。
(そんなんだからいけねぇんだ。もっと自分本位に生きろっての)
「ちょっと、鍛冶屋寄って良い?」
「良いぜー、ムートロのとこ?」
「そ」
「懐かしい名前だなぁ、おいおい」
俺はそう言いつつ、トザイの腰にぶら下がっている大剣を見つめた。
『こいつがあればどこにだって行ける。怖いものなんて無い』
昔のトザイはそうだったってのに。
俺は、隣を行く背中を丸めた男を見つめた。
(時ってのは怖いもんだ。あのトザイがよ…)
何も、恋愛についての事を言ってるんじゃない。俺にとっても、この街は古巣のようなものだ。色々探りを入れてから、足を踏み入れるのはいつもの事だ。けれど、今日だけは相当、俺も気を落とさざるを得なかった。
(落ちぶれたな。俺も、お前も……)
暗い道すがら、つい、そう思ってしまった。
俺だけは、そんな事を思ってはいけないのに。こんな事、笑い飛ばさなきゃいけないのに。
(惨めだぜ。本当によぉ…)
全ては自業自得。身から出た錆なのだろう。だが、それでも、そう思わざるを得なかった。
(『星を羨む権利はある』か)
俺は、ギルドでトザイに言われた事を思い出していた。
目の前を行くは、草臥れた友。その背に俺は問いただしてやりたかった。
お前は本当にやりたい事が出来ているのか、と。
「閉店…したんじゃない?」
「そんなはずは無いけどなぁ…」
夜の工房街の外れに、ムートロの鍛冶屋はあった。
レンガ造りの大きな建物の屋根を貫く大きな煙突、裏手には山と積まれた薪の山。まごう事無き、鍛冶屋。そんな古風な出で立ちの建物には、まるで人気が無かった。
こんな夜遅くだと言うのに、窓を覗いても、明かり一つ点いていない。
剣や槍、斧などの商品が置かれている店の中へ入ろうにも、鍵がかかっている。
「どこかに…行っちゃったとかか?」
「鍛冶屋が鉄鍛える以外に、何かするかよ」
「でも…あんまり客が来てる雰囲気じゃなかったけどなぁ…」
ムートロの鍛冶屋の周りには鍛冶屋が無い。ムートロは剣や槍などを作る刀剣鍛冶であって、防具鍛冶ではない。
工房街では、一冒険者のために、刀剣鍛冶屋の向かいには防具鍛冶屋といった具合に、装備が整いやすいようにとの考えのもと、都市設計が為されている。本来であれば、ムートロの鍛冶屋の周りにも、鍛冶屋はあって然るべきだ。
だが、現状、そういう風にはなっていない。逆に、ムートロの鍛冶屋を円周上にくり抜いたかのように、立ち並んでいるのは食堂や、道具屋といった、あまり鍛冶屋に結びつかないものばかりだ。
ムートロ曰く、うちは一子相伝だからハブられてる、との事だったが、改めて、鍛冶屋の周りを見てみると、それが露骨に分かってしまう。
(なるほど、ギルド協会に嫌われると、こうなるって事か。事務長があれだけ顔色窺うのも分かる気がする)
とはいえ、こうなる前に色々手は打てたのではないだろうか。
「やっぱ、潰れたんじゃねぇの?」
「不謹慎な事、言うなって」
「でも、そうじゃね?休業のお知らせとかもねぇしよ」
「今から開くから出してないんだよ、昼間に客はこねぇからな」
不意に、後ろから声が投げかけられた。
振り返ると、そこには筋骨隆々の口ひげをたっぷりと蓄えた大男が立っていた。
「よう、トザイ。俺の唯一の太客」