第90話 真実への一歩
レティシア、ルカ、アランの視界を遮っていた光が次第に弱まると、3人は目元を覆い隠した手をゆっくりと下げた。
一瞬だけ目を見開いた3人だったが、次第に彼らの眉間にシワが深くなっていく。
「飛ばされたな……」
微かに聞こえる声でルカが言うと、アランが同じように「そうみたいだな」と囁いた。
しかし、レティシアは足元を睨み付けると、不満を吐き出すように呟く。
「使われたのは、転移魔方陣で間違いなさそうね……私たちが使っている物より眩しかったけど」
彼らの目の前に広がっていたのは、先程までいた場所とは全く異なる風景だった。
部屋の中央には、深いマホガニーのテーブルが置かれ、その両脇にはテーブルと同じ素材で作られた2台のソファーが配置されてある。
足元に広がっていた黒い絨毯は、今では冷たい大理石に変わっており。
左右の壁には天井まで届く本棚があり、そこには分厚い本が隙間なく敷き詰められている。
視界の情報だけでも、明らかに転移魔方陣でどこかに飛ばされたことが分かる。
アランの額からは汗が頬を伝い、レティシアはゴクリと喉を鳴らす。
ルカの足元にある影はより濃くなり、まるで生きているかのようにゆらゆらと揺らめく。
ここがどこなのかも3人には見当が付かず、テーブルの先にあるデスクに目を向けて警戒している。
大きな窓の前に置かれたデスクでは、椅子に座ってラウルが手を動かしていた。
彼は手を止めて3人の方を見ると、ゆったりとした動きでペンを置いて立ち上がった。
「お待ちしておりました。――そんなに警戒しなくても、私があなたたちに危害を加えることはありませんので、大丈夫ですよ。――どうぞ、そちらにお掛けください」
3人は顔を見合わせ、言葉を交わすこともなく頷くと、ソファーへと足を進めた。
硬い大理石の床は音を鳴らしたそうに構えるが、3人の足音が部屋に響くことはない。
それは、まだ彼らがこの部屋の主を警戒していることは表しているようにも見える。
ソファーまで行くと、アランの右隣りにレティシアが座り、ルカはアランの左に座った。
怪しむようにレティシアが、もう1度辺りを見渡し、部屋の構図を頭に叩き込んだ。
そして、アランの正面に座るラウルに対し口を開く。
「ラウル殿下、ここは一体どこなんでしょうか?」
「ここは、私の書斎です」
書斎と聞いて、一瞬にして3人に緊張が走った。
ピリつく緊張感に、薄っすらと彼らの背中には汗が滲む。
「ということは、魔塔の中だということでしょうか?」
レティシアが尋ねると、ラウルはわずかに笑みを浮かべた。
「そうです。ですが、警戒しなくても大丈夫ですよ。無理にあなたたちを、どうにかすつもりは全くありませんので」
レティシアはやはり魔塔の中にいるのだと分かると、鼓動が早くなった。
どんなに警戒しなくてもいいと言われようが、警戒せずにはいられない。
それでも、落ち着かなければと焦る気持ちが、さらに彼女の鼓動を早めた。
しかし、1度だけ深呼吸した彼女は、スーッと下げていた視線を上げて冷静を装う。
「そうですか……それなら、殿下のことを信じてみようと思います」
「ありがとうございます。それで、ご要件の方はなんでしょうか?」
軽く頭を下げてからラウルが答えると、真っすぐ彼のことを見ながらレティシアが尋ねる。
「では、率直にお聞きします。ガルゼファ王国はエルガドラ王国と戦争するおつもりでしょうか?」
「雪の姫は、どう考えていますか?」
雪の姫と言われたレティシアの眉は、ピックと反応を見せた。
彼女は睨むようにラウルを見ると、その雰囲気からだけでも不愉快に感じたことが分かる。
「雪の姫と呼ばずに、私のことはララとお呼びください」
ラウルはレティシアから1度視線を逸らし、バツが悪いような表情で頭をかいた。
「名前を知らなかったもので、つい雪の姫と呼んでしまいました。気分を害されたようで、失礼しました」
「いえ、こちらこそ名乗らず申し訳ございません。――そうですね……私の考えでは、ガルゼファ王国はエルガドラ王国との戦争は望んでいないと考えています」
レティシアは、ラウルが彼女の本名まで知らなかったことを知ると、彼が本当に危害を加えるつもりがないのだと思った。
なぜなら、少なくともラウルは、魔の森で戦ったレティシアの実力を聞いている。
それにもかかわらず、彼はレティシアのことを調べていない。
その結果、彼はレティシアの力に関して興味はなく、無理やり魔塔に連れて行かれる危険性がないと考えられた。
だが、それは彼を信頼するということに直結するわけでない。
あくまで、可能性の1つが消えたに過ぎないことを、レティシアも分かっている。
「そうですか。ですが、ガルゼファ王国としては、領地拡大や様々な方面で利益がありますので、この戦争も悪い話ではないと、私は考えているんですよね」
アランはラウルの言葉を聞き、わずかに眉が動いた。
この話し合いは非公式なものだ。
だが、ここで安易に王子であるアランが口を出せば、国の意見としてラウルが捉えられるかもしれない。
そのことを考えれば、アランは固く口を閉ざすしかない。
そのため、彼は堂々としているレティシアの方を軽く見ると、拳を握ってただ静かに目の前に座るラウルを見つめる。
「そのことは私も考えました。ですが、そうなった場合、不利益もありますよね? 例えばですが、仮に戦争になった場合、現在ガルゼファ王国に留学している学生は、それぞれの国へと帰国すると思うんです。そして、戦争で1度離れてしまった学生が、ガルゼファ王国に戻るとも考えにくいんです。それに、ラノーマス王国はエルガドラ王国と友好関係を築いており、同盟を結んでいます。そのため、ラノーマス王国との関係が悪化することを考えれば、不利益の方が大きいのではないでしょうか?」
「それを考えても、私にとっては利益の方が大きいですね」
ラウルが言う利益がなんなのか、それはレティシアには分からない。
利益として考えられる可能性を上げれば、それはガルゼファ王国の国内情勢にも関わってくる。
しかし、ルカに渡された資料には、国内情勢に不審な点は見受けられなかった。
そのため、レティシアは彼の言う利益が、軍事的な強化と政治的な影響力だと考えた。
「そうですか……でしたら、ガルゼファ王国は、今回の魔物の件と噴水広場で起きた事件に関与していることを、認めるのでしょうか?」
張り詰めた雰囲気の中、透き通るレティシアの声が静かに広がった。
彼女の声は落ち着いていたが、にやりっと挑発的に彼女は笑う。
その瞬間、先程まで表情を変えなかったラウルの眉間にシワが寄る。
「その2つの出来事に関して、ガルゼファ王国は一切関与していません」
「本当にそうでしょうか? 今のお話だけですと、私には “ガルゼファ王国は、2つの事件に関与し、戦争を起こそうとしている” ようにしか、思えませんね」
ラウルのわずかな変化も見逃さなかったレティシアは、さらに煽るように挑発を続けた。
彼の眉間には、先程よりも深いシワが寄り、目はレティシアを睨み付けている。
そして、彼は少しだけ苛立った様子で話し出す。
「ララさん、あなたは先程、ガルゼファ王国は戦争を望んでいないと考えていると話していたのに、それでは矛盾していませんか?」
「いえいえ、どちらもガルゼファ王国の犯行だと思われる証拠は出ておりますので、私の考えが間違っていたというだけの話です。なので、矛盾などしていませんよ? でも、困りましたね~。そうなればガルゼファ王国は、なんらかの形でエルガドラ王国に対し誠意を見せなければ、ラノーマス王国とヴァルトアール帝国は明確な理由をもって、この戦争に加勢できます。そして、ヴァルトアール帝国からすれば、この戦争は利益しかありませんね」
レティシアは小馬鹿にしたように言うと、薄っすらと笑みを浮かべた。
今の状況で、もしエルガドラ王国とガルゼファ王国が戦争を始めれば、エルガドラ王国は確実に敗北する。
しかし、それはヴァルトアール帝国が最初から戦争に参加しないという前提の話だ。
けれど、もしヴァルトアール帝国が早い段階でエルガドラ王国に加勢すれば、状況は一変する。
ヴァルトアール帝国が被害を受けることもなく、エルガドラ王国を勝利に導ける可能性が高くなる。
そうなれば、敵対することになるガルゼファ王国の被害は甚大なものになる。
そして、力の差を考えれば、それはもはや戦争ではなく、侵略行為と呼ぶべきものに変わるだろう。
部屋には再び沈黙が流れ、重たい空気が張り詰めた。
ラウルは漂う緊張に耐え切れず、ゴクリと唾を飲み込んだ。
彼の視線の先には、小さな女の子が楽しげに笑みを浮かべ、彼女の隣に座るこの国の王子は口を堅く閉ざしている。
そして、ヴァルトアール帝国では忌み嫌う存在の赤目と黒髪の少年は、彼女と同意見だというような姿勢を崩さない。
これは、公式な国同士の話し合いではないが、この場に流れる空気は今後を左右する可能性を秘めている。
そのため、ラウルはこれ以上発言を間違えるわけにはいかない。
ラウルは大きなため息をつくと、ソファーにもたれ掛かった。
「ガルゼファ王国は、全く戦争を考えていませんよ……。そもそも、私がこの国に来たのも、私の父に言われたからという理由もありますが、個人的に調べたいことと、私の個人的な気持ちからです。表立っては言いませんが、私も……父も……そしてガルゼファ王国の国民も……リビオ国王陛下には、気持ちを救われています。もちろん、ヴァルトアール帝国のロッシュディ皇帝陛下にも、感謝しているのですよ? それなのに、手のひらを反すような形で戦争などしませんよ」
「どういうことでしょうか?」
「あなたたち3人は……今から65年前、ヴァルトアール帝国で起きた魔族襲撃事件のことはご存じですか?」
アランとレティシアは、ラウルの視線の先にいるのがルカだと気付いた。
今から65年前、神歴1431年10月19日ヴァルトアール帝国では甚大なる被害がでた事件がある。
深夜に魔族が攻め込み、人族を襲い始めたことによって、負傷者156名、死亡者259名の負傷者が出た。
そして、その時に652名の行方不明者が出たが、彼らの行方は未だに分かっていない。
その事件をきっかけに、魔族の上位と同じ黒髪と赤目に対しての偏見がヴァルトアール帝国内で生まれた。
レティシアやアランの2人ですら、初めてルカと会った時にその事件が頭を過ぎったくらいには、一般的に知られている話だ。
3人は静かに頷くと、ラウルは安堵したような表情を浮かべた。
しかし、彼はすぐに表情を変え、真剣な面持ちで話し出す。
「知っているなら話は早いですね。規模は違いますが、実はそれと似た事件が今から26年前、1470年の2月にも起きているんです」
「ヴァルトアール帝国では、そんな事件なんてどこにも載っていなかったわ」
困惑した様子でレティシアが言うと、ラウルは視線を下げて悲しげな表情を浮かべた。
「そうでしょうね……当時、ヴァルトアール帝国は皇弟陛下の第二子の誕生で祝福に包まれていました。しかし、その幸せな時期に再び魔族の襲撃事件が起こり、皇弟殿下も巻き込まれました。前回の魔族襲撃事件の傷も癒えていない時期に、同じような事件が起きた。もし帝国民がその事実を知ったなら、魔族への恨みや憎しみは深まり、迫害を受ける人々が増える可能性もありました。そのため、先皇帝陛下と現皇帝陛下は、その事実を隠蔽することにしたのです。皇弟妃もその決定に納得し、結果として、現在でもヴァルトアール帝国で当時の事件を知っているは、生き残った被害者遺族だけだと思います」
「そんな……」
言葉を失くしたように、レティシアは口元を押さえた。
ヴァルトアール帝国民は、現在も他国で皇弟が生きていると思っている。
しかし、皇弟は事件に巻き込まれ、すでに亡くなっているかもしれない。
そして、その事実が帝国の手によって隠蔽されていた。
あまりの衝撃的事実に、ルカとアランも言葉を失い、信じられないというように目を見開いてラウルを見つめる。
「当時、主犯格が分からず、ヴァルトアール帝国はその対応に追われました。他国からの非難が、全て先皇帝陛下に向けられたからです。しかし、非難の矛先は先皇帝陛下だけに留まりませんでした。この大陸に残っていた魔族である私の母も、非難の対象になりました。その結果、非難は責任問題に変わり、魔族だった母がその責任を問われました。その時、母は責任を全うする形でこの世を去りました。……魔族にもかかわらず、母は帝国民からも好かれていたと聞いていました。なので、なおさらヴァルトアール帝国では、あの事件を隠したかったのかもしれませんね……。その事件の際、魔族を信じ、母を助けようと動いてくださったのが、リビオ国王陛下と先皇帝陛下と現皇帝陛下なのです」
(歴史書を読み漁っていた時に、ジョルジュから過去にヴァルトアール帝国でも、帝国民たちから好かれていた魔族がいたと聞いたことはあったけど、その人がラウルのお母様だったのね……)
レティシアはそう思うと、気持ちを整理するように静かに俯いた。
ラウルが話した内容は、26年前の出来事を知らなかった3人に重く圧し掛かっていく。
決して帝国が下した判断が正しいと、3人は考えない。
しかし、65年前の事件、そして魔族であったラウルの母親のことを考えれば、間違いであるとも言えない。
結果的に、今でも黒髪と赤目は忌み嫌われているが、生活に支障をきたすレベルの迫害を受けているわけではないからだ。
もし、26年前の事件が当時公けになっていれば、待ち受けるのは生活に支障をきたす迫害だけだと、3人は分かっている。
暫しの沈黙が流れ、重たい空気が3人を包み込むと、レティシアはラウルの方に向いた。
「ラウル殿下……その、皇帝陛下が魔族を信じたとは、どういうことでしょうか?」
「私も幼かったので聞いた話ですが……騒動を起こした魔族には、魔族にしては不可解な動きをしていたことと、当時のフリューネ当主が、魔族の中から違和感を覚えたと話していたそうです。その結果、魔族が操られていると考え、信じてくれたのだと思います」
「今回と同じだわ……」
「そうです。今現在エルガドラ王国で起きている魔物の件が、26年前と同じだと感じた私の父は、今回のことを私に調べるように命じました。私自身も、なぜ母が死ななければいけなかったのか……その事実が知りたくて、今回エルガドラ王国まで来て調べていたのです」
「それでは、前回お会いした時に、なぜあのように言ったのですか? あれでは誤解が生まれます」
ラウルは、レティシアに問われると、少しだけ視線を下げた。
「そうですね……ハッキリ言ってしまえば、26年前フリューネ家に助けられたのに、私はフリューネ家に対して何もできなかったので、ララさんになら恨まれてもいいと思っていました。魔物の件に関しては、もし魔物が操られていると考えたら、私のところに来ると思ったのです……ある意味、賭けですね」
「そう……なら、その賭けはラウル殿下の勝ちです。そして、私もお祖父様のことを信じてあなたのことを信じてみます。ですので、ラウル殿下、今お互いが持っている情報を交換しませんか?」
「私が持っている情報は、ララさんたちとあまり変わらない気がしますが、それでも良ければ、手を貸していただけると助かります」
ラウルは、真っすぐ見つめているレティシアを、同じように真っすぐ見つめて答えた。
彼の表情は、どこか安心したように和らぎ、その場の空気もふわっとしたものに変わる。
しかし、すぐにラウルは真剣な表情に戻ると、レティシアと一緒に来たルカとアランの方を向いた。
今までの話し合いは、全てレティシアに一任されていたことは、2人の態度から見て分かる。
けれど、全ての決定権が彼女にあるわけではないことも、2人の態度から考えられたからだ。




