第89話 ラウルからの手紙
話を終えると、アランは急いで部屋へと向かった。
彼は椅子に座ると机の上に便箋を出し、ペンを走らせる。
ペンを握る彼の表情は、王子としての自覚が滲む。
流れるように文字を書く手付きは、彼の責任感と誇りが物語っている。
そして、丁寧に書かれた手紙は、アルノエの手によってラウルへ届けられることになった。
暫くして、レティシアは部屋を見渡し、テオドールが戻って来ないことを疑問に感じてしまう。
そのことをルカに尋ねると、ルカはエルガドラ城にヴァルトアール帝国から使者が来たことを話した。
その結果、テオドールがヴァルトアール帝国に戻ったことを伝えた。
(なんだかんだ言っても、皇帝陛下もやっぱり息子がかわいかったんだね……戦争が起きるかもしれないと思って、すぐにテオの迎えを寄越すんだから……まっ、皇帝陛下のことは、好きになれそうないけど……それにしても、皇帝陛下はエルガドラ王国で、テオに何をさせたかったのかしら?)
レティシアはテオドールのことを考え始めたが、深く考えたら泥沼にはまると感じた。
そのため、彼女は湧き上がった疑問を、頭の隅っこに覆いやった。
「まだ、テオドールのことが気になるのか?」
ルカは、窓の外を眺めていたレティシアに声をかけた。
正直、彼はテオドールが帰ったことに安心していた。
それでも、彼女がテオドールを気にかけていたことも知っている。
それが友としてなのか、それ以上の感情があるのかルカには分からない。
彼が自分の気持ちに気付いてしまったからこその不安が、彼にはあるのだろう。
しかし、彼女はルカの気持ちなども知るはずもなく、振り返らずに首を左右に振って答える。
「違うわ。ただ皇帝陛下も天邪鬼だなぁって思っただけよ」
「天邪鬼か……そうかもしれないな」
そう言ったルカは、どこか安心したような表情を浮かべると、レティシアと同じように窓の外を眺めた。
(守らなければいけない人が減ったんだもの、ルカだって緊張が解けて、ホッとした表情にもなるわね)
ルカの顔を盗み見たレティシアは、そう思った。
マルシャー領では、ルカが兄のようにテオドールと接していた。
そのことを考えれば、ルカもテオドールを守りたかったのだとレティシアは考えた。
夕日が空を燃えるように染め、部屋には料理の香りが漂う。
鍋で食材を炒める音が、台所から微かに聞こえて平和なひと時を演出する。
そんな時、ステラからレティシアの元に、目当ての人物に近付けたと報告があった。
気付かれてないとも報告があったため、レティシアはその人物を見張るようにステラに頼んだ。
だが、ステラと共有した聴覚からは、常に不愉快な会話が聞こえ、レティシアの表情は険しいものへと変わる。
『不愉快としか、言えないわね』
『そうね、ステラも不愉快よ』
『ステラ、見つからないようにね』
『分かったわ、レティシアも何かあったら、すぐ呼んでちょうだい』
その夜、ステラが見張っている人物が寝るまで、レティシアとステラは不愉快な会話を永遠と聞き続けていた。
そのため、2人は胃が少しだけ傷み、もやもやとした気持ちを抱えた。
◇◇◇
翌日の神歴1496年10月26日。
早朝、レティシアたちが泊まる部屋のドアをノックする音が、部屋の中に響いた。
その瞬間、部屋の中は緊張感に包まれた。
アランが王都から戻っても、未だにアランの元には刺客が送り込まれている。
しかし、レティシアが描いた防御結界が役割を果たし、侵入者を防いでいた。
だが、侵入できないとなれば、相手がどんな手を使ってくるか想像できなくもなる。
そのため、部屋の中では、ルカとアラン、そしてアルノエが警戒態勢に入っている。
レティシアは警戒しながらドアに向かうと、彼女は透き通る声で要件を訪ねた。
すると、ドアの向こう側にいる人物が、ラウルの従者だと告げた。
彼女は部屋の中に向かって目配せをすると、ドアを開けて手紙を受け取った。
そして、従者に外で待つように伝え、彼女は静かにドアを閉めた。
「アラン、ラウルからよ」
アランは手紙をレティシアから受け取ると、その場で手紙を広げた。
手紙に目を通した彼はすぐさま机に向かい、返事を書いていく。
返事を書き終えると、一瞬彼は自分の書いた文章を見つめ、深呼吸してから封をした。
椅子から立ち上がった彼は手紙を持ち、従者の元へと向かう。
宿屋の廊下は不気味なほど静寂に包まれ、従者は手紙を受け取ると辺りを見渡した。
それから、辺りを警戒しながら階段に向かうと、足早に階段を駆け下りる足音が廊下に響いた。
部屋のドアを閉めたアランは、緊張が解けたように深く息を吐き出し、気持ちを落ち着かせるように息を吸い込んだ。
「今日、この後ならラウルに会えるそうだ。場所はラウルの宿屋を指定してきたよ」
アランはそう言うと、出掛ける支度を始めた。
「正装をした方がいいのかしら?」
「いや? できれば目立たないでほしいと書いてあったから、いつも通りでいいだろ」
「分かったわ」
準備を終えたレティシアとアランとルカは、宿屋の外に出て目的地に向けて歩き始めた。
しかし、一定の距離を保ちながら、後を付けてくる気配に3人は気が付く。
ルカは足早に先頭を歩きながら路地に入って行くと、レティシアとアランは彼を見失わないように後を追う。
そのままルカは後ろを振り返らずに進むと、今度は路地裏に入って行った。
アランとレティシアも、彼の後を追うように路地裏に消えていく。
3人の後を付けていた男たちも路地裏に入って行ったが、そこに3人の姿はなかった。
男たちは「どこに消えた!」と言いながら、辺りを見渡すが、行き止まりになっている路地裏には誰もいない。
行き止まりの壁を触って確かめる者や、通れそうな場所を探す者、頭上を見上げ這い上がれそうな場所を探す者までいる。
だが、男たちは3人を見つけ出すことはできなかった。
男たちは走ってその場から去ると、彼らの遠ざかる足音が静かな路地裏に響く。
浮遊魔法を使っていたレティシアはゆっくりと地面に降りていき、透明魔法を使っていたルカは魔法を解いた。
どんなに神経を研ぎ澄ましていようとも、ルカの透明魔法を見破れる者などいない。
それは、鼻や耳が利く幻獣ですら、見つけ出すことは困難を極める。
そして、レティシアの使う浮遊魔法は、彼の透明魔法をより際立たさせた。
浮遊魔法は人によって多少の揺れや不安定さがある。
しかし、レティシアの浮遊魔法はそれが一切存在しないのだ。
「悪い、助かったよ。ララとルカ、2人ともありがとう」
「気にしなくていい。このまま来た道を戻ろう」
ルカは男たちが去った方を見ながら言うと、レティシアは淡々と答える。
「そうよ、アランが気にすることじゃないわ」
「2人ともありがとう、それじゃ、先を急ごう」
アランが答えると、レティシアとルカは頷いた。
3人は路地裏から出ると、路地を通って大通りへと出た。
たとえ、どんなに警戒していても、彼らから不自然な動きは感じられない。
それは、彼らが経験から学んだことでもあり、人々を観察して得た知識でもある。
だが、指定された場所に向かう3人の後を追う気配は、もうなかった。
レティシアたちがラウルの泊まっている宿屋にたどり着くと、入り口付近でラウルの従者が待っていた。
3人は従者に案内されて宿屋に足を踏み入れると、タイル張りの床がカチン、カチンと硬い音を鳴らす。
天井からは、ゆらゆらと揺れるシャンデリアが微かな光を放ち、エントランスを鮮やかに見せる。
案内されるまま、3人は長い廊下を従者に続いて歩くが、タイル張りの床が音を鳴らすことはなかった。
周りから悟られないようにしているが、従者の様子から辺りを警戒しているのが窺える。
廊下の両側には、白い壁が広がり、その上には時代を感じさせる絵画や装飾品が並ぶ。
「こちらでお待ちください」
従者に言われて通された部屋に入ると、ルカとアランは驚きのあまり固まってしまった。
なぜなら、本来部屋にあるべき家具が何ひとつ置かれていなかったからだ。
そして、何も置かれていない殺風景な部屋には、白い壁とは対照的に黒い絨毯だけが敷かれている。
しかし、レティシアだけは2人と違う行動を取っていた。
彼女は部屋に入ってすぐに、警戒して足元に目を向けると、魔力の気配を読んでいたのだ。
(なるほどね……この部屋には転移魔方陣が描かれているのね)
次の瞬間、3人の足元が突如として白熱した光に包まれ、眩しいほどの輝きが辺り一面を覆った。
その光は視界を遮り、耳鳴りのような静寂が彼らを包んだ。
ルカは咄嗟にレティシアを自分の方に引き寄せると、アランに彼女を任せた。
予期していなかった状況に「クソッ!」と彼は吐き捨てると、2人を守る姿勢をとる。
だが、白熱した光はさらに眩しさが増し、3人はそれぞれ光を遮ろうとして目元を覆い隠した。




