第88話 不穏な流れ
目を覚ましたレティシアは、森で起きた出来事をステラから聞いた。
しかし、テントでの出来事は微かに覚えているものの、森での生活の記憶はなかった。
レティシアは話を聞き終えると、シャワーを浴びに向かった。
そして、たまった体の汚れを落とし、スッキリとして気持ちを切り替えた。
(ここからよ……必ず真相に辿り着いて見せるわ……絶対に逃がさない)
洗面台の鏡には、ロイヤルブルーの瞳と銀髪に青い色素が交じった髪が映る。
レティシアが、その姿を目に焼き付けるように鏡を見ると、髪と瞳の色を変える薬を飲んでシャワールームから出て行く。
髪色はサーっとブラウンに色を変えていき、瞳の色は徐々にブラウンへと変わる。
胸を張って歩く彼女の目には、確かな強い決意が込められていた。
リビングでは2脚ある1人用の椅子に、それぞれルカとアランが座り。
ルカの右側にある長椅子には、アルノエとジャンが座っている。
彼らはレティシアが来ると、彼女が迷わずに誰も座っていない長椅子に座るのを見届けた。
そして、当然のように、彼女の隣にはステラが座る。
ルカが「空間消音魔法」と唱えると、レティシアは頭を深く下げた。
「心配を掛けて、本当にごめんなさい」
「レティシア、シャワーを浴びに行く前にも、俺はもういいって言ったよ」
ルカが優しく言ったのに対し、ジャンはいたずらっこのような笑顔で話し出す。
「レティシア様、本当に悪いと思うのでしたら、オレが作ったそちらを、しっかりと召し上がってください」
レティシアの前には、彼女が食べやすいことを考えて作られた料理が並ぶ。
スープからは柔らかく煮た根菜類の香りが広がり、切り揃えられた果物からは甘い香りが漂う。
彼女の好物である肉はペースト状にされ、付け合わせの野菜にかけられている。
「ルカ、ジャン……ありがとう」
レティシアはそう言うと、テーブルにある料理に手をつけた。
優しさが溢れる料理は、空っぽだった彼女のおなかを優しく満たしていくようだ。
しかし、彼女が食べるのを見届けるために、彼らは集まったわけではない。
アランは、レティシアが食べていることに胸をなで下ろすと、重々しい表情で話し出す。
「――レティシアも食べながらで構わない。おれの話を聞いてくれ」
レティシアは食べながら頷くと、アランは話を続ける。
彼の声には普段とは違う重みがあり、彼が王子であることを実感させる。
「まず、現段階でエルガドラ王国は、ガルゼファ王国との戦争がないと断言できない状況だ」
「なんで?」
スープを飲みながらレティシアが聞くと、アランは少しだけ思い詰めた表情をした。
「話し合いはしたが、結局エルガドラ側で意見が分かれたんだ」
「ふーん? それは、この間噴水で起きた事件が関係しているの?」
アランはレティシアの言葉を聞いて、困ったように頭をかいた。
噴水での出来事は、2ヵ月も前のことだ。
しかし、まるで昨日のように話す彼女と彼の間には、時間のギャップがある。
「……この間じゃないが……そういう細かいことはいいか……。そうだ、噴水の事件に魔物が使われてたことは分かったが、近くに魔塔のブローチが落ちてた。そのことから魔塔関係者による犯行だと考えられてる。だけど、その事件にガルゼファ王国が絡んでるとなれば、魔の森で起きてる魔物の件も、ガルゼファ王国による犯行の線が濃厚になるからな」
「エルガドラ王国は、そういう考え方をしたのね……」
「ああ、そこでだ。魔の森にいた男の後を追ったステラの話が聞きたい」
張り詰められた雰囲気の中で、全員の険しい視線がステラに向けられる。
けれど、彼女がそれを気にする様子は見受けられない。
彼女は微かに笑みを浮かべると、まるで感情を煽るように軽い口調で話し始める。
『いいわよ。アランはそのことが早く知りたかったみたいだしね。そうね~まず、ステラが追ったあの男、あれから何日か見張ったけど、魔塔のローブを着た人物と会っていたわ』
「くそっ!!」
ステラの話を聞いたアランは、苛立った様子で肘掛けを拳で叩いた。
しかし、冷めたようにアランを見たステラは、まるで嘲笑うかのように言う。
『戦争は回避できなさそうね』
(そうね、そうなるわね……)
食べながら話を聞いていたレティシアは冷静にそう思うと、彼女は状況を整理しようとスプーンを置いた。
『これなら、ステラとレティシアでガルゼファ王国に戦いを挑んでいた方が、エルガドラ王国の被害もなかったのに、本当に残念ね』
そう言ったステラは楽しそうに牙を見せて、ニヤリと笑った。
だけど、レティシアには腑に落ちないことがあったのか、眉間には深いシワを寄せて考えているようだ。
そんなレティシアを盗み見たルカに、アランは話を振る。
「ルカはどう思う?」
「はっきり言えば、状況証拠だけでは、なんとも言えないな」
「そうだよなぁ……おれもそう思うんだけどさぁ、親父が寝込んでるのをいいことに、好き勝手にいろんなやつが言い過ぎだし、勝手に動き過ぎなんだよ」
「今、エルガドラ王国では、人族や他の種族への反感も強まってるからな」
「1番の問題はそこなんだよ。――おれの立場が危うくなるのは一向に構わないが、他の者たちが肩身の狭い思いをするのはいやだ……」
肘掛けに頬杖をついて淡々と話すルカとは対照的に、アランは重々しい表情で頭を押さえていた。
しかし、静かに話を聞いていたレティシアは、納得できない様子で2人の会話に口を挟んだ。
「ん? ――どういうこと? なんで他種族への反感が高まるの?」
「あー……どう説明すればいいんだろう……この国ってさ、国王が竜人だろ? そんで、おれが人族との間に生まれたハーフ」
アランは軽く袖をまくり上げると、深くソファーの背もたれに寄り掛かって言った。
「ええ、そう認識しているわ」
「元々さ、親父と母さんの結婚に反対した人たちが結構いたんだよ。獣人族じゃない人族の血を、王家に入れるのかぁあ! って……それで親父は人族とも手を取り合って生きていける、今までだってそうしてきたとか、他にもいろいろと言ったらしいんだよね、その時は」
「えっと……エルガドラ王国って、昔から結構他種族が多いと思うのだけど……?」
「そう、そこなんだよ。エルガドラ王国も一筋縄じゃないんだよ……獣人族の純潔こそ偉いって思ってるやつが貴族の中にもいるんだよ」
足を組み直してアランは言うと、レティシアが思考するように顎に触れる。
暫しの沈黙が流れ、テーブルの上を見ていた彼女は真剣な表情をアランに向けた。
子どものものとは違い、彼女の見せた表情が、アランには大人びて見えた。
「そうなのね……。ねぇ、アラン。変なことを聞いてもいいかしら?」
「なんだ? 答えられることなら答えるよ」
「確認なんだけど、アランって御兄弟は?」
「5つ下に弟がいる。本当なら兄貴もいたらしいんだけど、おれが生まれる4年前に亡くなってるよ」
(ここまでは、ルカが渡してくれたエルガドラ王国の資料通りね……それなら……)
「亡くなったのは、体が弱かったからなの? それとも事故かしら?」
「詳しい原因は分かってないが、衰弱して亡くなったと聞いてる。それがどうした?」
「いえ、ちょっと気になっただけよ。――それともう1つ、エルガドラ王国でヴァルトアール帝国って、本当のところ、どんな立ち位置なの?」
「友好関係にある同盟国だが?」
「ヴァルトアール帝国に対し、反感を持っている人たちはいないの?」
「何言ってんだ? 反感なんかあるわけないだろ? 魔の森でいろいろと世話になってんのに」
「それよ。ヴァルトアール帝国とエルガドラ王国って、魔の森は同じようにあるのに、エルガドラ王国は大地の加護が圧倒的に少ないでしょ? それに対して不満を持っている人はいないの?」
「そう言われると、ないとも言えないな……なんでそう思った?」
「すでに聞いていると思うけど、ヴァルトアール帝国でも兵が集められていたわ。それもすごい速さで。そんなことができるのって、こうなることを見越してた、もしくは、そうなるように仕向けた人がいたからじゃないのかしら?」
「そのことについては、おれもルカも同じように考えたが、それをしてなんの得になるんだよ」
「簡単な話よ。――エルガドラ王国とガルゼファ王国の間で戦争が始まれば、味方でも背中から討てるからよ」
(そう、過去で私がされたようにね……)
レティシアには、過去の人生で似たような経験があった。
それは、彼女が女騎士として生きていた世界。
友好関係にあった同盟国が隣国と戦争を始めた。
そして、同盟国から要請を受け、赴いた戦場で事件は起きた。
レティシアは仲間だと思っていた同盟国の1人に、背後から刺されたのだ。
その時も、今と同じように自国で志願兵が集められ、同盟国へ援軍を向かわせるべきだという声が国民から上がっていた。
幸い、一命を取り留めたレティシアだったが、目が覚めた頃には、すでに同盟国は敗戦していた。
しかし、問題は同盟国に加勢したことによって、自国がその責任を問われたことにあった。
(確か、あの時も同盟国からの援軍要請があったわけじゃなくて、国内からそう言った声が上がったのよね。責任問題を問われた国王は、責任を取って亡くなったって聞いたわ……同盟国の国王は、確か……)
レティシアはこの時、ヴァルトアール帝国の皇帝が何を危惧し、彼女の帰国を強化しないと判断したのか、分かった気がした。
口元を押さえて考えていたアランは、ルカに目配せすると彼は頷き返した。
それを確認したアランは、王子としてレティシアに尋ねる。
「レティシア、君の考えを聞かせてくれ」
「いいわ。私の考えでは、仮にエルガドラ王国とガルゼファ王国で戦争になった場合、高い確率でエルガドラ王国は負けると考えているわ」
レティシアの話を聞いていたアランの眉はピクッ反応を見せた。
そして、彼は軽く首を左右に振ると、呆れたような声で言う。
「いや、レティシアには悪いが、エルガドラ王国だって決して弱くない。戦争になった場合、エルガドラ王国が負けることはないと、おれは思ってる」
「いいえ、その考えこそ間違いなのよ。戦争になった場合、エルガドラ王国は確実に負けるわ。――それも最悪な形でね」
「どういうことだ?」
「もしこのまま戦争になれば、アランの考えだとエルガドラ王国は負けないのでしょ? でも “確実に勝てる” 方法があるなら、敵はどうすると思う?」
アランは椅子の肘掛けに頬杖をつきながら聞いていたが、ゆっくり頭を上げると、ポツリと呟く。
「――王の首」
「そうよ、王の首よ。最悪2つあればいいのよ。あなたとエルガドラ国王の首さえあれば、エルガドラ王国は簡単に崩れるわ」
「だが、おれの首は取れない」
「本当にそうかしら? 仮に戦争になった場合、皇帝陛下が私と同じ考えに行き着いたのなら、エルガドラ国王が討たれてから、アランがヴァルトアール帝国に援軍を要請しても、すぐに援軍を出さないと思うわよ? エルガドラ王国を守るよりも、皇帝としてヴァルトアール帝国を守る判断すると思うからね。もちろん戦争が始まってしまえば、ルカの手も借りられない……そうなった時、アランは自分の命を守りながら、先頭に立って指揮を執れるの?」
レティシアの真剣な眼差しがアランに向けられる。
そこには、彼女の経験からくる自信が溢れ、発言には迷いが感じられない。
緊迫したように空気は張り詰め、彼女の話が現実味を帯びる。
「……」
「無理よね? どんなに強いと言っても、指揮を執る人がいなければ負けよ。たった4歳のあなたの弟が指揮を執れるとも思えないし、それなら敗戦を認めた方が被害も少ないわ」
「それなら……やっぱガルゼファ王国が仕組んだのか……」
「そこなんだけどね、話を聞きたいなぁって思う人物がいるの」
怪訝そうにアランがレティシアを見ると、彼女は神妙な面持ちで続きを話す。
「この国にまだいるのでしょ? ――ガルゼファ王国の王子が。私は彼に会いに行くわ。それで彼に会って話を聞いてみようと思うの。彼なら何か知っていると思うからね」
堂々とした態度で話すレティシアを見て、アランは彼女の冷静さと戦略的な視点に驚いた。
それと同時に、ガルゼファ王国の王子に会うことで、今後にどのような影響があるか考えた。
しかし、何もしなければ状況が悪くなることはあっても、良くなることがないことはアランも理解している。
そのため、彼は彼女に真剣な眼差しを向けると、静かに口を開く。
「分かった。――いつラウル王子に会いに行くつもりだ?」
「そうね……今の状況を考えれば早い方がいいわ。すぐに連絡は取れるの?」
「こっちもいろいろとあったんだよ……実は、今この街にアンドレア王妃も来てる。その関係で、王族がどこに泊まってるとか、全員の居場所が筒抜けなんだよ。だから、連絡を取ろうと思えばいつでも取れる状況だ」
レティシアは開いた口が、驚きのあまり塞がらなかった。
安全とは言えないこの状況で、王妃陛下がリグヌムウルブの街に来ていること。
そして、体調が悪い国王陛下を城に残してきたこと。
さらには、王族の安全が第一にもかかわらず、情報が筒抜けの状態。
彼女の経験上、これはあってはならない出来事であり、到底受け入れられない状況だ。
「あ、アンドレア王妃陛下って、確かガルゼファ国王であるリビオ国王陛下の再婚相手よね?」
「ああ、そうだ。よく覚えてるな」
「そう……そう、なのね……それじゃ、アランはラウル王子に連絡をお願いしてもいいかしら?」
レティシアは戸惑いながらも言うと、隣に座るステラにテレパシーを使って話しかける。
『ステラ、悪いけど用事を頼まれてくれない?』
『いいわよ、ステラが様子を見てくるわ』
『言わなくても分かってくれるのね、ありがとう。危ないと感じたら、すぐに戻って来ていいからね?』
『分かったわ』
ステラはソファーから飛び降りて窓へ向かうと、軽い身のこなしで窓から宿屋の外に出掛けて行く。
「レティシア、ステラはどこに行ったんだ?」
「ちょっと私の用事を頼んだだけよ、心配しなくても私1人で外に出ないわ」
ルカは心配そうにレティシアに尋ねたが、彼女の返答を聞いた彼は深く椅子にもたれ掛かった。
「頼むから……今度こそ本当に1人で行くなよ?」
「ええ、大丈夫よ」
レティシアは満面の笑みで言うと、窓の方を向いた。
彼女の瞳に映る世界は、たくさんの守りたいもので溢れている。
だけど、全て守れないことも、すでに彼女は知っている。
それでも、奪われるだけの人生は、彼女は受け入れられない。
だからこそ、持てる武器を増やし、いつでも戦えるようにするしかないのだ。




