第85話 闇の中に見つける絆
翌朝、太陽が昇り始める前にレティシアとステラが行動を始めた。
魔物の集団が、水飲み場として彼女たちが使っている泉に向かう気配を感じたのだ。
静かに音を立てないように泉に近付くと、操られている魔物が集まっていた。
このまま放置していれば、泉の奥に住んでいる魔物が、泉に集まった魔物を襲って捕食する。
それは自然界の法則でもあり、弱肉強食の魔の森では普通のことだ。
しかし、操られている魔物となれば、少しだけ話が変わってくる。
操られている魔物を、他の魔物が捕食すれば、今度は捕食した魔物が操られる。
そのため、強い魔物が操られるのを、防がなければならない。
このことは、レティシアとステラが森に入ってから、操られている魔物を観察して分かったことだ。
そして、防ぐ手立ても難しい話ではない。
魔物を仕留めさえすれば、魔物の中にある破片が消える。
東の空が徐々に明るくなり始め、朝日が昇り始める兆しを見せた。
空は淡いオレンジ色に染まり、木々の葉っぱは朝日の光で金色に輝き、泉の水が眩しく光る。
それが合図だったとでも言うように、ステラから降りたレティシアの雰囲気が、戦闘態勢に入った瞬間。
無数の氷の弾が出現し、弾丸のような速さで次々と魔物を貫いて行く。
無言で放たれた氷連射弾魔法は、魔物の数を減らし、爪を使ってステラが残った魔物を仕留める。
そこに、まるでステラを支援するかのように氷矢魔法が放たれた。
耳を塞ぎたくなるような魔物の叫び声が轟き、衝撃波のように周辺を震わせる。
木の葉はパラパラと舞うように落ち始め、視界を遮ろうとする。
それでも、放たれる氷連射弾魔法が外れることはない。
研ぎ澄まされた爪は魔物を切り裂き、ステラの背後を狙う魔物に向かって氷矢魔法が飛ぶ。
最後の魔物が倒れると、森は再び静寂に包まれた。
氷連射弾魔法と氷矢魔法の魔法が消え、ステラは爪をペロッと舐めた。
戦闘の痕跡は明らかで、倒れた魔物たちが地面に横たわっている。
その時、西の空が徐々に暗くなり始め、夕日がゆっくりと沈み始めた。
空は淡い紫色に染まり、木々の葉っぱは夕日の光でオレンジ色に輝き、泉の水がキラキラと光る。
ステラとレティシアは息を整えながら、周囲を警戒するように見渡す。
しかし、操られている魔物の姿はなく、彼女たちの力と連携により、魔物たちは全滅した。
ステラはレティシアの方を見ると、いつものように彼女が魔物素材を採り始めた。
夕日の光がレティシアの姿を照らし、彼女の動きが一段と鮮明に見える。
けれど、その姿は横たわる魔物のように、倒れてしまいそうでもあった。
ゆったりとした動きで、作業を続けるレティシアは、時折手を止めては空を眺めている。
だが、その瞳が何を映し、何を感じ取っているのか、誰も知ることはない。
ある程度、レティシアが魔物素材を採り終えると、泉の奥から魔物が次々と現れた。
しかし、彼らは操られておらず、横たわる魔物を咥え、また泉の奥へと戻っていく。
その様子を、レティシアが目を凝らしたように見つめていた。
静かにレティシアの行動を観察していたステラは、レティシアに近寄ると彼女に話しかける。
『今日も多かったわね』
ステラは横たわる魔物を見ながら言うと、レティシアが彼女に寄り掛かった。
いつもと違う雰囲気を感じて、不安そうにステラはまた話しかける。
『レティシア? 早めに移動して、ご飯も食べてゆっくり休む?』
ステラが尋ねると、レティシアが微かに頷いた。
それは、とても弱々しく、力がないような頷きでもあった。
そのため、ステラはすぐさま姿勢を低くし、背中にレティシアを乗せると、人の匂いがする方へと走り出した。
彼女の表情には焦りが見え、それでも地面を蹴る足はとても落ち着いている。
森の中を走るステラには、いつもより空気が冷たく感じた。
背中には力なく横たわるレティシアがいるが、その軽さがさらに彼女を不安にさせる。
泉から遠ざかり、討伐隊が前回通った辺りまで来ると、ステラは頭を上げて短く2度空気を吸う。
人の匂いを強く感じ、ステラは低木の近くにレティシアを降ろし、彼女は低木に隠した。
弱ったレティシアを、無防備に置いていけないと思ったのだ。
『ここで待っててね。すぐに戻るから』
ステラはそう言うと体を小さくし、野営ポイントに向かって走った。
向かう道がいつも以上に遠く感じ、不安から足が縺れそうになる。
それでも、今のステラにはレティシアのために、走ることしかできない。
野営ポイントに近付くと、ひりつくような気配を感じ、いつも以上に警戒して足を踏み入れた。
ステラはレティシアが採った魔物の素材を置くと、パンの香りがする袋を咥え、瞬時に走り出す。
焚火の横を走り抜け、この近くにレティシアを連れてきたいと彼女は思う。
けれど、人の姿になれない彼女には、今は叶わぬ思いだ。
しかし……
その時、大きな声が聞こえる。
「ステラ! 待て! ステラ!!」
ステラは呼ばれた方を振り返ると、一瞬の間が空き、彼女の咥えてた袋が地面に落ちた。
見覚えのある顔を見たステラの目からは、溢れ出したかのようにポタポタと涙が流れる。
『ルカ、ルカ……あっち……あっちなの! 早くしないと行っちゃう!!』
ステラは泣きながら伝えると元の大きさに戻り、走り出してルカを傷付けないように咥えた。
森の中を泣きながら走る彼女からは、フェンリルだという威厳は感じられない。
あふれる涙は彼女のこめかみを濡らし、風に身を任せた涙は森の闇に消えていく。
その姿は、まるで親を見つけた幼い狼のようにも見える。
けれど、ステラが先程レティシアを隠した場所に戻ると、そこにレティシアの姿はなかった。
その代わり、木の枝を使った矢印が残されている。
『いない! ルカ! ステラに乗って!』
『分かった!』
ルカは急いでステラの背中に飛び乗ると、ステラは矢印が指し示す方に向かう。
そして、いつも嗅いでいたレティシアの匂いを、ステラは必死に探した。
魔物の血を浴びているレティシアを探すのは、そう難しいことでもない。
だが、レティシアが魔物を狩りながら移動していたとなれば、話は変わってくる。
森の中に鉄の匂いと、腐敗臭が広がれば、ステラでも探すのは困難になるからだ。
匂いを辿りながら森の中を進むと、ステラは気配を消して何かを見つめるレティシアを見つけた。
それはルカも同じだったようで、ステラが小さくなる前に、彼はステラの背中から飛び降りた。
ステラとルカは気配を消し、レティシアに近寄ると、彼女が見ていた方に視線を向けた。
レティシアの視線の先では、男性が肉を捨てているところだった。
肉は山のように積み上げられ、まるで餌を準備したようにも見える。
『あれじゃ、魔物が寄ってくるわ』
ステラが冷静に言うと、レティシアもコクリと静かに頷く。
男性がその場を去ると、突然レティシアが走り出し、積み上げらた肉の塊に近寄った。
そして、その中に腕を肩までいれて、何かを探すように腕を動かし始めた。
けれど、ルカは静かにレティシアに近寄り、彼女を後ろから抱きしめて、彼女を止めようとする。
「ごめん……また、おまえが大変な時に傍にいなくて、ごめん……」
震える声でルカは言うが、それでもレティシアが動きを止めない。
ルカは胸が締め付けられたように痛み、悲痛な表情を浮かべた。
だが、レティシアが肉の山から腕を出すと、その手の中には紫の破片が握りしめられていた。
それは、無意識の中で彼女がずっと探してきた物でもあった。
『!! レティシア! アイツよ! アイツを捕まえれば!』
レティシアがコクリと頷くと、ルカの腕から離れ、一歩を踏み出した。
けれど、彼女の体は次第に傾いていく。
彼女の動きを見ていたルカは、咄嗟に手を伸ばすが、彼女の手によって払い除けられた。
そして、レティシアの体は、そのままドサッと音を立てて地面に落ちた。
思うように体が動かないのか、立ち上がることができないようだ。
ルカはその様子を見ながら、冷静な声でステラに尋ねる。
「ステラ、いつから話さなくなった?」
『レティシアのお母さんが亡くなった日からよ』
「食事は?」
『ステラが食事を取り行った日は食べてくれたり、食べなかったりしてた……でも、食べてない日が多かったわ』
「ステラ、俺との約束を守って、レティシアの傍にいてくれてありがとう。レティシア、帰るぞ」
ルカはそう言ってレティシアの腕を掴むと、レティシアはいやだ! とでも言うようにルカの手から逃げようとする。
しかし、ルカが彼女を離す様子はなく、彼は先程よりも優しく語りかけるように言う。
「レティシア、頼むから一緒に帰ろう?」
『レティシア、ステラからもお願い! もう帰ろう!』
ずっとレティシアの腕を掴んでいたルカは、ある違和感を覚えた。
そのため、彼は彼女の腕を離すと、しゃがんで彼女の頭を両手で押さえ、顔をしっかりと見た。
そして、そっと彼は自分の額を彼女の額に寄せ合わせると、彼女の体温が異常に高いのを感じた。
ルカは慌ててレティシアから手を離すと、空間魔法から薬を取り出した。
逃げてしまわないように彼女の肩腕を掴み、彼女に薬を飲ませようとする。
けれど、顔を背けて彼女は飲もうとしない。
「飲め! これはお願いじゃない、命令だ! 飲め!!」
無理やり飲ませようとするルカに対し、レティシアも固く口を閉じて拒絶している。
「いいから飲め!! 飲んでくれ!」
ルカは無理やりレティシアの唇に薬を押し当てるが、それでも彼女は口を開こうとしない。
耐えるように歯を食いしばって目を閉じたルカは、気持ちを落ち着かせるように何度も深呼吸を繰り返した。
そして、目を開けた彼はレティシアの目を見ながら、ハッキリと告げる。
「このまま何もかも捨てるなら、飲まなくてもいい。でも、少しでも生きたいと思うなら、飲め」
ルカの声はとても静かで、夜の森に重く響いた。
その瞬間、レティシアの動きがピタリと止まり、ルカは彼女の口がわずかに開くと、指で薬を押し入れた。
そして、彼女の喉が上下に動き、薬を飲み込んだ。
次第にレティシアの体は力が抜けたようになり、静かにレティシアは瞼を閉じた。
『ルカ! レティシアに何を飲ませたの!?』
レティシアの様子に驚いたようにステラが、慌てたようにルカに聞くと、ルカはレティシアを抱き寄せた。
そして、彼女の頬を軽くなでて、彼は泣きそうな表情を浮かべる。
「髪の毛と瞳の色が戻ってたから、このままじゃ連れて戻れない。だから、それを変える薬と、解熱剤と睡眠薬。レティシアが暴れたら、手が付けられないだろ?」
ルカはそう言うと、レティシアの背中と膝裏に腕を通し、しっかり支えて持ち上げた。
ルカの腕の中では、安心したようにレティシアが寝息を立てながら眠る。
「ステラ、悪いが、さっきの男をまだ追えるか?」
『ええ、追えるわよ』
「それなら追ってくれ。逃がしたとなれば、今度は君すら置いて、レティシアは1人で森の中に入って行くから」
『分かったわ。ルカ……レティシアをお願い……』
「ああ、そっちも頼んだぞ」
ルカがそう言うと、ステラとルカは二手に別れた。
ルカは野営ポイントに向かって歩き出し、ステラは先程の男の後を追う。
歩きながら、ルカは軽くなったレティシアを見つめた。
これがまるで夢のようにも感じられるが、彼女の重さが現実だと実感させる。
だが、彼女が話さなかったことや、目に生気がなかったことを考えれば、まだ安心することはできない。




